7月某日
図書館で借りた「奇跡」(林真理子 講談社 2022年2月)を読む。この本は「多くの人の予約が入っています。なるべく1週間くらいでお返し下さい」という赤い紙が裏表紙に貼ってあった。奥付の横に「本書は、取材に基づいたフィクションです」と印刷されているが、読んだ感じでは事実に基づいたノンフィクションかな。写真家の田原圭一(私はこの人のことを知らなかったが、長くフランスに滞在した写真家で日本に帰国後、亡くなった)と梨園の人妻、博子との出会い、不倫の恋、離婚と結婚、そして2017年の田原の癌による死までを描いている。博子は近江屋という屋号の歌舞伎の名門に嫁ぎ一人息子、清之助を授かる。博子は息子を連れて田原に会いに行く。清之助も田原になつく。田原と博子、清之助の3人家族のようだ。ウィキペディアで検索すると博子が最初に結婚した歌舞伎役者は片岡孝太郎、息子は片岡千之助ということがわかる。もちろん小説では実名では描かれてはいないが、最近はウイキペディアで大概のことは分かっちゃうからね。「奇跡」は1日で読んじゃったので明日、図書館に返します。
7月某日
4回目のワクチン接種。マッサージを受けた後、マッサージ店の真ん前にあるバス停から我孫子駅前へ。12時過ぎに会場のイトーヨーカ堂の3階に行くと受付開始は13時からとのこと。ランチを北海道ラーメンの「ヒムロ」で食べることにする。以前は結構、混んでいた店なのだが、12時過ぎというのにお客もまばらだった。これもコロナの影響か。つけ麺に煮卵をトッピング、これで1000円。会場に戻ってワクチン接種を受ける。駅前からバスでアビスタ前へ。バス停から歩いて5分で我が家。部屋を冷やして図書館から借りた「幕末史」(佐々木克 ちくま新書 2014年11月)を読み進む。
7月某日
「幕末史」を読了。著者の佐々木は立教大学、同大学院博士課程で日本近代史を専攻、京都大学で助教授、教授。2016年7月に亡くなっている。本書は遺作ということになるが「あとがき」で「幕末の日本が立ち直っていく姿を伝えたいというおもいと気力がエネルギーとなった。74歳の、癌と共生しながらよたよたと歩いている老人の、生きている証である」と記している。本書は維新史の通説にも果敢に挑んでいる。とても74歳のよたよた歩む老人とは思えない。一例をあげると文久3(1963)年の8月18日、朝廷から三条実美らの過激派公卿が排除された「8月18日の政変」である。通説では公武合体派が尊攘派を追放したクーデターとなっているが、佐々木は「そもそも公武合体論と尊攘論は相反するものではない」と言い切る(詳しくは同書第3章「尊王攘夷運動」の4「文久3年8月の政変」参照)。
7月某日
「生皮 あるセクシャルハラスメントの光景」(井上荒野 朝日新聞出版 2022年4月)を読む。小説講座の人気講師がセクシャルハラスメントで告発され、報道でも大きく取り上げられる。「桐野夏生さん激賞」と帯にあった。私も大変面白く読ませてもらったが、「俺はセクハラやっていないだろうか?」という疑問が残った。セクハラは被害者が「セクハラを受けた」と告発すれば、ほぼ100%アウトだ。今まで告発されたことはないが、社長をやっていた小さな出版社も女性の多い会社だったからね。この小説の直接の感想とはならないかも知れないが、セクハラも人権の問題だ。相手の女性を人間として尊重していればセクハラは起きないと思う。「セクハラも人権問題」と私に考えさせたこの小説と井上荒野に感謝!
7月某日
ふれあい塾あびこ公開講座をアビスタに聴きに行く。13時開講なので15分前に行くとほぼ満席状態。ウイークデイの昼間なのでおじいさん8割、おばあさん2割というところ。今回のテーマは「義時の東アジア」で講師は東大教授の小島毅先生。洒脱な語り口で1時間30分、飽きなかった。さわりを2つほど。ひとつは東国の坂東武者たち、すなわち鎌倉幕府が農業重視の鎖国派なのに対して、西国の平氏、後白河法皇、源義経、後鳥羽上皇は通商重視の開国派ということ。そういえば昔、「平家、海軍、国際派」という言葉を聞いたことがある。格好は良いが最終的な実権は握れないという意味か。もうひとつはテムジン(1162~1227)は1206年にクリルタイを開いて即位しチンギスハンとなる。1163年に生まれた北条義時が父の時政を追放したのが1205年。1164年生まれの南宋の史弥遠(シビエン)がクーデターを起こしたのが1207年。義時が2人の存在を知っていたとは思えないが、東アジアにける同時代性を感じるではないか。
7月某日
「幕末維新の個性⑤ 岩倉具視」(佐々木克 吉川弘文館 2006年2月)を読む。同じ著者による「幕末史」が面白かったので我孫子市民図書館で借りる。岩倉具視って昔の500円札のイメージしかないんだけど。策謀家の印象も強い。しかし著者は明治6年の西郷遣朝使節問題、7年の島津久光問題、14年の憲法問題を典型として挙げ、「本来の岩倉は調整・調停役を自分の役目と心得ていたが、この際における岩倉は、明快な主張のもとに敢然と決断を下していた。…権力の座を求めない、しかし責任感の強い、そして私利にも恬淡な岩倉だからできたこと」と絶賛に近い誉め方である。幕末維新の小説やドラマで人気のあるのは坂本龍馬、桂小五郎(木戸孝允)、西郷隆盛らで、岩倉具視や大久保利通にはどうも人気がない。人気って歴史上の功績を必ずしも反映していないのではないか、そう思ってしまった。
7月某日
安倍晋三元総理が近鉄西大寺駅前で銃撃され亡くなった。新聞やテレビでは安倍元総理の功績を伝え続けている。私は違和感を感ぜざるを得ない。「失われた30年」すべてを安倍元総理の責任とするわけにはいかない。しかし黒田日銀総裁と二人三脚で2%の物価上昇を公約したが、安倍元総理の任期中にそれが実現することはなかった。皮肉なことに今年2月のロシアによるウクライナ侵攻により、小麦や原油価格が上昇、さらに円安も加わって世界的に物価上昇、インフレが進む。しかし今回のインフレは所得の上昇を必ずしもともなっていない。典型的な悪いインフレである。話がそれたが、私はアベノミクスは失敗だと思っている。この30年ほど実質賃金はほとんど上がっていない。経済だけではない。森友、加計学園問題、桜を見る会などで権力の私物化が目に余った。安倍元総理の突然の死去もあって参議院選挙での自民党の勝利は間違いのないところであろう。日本の民主主義の将来を憂います。