モリちゃんの酒中日記 8月その4

8月某日
「メタボラ」(桐野夏生 朝日新聞 2007年5月)を読む。初出は「朝日新聞2005年11月28日~2006年12月21日」となっている。桐野の主要な著作は読んできたつもりだが「メタボラ」は読んでなかった。昨年、桐野の「日没」(岩波書店)の発売に合わせて雑誌「思想」で「桐野夏生の小説世界」を特集、白井聡が「桐野夏生とその時代-「OUT」「グロテスク」「メタボラ」について」という論文を発表していた。小説は森の中を逃げ惑う「僕」の描写から始まる。「僕」は自分が誰かもなぜこのような状況にあるのかも理解できない。理解できるのは自分が記憶喪失であるということだけだ。「僕」は森の中で若い男に出会う。男は伊良部昭光と名乗り、ここは沖縄本島で自分は宮古島出身であることを告げる。昭光は素行不良を叩きなおすために「独立塾」に入れられ、そこから脱走して「僕」に出会ったのだ。昭光と昭光からギンジと名付けられた「僕」の旅が始まる。白井聡は「OUT」や「グロテスク」と比べて「メタボラ」は「団結することや激しい共喰いの戦いに参加することのできない、無力で受動的な個人を物語の中心に据えることにより、一段高次のリアリズムを実践している。そしてその個人が、革命的な変容を内的に遂げるのである」と分析する。「革命的な変容」ね。確かに前回読んだ「インドラネット」の主人公も、ある事件に巻き込まれたことをきっかけに「革命的な変容」を遂げている。個人の変容、それも革命的な変容も桐野のテーマの一つと思う。

8月某日
特定危険指定暴力団、工藤会(北九州市)のトップに対して福岡地裁は死刑を言い渡した。このトップは昭和21年生まれの74歳、私の2歳上でほぼ同年代だ。中学から少年院に入れられた札付きの不良だったようだ。不良から暴力団のコースをたどるのは貧困などの家庭環境が大きいと私は思ってしまうが、この人の実家は北九州に幅広く土地を所有している農家で、若いころ博打に大負けすると実家の土地を売って処理したそうだ。母親の遺産として数億円を得ている。資金力と才覚で九州有数の暴力団トップに昇りつめたのだろう。ネットで週刊実話に連載されていた彼の手記を覗いたら、弁護士から差し入れられて「破天荒伝」を読んでいた。これは共産主義者同盟(戦旗)の指導者だった荒岱介(故人)の書いたもの。差し入れした弁護士の意図は分からないが、「すべての犯罪は革命的である」(平岡正明)ということか。4件の市民襲撃事件で殺人罪などに問われたことから死刑判決がなされたものだが、私はもともと死刑制度に反対なのでこの判決にも承認しかねる。死刑を廃止して終身刑を、というのが私の考えだ。

8月某日
「女ともだち」(角田光代、井上荒野、栗田有起、唯野未歩子、川上弘美 2010年3月 小学館)を読む。女流作家5名による「女ともだち」をテーマにしたアンソロジーである。栗田と唯野以外は私にとっては馴染みの作家である。発刊から11年を経過して栗田と唯野の名前は聞かない。もしかしたら文芸という市場から淘汰されてしまったのかも知れない。「女ともだち」がテーマであるが、各作品に出てくる女主人公が派遣社員であるのも共通している。白井聡ならば、派遣社員に関しては階級闘争の視点を抜きにしては論じないし、桐野夏生ならば、正社員との格差それからくる憎悪と蔑視が描かれるだろう。それに対して本作で描かれる派遣は、正社員以上に仕事ができるが会社(組織)に属していないことに誇りを持っている存在として描かれる。私としては2000年代の時代の描かれ方としては、総体として「甘い」といわざるを得ない。

8月某日
御茶ノ水の社会保険出版社で「真の成熟社会を求めて」の発送状況を聞く。神田の銀行に寄って社保研ティラーレに顔を出そうかと思うが、16時を過ぎていたので止める。「跳人」で一杯と思ったがオープンが17時からなので断念。おとなしく我孫子へ帰る。「しちりん」は今月いっぱい休業中で「コビアン」でビールでも飲むつもりが、ここも「酒類の提供をしていません」。コロナで世界中が大変なことになっているが、私としては外で呑めないのが一番困ります。帰りの電車で図書館から借りていた「なぜ秀吉は」(門井慶喜 毎日新聞出版 2021年5月)を読む。「朝鮮出兵をめぐる圧倒的な人間ドラマ」という惹句だが私にはピンと来なかった。ただ秀吉のころの日本が「東アジア世界で、いや、ヨーロッパをふくめても、世界一の軍事動員力を保持していた」というのにはいささか驚いた。作者によると秀吉が九州平定のために集めた兵力は総勢20万人に対し、同時代のフランスのユグノー戦争の規模は数万人だったという。日本人は好戦的な民族なのか?

8月某日
秀吉つながりで「智に働けば-石田三成像に迫る10の短編」(山田裕樹編 集英社文庫 2021年7月)を読む。豊臣政権では秀吉が総理大臣とすれば、三成は官房長官ということになろうか。五大老筆頭の徳川家康は副総理だ。とすれば関ヶ原合戦は副総理に官房長官が挑んだ戦いということになる。当時、家康の所領は関東に255万石、三成は近江佐和山19万石である。自民党の派閥でいえば家康派の議員255人に対して三成派は19人。三成に勝機があるとすれば派閥の合従連衡しかない。三成は西国の有力大名に声を掛け、毛利と島津は三成派の西軍に参加した。西軍に参加はしたが実際の参戦は見送り、東軍すなわち家康派は地滑り的な勝利を手にする。三成は自分を取り立ててくれた豊臣政権に恩義がある。政権奪取を目指す家康を許すことはできなかったのである。戦いに負けて捕らえられた三成は斬首される。これが戦国時代の厳しさである。

8月某日
地下鉄千代田線を霞ヶ関駅で下車、虎ノ門フォーラムを訪問。中村秀一理事長が不在だったので「真の成熟社会を求めて」を係の人に渡す。新橋烏森の「なんどき屋」でカメラマンの岡田明彦さんと待ち合わせ。16時待ち合わせに10分ほど早く着いたので生ビールを頼む。ジェムソンの水割りに切り替えたところで岡田さんが登場。「真の成熟社会を求めて」を手渡し。阿部正俊さんの思い出話しをする。岡田さんと二人で呑むのは何年ぶりだろうか。コロナ禍で外で呑むこと自体がほとんどなくなった。私としても久しぶりの「外呑み」。

8月某日
近所の床屋「髪工房」で散髪。散髪後、天ぷら屋の「程々」で「程々定食」。天ぷらに刺身、焼き魚、小鉢、しじみ汁。デザートとコーヒーが付いて1200円は安いと思う。我孫子産の野菜を売っているアビコンへ。雨が降ってきたのでアビコンの置き傘を拝借。15時30分に鍼灸マッサージの予約を入れている「絆」へ。今日は鍼を打って貰ったので、総額3,450円。
マッサージは健康保険が効くので450円、鍼治療は3,000円である。