1月某日
「ポラリスが降り注ぐ夜」(李琴峰 筑摩書房 2020年2月)を読む。ポラリスは北極星の意味だけれど私にはアメリカの潜水艦発射ミサイルの名前として記憶している。最初にこの小説のタイトルを目にしたとき「ミサイルが降り注ぐ夜」と理解し、第3次世界大戦の話かと思ってしまった。実際はそんなことなくて「ポラリス」とは新宿2丁目のレズビアンバーの名前だ。バーを訪れる女たち、そしてその女たちを巡る男と女たち。台湾や中国籍の人々、性的マイノリティの人々…。現代社会は様々なマイノリティの人々が共存している。マイノリティは昔から存在したのだろうが、現代はその人々が声を大きく上げだした時代なのだろうと思う。李琴峰は1989年台湾生まれ、2013年来日とあるから、日本語は母国語ではなく「学んだ」ものだろう。李琴峰の日本語には私は微かな違和感を持つことがある。そして私にとってはそれも李琴峰の魅力となっているようだ。
1月某日
四谷の主婦会館(プラザF)で開かれた故小野田譲二氏の「お別れ会」に出席する。小野田譲二と言っても若い人にはピンと来ないと思うが、我々団塊の世代それも学生運動の経験者にとってはスターの一人だ。革命的共産主義者同盟(革共同)の政治局員、学生対策部長を務めたが後に革共同を離脱、「遠くまで行くんだ」グループを結成、雑誌「遠くまで行くんだ」を創刊した。私は小野田氏とは面識がないのだが、呼びかけ人に早稲田の高橋ハムさんと鈴木基司さんがいたので参加することにした。コロナのオミクロン株が広がるなか、大谷源一さんから「会費だけ払って参加を見送るつもり」と連絡があったが、「行こうよ!終わったら上野界隈で一杯やろう」と主張して行くことに。開始の14時頃にプラザFに着く。会費6000円を払って会場に入ると、大谷さんやハムさんがすでに来ていた。見渡せば老人ばかりだ。埼大や法大、早大、東大で小野田氏と関りがあった人が出て思い出を語っていた。高田馬場のジャーナリスト専門学校でも教えていたことがあったそうで教え子も弔辞を読んでいた。埼玉の駿台予備校での教え子が、「授業が終わると酒をご馳走してくれて、それが楽しみだった」と語っていた。面白くかついい人であったらしいことは十分伝わってきた。終って御徒町の中華料理屋「大興」へ行く。
1月某日
上野千鶴子と鈴木涼美の往復書簡集「限界から始まる」(幻冬舎 2021年7月)を読む。上野千鶴子は女性学、ジェンダー学の権威と言ってもいいと思うが鈴木涼美は誰? 巻末の略歴によると1983年生まれ、作家。慶應大学環境情報学部卒、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。大学在学中にキャバクラのホステス、AV女優などを経験したのち、2009年から日経新聞記者となり14年に自主退社。著書に「『AV女優』の社会学」「身体を売ったらサヨナラ」「愛と子宮に花束を」「ニッポンのおじさん」などがある。往復書簡中にも出てくるが父親は法政大学名誉教授で舞踏評論家、翻訳家の鈴木晶、エーリッヒ・フロム「愛するということ」の翻訳家、母親は2016年に亡くなった、児童文学研究家・翻訳家の灰島かり。インテリ一家で育ち高学歴、それでAV女優。なかなかのギャップであるが、そういうことを抜きにしても本書は面白かった。この往復書簡集は雑誌「幻冬」に1年間にわたって連載されたものをまとめたものだが、それぞれ「エロス資本」「母と娘」「恋愛とセックス」などのテーマが定められている。気になったところに付箋を貼っておいた。「恋愛とセックス」では「性と愛はべつべつのものだから、べつべつに学習しなければなりません。あるときからわたしは、愛より前に性を学ぶ若い女性たちの登場に気がつくようになりました。しかも男仕立ての一方的なセックスを。性のハードルはおそろしく下がったのに、性のクオリティは一向に上がらないことを」。これは上野から鈴木への書簡である。「フェミニズム」では「フェミニズムは卒業するものではなく、多様な色が織り込まれたカーペットから、必要な時に自分にとって救いとなる糸を拾い上げられるものであって欲しいし、多くの、それほど不自由ではなくとも、もう少し自由になりたいと感じている女性を、何か限定したトピックにおける意見の相違によって排除せずに、掬いあげられるものであって欲しいと切に思います」と鈴木から上野に書き送っている。同じ「フェミニズム」で上野から鈴木へ「ひとの善し悪しは関係によります。悪意は悪意を引き出しますし、善良さは善良さで報われます。権力は忖度と阿諛を生むでしょうし、権力は傲慢と横柄を呼び込むかもしれません」と書き送っている。上野も鈴木もまじめにまともに向き合っているのである。
1月某日
「食べる私」(平松洋子 文藝春秋 2016年4月)を読む。平松洋子は1958年、岡山県倉敷市の出身。東京女子大卒。食をテーマにしたエッセー「この味」を週刊文春に連載している。私は「この味」で平松が神田駅ガード下の立ち食いソバやの閉店を惜しんでいたことを覚えている。「食べる私」は芸能人や文学者、その他の有名人に平松が食についてインタビューした「オール読物」の連載を一冊にまとめたもの。デーブ・スペクターから樹木希林まで29人のインタビューが4章構成で掲載されている。私の個人的な好みからすると第4章(小泉武夫、服部文祥、宇能鴻一郎、篠田桃紅、金子兜太、樹木希林)が面白かった。小泉武夫をインタビューしたのは神田の「くじらのお宿 一乃谷」。この店は私が勤めていた会社の近くで、何回かランチを食べに行ったし夜も何回か行った。小泉は発酵学者として知られるが、この本でのテーマは鯨。小泉は私より5歳年上だが、鯨に対する偏愛には同類を感じさせるものがあった。私どもの子どもの頃鯨は貴重品ではなく、学校の給食にもよく出てきた。牛や豚に比べると安価で大量に流通していたのだろう。宇能のインタビューは宇能の横浜の広壮な邸宅で行われた。宇能は今では官能小説家として広く認知されているが文壇デビューは芥川賞作の「鯨神」。小泉武夫とは鯨で繋がる。
1月某日
「墨東奇譚」(永井荷風 新潮文庫 昭和26年12月)を読む。墨東奇譚の墨にはサンズイがつき奇譚の奇には糸へんがつくのだが、私のパソコンの技術では出てこない。隅田川の東の物語というほどの意味であろう。永井荷風の小説を読むのは初めてであるが面白かった。昭和初期、大江匡という小説家が玉ノ井あたりでにわか雨に会う。持参の傘をさすと「檀那、そこまで入れてってよ。」と若い女が入ってくる。大江とお雪と名乗る娼婦の出会いである。本文中ではお雪は娼婦とは明示されていないが、当時の玉ノ井は有名な私娼窟であることからそう解釈されているようだ。お雪は大江と所帯を持つことを望むが、大江の足は次第に遠のいて行く。大江はときにお雪との出会いを思い出す。「わたくしとお雪とは、互いに其本名も其住所も知らずにしまった。…一たび別れてしまえば生涯相逢うべき機会も手段もない間柄である」。うーん、何とも風情がある。小説は大江すなわち作家の荷風が、お雪のことを切なく思い出すシーンで終わる。終った後に「作家贅言」として荷風の、その時代への想いが綴られるがこれが面白い。当時の慶應の学生とOBが野球見物(早慶戦であろう)の帰りに銀座によって乱暴狼藉を働く。かつて三田で教鞭をとったことがあったが早く辞めたのは賢明であったと書く。さらに慶應の経営者から「三田の文学も稲門に負けないように尽力していただきたい」と言われ、文学を学生野球と同列に論じていると憤慨している。