モリちゃんの酒中日記 5月その4

5月某日
「ブロークン・ブリテンに聞け」(ブレイディみかこ 講談社 2020年10月)を読む。ブレイディみかこを読んだのは一昨年の「女たちのテロル」(岩波書店)を読んだのが初めて。ブレイディみかこが何者かも知らず、図書館の新着案内で書名だけでリクエストした。金子文子はじめ、アイルランド独立戦争の女スナイパーや大英帝国の女性参政権運動のリーダーの生き方を追った本だった。それからすぐに「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(新潮社)がベストセラーになった。こちらは図書館にリクエストが殺到していたので書店で購入した。ブレイディみかこは左翼である。それもアナキスト系のかなり過激な左翼で、日本共産党系や旧社会党系の旧左翼とも反日共系の新左翼とも一線を画す。本書でも英国のデヴィッド・グレーバーの階級論を「マルクスではなくクロポトキンの思想の延長上にある」とし、「人間には他者をケアしたい本能が備わっていて、人はそれをしながら生きる方向を転換せねばならない」と彼の思想を紹介している。ステレオタイプの左翼思想ではない。ブレイディみかこは福岡修猷館高校を卒業後、ロック好きが高じて渡英、アイルランド系のトラック運転手と結婚して男児を得る。この男の子が「ぼくはイエローで…」の「ぼく」である。英国で保育士の資格をとり「最底辺保育所」で働きながら、ブログでエッセーを発表していた。英国在住ということも彼女の視点のユニークさと関連しているかも知れない。島国で「王制」であるということから日本と英国は共通点が多いように日本人は勝手に思っているが、それは大いなる勘違いであることを本書は示してくれる。それもアッパーミドルや上流階級ではなく、労働者階級の視点で、英国のEU離脱やロイヤルファミリー、エリザベス女王に対する庶民の評価、コロナウイルスへの対応などについて縦横に筆をふるう。私は70歳前後になってブレイディみかこと加藤典洋の著作に出会えたことは幸運だと思っている。

5月某日
図書館でサンデー毎日の最新号に目を通していたら下山進という人の「2050年のメディア」という連載コラムが目についた。萩尾望都という女流漫画家の語り下ろしの「一度きりの大泉の話」(河出書房新社 2021年4月)を取り上げていて、なんでも萩尾と当時(1970年代)、萩尾以上に人気のあった漫画家、竹宮恵子との出会いと別離の話がメインストーリーのようだ。私は大学生が漫画を読むようになった1960年代後半から70年代にかけて学生生活を送ったからもちろん漫画は読んでいた。ただその頃の大学生は圧倒的に男子学生が多く、「右手に少年サンデー、左手に朝日ジャーナル」というように、私らが愛読していたのはもっぱら少年漫画だった。したがって私の場合、萩尾望都や竹宮恵子は名前を知っている程度で作品は読んだことはない。というわけで「一度きりの大泉の話」にもそれほど興味を持ったわけではなかったが、図書館の新刊コーナーにはその本が並んでいるではないか。早速、借り出して読んでみるとこれが面白い。萩尾は1949年生まれで私の一歳年下、同じ時代の空気を吸ってきたわけだ。萩尾は上京後、大泉で竹宮と共同生活をしながら、漫画の制作に励むのだが、ある日竹宮から絶縁を宣言される。それは半世紀後の今も続く。今日の朝日新聞(5月29日)の書評欄でトミヤマユキコという人がこの本を取り上げ、読者としての私たちの仕事は「真相究明でも善人悪人のジャッジでもなく、彼女の戸惑い、恐れ、苦しみにそっと触れることだろう」と記している。その通りだと思う。思うのだが、この本のきっかけとなったのは同時期を描いた竹宮の「少年の名はジルベール」だという。我孫子市民図書館のHPで検索したら在庫と出た。さっそくリクエストした。

5月某日
「少年の名はジルベール」(竹宮恵子 小学館 2016年2月)を読む。この間読んだ「一度きりの大泉の話」は竹宮や萩尾望都が参加した大泉サロンとその周辺について萩尾の視点から描いたものだが、「少年の名は…」竹宮側の見方が明らかにされている。竹宮はもちろん漫画家なのだが、2000年に京都精華大学教授に、2014年には学長に就任している。竹宮は漫画家として優れているだけでなく教育者、あるいは大学の管理者、経営者としても名をなしたと言えるだろう。「少年の名は…」にも「一度切りの…」にも1972年に竹宮、萩尾、山際涼子(漫画家)に加えて、その頃から竹宮のプロデューサー的存在だった増山法恵の4人で行ったヨーロッパ旅行のことが記されている。旅行の準備や旅行中の庶務的なことは竹宮が引き受けていたようだ。やはり管理能力が抜群なのだと思う。それに対して萩尾望都はやはり芸術家肌何だなぁ。竹宮はこの本のラストで萩尾や増山らの若いころ友人たちを振り返り、「あの一瞬とも思える時間のなかで、なぜ巡り合えたのだろうか。それ自体がこの世の奇跡だ」と記している。同じ体験を共有しながら萩尾は傷つき、記憶を封印し、竹宮は追憶し懐かしむ。面白い。

5月某日
石巻市の地酒、日高見(平孝酒蔵)が6本届く。送り主は石巻出身の神山さん。石巻の母上のところに帰郷するので石巻の地酒を贈るというので日高見を所望した。6本も送られてきたのでひたすら恐縮。東日本大震災のとき石巻に取材に入り、確か駅前の物産館で買ったのが初めて。日高見国とは古代日本または蝦夷の地を美化していて用いた語とある。具体的な地名というよりも王権の東方の地、太陽が出てくる地域を意味していたらしい。北海道の日高地方(サラブレッドの産地として有名)も日高見国に因んでいるという。平安時代初期まで蝦夷は東北地方まで進出していた。坂上田村麻呂の蝦夷征討を高校の日本史で習った記憶がある。田村麻呂に与えられた征夷大将軍の称号が、後に源頼朝や足利尊氏、徳川家康へ武家の棟梁として与えられた。朝日新聞朝刊(5月31日)に「北海道・北東北の縄文遺跡群」のことが紹介されていた。数千年から1万年以上さかのぼるこれらの遺跡を築いた縄文人は蝦夷やアイヌの祖先だったのか、弥生人との関係は、興味は尽きない。なおこの記事によると、縄文文化は農耕・牧畜と定住がほぼ同時に始まった世界の他地域と異なり、農耕以前の「狩猟・採集・漁労の段階で定住を確立したのが特徴だ」としている。