モリちゃんの酒中日記 4月その3

4月某日
1974年に三菱重工の本社ビルをはじめ連続企業爆破事件が発生した。事件を起こしたのは反日武装戦線を名乗るグループだった。この事件を追ったドキュメント映画が「狼をさがして」だ。渋谷のシアター・イメージフォーラムで上映しているというので友人の本郷さんを誘って観に行くことにする。我孫子から千代田線で表参道へ。会場へ着くとすでに本郷さんが来ていた。観客は30人程度か、若い人もチラホラいたがほとんどは私たちと同じ老人。監督が韓国の人で、そのせいか事件を客観的に見ているように感じられた。実は犯人グループの一人で検挙後、服毒自殺した斎藤和氏は私の高校の一年先輩。勉強もできて生徒からも教師からも信頼を集めていた。現役で東京都立大学へ進学したと思うが、犯行グループへ加わらなければ、大学教授か作家、評論家になっていたんじゃないかと思う。映画を観た後、渋谷のヒカリエで蕎麦屋に入り、昼食兼一杯。本郷さんと別れて私は半蔵門線で神保町へ。印刷会社の金子さんに会う。金子さんに秋葉原まで送って貰い我孫子へ。我孫子で「しちりん」による。

4月某日
先週、角田光代の「対岸の彼女」(文春文庫 2007年10月)を2人の女子高生がアルバイト、家出をしながら自立していく物語と酒中日記に紹介したが、家にある「対岸の彼女」を読み返したら、全然違っていた。専業主婦の小夜子は小さな旅行代理店で働き始める。旅行代理店プラチナ・プラネットの女社長、葵がもう一人の主人公。葵は高校生の頃、親友のナナコと夏休みアルバイトし、その後家に帰ることなく家出する。2人は同性心中を図るが未遂に終わる。女子高生2人がアルバイトして家出する、というところだけが記憶に残っていたわけだ。ナナコと葵の関係は、ほぼ20年後の小夜子と葵の関係に置き換わる。小夜子と葵はいったんは訣別するが再び共に働くようになる。角田光代は「紙の月」もそうだが、女(の子)の屈折した心理を描くのが上手い。

4月某日
内神田の社保研ティラーレで「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせ。吉高会長、佐藤社長に研究所から松澤総務部長、水野氏が参加。新型コロナウイルスとワクチン接種の動向が見通せないのと、オリンピックの開催動向も不透明なので結論は先送りに。次いで虎ノ門のフェアネス法律事務所で打ち合わせ。虎ノ門から歩いて有楽町の東京交通会館へ。「ふるさと回帰支援センター」の大谷さんを訪問。高橋公理事長が出てきたので一緒に呑みに行くことに。地下1階の博多うどんの店「よかよか」に行く。このお店には何度か来たことがあるが、店長がミャンマーの出身。日本がペラペラだし顔も日本人と区別がつかない。料理もこの人が作っているのだろうか?日本酒によく合うものが出てくる。高橋公理事長は早稲田の全共闘つながり。大谷さんも大学は違うが全共闘つながりで、二人は全共闘運動が終焉を迎えた後、大森で粉せっけんを創っていたそうだ。高橋さんにすっかりご馳走になる。

4月某日
「近代日本の国家構想 1871-1936」(坂野潤治 岩波現代文庫 2009年8月)を読む。タイトルにある「1871-1936」は廃藩置県から2.26事件によって日本がファシズムの道を歩み始めるまでをあらわしている。著者の意図はこの時代の政治史を「政治家や思想家がめざした政治体制構想の相克の過程として描こうと」(まえがき)したことにある。本書の概略は最終章の「政党政治の成立と崩壊」の末尾に示されている。概略をさらにかいつまんで記すと次のようになる。-1875年の大阪会議から始まった「上からの民主化」は、イギリス・モデルの議院内閣制を自覚的に目指すようになる(1879年の福沢諭吉の「民情一新」)。1881年3月の大隈重信参議の建言によりそれが現実の有力な選択肢となる。明治14年の政変で挫折する福沢-大隈ラインのイギリス・モデルは1890年の議会開設前後に息を吹き返す。これは1914年に吉野作造により20世紀初頭のイギリス自由党をモデルに再構築される(吉野の民本主義)。現実の政治体制が吉野構想にもっとも近づいたのは1929年成立の浜口内閣だったが、1936年の2.26事件により最終的に息を絶たれることになる-。坂野潤治先生は「岩波現代文庫版あとがき」で「安保転向者」であることを明らかにしているが、先生は60年安保当時、東大文学部国史学科に在籍し全学連の指導者の一人であった。先生は「あとがき」で「自由主義と両立する社会主義や、格差是正につとめる自由主義は、過去にも存在したし、今後も存続できるはずである」と言い切っている。まったく賛成!先生は昨年、鬼籍に入られた。黙とう。