モリちゃんの酒中日記 8月その3

8月某日
「インドラネット」(桐野夏生 角川書店 2021年5月)を読む。25歳の晃は志望大学に落ちて第三志望の法学部を卒業、IT企業の子会社で派遣社員として働いている。どうしようもない日常に抗うこともしない晃。晃の高校時代は輝いていた。長身でイケメンの空知がいつも一緒だったから。晃のもとにある日、空知の父俊一が死んだという知らせが届く。通夜に出席した晃はカンボジアで行方不明になっている空知の姉妹を捜してくれという依頼を受ける。晃は会社に退職届を出しカンボジアに飛び立つ。飛行機に乗るのも海外旅行も初めてなのに。カンボジアでは入国早々金を盗まれ、簡易宿泊所の受付でアルバイトをすることに。晃の周辺の日本人バックパッカーやカンボジアの人々、さらに怪しげなカンボジア在住の日本人実業家と触れあううちに晃はたくましく成長してゆく。アフガニスタンのカブールを反政府勢力タリバーンが占領、タリバーンはアフガン全土を掌握したようだ。「インドラネット」の舞台となったカンボジアも混沌とした政治状況だが、アフガンも同様だ。日本、韓国、中国などの東アジアは比較的安定しているが、北朝鮮や香港、ウイグル地区など不安定要素も抱える。私たち日本人は西欧的な価値観で事態を推し量りがちだが、アジア的な混沌という視点も必要かもしれない。

8月某日
社会保険出版社の高本社長を訪問。「真の成熟社会を求めて」の発送状況の報告を受ける。上野駅の不忍口で17時に大谷さんと待ち合わせ。上野駅の入谷口方面へ向かう。コロナ感染リスクは不忍口方面より入谷口方面の方が低い(大谷氏談)そうだ。入谷口の前にも入った居酒屋へ。生ビール、焼酎、カツオの刺身などを頼む。店に入ったときは客はまばらだったが、出るときはほぼ満席で若い人がほとんど。上野駅で大谷さんと別れ我孫子へ帰る。

8月某日
「あした、この国は崩壊する ポストコロナとMMT」(黒野伸一 ライブ・パブリッシング 2021年3月)を読む。惹句に曰く「経済理論に基づく新感覚近未来SF小説」。MMTとは現代貨幣理論のこと。この本でも大学教授に「国債を発行して財政支出を拡大することで、財政出動と同額だけ、民間の預金通貨は増えるんだから、緊縮財政なんてする必要はない。つまり国の赤字なんぞ気にせず、必要あらばドンドン国債を発行すればいいんだ」と主張させている。現実に日本政府もコロナ対策費は全額を国債で賄っていると見られる。国債発行残高は1000兆円を超えていると思われるが、国民の多くは、そして政治家の多くもあまり心配しているように見られない。長期にわたる不況で需要不足が続いている。経済はデフレ基調である。MMTのデメリットは通貨の膨張によるインフレだが、日本経済には当分、その心配はない。ということは金融当局の財務省も通貨の番人たる日銀もMMTを実践していることにならないか。

8月某日
阿部正俊さんの「真の成熟社会を求めて」を厚労省の書店、友愛書房に置いてもらおうと、運営している友愛十字会の蒲原基道理事長にお願いに行く。顧問をしている日本生命の日比谷オフィスを訪問。蒲原さんが年金局の企画課で係長をしていたときの課長が阿部さんで、仲人も阿部さんに頼んだという昔話も聞かせてくれた。蒲原さんに暑いから地下鉄の日比谷駅から真っ直ぐ帰りなさいよ、と忠告される。忠告に逆らって有楽町のガード下で生ビールと思ったがやっている店が見当たらない。上野の駅構内もダメ。松戸駅で途中下車したがここもダメ。コロナ自粛が徹底されているのが分かる。我孫子駅前の関野酒店でアイリッシュウイスキーのブッシュミルズを買って帰る。

8月某日
近所の整体院に通っている。週1回ほどで今日は3回目。会社を辞めるまでは神田や我孫子でマッサージに良く行っていた。今通っている「絆」という整体院は健康保険が効く。ただし保険が効くのはマッサージだけで電気治療やハリ治療は自費だ。本日はマッサージに電気治療をプラスして3000円でお釣りが来た。スタッフは青年である。患者は老人が多い。施術が終わり料金を払うと「ありがとうございます。気を付けてお帰りください」。ひとを老人扱使いするなと一瞬、思う。しかし実際、老人なんだよな。

モリちゃんの酒中日記 8月その2

8月某日
NHK BSで映画「緋牡丹博徒」を観る。全部で8作制作された緋牡丹博徒シリーズの第1作で主演が藤純子、子分役に山本麟一と待田京介、敵役の親分が大木実、藤純子の助っ人が高倉健、藤純子に好意的な親分さんに若山富三郎とその妹に清川虹子という豪華布陣。公開は1968年。シリーズは1972年まで続けられたが、ちょうど私の大学4年間と重なる。「緋牡丹博徒」は劇場で観た記憶がある。早稲田松竹だったか新井薬師東映だったか。

8月某日
「兵諫」(浅田次郎 講談社 2021年7月)を読む。「蒼穹の昴」シリーズの最新刊で「兵諫」は「へいかん」と読んで「兵を挙げてでも主の過ちを諫めること」という。この物語に出てくる兵諫は二つ。一つは1936年2月26日、陸軍青年将校が引き起こしたクーデター2.26事件、同じく1936年12月12日中華民国西安で起きた張学良らによる蒋介石の拉致監禁事件、西安事件である。「蒼穹の昴」は人気シリーズだが、変転する中国と日本の近代史を背景にした人間ドラマだ。浅田次郎の志那愛に溢れた作品と私は思う。一つの例は中国人の人名、地名表記だ。日本の小説では中国人名や地名は日本の音で読まれる。蒋介石は「しょうかいせき」、西安は「せいあん」だ。だが「兵諫」はじめ、「蒼穹の昴」シリーズでは中国語読みがルビで示される。蒋介石「ジャンジエシィ」、西安「シーアン」というように。「兵諫」の主人公はニューヨーク・タイムズ記者のジェームズ・リー・ターナー、朝日新聞記者の北村修治あるいは特務機関員の志津大尉とも読めるが、シリーズ全体の主人公は日本と中国の近代史であろう。

8月某日
社会保険出版社の高本社長に面談。午後ワクチン接種で不在ということなので11時過ぎに訪問。社会保険出版社から社保研ティラーレにまわろうかと思ったが、コロナが蔓延中ということもあって自粛、真っ直ぐ我孫子へ帰る。我孫子駅からバスに乗って3つ目のアビスタ前で降りる。停留所から歩いて5分ほどで我が家だが、今日は近くのイタリアン「ムッシュタタン」に寄る。パスタとサラダ、飲み物、デザートが付いて1000円(税別)だった。安いと思いますが。

8月某日
「姉の島」(村田喜代子 朝日新聞出版 2021年6月)を読む。村田喜代子は1945年生まれだから今年76歳。村田は中卒で鉄工所に務め、22歳で結婚して子ども二人を育てながら小説を書き、1987年に「鍋の中」で芥川賞を受賞している。今どき中卒の芥川賞作家って村田と西村賢太くらいだろう。えらいもんだ。「姉の島」は今年85歳で現役の海女をやっている「あたし」雁来ミツルが主人公。舞台は五島列島と思われる島と島に続く海。海にも台地があったり山があったりする。山が海に突き出たのが島だ。ミツルと幼馴染の小夜子が海に潜るとその昔の遣唐使や太平洋戦争で撃沈された軍艦の水兵などに遭遇する。「長安はこちらの方角でよろしいか」「お尋ね申します。トラック島はどっちでしょうか」といった会話が交わされる。終戦後、五島列島の沖で旧海軍の潜水艦が海没処分された。その潜水艦に二人の老海女が訪れ会話する。何とも幻想的である。最後の三行。
おぅーい、小夜子ォー。
あんたァ、どこへ行ったかよォ。
何や見えぬようになった。じゃが、それももうよかろう……。

8月某日
高血圧の治療で月一回、内科を受診する。クリニックは我孫子南口の中山クリニック。もう20年くらい通っている。主治医の中山先生は東大医学部卒、我孫子は内科医が多いのか、いつも閑散としている。診察といっても「変わりありませんか」「ありません」「では血圧を測りましょう」「最近ちょっと高めなんですが」「そうですね。この程度ならいつものお薬でいいでしょう」「ありがとうございます」「お大事にしてください」で、3分間。近くの調剤薬局で薬を処方してもらう。今日は駅北口のイトーヨーカドーのショッピングモールに寄ることにする。3階の本屋で桐野夏生の「インドラネット」を購入。

モリちゃんの酒中日記 8月その1

8月某日
「死刑囚 永山則夫」(佐木隆三 講談社 1994年7月)を読む。永山則夫は1968年にタクシー運転手らを被害者に4件の連続射殺事件を起こし、翌年4月に逮捕され死刑判決が確定し、98年4月1日に死刑が執行されている。永山は私より1年遅く1949年に北海道の網走で生まれ、幼くして青森に転居した。一家は極貧状態が続き永山も中学卒業後、渋谷の西村フルーツパーラーに就職するが、長続きせず転職を繰り返す。横須賀の米軍人宅から盗み出した拳銃によって犯行に及ぶ。私が大学1年生の暮れに、現役で明治大学に入った川崎君と川崎君の友人と新宿で呑んでいた。終電がなくなったので明大前の川崎君のアパートへ帰るためタクシーを止めた。運転手が「若い人一人なら絶対に乗せないよ」と言っていたことを今でも覚えている。タクシーの運転手にとってはそれくらい切実な事件だったのだ。本書は永山の公判記録を基本的な資料として書かれている。それでいて著者は本書はノンフィクションではなくノンフィクションノベルであると主張する。公判記録のすべてが真実であるのか不明であるし、見方によって真実は多様な見え方をするということだろうと思う。永山が逮捕された年の9月に私は学生運動で逮捕、起訴され10月には東池袋の東京拘置所に送られる。私は年末には出所しているが短期間とはいえ永山と同じ拘置所にいたことになる。同じ北海道生まれで一歳違い、拘置所ですれ違っていたかも知れない、そういう縁を感じてしまうのだ。

8月某日
社保研ティラーレで吉高会長、佐藤社長と懇談。話題は表敬に訪れた金メダリストのメダルを噛んだ河村名古屋市長のこと。言語道断で一致。阿部正俊さんの遺稿集「真の成熟社会を求めて」の印刷が出来上がり、キタジマの金子さんが届けてくれる。金子さんと社会出版社の高本社長に挨拶。金子さんに上野駅まで送って貰う。

8月某日
「あるヤクザの生涯 安藤昇伝」(石原慎太郎 幻冬舎 2021年5月)を読む。裏表紙に「この本は、次の人が予約して待っています」の黄色い紙が貼ってあったので、読んでいる本を中断して読み進むことにする。180ページ足らずで活字も大きいから2時間ほどで読み終わった。安藤昇は1926年生まれ、少年院から予科練を志願し敗戦により復員、法政大学予科に進学する。花形敬らと安藤組を結成する。横井英樹襲撃事件で逮捕され5年間の服役後、安藤組は解散し安藤は映画俳優に転身する。安藤組時代の力道山との抗争(力道山の使いの東富士と百万円で手打ち)や山口洋子、嵯峨美智子など数々の女出入りも告白されている。安藤昇の語り下ろしの形をとっているが、「この稿を書くにあたって大下英治氏の「激闘!闇の帝王 安藤昇」や安藤昇氏の「男の終い支度」などの書籍を参考にさせて頂きました」(付記)とあるように、既存のドキュメントやインタビューなどを再構成したものというのが正しいだろう。

8月某日
東京オリンピックが終わる。オリンピックに格別の興味があるわけではないが、コロナ禍で外出もままならず家でオリンピック関連のチャンネルを見ることが多くなる。私の同居家族(奥さんと息子)はオリンピックには興味がないようだ。だいたいテレビをほとんど見ない。奥さんはタブレットで韓国や中国のドラマを楽しんでいるらしい。たぶん大人も子供もテレビを見なくなっているのではないか? 高度成長期、一家だんらんの真ん中にはテレビが据えられていた。今や一家だんらんという言葉自体が死語に。

8月某日
「9条の戦後史」(加藤典洋 ちくま新書 2021年5月)を読む。加藤典洋が亡くなったのは2019年の5月、亡くなる1カ月前に「9条入門」(創元社)が出版されている。「9条」とはもちろん戦争放棄をうたった日本国憲法の9条のことである。加藤は1948年4月1日生まれで、学齢としては1948年の早生まれと同じ扱いになるらしい。山形東高校を1965年に卒業、同年に東大に入学している。本書を読んでいる期間がちょうど東京オリンピックと重なり、読み終わるのに1週間以上かかってしまった。新書版で500ページ以上という本の厚さもあるが、9条に対して、あるいは軍備や戦争と平和に関して日本人や政治家、政治学者らがどのように感じ、論じてきたかが詳細に論じられており、文章の意味を読み取るのに時間がかかってしまった。「『はじめに』に代えて」で野口良平という人が加藤が中高生向けに書いた「僕の夢」という文章を引用している。「理想というのは大事だ。政治というのは、新しい価値を作り出すための人々の企てだからね。むろん、理不尽なことには立ち向かうんだが、そういう必要と、この理想と二つがあってはじめて、政治は、実現できないと思われていたことを可能にする人間の営みになる」。これはほとんど全共闘運動のことを語っていると私には思われた。戦後、日本は保守党が主導権を握る内閣の下で、対米従属しながら核武装を回避しつつ、曲がりなりにも軽武装路線を貫いてきた。しかし安倍政権で事態は大きく変化した。安倍がトランプをパートナーとしつつ、米国の言いなりに武器を調達し、米軍の世界戦略に積極的に協力してきた。加藤は9条と国連との連携により、日米安保条約を解消し、米国を含めたアジア太平洋地域の安全保障を提言しているのだが…。