モリちゃんの酒中日記 10月その3

10月某日
「何が私をこうさせたか-獄中手記」(金子文子 岩波文庫 2017年12月)を読む。金子文子は大正時代のテロリスト。金子文子は大正時代のアナキストで関東大震災直後、同棲相手の朴烈とともに拘束される。当時摂政だった昭和天皇の暗殺を企てたとして大逆罪で起訴され死刑判決を受けるが無期懲役に減刑されるが文子は、収監されていた宇都宮刑務所栃木支所で自殺する。23歳であった。本書は文子の生い立ちから朴烈との出会いまでの文子自身の手によるドキュメントである。金子文子の生涯は瀬戸内寂聴が「余白の春」で描いているが、史実の多くは「何が私を…」に拠っている。巻末に金子文子年譜が掲載されているが、それによると文子は1903(明治36)年1月25日に生まれるが、両親は婚姻届を出しておらず文子の出生届も出されなかった。父と母の妹が関係を持ち両親の仲は破綻する。文子が8歳のとき母とともに山梨の母の実家、金子家に戻るが、9歳の秋に朝鮮の父方の祖母に引き取られる。実子として学校教育も十分に受けられる約束だったが実態は使用人扱いされる。食事も十分に与えられなかったり、祖母から日常的に暴力を受けるなど、現代では立派な児童虐待である。16歳のとき追い出されるように山梨の実家に帰され、次に浜松の父のもとに引き取られる。浜松から家出するように上京し職を転々としながら研数学館や正則学園で勉学を続ける。有楽町のアナキストやジャーナリストの集まる酒場で働いていたとき、友人の紹介で朝鮮人のアナキストでありニヒリストである朴烈と出会う。朴烈と意気投合し同棲を始めたところで手記は終わる。金子文子は大逆罪で起訴され、死刑を宣告されるが天皇の恩赦により終身刑に減刑されるが。しかし文子は収容されていた宇都宮刑務所栃木支所で自死する。23歳であった。

10月某日
我孫子駅の改札で大谷源一さんと神山弓子さんと待ち合わせ。神山さんは成田在住だが本日は実家の石巻からの帰りだそうだ。私の行きつけの「しちりん」に行くことにする。神山さんの息子さんが学生時代「しちりん」でバイトしていたそうで、神山さんに店の人が挨拶していた。神山さんから石巻土産に日本酒と「いぶりがっこ」などを頂く。そのうえ「しちりん」の勘定まで払ってもらう。申し訳なし。

10月某日
昨日から洟が止まらない。週に2回行っているマッサージの日、俯きに寝て施術を受けるので苦しい。マッサージの人が「今年は結構、花粉が大変みたいですよ」と。そう言えばこの2年ほど花粉は下火だったうえにコロナ禍でマスクが必須だったためか、花粉アレルギーで医者に行くことはなかった。我孫子・耳鼻科で検索すると我孫子駅前の新田医院がヒット、土曜日もやっているということなので向かうことにする。私と同じくらいの先生が診てくれる。花粉症と診断され薬を処方してくれる。同じビルの1階が調剤薬局なのでそこで薬を貰う。

10月某日
「女たちのテロル」(ブレイディみかこ 岩波書店 2019年5月)を読む。この本を読むのは2回目。3人の女テロリストが描かれる。一人は英国の女性参政権運動家、サフラジェット過激派のエミリー・デイヴィソン、一人はアイルランドの独立のための戦闘をスナイパーとして戦ったマーガレット・スキニダー。そして最後の一人は日本の金子文子である。ブレイディみかこは文子の獄中手記や公判で明らかになった文書、瀬戸内寂聴の「余白の春」などから文子の人間像を造形していく。文子が公判で朗読した文書に「…つまり『自分は今こうやりたいからこうやる』これが私にとって自分の行為を律すべく唯一つの法則であり、命令です。…私が私自身のことを考え、私自身の道を歩むために、私自身の頭と足を持っているように、他人もまた自分の頭と足とを持っているはずだ」「そこで私は他から見た何主義だか、何思想だか私は知らない。私が知っていることは『自分はこう思っている』というだけだ」というのがある。21歳か22歳の若い女性の言葉とも思えない、自信と自我に満ちた言葉である。今から百年前にこの女性は確かに実在したのである。

10月某日
午後、神田の社保研ティラーレを訪問。吉高会長と雑談しながら缶ビールをご馳走になる。社保研ティラーレを失礼して銀座の風月堂ビルへ。セルフケアネットワークの高本代表に電話したら自宅で仕事をしているとのことだったので、オフィスに我孫子のコーヒーを届ける。銀座から地下鉄で虎ノ門へ向かう。弁護士ビルに雨宮英明先生を訪ねる。雨宮先生は大学のとき同じクラス。私の入った政経学部は確か第2外国語でクラス分けがされていて、私の選択したのはロシア語。ドイツ語、フランス語、中国語、ロシア語にスペイン語も選択できたかもしれない。1学年30クラスくらいクラスがあったがロシア語クラスは2つしかなかった。ユニークな友達が多かったが、雨宮先生や内海君、岡君とはたまに酒を呑む。雨宮先生の秘書の女性が酒とつまみの用意をしてくれる。本日は外に出ず事務所呑み。日本酒をかなりご馳走になる。

10月某日
テレビ番組の製作スタッフから携帯に電話があり、早大闘争時代の話を聞きたいという。東大闘争や日大闘争に比べると話題になることもない早大闘争だから「いいですよ」と返事をした。製作スタッフから送られたメールを見るとBSの「アナザーストーリー」という番組で村上春樹の「ノルウェイの森」を取り上げる、ついては当時の早稲田の雰囲気などを語って欲しいということだった。私は村上春樹の本は、オウム真理教の地下鉄サリン事件のドキュメント「アンダーグランド」、小説では船橋リハビリテーションに入院しているときに見舞客に買ってもらった「1Q84」しか読んだことがない。で、早速、図書館に行って「村上春樹作品集⑥ ノルウェイの森」(講談社 1991年3月)を借りて読むことにする。400ページを超す長編だったが私には大変面白かった。
時代設定は1969年から70年にかけて、毎朝、国旗を掲揚する学生寮に住む早大文学部の学生「僕」が主人公だ。私は1968年政経学部入学だからほぼ同時代である。同時代であるがこの小説には死とセックスの影が色濃く漂っている。小説では「僕」の高校生時代の親友の自殺に始まり、その親友の恋人で後に僕の恋人になる直子の姉の自殺、そして直子本人の自殺である。直子の療養中に「僕」と恋愛関係に陥る緑の両親も死ぬ。こちらは病死だけれどね。あと寮で「僕」の唯一の理解者だった水沢さんの恋人も、水沢さんと別の人と結婚した後に自殺する。セックスに関しては「僕」とさまざまな女性の性交が描かれる。そのなかには水沢さんと一緒に、若い女性と一夜限りのセックスを繰り返す姿も描かれる。まぁ当時の私の周りにはそんな奴はいませんでしたが。水沢さんの恋人ハツミさんは金持ちの娘たちが通う女子大に通っている。ハツミさんは女子大の後輩を紹介すると「…お昼には250円のランチ食べて―」と「僕」を誘う。「僕」は「僕の学食のランチは、A、B、CとあってAが120円でBが100円でCが80円なんです。それでたまに僕がAランチを食べるとみんな嫌な目で見るんです…話があうと思いますか?」と返す。そうね、確かそれぐらいだった。学食ではないけれど「メルシー」のラーメンが60円だったからね。

10月某日
テレビ番組の製作スタッフに早大闘争時代の話をする。15時に青山の製作会社に向かう。土曜日なのでビルの下からスタッフの携帯に電話して迎えに来てもらう。スタッフは90年代に早稲田の教育学部を卒業したという女性である。スタッフの質問に私が答えるという形で話は進んだが、2時間以上も話してしまった。大学時代のことをこんなに話したことはなかったので意外と新鮮だった。村上春樹の「ノルウェイの森」とどう結びつけるのか?あまり結びつかない気がするが。

10月某日
「村上春樹は、むずかしい」(加藤典洋 岩波新書 2015年12月)を読む。加藤典洋は1948年生まれだから村上や私と同世代、2019年の5月に亡くなっている。私は加藤の「敗戦後論」や「戦後入門」を読んで、日本の戦後に及ぼしたアメリカの影響について改めて考えさせられた。今回、初めて知ったのだが加藤は村上の小説やエッセーをほぼ全部読んでいて、村上に関する著作も幾つかある。私は村上の著作は、地下鉄サリン事件の被害者と村上との対話「アンダーグラウンド」、そして「1Q84」、今回の「ノルウェイの森」だけなので、加藤が村上の代表作について分析しているのを読んでも、何とも言いようがない。ないのだが、加藤のこの本を読んで村上の本を少し読んでみようという気になった。とくに「終わりに 『大きな主題』と『小さな主題』-3.11以後の展開」という終章では、原発事故に対する村上の態度とそれを分析する加藤の姿勢に対しては好感を持てた。「小さな主題」と「大きな主題」という視点で加藤は、3.11以降の村上の原発や文学に対するかかわり方を分析する。私の考えでは原子力や環境の問題は「大きな主題」であり、恋愛や家族の問題は「小さな主題」である。「ノルウェイの森」あたりの村上はもっぱら「小さな主題」を取り上げてきたが、その後「大きな主題」にも関心を寄せるようになり、3.11以降は積極的に原発事故についても発言しているということだろう。
今日は衆議院選挙である。国政選挙は「大きな主題」だが、私たちの暮らしと選挙をつなげる投票行動には「小さな主題」の側面もある、と感じた。

モリちゃんの酒中日記 10月その2

10月某日
思い立って福島県のいわきに行く。起床が遅かったのでお昼過ぎの勝田行きの常磐線に乗車、水戸で特急に乗り換える。途中で緊急連絡が入ったとかで20分ほど遅れ16時近くにいわきに到着。いわきから2つ先の四ツ倉まで行きたかったのだが、列車遅れのため接続列車に乗れず、四ツ倉行は断念。北海道の弟からジャガイモを送ってきたので駅前のスーパーで福島の桃と梨を購入、弟宅に送って貰う。品川行きの特急に乗車。水戸から先は上野まで停車しないので水戸で後続の特急に乗り換え柏で下車、我孫子まで戻る。

10月某日
「宗教と過激思想-現代の信仰と社会に何が起きているか」(藤原聖子 中公新書 2021年5月)を読む。過激な宗教とはイスラムのIS(イスラム国)やアフガニスタンのタリバンが思い浮かぶ。日本のオウム真理教も過激思想と言えるだろう。何を以て過激とするかだが、信仰する宗教のためには暴力や殺人も辞さず、場合によっては軍事行動に踏み切るということだろう。イスラム系過激思想を紹介する章では、アルカイダやISの源流とされる思想家、サイイド・クトゥプが注目される。クトゥプはエジプトで王制を倒したナセル-彼は非イスラム的独裁者だった-を真っ向から批判し、国家転覆容疑で処刑されている。イスラムやキリスト教、仏教は世界宗教だが、民族宗教の過激思想も紹介され、その一つとして日本の神道の過激思想も取り上げられている。代表的な思想家は「自然真営道」を著した安藤昌益である。この書は「開けてみると目がつぶれる謀反の書」と言われていたそうだ。「宗教と過激思想」というのは面白そうなテーマではあるが私にとっては荷が重い。

10月某日
衆議院選挙の千葉県第8区(柏市、我孫子市)に立候補している本庄さとし(立憲民主党)が「あおぞらトーク@マーク手賀沼」というのを11時から手賀沼公園でやるというので聴きに行くことにする。あおぞらトークということだったが、土砂降りの雨だったために会場をアビスタの大会議室に移しての開催だった。候補者は東大法学部出身で岡田克也の秘書を務め、立憲民主党の公募を経て候補者となった。大会議室は満席で立ち見も何人かいた。本庄さんの政策について30分ほど話した後に質疑応答となったが、語り口は丁寧かつフランクで私は好感を持った。子ども食堂や障害者施設を運営している人、介護士からの質問もあり、質問もバラエティに富んでいた。我孫子市民もなかなかのものである。しかし聴衆の多くは私と同年代と思われる男女で高齢化が難点と思われる。

10月某日
ほぼ月一で内科のクリニックを受診する。我孫子駅前の中山クリニックで院長の中山先生は東大医学部卒でまだ40代である。高血圧症のための受診なのだが、このところ血圧高めで先生が計っても150を超えていた。先生は「このところ寒いですからね」と言いつつ薬の成分量を変えてくれた。近くの調剤薬局に寄って手賀沼公園で一休み。天気が良くて空気が澄んでいるせいか東京スカイツリーがよく見える。手賀沼公園には犬の散歩に訪れる人が多いようだ。釣り人も何人かいる。ベンチに座ってそんな光景をぼんやりと眺める。平和だね。

10月某日
「武士論-古代中世史から見直す」(五味文彦 講談社選書メチエ 2021年5月)を読む。著者の五味は1946年、山梨県生まれ。東大国史学科卒、大学院人文科学研究科博士課程中退で現在は東大名誉教授である。この本では「武士とは朝廷に武芸を奉仕する下級武官で、文人と対をなす諸道の一つである」と定義している。下級の官人であった武家が保元、平治の乱を経て平氏が政権を掌握するも、源平の争乱によって平氏は壇ノ浦に滅ぶ。この時入水した安徳天皇とともに三種の神器も瀬戸内海に沈んだはずだけど、どうなったのか。鎌倉に幕府を開いた源氏はしかし、頼朝から三代しか続かなかった。将軍は京都の貴族や皇族から迎えるのだが実権は北条家が握ることになる。北条氏が新田義貞や足利尊氏に滅ぼされるのが西暦1333年。大学受験のとき1333年を「一味さんざん北条氏」と覚えたっけ。南北朝の動乱を経て足利政権が成立する。10世紀から15世紀までの武家の歴史を振り返ったのが本書である。

モリちゃんの酒中日記 10月その1

10月某日
「他者の靴を履く-アナ―キック・エンパシーのすすめ」(ブレイディみかこ 文藝春秋 2021年6月)を読む。「はじめに」に次のようにある。「2019年に『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という本を出した。(中略)本の中の一つの章に、たった4ページだけ登場する言葉が独り歩きを始め、多くの人々がそれについて語り合うようになったのだ」。その言葉がエンパシーだ。「ぼくはイエローで」の目次を開いてみると、5章のタイトルが「誰かの靴を履いてみること」となっている。中学生の息子の期末試験に「エンパシーとは何か」という問題が出て、息子は「自分で誰かの靴を履いてみること」と書いて、「余裕で満点とれた」そうである。著者が英英辞典で確認すると「エンパシー…他者の感情や経験を理解する能力」「シンパシー…1.誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと2.3.(略)」とあった。エンパシーは能力なのに対してシンパシーは感情である。関東大震災の後、大逆罪の容疑で逮捕起訴され死刑の判決を受け、後に無期懲役に減刑されたが、獄中で縊死した金子文子というアナキストがいた。彼女の獄中で書いた短歌に「塩からきめざしあぶるよ 女看守のくらしもさして 楽にはあらまじ」というのがある。反天皇制を唱えていた文子にとって看守は敵側の人間だ。しかし文子はめざしの匂いをかいで、女看守の質素な暮らしぶりを想像してしまう。「ああ、あの人の生活もきっとそんなに楽ではないんだろうと」。これがエンパシーである。獄中において懲役人は看守に対してシンパシーを感じることはない。しかし文子はエンパシーを感じるのである。文子は母や祖母から虐待され満足な教育も受けていない。しかし独学で文字を学び、獄中で自叙伝も著している。

10月某日
社保研ティラーレで吉高会長、佐藤社長と歓談。吉高会長とは岸田新総理に「消極的期待感」を持つことで一致した。私の考えでは岸田の抱くイデオロギーは宏池会の直系らしく修正資本主義だと思う。極端な富の集中を防ぎ、所得の再分配を重視するいわばケインズ主義だ。安倍や菅が抱いている新自由主義とは一線を画する。とは言え安倍の属する細田派の支援もあって自民党総裁の座を手に入れたのだから露骨な政策の舵切りも出来ない。政調会長に安倍と価値観を共有する高市早苗を選んだのも、安倍の意向を無視できない岸田の思惑だろう。社保研ティラーレを出て、居酒屋「鳥千」へ。年友企画の石津さんを呼んで一緒に呑む。

10月某日
「主権者のいない国」(白井聡 講談社 2021年3月)を読む。過激な政権批判で知られる白井だが研究者としての出発はレーニンの思想だ。世に知られるきっかけとなった著作も「未完のレーニンー〈力〉の思想を読む」だ。「主権者のいない国」も政権批判論が並んでいるが、私は白井が現在の上皇が退位の意向を表明するためにビデオ出演して発出した「おことば」を評価していることに注目したい。白井によると「おことば」は「天皇たるもの、ただ生きて存在しているだけでは不十分であり、『動き』、国民との交流を深め、それに基づいた『祈り』を実行することによってのみ、『国民統合の象徴』たりえるとの認識を強く示した」という。右派さらに言えば「ネトウヨ」から毛嫌いされている白井だが、現上皇の思想と行動を一貫して支持している。本書には西部邁や廣松渉に関する小文も掲載されている。両者とも晩年に西部は「反米保守」を自認し、廣松は「日中を軸に『東亜』の新体制」を唱えた。両者には60年安保ブントの指導者だったという共通点がある。白井にも言えることだが、単純な右派左派論ではわかりえない人物に優れモノが多いということか。

10月某日
北千住で小学校以来の友人の山本クンと待ち合わせ。5時の待ち合わせ時間よりだいぶ早く着いたので駅ビルに併設されているルミネに入る。9階の書店「BOOK1ST.」へ入る。桐野夏生の新刊本があったので購入する。新聞の書評にも広告にも見かけたことがなかったので多分、印刷されたばかりなのだろう。奥付を見ると「2021年10月30日 第一刷発行」となっていた。エレベーターホールの椅子に座って読み始める。待ち合わせの時間が近づいたのでエレベーターで駅改札へ。山本クンはすでに待っていた。今日の目当ての店は「室蘭焼き鳥の店 くに宏」。開店直後だったので客は私たち2人だけ。生ビールで乾杯の後、室蘭焼き鳥と卵焼きを頼む。室蘭焼き鳥は豚肉が主で、肉と肉の間に玉ねぎがはさんであるのが特徴。山本クンとは考えてみると70年近い付き合いだ。

10月某日
「砂に埋もれる犬」(桐野夏生 朝日新聞出版 2021年10月)を読む。タイトルの「砂に埋もれる犬」とは何を指すか? 私の考えではこれはこの小説の主人公である優真のことである。優真は母親の育児放棄によりろくに食事も与えられず、母親と母親の同居人から暴力を日常的に加えられる。児童養護施設に入った優真はコンビニの経営者夫妻から養子縁組を希望される。生まれて初めて満足な食事と環境を与えられた優真は満足しながらも戸惑いも覚える。中学に進んだ優真はクラスに馴染めないままクラスメートの熊沢花梨に幼い恋心を抱く。しかし花梨に拒絶された優真は花梨に害意を抱きナイフを購入する…。いつもながらの桐野ワールドで500ページほどの大著を1日半で読み終えてしまった。桐野の小説を現代のプロレタリア文学と称したのは白井聡だが、この構造は「砂に埋もれる犬」にこそ当てはまる。プロレタリアは優真でありブルジョアの代表が熊沢家である。優真の蜂起は未遂に終わる。そこでこの小説も終わるのだが、優真の「階級闘争」はこれからも続くのか?

モリちゃんの酒中日記 9月その4

9月某日
我孫子市民図書館は図書館単独の施設ではなく、集会室や学習室、喫茶店なども含んだ複合施設で全体をアビスタと称している。アビコとスタディを組み合わせたらしい。選挙の投票所にも使われるホールで「大逆事件針文字文書の発見」という講演会があるので聴きに行くことにする。針文字書簡というのは大逆事件で死刑になった菅野須賀子が獄中から、当時朝日新新聞の記者であった杉村楚人冠宛に弁護士の紹介を依頼し併せて幸徳秋水の無罪を訴えたものだ。紙に針で突いて文字を書き、一見すると白紙のように見えるらしい。講師は元我孫子市史編集委員の小林康達氏。小林先生は宇都宮生まれ、東京教育大学」(現筑波大学)を卒業後、千葉県で高校の教師となり我孫子高校に赴任した際に杉村楚人冠の旧居の整理をして針文字書簡を発見した。菅野須賀子は和歌山の新宮で地方紙の記者をしていたことがあって、そのとき楚人冠は東京から記事を送っていたというつながりらしい。ブレイディみかこ、栗原康の著作を読んで無政府主義に興味を持ち、大杉栄とその甥とともに関東大震災時に殺害された伊藤野枝の生涯を描いた「風よ 嵐よ」(村山由佳)を読んで、さらに無政府主義者に共感を抱くようになった。針文字書簡の現物が楚人冠の旧居に展示されているということなので早速、見に行こうと思う。

9月某日
社保研ティラーレの吉高会長からスマホに電話。11月に予定している地方議員向けの「地方から考える社会保障フォーラム」の集客がいま一つらしい。コロナ禍では致し方ないとすべきか。3時頃に伺いますと言って電話を切る。東京に出かけるのは10日ぶりである。吉高さんは地元、山口県の高校を卒業後、武田薬品に入社し労働組合の専従を経て、産別の副会長に就任。中医協の委員も務めた労働界の大物である。話題が豊富で自分の意見をきちんと言う人なので話していて楽しい。この日も1時間ほど話して帰る。帰りの電車の中で「そのへんをどのように受け止めてらっしゃるか」(能町みね子 文春文庫 2020年9月)を読む。巻末に「本書は『週刊文春』の連載『言葉尻とらえ隊』(2018年6月21日号~2020年4月16日号)を選抜・改稿し、まとめてものです」とある。週刊文春は毎号読んでいるのだが、「言葉尻とらえ隊」はほとんど読んだことがなかった。今回読んでみて能町みね子は極めて真っ当なことを書いていると思った。幻冬舎の見城社長や三浦瑠偉に対する(好意的ではない)評価には共感するし、あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」の一連の「騒動」に対する見解にも同意する。ウイキペディアで能町みね子を検索したら北海道生まれで茨城県育ち、土浦一高を卒業後、東大文Ⅲに入学とあった。秀才なんだ。もともとは男性で性転換手術を受けたんだって。知らなかったなー。

9月某日
杉村楚人冠記念館を訪問。家から歩いて8分くらい。杉村楚人冠の家と庭園を保存して一般に公開している。入館料は300円だが私は障害者手帳を見せ無料。現在は企画展「弱者へのまなざし-幸徳秋水・堺利彦・杉村楚人冠の交流」を開催中だ。大逆事件の被告だった菅野須賀子が楚人冠に送った「針文字文書」も展示されていた。針で突いたような文字がかすかに窺える。今から110年ほど前菅野須賀子が実際に書いたのかと思うと感慨深い。旧居を出て庭園を散策する。往時はここから手賀沼が見えたそうだ。我孫子が文人の街とか北の鎌倉と呼ばれたことも「さもありなん」と思う。楚人冠はここから蒸気機関車に曳かれた客車に乗って東京の朝日新聞社まで通ったのだろうか。

9月某日
昨日の自民党総裁選挙では決選投票で岸田が圧勝した。河野は予想よりもかなり票を減らしたが、安倍元首相が電話で多くの議員に圧力をかけたらしい。河野に石破が付いたことが気に入らないらしい。なんか自民党の総裁選挙もスケールが小さくなったという感じ。昔のように札束が乱れ飛ぶ総裁選はいただけないが、ポスト佐藤の田中VS福田の戦いは見どころがあった。高度経済施長路線の田中に対して福田は安定経済成長を主張した。総裁選では田中が勝利したが、オイルショックにより日本は狂乱物価に見舞われ、田中自身も金脈を追求され、退陣を余儀なくされた。今から思うと福田の安定成長路線が正しかったわけで、福田は「政策で勝って、政争で負けた」と言われた(評伝・福田赳夫に詳しい)。安倍元首相の属する細田派はもとをただせば福田派である。福田派の源流は岸派だからタカ派のイメージがあるけれども、福田赳夫の考え方自体はもっとリベラルであったようだ。「評伝・福田赳夫」を読んで以来、宏池会(現在の岸田派)=ハト派、清話会(細田派)=タカ派というイメージが揺らぎつつある。しかし岸田の所得の再分配を重視するというのは歓迎できる。清話会も安倍のようなタカ派路線ではなく、福田赳夫の路線を継承すべきだ。今回、総務会長に就任する福田赳夫の孫に頑張ってもらいたい。