モリちゃんの酒中日記 7月その2

7月某日
「資本主義の方程式-経済停滞と格差拡大の謎を解く」(小野善康 中公新書 2022年1月)を読む。経済の長期低迷が続いている。株価は回復し雇用も安定しているが、肝心の給料が上がらない。ロシアのウクライナ侵攻を契機に石油や小麦価格を押し上げているが、所得の上昇をともなわない典型的な「悪いインフレ」だ。本書でも触れられているが、国内総生産(名目GDP)は1997年の534兆円に対して2015年は531兆円で、18年間、経済はまったく成長していない。私の理解したところによると日本経済は1980年代を境に成長経済から成熟経済に移行した。成熟経済の下では国民の多くは消費よりも貯蓄に関心が向かう。消費選好から資産選好への移行である。成長経済では個人の勤勉と質素倹約という美徳が、そのまま経済成長につながるが、成熟経済では、これらは経済の低迷をもたらす。著者はこれらを打破するために、政府による富の再分配や教育、医療、介護、保育等の充実を挙げている。真っ当な意見だと思うけれど。

7月某日
「ひなた」(吉田修一 光文社 2006年1月)を読む。「JJ」(光文社)という雑誌に2003年5月号~2004年8月号に連載された。まだバブルの余韻があるころかな。茗荷谷の一軒家に住む大学生の尚純が主人公。かなり広い一軒家と想定されるのは、後に兄夫婦や兄の友人が同居することになることからも分かる。実は尚純は父母の実の子どもではないことが明らかにされ、ストーリーは吉田修一っぽくなるのだが…。

7月某日
「樽とタタン」(中島京子 新潮文庫 令和2年9月)を読む。小学生の女の子が学校が終わると喫茶店で過ごす。女の子は店でタタンと呼ばれ、働いている母親が仕事を終えて迎えに来るまで喫茶店の、前はコーヒーの豆を入れてたであろう樽で主に過ごす。で、タイトルが「樽とタタン」。小説家が少女時代を回想するという形式は悪くない。悪くないけど私にはピンと来なかった。

7月某日
「私と街たち(ほぼ自伝)」(吉本ばなな 河出書房新社 2022年6月)を読む。(ほぼ自伝)となっているが「まえがき」では「これは自伝っぽいある種のフィクションだと思ってくださるとありがたい」と書いている。同じく「まえがき」で「今なら立派な発達障害と呼ばれるであろう私は、学校で地獄を見たし、実際生きるためのことが何もできない」とも書いている。吉本ばななは戦後最大の思想家と呼ばれる吉本隆明の次女で、表紙には海水浴にときの一家の写真などが使われている。本扉はどこかの神社(根津神社か)にお参りしている親娘の写真である。「私と街たち」の街たちとは親と一緒に過ごした根津界隈やバイトに明け暮れていた東上野の呑み屋の思い出であったりする。街とそこに生きる人たちを描いて、ばななの筆は冴えるのである。

7月某日
林さんと15時に我孫子駅前の「しちりん」で待ち合わせ。林さんは元年住協で福岡支所長や東京支所長を歴任、営業の第一人者だった。私も年友企画で営業の面白さを知ったこともあり仲良くなった。まぁ林さんは新松戸に住んでいて家が近いというのも仲良くなった理由だ。以前は新松戸界隈で呑むことが多かったが、最近は我孫子が多い。と言ってもコロナ禍で去年は呑まなかったはずだから今回は久しぶりである。

7月某日
梅雨は終わった筈なのに雨が続く。11時30分から近所のマッサージ屋でマッサージを受ける。マッサージ屋の前のバス停から我孫子駅へ。我孫子駅から千代田線で霞が関へ。飯野ビルの地下でランチ、「生姜焼き定食」(1000円)を頂く。日土地ビルの弁護士事務所で打ち合わせ。虎ノ門から銀座線で新橋、新橋から山手線で上野、上野から常磐線で我孫子へ。最近は週1回くらいで東京に行くが、何もなくても楽しい感じがする。

7月某日
図書館で借りた「信仰」(村田沙耶香 文藝春秋 2022年6月)を読む。村田沙耶香の小説は割と好きで「コンビニ人間」「地球星人」「生命式」などを面白く読んだ記憶がある。現実との違和感をシュールに描くという感じが気に入ったのだと思う。ただ今回読んだ「信仰」は「ちょっとついて行けないかな」というのが素直な感想。ただ村田沙耶香ってよしもとばななに感性が似ているのでは感じた。何か月か後にまた挑戦してみようと思う。

モリちゃんの酒中日記 7月その1

7月某日
図書館で借りた「奇跡」(林真理子 講談社 2022年2月)を読む。この本は「多くの人の予約が入っています。なるべく1週間くらいでお返し下さい」という赤い紙が裏表紙に貼ってあった。奥付の横に「本書は、取材に基づいたフィクションです」と印刷されているが、読んだ感じでは事実に基づいたノンフィクションかな。写真家の田原圭一(私はこの人のことを知らなかったが、長くフランスに滞在した写真家で日本に帰国後、亡くなった)と梨園の人妻、博子との出会い、不倫の恋、離婚と結婚、そして2017年の田原の癌による死までを描いている。博子は近江屋という屋号の歌舞伎の名門に嫁ぎ一人息子、清之助を授かる。博子は息子を連れて田原に会いに行く。清之助も田原になつく。田原と博子、清之助の3人家族のようだ。ウィキペディアで検索すると博子が最初に結婚した歌舞伎役者は片岡孝太郎、息子は片岡千之助ということがわかる。もちろん小説では実名では描かれてはいないが、最近はウイキペディアで大概のことは分かっちゃうからね。「奇跡」は1日で読んじゃったので明日、図書館に返します。

7月某日
4回目のワクチン接種。マッサージを受けた後、マッサージ店の真ん前にあるバス停から我孫子駅前へ。12時過ぎに会場のイトーヨーカ堂の3階に行くと受付開始は13時からとのこと。ランチを北海道ラーメンの「ヒムロ」で食べることにする。以前は結構、混んでいた店なのだが、12時過ぎというのにお客もまばらだった。これもコロナの影響か。つけ麺に煮卵をトッピング、これで1000円。会場に戻ってワクチン接種を受ける。駅前からバスでアビスタ前へ。バス停から歩いて5分で我が家。部屋を冷やして図書館から借りた「幕末史」(佐々木克 ちくま新書 2014年11月)を読み進む。

7月某日
「幕末史」を読了。著者の佐々木は立教大学、同大学院博士課程で日本近代史を専攻、京都大学で助教授、教授。2016年7月に亡くなっている。本書は遺作ということになるが「あとがき」で「幕末の日本が立ち直っていく姿を伝えたいというおもいと気力がエネルギーとなった。74歳の、癌と共生しながらよたよたと歩いている老人の、生きている証である」と記している。本書は維新史の通説にも果敢に挑んでいる。とても74歳のよたよた歩む老人とは思えない。一例をあげると文久3(1963)年の8月18日、朝廷から三条実美らの過激派公卿が排除された「8月18日の政変」である。通説では公武合体派が尊攘派を追放したクーデターとなっているが、佐々木は「そもそも公武合体論と尊攘論は相反するものではない」と言い切る(詳しくは同書第3章「尊王攘夷運動」の4「文久3年8月の政変」参照)。

7月某日
「生皮 あるセクシャルハラスメントの光景」(井上荒野 朝日新聞出版 2022年4月)を読む。小説講座の人気講師がセクシャルハラスメントで告発され、報道でも大きく取り上げられる。「桐野夏生さん激賞」と帯にあった。私も大変面白く読ませてもらったが、「俺はセクハラやっていないだろうか?」という疑問が残った。セクハラは被害者が「セクハラを受けた」と告発すれば、ほぼ100%アウトだ。今まで告発されたことはないが、社長をやっていた小さな出版社も女性の多い会社だったからね。この小説の直接の感想とはならないかも知れないが、セクハラも人権の問題だ。相手の女性を人間として尊重していればセクハラは起きないと思う。「セクハラも人権問題」と私に考えさせたこの小説と井上荒野に感謝!

7月某日
ふれあい塾あびこ公開講座をアビスタに聴きに行く。13時開講なので15分前に行くとほぼ満席状態。ウイークデイの昼間なのでおじいさん8割、おばあさん2割というところ。今回のテーマは「義時の東アジア」で講師は東大教授の小島毅先生。洒脱な語り口で1時間30分、飽きなかった。さわりを2つほど。ひとつは東国の坂東武者たち、すなわち鎌倉幕府が農業重視の鎖国派なのに対して、西国の平氏、後白河法皇、源義経、後鳥羽上皇は通商重視の開国派ということ。そういえば昔、「平家、海軍、国際派」という言葉を聞いたことがある。格好は良いが最終的な実権は握れないという意味か。もうひとつはテムジン(1162~1227)は1206年にクリルタイを開いて即位しチンギスハンとなる。1163年に生まれた北条義時が父の時政を追放したのが1205年。1164年生まれの南宋の史弥遠(シビエン)がクーデターを起こしたのが1207年。義時が2人の存在を知っていたとは思えないが、東アジアにける同時代性を感じるではないか。

7月某日
「幕末維新の個性⑤ 岩倉具視」(佐々木克 吉川弘文館 2006年2月)を読む。同じ著者による「幕末史」が面白かったので我孫子市民図書館で借りる。岩倉具視って昔の500円札のイメージしかないんだけど。策謀家の印象も強い。しかし著者は明治6年の西郷遣朝使節問題、7年の島津久光問題、14年の憲法問題を典型として挙げ、「本来の岩倉は調整・調停役を自分の役目と心得ていたが、この際における岩倉は、明快な主張のもとに敢然と決断を下していた。…権力の座を求めない、しかし責任感の強い、そして私利にも恬淡な岩倉だからできたこと」と絶賛に近い誉め方である。幕末維新の小説やドラマで人気のあるのは坂本龍馬、桂小五郎(木戸孝允)、西郷隆盛らで、岩倉具視や大久保利通にはどうも人気がない。人気って歴史上の功績を必ずしも反映していないのではないか、そう思ってしまった。

7月某日
安倍晋三元総理が近鉄西大寺駅前で銃撃され亡くなった。新聞やテレビでは安倍元総理の功績を伝え続けている。私は違和感を感ぜざるを得ない。「失われた30年」すべてを安倍元総理の責任とするわけにはいかない。しかし黒田日銀総裁と二人三脚で2%の物価上昇を公約したが、安倍元総理の任期中にそれが実現することはなかった。皮肉なことに今年2月のロシアによるウクライナ侵攻により、小麦や原油価格が上昇、さらに円安も加わって世界的に物価上昇、インフレが進む。しかし今回のインフレは所得の上昇を必ずしもともなっていない。典型的な悪いインフレである。話がそれたが、私はアベノミクスは失敗だと思っている。この30年ほど実質賃金はほとんど上がっていない。経済だけではない。森友、加計学園問題、桜を見る会などで権力の私物化が目に余った。安倍元総理の突然の死去もあって参議院選挙での自民党の勝利は間違いのないところであろう。日本の民主主義の将来を憂います。