モリちゃんの酒中日記 5月その2

5月某日
「現代ロシアの軍事戦略」(小泉悠 ちくま新書 2021年5月)を読む。ロシアのウクライナ侵攻以来、テレビで顔を見ない日はない小泉悠の著作である。もっとも今回のロシアの侵攻は今年の2月24日に開始され現在に至っている。本書が執筆されたのはそのほぼ1年前だから現在のウクライナ情勢は本書には反映されていない。しかしクリミアがロシアに併合された2014年のロシア・ウクライナ戦争については触れられている。本書を読んで感じるのだが小泉はしっかりとロシアおよび周辺やNATO、米英仏独の情報を収集、分析しているということだ。しかもイデオロギー的な見地からではなく科学的、客観的な分析が光る。小泉にそれがなぜ可能だったのか、「あとがき―オタクと研究者の間で」その秘密の一端が明らかにされている。小泉は「長らく研究者よりは『職業的オタク』という自己認識を強く持ってロシア軍事研究を進めてきた」と書く。「職業的オタク」は実は強い自負心のあらわれと思う。ロシア軍事研究については誰にも負けないぞという自負心である。

5月某日
「夢見る帝国図書館」(中島京子 文春文庫 2022年5月)を読む。谷根千(谷中・根津・千駄木)など上野周辺を舞台にした小説である。小説家志望でライターをやっている「わたし」が上野公園のベンチで休んでいると、初老の女性に話しかけられる。小説の主人公である喜和子さんとの出会いである。「かれこれ十五年前のことだ」とされる。この小説が単行本として刊行されたのが2019年5月、その前に雑誌に連載されているから、この小説の現在は2015年頃、喜和子さんは60歳代の前半だったと推定される。物語のなかで喜和子さんは終戦後に生まれたこと、結婚後、婚家に一人娘を残して出奔し数奇な運命をたどったことが明らかにされる。ところでタイトルの「夢見る帝国図書館」は戦前、上野に存在した帝国図書館のことで戦後は国際こども図書館として建物は引き継がれている。ライターの「わたし」は国際こども図書館の取材の帰りに喜和子さんに遭遇したのだ。喜和子さんに取材の帰りということを話すと、「あたしなんか、半分住んでいたみたいなものなんですから」と告げられる。喜和子さんの元恋人で元大学教授の古尾野先生、喜和子さんの二階に住んでいた藝大生で女装趣味の谷永雄之助くんなど登場人物も多彩。

5月某日
沖縄が日本に復帰して50年、復帰の日は確か1972年5月15日だったと思う。復帰50年を記念して各種の催し物が開催されている。朝のNHKの連ドラ「ちむどんどん」も沖縄出身の女の子が上京して料理人となる話だ。国立東京博物館でも「特別展 琉球」が開催されているので、いつものように香川さんを誘って観に行くことにする。琉球の文化は、中国大陸と日本本土の影響を強く受けながらも琉球独自のものを形成していったというのが私の印象だ。明治の琉球処分によって考えようによっては「無理やり」日本の政治経済、文化圏に統合されたと言えないだろうか。沖縄と日本本土との関係はウクライナとロシアの関係に似ていなくもないと思う。そうした意味では沖縄独立論にも根拠があるのでは。博物館を出て近所の国際子ども図書館に寄る。残念ながら17時を過ぎていたので閉館。根津まで歩いて沖縄料理屋「ぬちいぬ島」で夕食。私はアルコール度数30度の泡盛を頂く。締めは沖縄そばを香川さんと食べる。

5月某日
「小隊」(砂川文次 文春文庫 2022年5月)を読む。著者の砂川文次は1990年生まれの32歳、神奈川大学卒業後、自衛官に任官、現在は都内区役所に勤務。「小隊」には表題作のほか「戦場のレビヤタン」「市街戦」の短編3作が収められている。「小隊」はロシア軍が北海道に侵攻し陸上自衛隊の安達3尉は小隊を率いて応戦する。安達は一般の大学を出て幹部候補生学校を出て任官した。著者の砂川と同じような経歴だ。中東に派遣された傭兵たちを描いた「戦場のレビアタン」、久留米近辺での陸上自衛隊の行軍訓練を描いた「市街戦」も作者の経験に裏打ちされて圧倒的にリアルだ。文庫本の帯に「ロシア軍、北海道に侵攻」「あまりのリアルさに話題沸騰!」「元自衛官新芥川賞作家、衝撃の戦争小説」とあるのも大げさではない。ちなみに「レビヤタン」は英語読みではリバイアサン(怪物)のことだそうだ。

モリちゃんの酒中日記 5月その1

5月某日
先ごろ亡くなった見田宗介の「まなざしの地獄-尽きなく生きることの社会学」(河出書房新社 2008年11月)を読む。以前にも読んだことがあるが例によって内容を覚えていない。N・Nというひとりの実在する少年を通して現代日本の都市というもの、その意味の一つの断片を追っている。この本ではN・Nというイニシャルで表記されているが、内容を読んでいくと永山則夫のことだと分かる。永山は私の一歳下、1949年北海道網走の生まれである。65年に青森県内の中学を卒業、集団就職の一員として上京して渋谷駅前の西村フルーツパーラーに就職する半年ほどで離職する。その後、転々として職業を変えるが忍び込んだ米軍人宅で拳銃を入手する。永山はこの拳銃でタクシー運転手ら4人を射殺、69年4月に逮捕されている。起訴後、当時東池袋にあった東京拘置所に移管される。私の推測ではこの東京拘置所はいわゆる巣鴨プリズンで東条英機らの戦犯が収容されていたところである。私も69年の9月に学生運動で逮捕され大森警察署に留置され、10月には東京拘置所に移された。私は分離反省組で12月にはシャバに出たが、2か月ほど拘置所で永山と一緒だったことになる。といっても当時の東拘(東京拘置所の略称)は3階建ての拘置施設が3つ(5つだったかもしれない)あり、顔を合わせたことはない。
「まなざしの地獄」に戻ろう。見田は「都会は一つの、よく機能する消化器系統である。それは年々数十万の新鮮な青少年をのみこみ、その労働力を吸収しつくし、余分なもの、不消化なものを凝固して排泄する」と書いている。「凝固して排泄」されたのは、永山らの未成年の犯罪者またはその予備軍である。私も分離反省組とはいえ、現住建造物放火(火炎瓶を投げたため)、傷害(石を投げて警官に傷を負わせた)、公務執行妨害(排除しようとする警官に逆らった)などの罪で懲役1年6カ月、執行猶予2年の判決を受けた罪人である。しかし私が永山と決定的に違うのは、永山が逮捕後、死刑を執行されるまでシャバに出ることもなかったのに対して、私は何とか大学を4年で卒業し、これも何とか社会に受け入れられたことである。永山の最初の著作のタイトルは「無知の涙」である。永山は中学にもまともに通っていない。貧困と周囲に馴染めなかったためである。永山の貧困は「1968」で小熊英二が分類した「近代的不幸」である。当時われわれ学生が感じていた「現代的不幸」(私の感覚では漠然とした疎外感、精神的欠乏感)ではない。永山の覚醒しようとする意識が「近代的不幸」に阻まれたのに対して、私は「現代的不幸」に甘えきることができたのだ。

5月某日
「あの空の下で」(吉田修一 木楽舎 2008年10月)を読む。吉田修一は多彩な作品を産み出していると思う。もともとは芥川賞受賞作家だから純文学出身ということなのだろうが、近年は新聞や週刊誌の連載も多く、現代の人気作家の一人と行って良い。「あの空の下で」はANAの機内誌「翼の王国」に連載された短編小説とエッセーをまとめたものだ。吉田は長編、中編小説に力を発揮すると思っていたが、短編もなかなかのものだ。一言で言うと「洒落ている」。吉田は1958年長崎生まれだから私の10年年少。私と同年の堤修三氏は長崎出身だが「洒落好み」は似ているかも知れない。

5月某日
13時30分から社保研ティラーレで打ち合わせのつもりだったが、佐藤社長が遅れるということなので近所を散策。私が年友企画にいた頃には開店していなかった店がチラホラ。そのうちの一店の定食屋に入る。ご飯を少なめにすると50円引きというのがうれしい。焼肉定食を頼むと大きな肉が二切れついて、肉を切る鋏が添えられている。名前をネットで検索したが出てこない。今度また行こう。佐藤社長から「お待たせしました」との電話。打ち合わせを終えて西日暮里へ。喫茶店で時間をつぶした後、「焼き鳥道場」へ入る。大谷源一さんへ「フラメンコを観に行った『アルハンブラ』の向かいの『焼き鳥道場』にいます」とメール。何年か前に落合明美さんからフラメンコの発表会に招待されたのが「アルハンブラ」だった。

5月某日
「御当家七代お祟り申す 半次捕物控」(佐藤雅美 講談社文庫 2013年7月)を読む。佐藤雅美の時代小説はほとんど読んできたつもりだが、これは見逃していた。我孫子市民図書館の文庫本のコーナーをブラブラしていたら目に付いたので早速、借りた。佐藤雅美は1919年に79歳で死去している。新聞の死亡記事が一段のベタ扱いだったので憤慨した覚えがある。半次捕物控シリーズは目明しの半次が遭遇する事件を軸に物語が展開する。半次は主人公というよりも狂言回しという役回り。狂言回しに付随する登場人物が弁慶橋で剣術の道場を営む蟋蟀小三郎。今回、主役を務めるのが甲州浪人の武田新之亟。大和郡山の大名、柳沢家を巡る敵討がメインストーリーだ。 

5月某日
近所の鍼灸・マッサージのお店『絆』で週2回ほどマッサージをやって貰っている。マッサージを終わって店を出たら目の前のバス停(若松)にちょうど我孫子駅行きのバスが来たので迷わずに乗ることにする。終点の我孫子駅で降りて駅構内を通って北口へ。北口のイトー―ヨーカドー3階の書店に行く。角田光代のトリップ(光文社文庫)を購入。南口に戻って「喜楽」という中華屋さんに入って「焼きそば」を食す。喜楽から歩いて手賀沼公園へ。ベンチに座って白鳥と戯れる子連れの夫婦をぼんやりと眺める。連休は昨日で終わったが、私は「毎日が日曜日」の身分、身も心も連休気分に浸りきっている。