9月某日
我孫子市民図書館は図書館単独の施設ではなく、集会室や学習室、喫茶店なども含んだ複合施設で全体をアビスタと称している。アビコとスタディを組み合わせたらしい。選挙の投票所にも使われるホールで「大逆事件針文字文書の発見」という講演会があるので聴きに行くことにする。針文字書簡というのは大逆事件で死刑になった菅野須賀子が獄中から、当時朝日新新聞の記者であった杉村楚人冠宛に弁護士の紹介を依頼し併せて幸徳秋水の無罪を訴えたものだ。紙に針で突いて文字を書き、一見すると白紙のように見えるらしい。講師は元我孫子市史編集委員の小林康達氏。小林先生は宇都宮生まれ、東京教育大学」(現筑波大学)を卒業後、千葉県で高校の教師となり我孫子高校に赴任した際に杉村楚人冠の旧居の整理をして針文字書簡を発見した。菅野須賀子は和歌山の新宮で地方紙の記者をしていたことがあって、そのとき楚人冠は東京から記事を送っていたというつながりらしい。ブレイディみかこ、栗原康の著作を読んで無政府主義に興味を持ち、大杉栄とその甥とともに関東大震災時に殺害された伊藤野枝の生涯を描いた「風よ 嵐よ」(村山由佳)を読んで、さらに無政府主義者に共感を抱くようになった。針文字書簡の現物が楚人冠の旧居に展示されているということなので早速、見に行こうと思う。
9月某日
社保研ティラーレの吉高会長からスマホに電話。11月に予定している地方議員向けの「地方から考える社会保障フォーラム」の集客がいま一つらしい。コロナ禍では致し方ないとすべきか。3時頃に伺いますと言って電話を切る。東京に出かけるのは10日ぶりである。吉高さんは地元、山口県の高校を卒業後、武田薬品に入社し労働組合の専従を経て、産別の副会長に就任。中医協の委員も務めた労働界の大物である。話題が豊富で自分の意見をきちんと言う人なので話していて楽しい。この日も1時間ほど話して帰る。帰りの電車の中で「そのへんをどのように受け止めてらっしゃるか」(能町みね子 文春文庫 2020年9月)を読む。巻末に「本書は『週刊文春』の連載『言葉尻とらえ隊』(2018年6月21日号~2020年4月16日号)を選抜・改稿し、まとめてものです」とある。週刊文春は毎号読んでいるのだが、「言葉尻とらえ隊」はほとんど読んだことがなかった。今回読んでみて能町みね子は極めて真っ当なことを書いていると思った。幻冬舎の見城社長や三浦瑠偉に対する(好意的ではない)評価には共感するし、あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」の一連の「騒動」に対する見解にも同意する。ウイキペディアで能町みね子を検索したら北海道生まれで茨城県育ち、土浦一高を卒業後、東大文Ⅲに入学とあった。秀才なんだ。もともとは男性で性転換手術を受けたんだって。知らなかったなー。
9月某日
杉村楚人冠記念館を訪問。家から歩いて8分くらい。杉村楚人冠の家と庭園を保存して一般に公開している。入館料は300円だが私は障害者手帳を見せ無料。現在は企画展「弱者へのまなざし-幸徳秋水・堺利彦・杉村楚人冠の交流」を開催中だ。大逆事件の被告だった菅野須賀子が楚人冠に送った「針文字文書」も展示されていた。針で突いたような文字がかすかに窺える。今から110年ほど前菅野須賀子が実際に書いたのかと思うと感慨深い。旧居を出て庭園を散策する。往時はここから手賀沼が見えたそうだ。我孫子が文人の街とか北の鎌倉と呼ばれたことも「さもありなん」と思う。楚人冠はここから蒸気機関車に曳かれた客車に乗って東京の朝日新聞社まで通ったのだろうか。
9月某日
昨日の自民党総裁選挙では決選投票で岸田が圧勝した。河野は予想よりもかなり票を減らしたが、安倍元首相が電話で多くの議員に圧力をかけたらしい。河野に石破が付いたことが気に入らないらしい。なんか自民党の総裁選挙もスケールが小さくなったという感じ。昔のように札束が乱れ飛ぶ総裁選はいただけないが、ポスト佐藤の田中VS福田の戦いは見どころがあった。高度経済施長路線の田中に対して福田は安定経済成長を主張した。総裁選では田中が勝利したが、オイルショックにより日本は狂乱物価に見舞われ、田中自身も金脈を追求され、退陣を余儀なくされた。今から思うと福田の安定成長路線が正しかったわけで、福田は「政策で勝って、政争で負けた」と言われた(評伝・福田赳夫に詳しい)。安倍元首相の属する細田派はもとをただせば福田派である。福田派の源流は岸派だからタカ派のイメージがあるけれども、福田赳夫の考え方自体はもっとリベラルであったようだ。「評伝・福田赳夫」を読んで以来、宏池会(現在の岸田派)=ハト派、清話会(細田派)=タカ派というイメージが揺らぎつつある。しかし岸田の所得の再分配を重視するというのは歓迎できる。清話会も安倍のようなタカ派路線ではなく、福田赳夫の路線を継承すべきだ。今回、総務会長に就任する福田赳夫の孫に頑張ってもらいたい。