12月某日
「彼は早稲田で死んだ―大学構内リンチ殺人事件の永遠」(樋田毅 文藝春秋 2021年11月)を読む。1972年11月8日、早稲田大学文学部構内で文学部2年の川口大三郎君が文学部自治会のメンバーに拉致され、殺害された。本書は当時、文学部1年で文学部自治会を支配していた革マル派に抵抗した著者の綴る、半世紀ぶりのドキュメントである。私は72年の3月に政経学部を卒業しているから、川口事件を直接は知らない。が、革マルの暴力的な学園支配に抵抗した一人として本書には共感する点が多かった。私たち早大反戦連合と一部セクトとノンセクトの連合部隊は69年の4月17日、革マルの戒厳令を暴力的に突破、本部封鎖に成功した。しかし同年9月3日、機動隊の導入により全学の封鎖は解除され、革マルの学園支配は続くことになる。革マルの暴力的支配が悪いに決まっているが、それを暗黙のうちに認め、大学が徴収した自治会費を革マルの自治会執行部に渡していた大学当局の罪は軽くない。私たちは暴力で革マルに対峙したが、著者らは非暴力を貫く。フランス文学者の渡辺一夫の「寛容について」などに影響されたことがうかがえる。いま振り返ると著者らの非暴力路線が正しかったような気もする。暴力は暴力を産み際限がない。それは革マルvs中核、革マルvs解放派のように死人を何人も出す凄惨な内ゲバに繋がっていく。
12月某日
「格闘する者に〇」(三浦しをん 新潮文庫 平成17年3月)を読む。巻末に「この作品は2000年4月に草思社より刊行された」とあるから、1976(昭和51)年生まれの著者が24歳のときである。物語は出版社志望の大学生、可南子が出版社の入社試験に挑みながら数々の人生体験を経て大人(?)になってゆく姿をユーモラスに描いたものだ。おそらく早稲田大学文学部出身の著者の体験がもとになっていると思われるが、ストーリーや文章の完成度は大学を卒業したばかりの人とは思えないものがある。著者の小説や少女漫画の読書体験によるところが大きいのだろうか。なおタイトルの「格闘する者に〇」は、K談社の入社試験でK談社の社員が試験の説明で「該当する者に〇」を「カクトウする者に〇」と誤って読んだことに由来する。これって事実をもとにしている?
12月某日
図書館に「彼は早稲田で死んだ」を返し、三浦しをんと村田喜代子の小説を借りる。駅前の蕎麦屋「三谷屋」で遅い昼食を食べる。「親子丼、ご飯少な目で」と頼む。三谷屋は戦前からある古い店で志賀直哉邸や杉村楚人冠邸にも出前で行っていたかもしれない。680円だった。我孫子駅入口のバス停でバスに乗る。我孫子高校前のバス停はスーパーカスミの真ん前である。スーパーカスミで680円(税別)の国産ジンを購入。日曜と木曜にカスミを利用すると10%の割引券がもらえる。奥さんに渡すと喜んでいた。
12月某日
「ボーナスが出たのでご馳走しますよ」というメールが石津さんから来る。御徒町駅前のスーパー吉池の9階、「吉池食堂」で待ち合わせ。HCM社の大橋会長にも声をかけたという。17時30分頃に吉池食堂に到着、ほどなく大橋さんが来る。御徒町に会社のある大橋さんだが吉池食堂は初めてという。「あたしたちは常連だよね」と石津さん。石津さんは以前に勤めていた会社が湯島にあったとかで御徒町には土地勘があるのだ。石津さんはビール、私はビールから日本酒の常温、大橋さんは最初から焼酎のお湯割り。スーパー吉池はもともと総合食品スーパーなのでメニューも充実している。石津さんにすっかりご馳走になる。
12月某日
「屋根屋」(村田喜代子 講談社 2014年4月)を読む。村田喜代子は1945年福岡県八幡市(現北九州市)生まれ。築18年の木造住宅に住む主婦の「私」が主人公。雨漏りの修理に家を訪れた屋根屋の永瀬。永瀬は自分の見たい夢を自在に見ることができるという。「私」は自宅の寝床から永瀬の夢に合流、まず京都の古寺の瓦屋根を空から見に出かける。何度目かには「私」と永瀬は夢でパリを訪れる。パリではノートルダム寺院やランス大聖堂などの尖塔に遊ぶ。その後、屋根屋永瀬と連絡が取れなくなり、屋根屋の事務所兼住宅を訪れると人の影はなかった。他人の夢に合流して空を飛ぶという荒唐無稽な話ではあるが、「私」とゴルフ好きの夫と高校生の息子との生活や、屋根屋とパリでの食事風景などがリアルに描かれる。荒唐無稽とリアルの妙なバランス、そこに作家の腕があると思う。村田は中卒で鉄工所に就職、その後結婚して2児を設ける。1987年に「鍋の中」で芥川賞を受賞する。「中卒作家」で検索すると 村田喜代子のほかに西村賢太と花村萬月が出てきた。村田喜代子は現在では芸術院会員で大学の客員教授も務めているという。本当の実力に学歴は関係ないということである。
12月某日
「ルーティーンズ」(長嶋有 講談社 2021年11月)を読む。長嶋有は同郷なんだよね。ウィキペディアによると、生まれは埼玉県だが幼くして両親が離婚、母の故郷である北海道へ移り、登別市や室蘭市で育つとある。小学校は登別市立幌別西小学校だが、中学は室蘭市立港南中学、高校は道立清水ヶ丘高校だ。大学は法政大学文学部。私が住んでいたのは室蘭市の水元町というところで、文字通り水源地のある山間部にあり室蘭岳という標高911ⅿの山の登山口もあった。それに対して長嶋が通った港南中は港の南、絵鞆半島にあった。いずれにしても長嶋が生まれたのが1972年だから、室蘭市内で顔を合わせることはなかった。「ルーティーンズ」はナガシマさんというバツイチの小説家と、マンガ家である現在の妻そして3歳の娘を主な登場人物とする連作である。村田喜代子の小説を読んでいても感じるのだが、程よい脱力感があるんですよ。