5月某日
「〈階級〉の日本近代史-政治的平等と社会的不平等」(坂野潤治 講談社選書メチエ 2014年11月)を読む。本書は日本近代史を「階級」という視点から描いたものと言える。士農工商という身分制度をはじめとした封建制度は1871年の廃藩置県で完了する。主導したのは武士階級それも幕藩体制下では下層の武士階級であった。その3年後に「民撰議院設立建白書」が、租税を払う者には参政権が与えられるべきであると主張している。明治初期の租税は大部分が地租であったから、租税を払う者とは上層農民、地主を意味していた。1890年に第1回の総選挙が実施されたが、当選者の多くは地主階級であった。一定以上の税金を納めている者にしか選挙権を与えられなかった制限選挙だったからこれは当然であった。制限選挙は徐々に緩和されると同時に、所得税を払う都市ブルジョアジーが台頭してきた。殖産興業のスローガンのもと、日清・日露、第一次世界大戦を経て繊維産業中心から重化学工業化も進められた。1925年に男子の普通選挙法が成立し、無産階級にも選挙権が与えられた。この動きは坂野先生によると明治維新、自由民権運動、大正デモクラシー、昭和デモクラシーに対応し、担い手は「士」⇒「農」⇒「商」⇒「工」の順で時間をかけて広がってきた。この流れは総力戦体制のもとでも、戦時下でも、占領下でも進んで、時代を動かしていったというのが坂野先生の考えである。これぞ坂野史観である。
5月某日
監事をしている一般社団法人の監事監査があるので東京虎ノ門へ。小1時間で監査が終わり、お茶の水の社会保険出版社の1階で印刷会社の金子氏と待ち合わせ。若干の打ち合わせをした後、社会保険出版社の高本社長を訪問。日経新聞の「交友録」に高橋ハムさんが書いたエッセーのコピーを貰う。金子氏に車で御茶ノ水駅まで送って貰い我孫子へ帰る。
5月某日
「大きな字で書くこと」(加藤典洋 岩波書店 2019年11月)を読む。加藤典洋は1948(昭和23)年4月1日生まれ。私と同年だが4月1日生まれなので学年は1947年と一緒。1966年に東大に入学、1967年10月8日の第1次羽田闘争に衝撃を受け、11月の第2次羽田闘争に初めてデモに参加、それまでは非政治的な人間だったという。私は1948年の11月生まれで加藤と同年だが、学年は1年下。大学は一浪したので大学の学年は2年下。第1次羽田闘争は浪人生のときだった。「大学に入学したら学生運動をやろう」と秘かに決意した。加藤はその後、東大全共闘として全共闘運動に参加、卒業は私と同じ1972年だ。大学院の入試に落ちて国立国会図書館に勤務、1978~1982年、カナダのモントリオール大学東アジア研究所に派遣される。カナダでフランス文学者の多田道太郎と知りあい、多田から大学教師になるきっかけを与えられ、明治学院大学の教師となる。「大きな字で書くこと」には、加藤の「自分史」にまつわることが記されているのだが、時代的に共通するところもあって、私には面白かった。加藤の父は1916(大正6)年生まれ、20代で山形県巡査となり「特高」(特別高等警察の略、政治犯や思想犯を取り締まった)に配属される。全共闘運動に参加した加藤は、後に干刈あがたに「じつは父親が警察官だったので捕まるわけにはいかなかったんです」というと、「干刈さんが、あ、私のところもそうなんです、といって私の顔を正面から見た」と書かれている。当時の活動家(今や死語、学生運動に主体的に参加し暴力も辞さなかった)にとって「親が警察官」というのは深刻な問題だった。加藤典洋はなかなかいいと思うのだが、残念ながら2019年5月に亡くなっている。
5月某日
NHKBSプレミアムで「タクシー運転手-約束は海を越えて」を観る。1980年に起きた光州事件を題材にした韓国映画で日本公開は2018年4月。ソンガンホが演じるソウルのタクシー運転手は妻を亡くして娘と2人暮らし。光州での取材を希望するドイツ人の記者を乗せて光州事件真っ只中の光州市に入る。記者と運転手が目撃したのは、軍に抗議する市民、学生と彼らを容赦なく銃撃する軍の姿だった。2人を案内してくれた学生も銃撃され死亡する。運転手は記者から謝礼を渡され、いったんはソウルへ帰りかけるが、記者と市民のことが心配になり引き返す。記者と運転手はタクシー運転手仲間の援けもあって無事に金浦空港に脱出、記者のレポートはドイツで放映される。私はこの映画を観て、現在のミャンマーの状況に思いを馳せた。ミャンマーでも軍事政権に反対して市民が立ち上がったが、軍は発砲で応じ何百人単位での死者も出ている。光州事件も軍事クーデターで実権を握った全斗煥大統領のもとで起こった。「歴史は繰り返す」という言葉を思い出す。
5月某日
BSフジのプライムニュースを観る。反町というキャスターが偉そうでもなく、庶民的でちょっと気に入っている。識者を3人呼んで異なった角度からニュースを解説する形式も悪くない。新聞のテレビ欄には「気鋭哲学者×伊吹文明 コロナ感染と資本主義 緊急事態宣言と日本人」となっていたのでチャンネルをBSフジに合わせる。伊吹文明は自民党の重鎮で衆議院議員、気鋭哲学者というのは昨年「人新世の資本論」で注目を集めた斎藤幸平と日本思想史の先崎彰容。伊吹は80代、先崎は40代、斎藤は30代なので議論は嚙み合うのかと心配したが、コロナ禍の世界の現状についての認識は危機感の深刻度に違いはあっても、おおむね一致していた。伊吹は京大経済学部から大蔵省を経て政治家になった。政治家としての哲学を持った人だと思う。こういう人は与野党を通じて少なくなった。斎藤は産業革命以降の資本主義の過剰な発展による地球温暖化などの環境破壊について危機感を強く表明していた。
5月某日
朝日新聞の「科学季評」で山極寿一京大前総長が「環境問題は技術のせいか」を投稿していた。新型コロナウイルスの感染源は正確には特定できていないが、中国の市場で売られていたセンザンコウやコウモリではないかとし、エボラ出血熱に直面したアフリカ、ガボンでの体験を記している。ゴリラがエボラウイルスに感染して死に始めた。森林伐採で樹木が減り、ゴリラが寝ている木に感染源のコウモリがやってきて接触、ゴリラが感染し人間にも広がった。さらに森林伐採によって現金経済が奥地まで浸透し、伐採会社が去って失業した人々が野生動物の肉を都市で売りさばき始め感染が広がったという。山際は「地域の自然に合った人間の幸福な暮らしとは何かを考え、実現するための技術を導入する必要があると思う」とする。科学者としての山際の結論はそれでいいと思うが、私たちにはポスト産業資本主義を見つめた議論が求められていると思う。
5月某日
「ウィーン近郊」(黒川創 新潮社 2021年2月)を読む。表紙にエゴン・シーレの「死と乙女」が使われている。ベッドの上で乙女が黒衣の男に抱きついている図柄で黒衣の男が死をあらわしているのだろうか、気持ちのいい絵とは言えない。黒川創の小説を読むのは初めてだが、私には面白かった。「ウィーン近郊」を読んでいて途中から辻原登の作風に似てるなと感じた。イラストを生業とする西川奈緒のもとにウィーンの兄、優介が自殺したという連絡が入る。奈緒は新生児の特別養子縁組制度で迎えた洋を連れてウィーンへ向かう。ウィーンの兄の友人たちや在オーストリア日本国大使館の久保寺領事との交流が描かれる。ニューヨークやロンドン、パリではなくウィーンが舞台というのが面白い、というか作品的にはある種の必然性がある。ウィーン滞在最後の日、奈緒が訪れた美術館はクリムトやエゴン・シーレのコレクションで知られる。領事の久保寺は奈緒を日本に送った翌週に美術館でエゴン・シーレの大作「死と乙女」に目をとめる。この本の表紙に使われた絵である。ギャラリーの売店で求めた解説書によると、これは1915年、作者が25歳のときの作品だという。久保寺は大学生の英語のテキストだったグレアム・グリーンの「第三の男」を思い出す。映画にもなったこの小説の舞台もウィーンだった。小説の中で話が連関していく、ロンドのように。この感じが辻原の作風に似ているのかも知れない。