モリちゃんの酒中日記 9月その3

9月某日
「我が産声を聞きに」(白石一文 講談社 2021年3月)を読む。英語学校の非常勤講師と自宅での英会話の個人レッスンを続けている名香子は47歳、夫の良治は54歳、大手家電メーカーの研究職、一人娘の真理恵は早稲田大学の建築学科の2年生で大学進学を契機に一人暮らし。名香子は良治とともに良治のがん検診の結果を聞きにがんセンターへ向かう。初期の肺がんとの結果を聞いた後、二人で食事へ。食事の席で良治から聞かされたのは、好きな人がいる、その人と暮らしたいので家を出るという衝撃の告白。困惑する名香子の心理と行動を描くというのが、この小説のストーリーだ。小学生の名香子は捨てられた子猫と出会いミーコと名付けて飼い猫とするが、母の貴和子に猫の毛アレルギーが出て、ミーコは貰われていった。良治と結婚してしばらく経って庭に幼い猫が迷い込んできた。この猫もミーコと名付け一家で可愛がるのだが、良治の不手際から失踪してしまう。良治が家を出てからしばらくしての朝、庭で子猫の鳴き声がする。この小説は「『ミーコ、お帰り』/そう呟いて、彼女は一歩一歩、猫の鳴き声のする草むらへと近づいていく。」という文章で終わる。子猫が名香子の再生の象徴となっていると私は読みました。そしてもう一つ。実家の貴和子から手渡された句集の一句に小さな丸い印が付いていた。その句は「初みくじ凶なり戦い甲斐ある年だ」。これは母親から名香子へのメッセージなのだが、作者から読者へのメッセージでもあるように私には思えた。

9月某日
近所の鍼灸接骨院へ通っている。週2回、週1回は電気とマッサージ、あと1回はこれに鍼が加わる。鍼は昔、週1回ほど中国鍼に通っていたことがある。目黒の王先生のところだ。王先生は中国出身だが、文化大革命で迫害されて日本に来たそうだ。いつだったか尖閣列島問題についてどう思うか聞かれ、私が口よどんでいると「日本人はもっと毅然としなければダメよ」とそれこそ毅然と言われてしまった。中国共産党嫌いは徹底していると思ったものだが、現在の習近平指導部を見ると王先生の見方は正しかったという他ない。ネットで調べると目黒の店は閉店したようで、立川と国立で「こらんこらん」という鍼灸マッサージ院を経営しているみたいだ。

9月某日
ご近所シリーズ。床屋は近所の「髪工房」を利用している。11時頃、店を覗いたら平日にもかかわらず4人ほどが待っていた。我孫子の農産物を売っている「アビコン」が近くなので寄ってみると今日は休み。「髪工房」まで戻ると待ち客は二人に減っていたので待つことにする。平日なので空いていると思ったのが間違いのようで、本日の利用者は私も含めて全員が老人。年金受給者にとっては毎日が日曜日なのである。「髪工房」は私より少し年上のご主人とその娘さんの二人でやっている。店を出るときのお二人の「ありがとうございました」の声が心地よい。今日は「アビコン」まで足を延ばしたので万歩計は9000歩を超えていた。

9月某日
「武器としての『資本論』」(白井聡 東洋経済新報社 2020年4月)を読む。昨年の4月に初刷りが出て7月に第7刷が発行されているから、この種の本というかマルクス関係の本としては異例の売れ行きではなかろうか。斎藤幸平の「人新世の『資本論』」(2020年9月)も増刷を重ねているから、マルクスは再び注目を集められているのかも知れない。私たちが学生の頃は初期マルクスの「経済学哲学草稿」や「ドイツイデオロギー」がよく読まれていた。内容をよく理解したとは思えないが、前者では「資本制社会では人間が自らが産み出したものから敵対(疎外)される」こと後者からは「将来の共産主義社会の自由なイメージ」を読み取ったような記憶がある。さて今、なぜ資本論なのだろうか?私が白井の著作を読んで感じたことは資本制社会(現代社会)の有限性ということだ。資本制社会に先行する社会、ヨーロッパや中国、日本の封建社会も有限だったし、中央集権的な封建国家も部族的な封建国家がもとになっている。資本制社会にも理屈としては「次の社会」が待っているのだろう。マルクスはその社会を共産主義社会と予見した。今の資本制社会を永続的な社会として見るのではなく、「次の社会」はどうあるべきなのかという視点を持つことは重要なことだと思う。

9月某日
「めだか、太平洋を往け」(重松清 幻冬舎文庫 2021年8月)を読む。重松が得意とする教師もの。今回の主人公はアンミツ先生、22歳で教師となり60歳の定年まで勤めあげ、定年後はさらに一年、再雇用で教師を続けた。同僚だった夫は五年前にすい臓がんで世を去り、娘はカナダで働いている。息子の健夫は妻の薫とともに自動車事故で死亡、遺された孫の翔也を引き取ることになる。翔也は薫の連れ子で健夫と血縁関係はない。アンミツ先生は63歳にして血縁関係のない孫と二人の生活を東京郊外で始めることになる。ここを主舞台とすると副舞台は東日本大震災の被災地、北三陸市。アンミツ先生の教え子のキックがボランティアで復興に取り組んでいる。タイトルはアンミツ先生が6年生を担任したとき、卒業式の日に「太平洋を泳ぐめだかになりなさい」とスピーチしたことから。この小説は2012年12月から2014年4月まで十勝毎日新聞、神奈川新聞など地方紙16紙で連載された。小説で描かれる時期も震災の翌年だからほぼリアルタイムで震災後が舞台となっている。この小説に底流として流れているのは死と再生の物語である。

モリちゃんの酒中日記 9月その2

9月某日
「偉い人ほどすぐ逃げる」(武田砂鉄 文藝春秋 2021年5月)を読む。著者の武田は1982年生まれ、ということは今年39歳か。私の息子の年代である。河出書房新社を経て2014年からフリーライター。かなり人気があるようで、この本にも「この本は、次の人が予約してまってます。読みおわったらなるべく早くお返しください」という図書館からのメッセージが貼られていたし、奥付を見ると初刷が5月23日で早くも8月20日には3刷となっている。2016年から純文学の雑誌とされている「文学界」に「時事殺し」として連載されたものから選び抜いて一冊にして出版したものだ。保守かリベラルかという範疇からすると武田は間違いなくリベラルである。本書にも保守派との論争がいくつか出てくるが、相手の論理が破綻していることを指摘するのに容赦がない。武田が相手にしたのは保守派を自称する非論理的な右派に過ぎないということももちろんある。武田は東京オリンピックの開催に反対し本書でも第3章のタイトルは「五輪を止める」となっている。そのなかで新国立競技場建設のために国立競技場に隣接していた都営霞ヶ丘アパートが解体され住民が追い出されたことが記されている。私はオリパラに関してさしたる興味もなかったが、競技のテレビ画像を漫然と追っていた。当初は既存の施設の活用により安上がりな五輪を目指していたのにいつの間にかオオゴトになってしまった。民主的な手続きを経ているとは思えない。そしてそれを見過ごしている私たち。本書はコロナ禍の市民、国民にも問うている。

9月某日
先日、頂いた商品券で柏の高島屋でウイスキーを買うことにする。地下2階の酒売り場に行く。ウイスキーのコーナーで品定め。いつもは千円~二千円のウイスキーを買っているのだが、今回は奮発してHIGHLAND PARKの12年物、4620円(税込み)を買うことにする。家へ帰ってネットで調べるとスコットランド最北端の蒸留所で、評価も高かった。さらにネットで調べると、その蒸留所はオークニー諸島にあり、この島々は古くはバイキングの支配下にあったという。それでこのウイスキーの箱には「THE ORKNEY SINGLE MALT WITH VIKING SOUL」と記されているわけだ。きっとオークニー諸島の住民は誇り高きバイキングの末裔なのだろう。

9月某日
「尊王攘夷-水戸学の四百年」(片山杜秀 新潮選書 2021年5月)を読む。片山杜秀は慶應大学法学部教授で日本政治思想史の研究者であると同時に音楽評論家としても活躍している。学部は慶應大学法学部だが大学院は橋川文三のいた明治大学大学院に進んでいる。本書は雑誌連載(新潮45、新潮)をもとにしていることもあって、尊王攘夷や水戸学にまつわる幅広いテーマに着目しており、普通の歴史書にはない楽しさがあった。明治維新の捉え方にしても「薩長土肥が連合して幕府を倒した」という従来の見方に対して「天皇が政治に前面化する不可逆的なきっかけを作って、維新への流れを動かしがたいものにしたのは、徳川斉昭に感化された阿部正弘で、その不可逆性を可逆性と思って引き戻そうとし、失敗したのが井伊直弼で、不可逆的な流れを最終到達点まで導いたのは、これもまた斉昭が徹底教育した息子の徳川慶喜だった」という見解が示される。また三島由紀夫(本名・平岡公毅)は祖母に溺愛されて育てられたことは知られているが、その祖母、平岡なつの母は永井高で、水戸藩の支藩、宍戸藩のお姫様であった。永井高の兄、宍戸藩主の徳川頼徳は水戸藩の内紛の鎮撫を命ぜられるが果たせず、切腹させられる。菅義偉の敬愛する政治家、梶山清六は祖父の静から静の父の弟、梶山敬介が天狗党に参加し各地を転戦の後、越前敦賀で武田耕運斎や藤田小四郎らと処刑されていると聞かされた。現在放映されているNHKの大河ドラマ「青天を衝け」の主人公、渋沢栄一も熊谷の豪農出身だが尊王攘夷に目覚め高崎城を襲って銃を奪い、横浜の外人居留地を襲う計画を立てたが従弟に説得され未遂に終わる。幕末、維新期は小説、映画、テレビドラマの舞台となることも多いが、それだけ血なまぐさい時代だったとも言える。

9月某日
銀座の弁護士事務所で打ち合わせ。その後、大谷さんと呑みに行くことになっている。弁護士事務所を出た後で大谷さんから電話、近くにいるらしい。山形県のアンテナショップ前で待ち合わせて有楽町のガード下へ向かう。オープンしたてらしい「アジェ有楽町」という焼肉屋へ入る。店の女の子によると京都が本店で大阪、金沢にも店があるという。なかなか美味しかったし値段もリーズナブルであった。久しぶりの外呑みであった。

9月某日
図書館で借りた「評伝 福田赳夫 五百旗頭真監修 井上正也 上西朗夫 長瀬要石 岩波書店 2021年6月」を読む。田中角栄や大平正芳に比べて福田を論じた書物は少ないそうだ。田中は庶民宰相として圧倒的な人気を図りながらロッキード事件で退陣を余儀なくされた後も闇将軍として権力の座にこだわった。大平は田中の盟友として田中の積極財政を引き継ぎ、総選挙の最中に急死する。福田は三木から政権を引き継いだ後、2年で大平・田中連合に総裁選に敗れ退陣する。福田は岸信介の直系ということもあって、私の頭の中では長く自民党右派の位置づけであった。事実、福田派を引き継ぐ清話会は安倍晋三の長期政権を支え、今回の総裁選挙でも安倍はタカ派の高市早苗の支持をいち早く打ち出している。しかし「評伝 福田赳夫」を読むと今まで私が描いていた福田赳夫像とは異なるイメージが浮かんでくる。福田は大蔵官僚として主計局長まで務め日本の財政について、責任ある見解を抱いていたし、その背景には後にOBサミットに結実する地球の未来、有限な環境資源に対する深い洞察があった。本書に「第一次オイルショックからの勃発から約五年、福田は一貫して日本の経済政策を主導した。それは日本経済が高度成長から安定成長へと移行する過渡期であった」という文章がある。福田亡き後、日本経済は安定成長からゼロ成長、マイナス成長へと陥る。米国に次いで世界第二位の経済大国という座を滑り落ちても久しい。日本はどこへ行くのか。福田を評する言葉に「政策の勝者、政争の敗者」がある。裏返すと政策の敗者が政争で勝利してきたわけである。少子化が進む現在、日本には後がないと思うのだが。

モリちゃんの酒中日記 9月その1

9月某日
「太平洋戦争への道 1931-1941」(NHK出版新書 半藤一利 加藤陽子 保阪正康 2021年7月)を読む。半藤一利は今年1月に亡くなった、昭和史を中心に多くの作品を残した作家で元文藝春秋社の編集者。加藤陽子は日本近代史を専攻する学者で東大教授。保阪正康は日本帝国主義の勃興と没落を追うジャーナリスト。半藤は1930年生まれ、保阪は1939年生まれ、加藤は1960年生まれだ。保阪は蒋介石の次男の蔣緯国の話として「日本の軍人は単純に言えば歴史観がないのだろう」という言葉を紹介している。加藤は1940(昭和15)年に締結された日独伊三国軍事同盟と太平洋戦争について次のように言う。1940年6月にフランスがドイツに降伏し、ドイツと戦争をしているのはイギリスだけとなった(ドイツがソ連に侵攻するのは翌年の6月、アメリカが参戦するのは日本の真珠湾攻撃以降である)。イギリスがドイツに負けると東南アジアのイギリスの植民地はドイツに奪われてしまう(仏領インドシナ、蘭領インドネシアも)。それを回避するためにも軍事同盟を締結したという見方である。東アジアを西欧の帝国主義から解放するというのが大東亜戦争のイデオロギーだったはずだが、この見方からすると日本は何ともみみっちい。半藤は「学ぶべき教訓」として、不勉強な人たちが指導者になって、自分たちの勢いに任せた判断をやってきたとし「判断の間違いが積み重なって、どうにもならないところまできて、戦争になってしまった」と書いている。何やら後追いを繰り返す現代のコロナ対策を見ているようである。

9月某日
菅首相が自民党の総裁選挙に出ないことを表明。すでに出馬を宣言している岸田文雄に勝ち目がないと判断したのか。菅の不出馬を受けて河野太郎、野田聖子も立候補の意向を発している。石破、下村も立候補を検討しているという。菅の不出馬表明により自民党の総裁選挙が一気に注目度を集めている。総裁選挙には自民党員以外には投票権はない。しかしながら自民党の総裁に選ばれると、国会で自民党と公明党の議員により総理大臣に選出される。現状では自民党の総裁選挙は次期首相の選出と同じ意味なのだ。菅政権は安倍政権を引き継いだ。閣僚も引き継いだしイデオロギーも引き継いだ。安倍前首相はイデオロギー的に近い高市早苗を支援するという。自民党は政策的にもイデオロギー的にも幅広い民意を代表している。改憲派もいるし護憲派もいる。改憲派のなかにも自主防衛派もいれば国連中心主義者もいる。社会保障についても自助努力を重視する人もいれば所得の再分配を重視する人もいる。今度の総裁選ではそこいら辺のことを自由闊達に議論してほしい。

9月某日
「岩倉具視-言葉の皮を剥きながら」(永井路子 文藝春秋 2008年3月)を読む。岩倉具視はNHKの大河ドラマでは「青天を衝け」では山内圭哉が、「西郷どん」では笑福亭鶴瓶が演じている。演じている役者にもよるのだろうが、どちらかというと「怪物」のイメージがある。ドラマでも主役にはなりえない。お札でも「五百円札」だからね。平安時代の昔から公家には家格があり昇進できる位が決まっていた。岩倉具視の家格は低く下級公家、永井によると「村上源氏系の久我(こが)家の庶流で家禄百五十石、下級の小公家にすぎない」という。その下級の小公家が幕末、明治維新という革命期に活躍した。いくつかの偶然が作用した。具視の妹が孝明天皇の側に上がり、具視も侍従として天皇の側近となった。禍福は糾える縄の如し、やがて具視は任を解かれ京都郊外の岩倉村に蟄居させられる。ここで具視は倒幕の構想を練ることになる。尊王攘夷というが幕末も押し迫ってくると攘夷派の影は薄くなる。こてこての攘夷主義者とされる孝明天皇も晩年には開国やむなしに至っていたようだ。具視は尊王倒幕を掲げる原理主義者、理想主義者であったわけだが、政治的には徹底した現実主義者だったのだ。この頃の自民党政治を見ると、理想は一向に語られず一方で現実からも目を背けているような気がするのだが。

9月某日
「ラーメン煮えたもご存じない」(田辺聖子 新潮文庫 昭和55年4月)を読む。巻末に「この作品は昭和52年2月新潮社より刊行された」とある。120編余りのエッセーが収録されていて文中で「夕刊フジ」に連載されていたことが分かる。ということは昭和50(1975)年頃、連載されていたのだろうか。今から50年近く前に連載されていたものだが、まったくと言っていいほど「古さ」を感じさせない。私はその頃、学校を卒業して初めての職場だった写植屋を辞めて、駒込の日本木工新聞社という業界紙の記者をしていた。「田辺聖子」という名前くらいは知っていたかもしれないが、まったく興味はなかった。田辺先生を読み始めるのは年友企画に入社して以降で、山本周五郎や藤沢周平、司馬遼太郎などと並行して読んでいたように思う。当時、山本はすでに物故しており藤沢も司馬も21世紀になる前に亡くなっている。田辺先生は1928年生まれで2019年6月に亡くなっている。91歳と長命である。「夕刊フジ」はサラリーマン相手のタブロイド判の夕刊紙である。田辺先生も読者を意識してサラリーマンが帰りの電車で読んでも肩の凝らないような話題を選んでいる。しかし、時として田辺先生の硬派の顔が覗くときがある。台湾選手がオリンピックに出場できなかった(そんなこともあったのか)話題に触れて、「せっかく出ようといってるものを、帰すことはないと思うのだ」と率直である。その一方で中国革命を「人類のなしとげた仕事の中では、たいへんすばらしいものの一つだと思う」と評価する。公平なんだよね。「人、サムライたらんと欲せば」というエッセーでは「私は、男も女も、大丈夫、つまりサムライたるべきこと、とかたく信じている」と宣言し、「いや、サムライというのは、昔も今も、生きにくいのだ」と嘆じる。結論は「愛のために生き、愛のために死ぬ人は、サムライが義のために生き、義のために死ぬのと同じで、愛と義とは、人間にとって同義であるのだ」と格調高い。私は田辺先生と同時代を生きたことを幸せに思うものです。

モリちゃんの酒中日記 8月その4

8月某日
「メタボラ」(桐野夏生 朝日新聞 2007年5月)を読む。初出は「朝日新聞2005年11月28日~2006年12月21日」となっている。桐野の主要な著作は読んできたつもりだが「メタボラ」は読んでなかった。昨年、桐野の「日没」(岩波書店)の発売に合わせて雑誌「思想」で「桐野夏生の小説世界」を特集、白井聡が「桐野夏生とその時代-「OUT」「グロテスク」「メタボラ」について」という論文を発表していた。小説は森の中を逃げ惑う「僕」の描写から始まる。「僕」は自分が誰かもなぜこのような状況にあるのかも理解できない。理解できるのは自分が記憶喪失であるということだけだ。「僕」は森の中で若い男に出会う。男は伊良部昭光と名乗り、ここは沖縄本島で自分は宮古島出身であることを告げる。昭光は素行不良を叩きなおすために「独立塾」に入れられ、そこから脱走して「僕」に出会ったのだ。昭光と昭光からギンジと名付けられた「僕」の旅が始まる。白井聡は「OUT」や「グロテスク」と比べて「メタボラ」は「団結することや激しい共喰いの戦いに参加することのできない、無力で受動的な個人を物語の中心に据えることにより、一段高次のリアリズムを実践している。そしてその個人が、革命的な変容を内的に遂げるのである」と分析する。「革命的な変容」ね。確かに前回読んだ「インドラネット」の主人公も、ある事件に巻き込まれたことをきっかけに「革命的な変容」を遂げている。個人の変容、それも革命的な変容も桐野のテーマの一つと思う。

8月某日
特定危険指定暴力団、工藤会(北九州市)のトップに対して福岡地裁は死刑を言い渡した。このトップは昭和21年生まれの74歳、私の2歳上でほぼ同年代だ。中学から少年院に入れられた札付きの不良だったようだ。不良から暴力団のコースをたどるのは貧困などの家庭環境が大きいと私は思ってしまうが、この人の実家は北九州に幅広く土地を所有している農家で、若いころ博打に大負けすると実家の土地を売って処理したそうだ。母親の遺産として数億円を得ている。資金力と才覚で九州有数の暴力団トップに昇りつめたのだろう。ネットで週刊実話に連載されていた彼の手記を覗いたら、弁護士から差し入れられて「破天荒伝」を読んでいた。これは共産主義者同盟(戦旗)の指導者だった荒岱介(故人)の書いたもの。差し入れした弁護士の意図は分からないが、「すべての犯罪は革命的である」(平岡正明)ということか。4件の市民襲撃事件で殺人罪などに問われたことから死刑判決がなされたものだが、私はもともと死刑制度に反対なのでこの判決にも承認しかねる。死刑を廃止して終身刑を、というのが私の考えだ。

8月某日
「女ともだち」(角田光代、井上荒野、栗田有起、唯野未歩子、川上弘美 2010年3月 小学館)を読む。女流作家5名による「女ともだち」をテーマにしたアンソロジーである。栗田と唯野以外は私にとっては馴染みの作家である。発刊から11年を経過して栗田と唯野の名前は聞かない。もしかしたら文芸という市場から淘汰されてしまったのかも知れない。「女ともだち」がテーマであるが、各作品に出てくる女主人公が派遣社員であるのも共通している。白井聡ならば、派遣社員に関しては階級闘争の視点を抜きにしては論じないし、桐野夏生ならば、正社員との格差それからくる憎悪と蔑視が描かれるだろう。それに対して本作で描かれる派遣は、正社員以上に仕事ができるが会社(組織)に属していないことに誇りを持っている存在として描かれる。私としては2000年代の時代の描かれ方としては、総体として「甘い」といわざるを得ない。

8月某日
御茶ノ水の社会保険出版社で「真の成熟社会を求めて」の発送状況を聞く。神田の銀行に寄って社保研ティラーレに顔を出そうかと思うが、16時を過ぎていたので止める。「跳人」で一杯と思ったがオープンが17時からなので断念。おとなしく我孫子へ帰る。「しちりん」は今月いっぱい休業中で「コビアン」でビールでも飲むつもりが、ここも「酒類の提供をしていません」。コロナで世界中が大変なことになっているが、私としては外で呑めないのが一番困ります。帰りの電車で図書館から借りていた「なぜ秀吉は」(門井慶喜 毎日新聞出版 2021年5月)を読む。「朝鮮出兵をめぐる圧倒的な人間ドラマ」という惹句だが私にはピンと来なかった。ただ秀吉のころの日本が「東アジア世界で、いや、ヨーロッパをふくめても、世界一の軍事動員力を保持していた」というのにはいささか驚いた。作者によると秀吉が九州平定のために集めた兵力は総勢20万人に対し、同時代のフランスのユグノー戦争の規模は数万人だったという。日本人は好戦的な民族なのか?

8月某日
秀吉つながりで「智に働けば-石田三成像に迫る10の短編」(山田裕樹編 集英社文庫 2021年7月)を読む。豊臣政権では秀吉が総理大臣とすれば、三成は官房長官ということになろうか。五大老筆頭の徳川家康は副総理だ。とすれば関ヶ原合戦は副総理に官房長官が挑んだ戦いということになる。当時、家康の所領は関東に255万石、三成は近江佐和山19万石である。自民党の派閥でいえば家康派の議員255人に対して三成派は19人。三成に勝機があるとすれば派閥の合従連衡しかない。三成は西国の有力大名に声を掛け、毛利と島津は三成派の西軍に参加した。西軍に参加はしたが実際の参戦は見送り、東軍すなわち家康派は地滑り的な勝利を手にする。三成は自分を取り立ててくれた豊臣政権に恩義がある。政権奪取を目指す家康を許すことはできなかったのである。戦いに負けて捕らえられた三成は斬首される。これが戦国時代の厳しさである。

8月某日
地下鉄千代田線を霞ヶ関駅で下車、虎ノ門フォーラムを訪問。中村秀一理事長が不在だったので「真の成熟社会を求めて」を係の人に渡す。新橋烏森の「なんどき屋」でカメラマンの岡田明彦さんと待ち合わせ。16時待ち合わせに10分ほど早く着いたので生ビールを頼む。ジェムソンの水割りに切り替えたところで岡田さんが登場。「真の成熟社会を求めて」を手渡し。阿部正俊さんの思い出話しをする。岡田さんと二人で呑むのは何年ぶりだろうか。コロナ禍で外で呑むこと自体がほとんどなくなった。私としても久しぶりの「外呑み」。

8月某日
近所の床屋「髪工房」で散髪。散髪後、天ぷら屋の「程々」で「程々定食」。天ぷらに刺身、焼き魚、小鉢、しじみ汁。デザートとコーヒーが付いて1200円は安いと思う。我孫子産の野菜を売っているアビコンへ。雨が降ってきたのでアビコンの置き傘を拝借。15時30分に鍼灸マッサージの予約を入れている「絆」へ。今日は鍼を打って貰ったので、総額3,450円。
マッサージは健康保険が効くので450円、鍼治療は3,000円である。