モリちゃんの酒中日記 3月その3

3月某日
小学校以来の友人の山本君と北千住の室蘭焼き鳥の店「くに宏」で待ち合わせ。ところが「くに宏」がコロナで休業中なので近くの「九州人情酒場 魚星」へ。女性客が多い店だった。家に帰ってネットで調べたらチムニーの経営だった。チエーン店なんだけれど鯨やゴマサバの刺身はそれなりに美味しかった。山本君は20歳で結婚して孫の女の子に子供が生まれたと言っていた。ひ孫ということになる。

3月某日
「武士論-古代中世史から見直す」(五味文彦 講談社選書メチエ 2021年5月)を読む。現在のNHK大河ドラマは「鎌倉殿の12人」、北条泰時が主人公で泰時の姉で頼朝の妻となる政子や頼朝、義経兄弟ら、それに源氏、平家の武将たちが物語を回していく。そんなわけで本書を読むことにしたのだが、私にはちょいと難しかった。源氏は清和天皇、平家は桓武天皇を先祖とする。皇族の血筋なのだが歴史が下るにしたがって藤原氏や天皇家、皇族などの暴力装置となる。関東以北の蝦夷を討った前九年後三年の役の源義家、保元平治の乱を戦った平清盛、源義朝らがそうだ。ただ彼らは単なる暴力装置ではなく、所有する荘園の経営者でもあった。さらに清盛は日宋貿易にも乗り出したし、下って足利義満は明との貿易にも努めた。暴力だけでは権力は維持できない。これは現代にも当てはまる。無論、プーチンのことである。

3月某日
ランチを東京の鎌倉橋ビル地下1階の「跳人」で「海鮮丼」。フロアーを担当する大谷君に挨拶。「跳人」は夜も営業しているそうだ。「お客はサッパリですけど」と大谷君。食事を終えて社保研ティラーレへ。吉高会長と雑談。吉高会長は私より2歳ほど年上の筈だが、精神的にはとても若い。世間への好奇心には見習うべきものがある。佐藤社長と厚生労働省へ。次回の「地方から考える社会保障」のチラシを講演予定の皆さんに配布。霞ヶ関駅で佐藤社長と別れ、私は千代田線で我孫子へ。途中、柏で下車して高島屋でウイスキーを購入する。我孫子駅北口の居酒屋「やまじゅう」で一杯。

3月某日
たまたまNHKのBSにチャンネルを合わせたら日本にいるクルド人の女の子を主人公にしたドラマをやっていた。クルド人についてはよく知らないがトルコ、シリア、イランに分散して生活し独自の文化を持つが独立した国家は持たない。それどころか自分が所属する国家の政府からは抑圧されている。日本にいるクルド人は母国の政府の迫害から逃れてきた人たちらしい。ドラマのタイトルは「マイスモールランド」。劇中で女の子の父親が自分の胸を叩いて「私たちの国はここにある!」と叫ぶシーンがあるが、それがタイトルに繋がったと思う。途中でニュースをはさんで前後編併せて90分以上の長編だがまったく飽きなかった。女の子の一家は在留資格を取り消され、建設現場で働いていた父親は不法就労で入管に収容される。父親は帰国を決意する。帰国すれば逮捕は必至だ。自分の逮捕と引き換えに子供たちに日本のビザが発行される可能性があるからだ。
父親の拘留が続くままドラマは終わる。理不尽である。これはそのまま日本の入管制度の理不尽さを表現している。しかし救いもある。それは主人公のボーイフレンドやその母親、あるいは主人公一家のために奔走する弁護士の存在である。制度や政府は理不尽だが、庶民は暖かいのである。もっとも庶民の中にも主人公に不埒なことを仕掛けようとする理不尽なオジサンもいるのだが。私はこのドラマを観て昨年読んだ中島京子の「やさしい猫」を思い出した。日本で働くスリランカ人男性と日本のシングルマザーの物語で、スリランカ人は入管に収容されるのだが、日本人の仲間たちや弁護士の働きによって釈放されるというストーリーだ。日本は亡命希望する外国人に対して冷たい。亡命希望の理由を精査し帰国すれば逮捕やことによると命の危険さえあるものについては在留を認めるべきである。考えてみれば戦前の日本は亡命朝鮮人や中国人、ビルマ人などについて寛大だったように思うけど。

モリちゃんの酒中日記 3月その2

3月某日
桐野夏生の最新刊、「燕は戻ってこない」(集英社 2022年3月)を読む。桐野夏生の小説を「現代のプロレタリア文学だ」と評したのは政治思想家の白井聡だったが、本書も現代のプロレタリア文学と言える。主人公の29歳の女性、リキは派遣社員として病院の事務を仕事にしている。給料は手取りで14万円、部屋代の58000円を除いた、残りの82000円で生活する。リキはまさしく現代のプロレタリアートである。プロレタリアートの解放をめざす日本共産党の眼もリキのもとには届かないし、労働者の味方である労働組合の存在もリキには遠い。そんなリキに1000万円の仕事が舞い込む。代理母出産である。不妊症の妻に代わって夫の精子を人工授精し、妊娠出産するという仕事である。不妊症の夫、草桶基はバレーのダンサー、母も著名なダンサーで資産家の娘。母は不妊治療の治療費も援助してくれる。
基母子はさしずめ現代のブルジョアジーだ。リキは双子の男女を妊娠し出産する。リキは妊娠中、日本画家のりりこの事務仕事を手伝う。りりこは基をお金でリキの頬っぺたを叩いたと言い「こういうのって、経済格差を利用した搾取っていうんですよ」と非難する。リキはどうする?ネタバレになるので結末は書かないが、リキはある方法によりブルジョアジーに報復する。「蜂起」に成功するのだ。

3月某日
上野駅で香川さんと待ち合わせ。東京国立博物館平成館に「ポンペイ展」を観に行く。約2000年前の紀元79年、イタリア中南西部にあった人口1万人ほどの都市が街の北西10㌔にあるヴェスヴィオ山が噴火、大量の噴出物が住民ごと街を呑み込んだ。18世紀以降発掘が進んだが、今回の「ポンペイ展」ではイタリア・ナポリ国立考古学博物館が所蔵する宝飾品や彫像、日用品など150点が出品されている。2000年前のポンペイの生活は考えようによっては今の私たちの生活より快適だったかも知れないと思った。上水道は完備だし装飾用の美術品も各家庭に備わっていた。といってもこれらの生活は奴隷の存在によって支えられていた。ブドウの栽培やワインの製造などがポンペイの経済を支えていたようだが、これらも奴隷労働があったればこそであろう。観終わって根津まで歩き沖縄料理屋に入る。

3月某日
「愚かな薔薇」(恩田陸 徳間書店 2021年12月)を読む。腰巻のコピーに曰く「14年の連載を経て紡いだ吸血鬼SF」。巻末の掲載誌一覧によると「SF Japan」という雑誌に2006年から11年まで掲載され、続いて「読楽」という雑誌に2012年から20年まで隔月に掲載されている。四六判で580ページだから読み終わるのに三日も費やしてしまった。内容はというと…。私なりに単純化すると、1万数千年後に地球は太陽に吸収されてしまう。それまで地球外の星に人類は移住しなければならない。日本のある地方で船と呼ばれる宇宙船によってそれが何代も前から実践されている。というようなことを物語として14年間も連載する、ウーン、ご苦労さま。

3月某日
「東京23区×格差と階級」(橋本健二 中公新書ラクレ 2021年9月)を読む。橋本健二先生は早稲田大学人間科学学術院教授。格差と階級についての研究を40年近く続け「新・日本の階級社会」「アンダークラスー新たな下層階級の出現」「〈格差〉と〈階級〉の戦後史」「中流崩壊」などの著書がある。戦後、日本が経済成長を遂げる中で格差は拡大し続けているというのが先生の基本的な立場である。しかし格差を解消し階級対立を止揚するために「革命を!」という立場はとらない。先生は「しばしば共産主義者と誤解される」とし、「定義にもよるが共産主義とは、私有財産制を廃止して階級のない社会=無階級社会をめざし、最終的には国家すら廃止しようとする思想と運動である。しかし私は、階級をなくすことは不可能だし、そもそも望ましくないと考える」としている。そして「問題は、階級間に大きな格差があること、そして階級間に障壁があって、所属階級が出身階級によって決まってしまう傾向があることである」(終章 交雑する都市へ)と主張する。都市政策としては公営住宅の供給拡大や家賃補助を重視する。思想的にはリベラルなんだね。なお、先生にはフィールドワークとして居酒屋考現学を実践し著作も何冊かある。居酒屋の歴史をたどるという学術的な側面と居酒屋紹介的な側面を持つ楽しい著作である。

モリちゃんの酒中日記 3月その1

3月某日
「関友子さんを偲ぶ会」に出席。関さんというのは赤坂にあったクラブ邑のママである。1968年に早稲田の政経学部に入学したので私の同期生、というより私の奥さんとも同期生で奥さんとは仲が良かった。私は在学中にはほとんど面識がなく、クラブ邑からの付き合い。関さんは最初、新宿歌舞伎町でクラブを開業したが私はその頃、会社の金を使える立場になかったので上司に便乗して同じく歌舞伎町にあった「ジャックの豆の木」というクラブに通っていた。偲ぶ会は関さんが所属していた早稲田の出版研究会の人が出席していた。友子さんの一人娘、一奈さんがゲスト。一奈さんはタイ在住で一時帰国中、今月中にタイへ帰るそうだ。一奈さんのワインの呑みっぷりが大変気持ちよかった。会には邑で友子さんを支え、邑が閉店した後も友子さんと仲が良かった千恵さんも参加していた。会場を提供してくれた浪漫堂の倉垣君に感謝!

3月某日
「同志少女よ、敵を撃て」(逢坂冬馬 早川書房 2021年11月)を読む。早川書房主催のアガサ・クリスティー賞受賞作である。第2次世界大戦中のスターリングラード攻防戦や大戦末期の要塞都市ケーニヒスベルクを舞台に赤軍の女性の狙撃兵、セラフィマと彼女の属する射撃訓練学校の生徒たち、そして射撃訓練学校の教官、イリーナの群像劇として描かれる。第2次世界大戦はナチスドイツの電撃的なソ連侵攻から始まった。そう思うとこの何日かのロシア軍のウクライナ侵攻に思いが及ぶ。スターリングラード攻防戦は1942年、今から80年前である。プーチンは80年前のヒトラーと同じようなことをしようとしているのではないか。週刊文春の今週号(3月10日号)で林真理子が「夜ふけのなわとび」でソ連の対独戦と本書に触れている。以下抜粋。
「それにつけても不思議なのは、最近この対独戦を描いた『戦争は女の顔をしていない』が、日本ではベストセラーになったことである。ソ連はなんと百万人を超える女性兵士がいたというから驚く。
そしてこの本に影響された『同志少女よ、敵を撃て』は、日本の作家によるものであるが、こちらも大ヒット、直木賞の候補にもなった。フェミニズムの気配もあり、若い読者がついた」。
著者の逢坂冬馬は1985年生まれ、明治学院大学国際学部卒の新鋭作家。物語の組み立ては新人作家とは思えないほど緻密だし、歴史考証も正確。次作にも期待したい。とりあえず私は我孫子市民図書館に「戦争は女の顔をしていない」をリクエストした。

3月某日
「幕末社会」(須田努 岩波新書 2022年1月)を読む。幕末という言葉から私がイメージするのは尊王攘夷というスローガンや、倒幕運動のなかで闘われた桜田門外の変や佐幕派への討幕派のテロル、池田屋事件、寺田屋事件などの討幕派に対するテロル、さらには大政奉還から鳥羽伏見の戦いから五稜郭の戦いに至る戊辰戦争である。著者の須田努という人は違うアプローチで幕末に迫る。「はじめに」で著者は「本書でこだわりたいのは、政治や制度ではなく、社会の様相である」と記している。「社会の様相」は何から見えてくるのか? 著者はそれを百姓一揆や騒動から読み取ろうとする。一揆や騒動を主導したのは多くは若者であった。彼らは世襲的身分を超えて社会的ネットワークを作り出していったのである。一揆や騒動は暴力をともなった。「あとがき」で「幕末という時代、若者が現状から抜け出す途が開けた、といえる。(中略)現状打破と自己実現を可能にしたのは暴力であった」としている、私はここから1960年代末の学生運動をイメージしてしまう。あの頃も「現状打破と自己実現」を投石とゲバ棒によって暴力的に実現しようとしていた。須田は「暴力を選択した若者の多くはその暴力の中で死んでいった」とし「しんどいが事実である」と書く。これも過激な学生運動の末路を連想させるではないか。

モリちゃんの酒中日記 2月その4

2月某日
「むずかしい天皇制」(大澤真幸 木村草太 晶文社 2021年5月)を読む。大変面白かった。面白かったけれども、社会学者の大澤と憲法学者の木村の対話により構成されている本書をすべて理解できたわけではもちろんない。しかし昨日(2月23日)はたまたま徳仁天皇の誕生日であった。天皇誕生日に天皇制を論じる本書を読んだのも何かの縁、本書に沿いながら天皇制について勝手に考えてみた。日本書紀や古事記では最初の天皇は神武天皇ということになっているが戦後の歴史学では神話上の存在として否定されている。では誰が最初の天皇かというと、山川の教科書では雄略天皇(第21代)で、天皇という言葉は使わずにワカタケルの大王の解説として出てくる。「ワカタケル」(池澤夏樹)という小説を読んだことがあるが競争相手の王子を殺してしまうなど、かなり暴力的だ。もっともそう思うのは現代人の発想で古代人はもっと荒々しく人間や自然と対峙していたのかも知れない。雄略天皇はじめ古代の天皇は実際に武力に基づいて権力を保持していたと考えられる。天皇ではないが推古天皇を補佐した聖徳太子や奈良の大仏の建造を命じた聖武天皇などは、相当強い権力を持っていたんでしょうね。
しかし天皇親政は日本史のなかではむしろ例外で、そのことは著名な法制史学者である石井良助の「天皇 天皇の生成および不親政の伝統」という著作で明らかにされているようだ。平安時代になって藤原氏の摂関政治が天皇親政にとって代わる。摂関政治は平氏に受け継がれ、平氏を打倒した源頼朝が鎌倉幕府を開く。頼朝の血筋は三代で途絶えるが、以降は北条氏が執権として権力を握り、将軍は京都から親王や上級の貴族を招いている。北条氏が滅んだあと、例外的に後醍醐天皇が建武の新政により親政を敷くが長続きしないで南北朝、室町幕府の時代となる。応仁の乱を経て戦国時代になるが、この頃、朝廷は本当にお金に困ったらしい。費用の捻出ができず即位の儀式も出来ないこともあったという。それでも天皇制は生きのびる。むしろ武力も財力もなかったからこそ生きのびたと言っていいかも知れない。大澤先生によると「天皇のことを信長ほど蔑ろにした武士はいない」。天皇から左大臣や征夷大将軍などの地位を提案されるが信長は歯牙にもかけなかったという。信長は明智光秀に殺されるが、光秀は天皇をバカにしている信長に憤慨したわけではない。大澤先生は、日本史に内在している「論理」からすると「天皇をそこまで蔑ろにする人は排除される運命にある」と説く。
短い豊臣政権を経て徳川政権が250年続く。江戸時代を通じて朝廷の存在感はかなり薄い。存在感が一気に増すのが幕末、ペリーが来航しアメリカと条約を交わし、その勅許を幕府が朝廷、孝明天皇に求めたことによる。それ以前に何か問題があって、幕府から朝廷に意見を求めたことはない。天皇及び公家は幕府から僅かな禄を与えられ、学問や和歌、書道などに励んでいたのだろう。朝廷は文化的な存在として生き延びた。それが黒船の来航により180度変化する。自信を失った幕府は朝廷の後ろ盾、勅許を求める。尊王攘夷の嵐が吹き、江戸では桜田門外の変が起こり、京都では開国派へのテロが横行する。尊王攘夷が尊王開国に転換し倒幕の密勅が薩摩と長州に下される。というか岩倉と大久保利通あたりが共謀して、幼い明治天皇に密勅を出させた。天皇の政治利用である。明治維新から20年ほどたって大日本帝国憲法が制定される。「天皇は神聖にして侵すべからず」とされる一方、国会が開設される。現在の憲法下では衆議院の多数の賛成を得て総理大臣が指名されるが、戦前は総理大臣は衆議院の多数に拠らず、元老の指名であった。それでも大正デモクラシーから5.15事件まで衆議院の多数を握る政党が総理大臣を指名するという慣習が成立した。
現憲法下で皇室、天皇の在り方は大きく変わった。戦前、皇室が所有していた膨大な財産は国有財産とされた。皇居は天皇家の財産ではなく国有地である(要確認)。天皇は家賃、地代は払っていないと思うけど。イギリスの王家はウインザー城などの邸宅をいくつか私有しているしタイの王室などはけた外れの金持ちらしい。日本の皇室のメンバーは終身の公務員と言ってもいいと思う。逃げ出したくなるんじゃないかな。眞子さんの気持ちがちょっぴり理解できるような…。

2月某日
「ミーツ・ザ・ワールド」(金原ひとみ 集英社 2022年1月)を読む。銀行OLの由嘉理は焼肉擬人化漫画をこよなく愛する今どきの腐女子。新宿の合コンで酔っ払った由嘉理はキャバ嬢のライに助けられ、ライの歌舞伎町のマンションで生活するようになる。由嘉理が歌舞伎上で出会うホストやオカマバーの店主、作家などを通して由嘉理は新しい世界を知るようになる。私の読後感では由嘉理は「新しい世界を知る」のではなく「新しく生き始める」なのだが、なんだか前向き過ぎてね。金原ひとみの作風は退廃的と思っていたが、本作を読むとどうも違うようだ。新宿歌舞伎町の友情を描いた小説とも読めた。

2月某日
監事をやっている一般社団法人の理事会が東京駅八重洲口の貸会議室であるので出席する。今回は新しい理事の承認だけなので理事会は5分で終わる。その後、理事さんたちは運営委員会に出席するが監事は退席する。八重洲口から日本橋を経て神田へ。神田からお茶の水まで歩く。御茶ノ水でカレーの専門店へ入り「エビカレー」(1000円)を食べる。きらぼし銀行で通帳に記帳、新御茶ノ水から千代田線で我孫子へ。家へ帰ってスマホの万歩計を見ると16,000歩を超えていた。