モリちゃんの酒中日記 8月その1

8月某日
「橋川文三とその浪漫」(杉田俊介 河出書房新社 2022年4月)を読む。本文だけでも500ページ近くある。橋川文三は1922年に生まれ1983年に亡くなっている。東大で丸山眞男門下、近代日本思想史を専攻、明治大学政治経済学部で教える。代表作は「日本浪漫派批判序説」で私の学生時代は吉本隆明などと並んで人気があった。本文の構成は「序章 橋川文三にとって歴史意識とは何か」に続いて、「第一章 保田與重郎と日本的ロマン主義」「第二章 丸山眞男と日本ファシズム」「第三章 柳田国男と日本ナショナリズム」「第四章
三島由紀夫と美的革命」となっている。それぞれ興味深かったが私には「三島由紀夫」の項が面白かった。三島由紀夫は1925年生まれ、1970年11月25日に自衛隊の東部方面総監部で隊員に決起を呼びかけた後、割腹自殺した。橋川と三島は3歳違いだが、橋川は1月1日生まれだから学年は2学年の違いか。吉本隆明は1924年生まれだから三人はほぼ同年代の戦中派ということになる。とはいっても三人の先の大戦への評価や天皇制の捉え方は異なる。三島は橋川に共感するところが大きかったが、晩年には微妙なずれを感じるようになる。それはそれで面白いところがある。この本はまた読み返してみたい。

8月某日
「ギフテッド」(鈴木涼美 文藝春秋 2022年7月)を読む。今年の芥川賞の候補作である。作者の鈴木は慶応義塾大学環境情報学部在学中にAV女優としてデビュー、東京大学大学院社会情報学修士課程修了。上野千鶴子との共著もある。本作は作者の分身と思われるホステスの「私」が末期がんの母親を引き取り、病院で看取るという物語である。おそらく自らの体験をもとにして描いているのだろうが、リアルを超えた奇妙な透明感がある。その透明感の底に危うさを感じてしまうのは私だけだろうか。

8月某日
小学校以来の友人、山本君が我孫子まで来てくれた。山本君は中学も高校も一緒。演劇志望で高校卒業後に上京、劇団員として活動した後に劇場の照明の仕事を続けていた。数年前に仕事も引退、いまは悠々自適である。我孫子駅前の「しちりん」に同行。最近、他人と呑むことが少ないので楽しかった。山本君から自家製の野菜と佐藤愛子のエッセーを頂く。

8月某日
「職業としての官僚制」(嶋田博子 岩波新書 2022年5月)を読む。著者の嶋田は1964年生まれ、96年京都大学法学部卒、人事院入庁、人事院人材局審議官等を経て現在、京都大学公共政策大学院教授。タイトルはマックス・ウェーバーの「職業としての学問」を意識したそうだが、内実のあまり知られていない日本の官僚制の一端を知ることができた。英米独仏と日本の制度比較も興味深かった。個人的な感想ですが日本の役所も他省庁や民間との交流人事をもっと進めた方がいいかも。あと本書では触れられてはいないが技官の存在にもスッポトを当ててもらいたい。厚労省でいえば医者、看護師、薬剤師らが技官として事務官と伍して仕事をしている。私がよく知るのは旧建設省の住宅技官。私の知る限り仕事ができるんですよ。

8月某日
「人生百年の教養」(亀山郁夫 講談社現代選書 2022年4月)を読む。亀山郁夫は1949年栃木県生まれ、東京外語大学ロシア語学科卒業、東大大学院人文科学専攻科博士課程満期終了。東外大の学長を務めた後、現在は名古屋外国語大学学長。私とほぼ同年齢。私は一浪して早稲田だが、彼は現役で東外大だから大学は同学年。入学しても大学封鎖で授業がなかったのも同じ。ただし彼は授業がないから独学でロシア語を学び、大学3年生の夏休みに「罪と罰」を原書で読んだ。私も第2外国語はロシア語を選択したが全然、勉強しなかった。高い学費を親に払わせて校舎を封鎖し、革マル派と激しく対立する毎日。やったことは後悔していないが、もっと勉強しておけばとよかったと痛切に思います。

モリちゃんの酒中日記 7月その3

7月某日
図書館で借りた「日本共産党-『革命』を夢見た100年」(中北浩嗣 中公新書 2022年5月)を読む。日本共産党は1922年7月15日、堺利彦や山川均ら8名によって正式に結成された。そのほかの創立メンバーには荒畑寒村、徳田球一らがいた。それからの100年を概説したのが本書である。著者の中北は1968年生まれ、東大法学部、同大学院博士課程中退、立教大学教授を経て2013年より一橋大学大学院教授。「あとがき」で本書を坂野潤治先生に捧げると記している。坂野先生は日本近代史の泰斗(1937~2020年)、東大国史学科では樺美智子さんの先輩で60年安保ブンドの指導者のひとりだった。私は坂野先生の本は何冊も読んだがとてもわかりやすくて実証的だった。明治時代の自由民権運動、大正デモクラシー、昭和初期の立憲政治について学ぶことは多かった。
本書で私は初めて日本共産党の通史を読んだ。私は学生時代、反日共系の学生運動に参加していたので日本共産党とその青年組織の民主青年同盟(民青)とは敵対していた。敵対していたが当時の早稲田大学は革マル派の牙城で、我々、全共闘派の学生にとっては革マル派が主要な敵であって、民青は「その他」であった印象である。本題に入ると、戦前、さらに戦後も1960年代までは共産党もソ連共産党、中国共産党の支配下にあった。思想的、理論的にはもちろん財政的にもソ連や中国からの援助に頼っていた。そもそもロシア革命後、1919年に第1回のコミンテルン大会が開催され、各国共産党はその支部とされたから、コミンテルンが廃止される1963年までは組織上も、ソ連共産党の指導を受けていた。六全協以降、党内の指導体制を確立させた宮本顕治は中ソ対立の当初は、中国共産党寄りだったが、ソ連、中国双方に批判を強め自主独立路線をとり始める。
宮本は「国際共産主義運動の支援を受けて暴力革命を遂行するのではなく、日本国民の支持を得て大衆的な党組織を建設し、国会で議席を増やして平和革命を実現する」路線を確定させる。50年前反日共系の学生運動は、量的にも理論的にも日共系を凌駕していたと思うが、50年後残っている反日共系の党派は革共同の中核派、革マル派くらいのものであろう。日本共産党は100年かけて大きく変化したことは間違いない。しかしだからといって日本革命に向けて大きく前進したというわけでもない。直近の参議院選挙でも日本共産党は議席を減らした。党員数も機関紙「赤旗」の購読者数も減っている。著者は①イタリア共産党のような社会民主主義への移行②マルクス主義を含む多様な社会主義イデオロギーに立脚し、直接的な市民参加に活動の力点をおく民主的社会主義への移行-もあり得るのではと示唆する。どうする日本共産党?

7月某日
「両手にトカレフ」(ブレイディみかこ ポプラ社 2022年6月)を読む。どのような内容なのか、まったく知らずに著者がブレイディみかこという理由で我孫子市民図書館にリクエストした。表紙は金髪の制服女子と黒髪の和服の女子が手をつないでいるイラストだ。イギリスの公営住宅にアル中でドラッグ中毒の母と小学生の弟と住むミアが主人公。ミアはある日図書館でホームレスっぽいおじさんから、一冊の本を進められる。表紙には「ある日本人女性の刑務所回顧録」とあり、その女性の名はカネコ、フミコというらしい。大正末期に摂政宮(後の昭和天皇)暗殺未遂事件により逮捕された金子文子のことである。文子は共犯で同棲相手だった朴烈とともに死刑判決を受けたのちに、無期懲役に減刑されるが、収容先の栃木女子刑務所で自殺する。後に自伝的手記「何が私をこうさせたか 獄中手記」が公刊される。「両手にトカレフ」では貧困と弟の世話に追われながらもラップのリリックに挑戦するといったミアの日常が活写される一方で、ミアが読み進む文子の手記が掲載される。私が最近、無政府主義に興味を持つようになったのはブレイディみかこの「女たちのテロル」を読んだのがきっかけだ。そこでは唯一の日本人として金子文子がとりあげられていた。それから瀬戸内寂聴の文子の伝記小説「余白の春」、「何が私をこうさせたか」を読んだ。ブレイディみかこも金子文子も私にとっては無政府主義の先導者なのだ。ちなみに表紙の金髪少女がミアで黒髪の少女が金子文子ということだ。

7月某日
「70歳、これからは湯豆腐-私の方丈記」(太田和彦 亜紀書房 2020年12月)を読む。太田和彦はグラフィックデザイナーで東北芸術工科大学教授も務めたりしたが、私には「全国居酒屋巡り」のような居酒屋番組の司会進行役にして主演者の印象が強い。居酒屋番組としては吉田類の「酒場放浪記」やきたろうの「夕焼け酒場」をよく見るが、吉田類は庶民的で酒場の客とも乾杯を繰り返したりしている。「夕焼け酒場」は宝焼酎がスポンサーということもあってか酒場と酒場の主人の紹介がメイン。これに対して太田和彦は居酒屋で孤独に酒と向き合う。これは太田が東京教育大学芸術科を卒業、電通に勤務した後、グラフィックデザイナーとして独立したという経歴とは無縁ではないように思う。よく言えば孤高、悪く言ってしまえばキザ。この本のタイトルにもそれは現れている。これといった趣味のない私にとってレコード収集や登山、写真、焚火などの趣味の話は多少の嫌味をともなう(個人の感想です)。しかし最終章の「誰かのために」では安倍元首相や麻生某をきちんと批判している。この項は「すぐ言い訳し、まともに謝ることができず、責任転嫁するのは小人物の証明で恥ずかしい、気をつけよう」という文章で結ばれている。

7月某日
「オリーブの実るころ」(中島京子 講談社 2022年6月)を読む。6つの短編が収められている。それぞれの短編が描くのはさまざまな家族の形と愛の形だ。「家猫」は離婚して高層マンションに一人で暮らす息子の姿を、母親、息子、息子の同棲相手のそれぞれの視点から描く。同棲していることはときどき息子のマンションを訪れる母親には秘密だ。同棲相手の気配を「猫」と言いくるめることからタイトルになっている。「ローゼンブルグで恋をして」は、5年前に妻を亡くした馬淵豊が妻と結婚する前に結婚していた女の娘が中国地方の市議会議員選挙に立候補する話。馬淵は東京から選挙の手伝いに行くが、支援者の青年が都道府県名をドイツ語に言い換えることに凝っていて、馬淵が最初に結婚したのがローゼンブルグ、すなわち茨城県だ。「川端康成が死んだ日」は子どもの頃、家を出て行った母親の話。父の海外出張中に知り合った青年と恋に落ちた母親は、青年の実家がある葉山へ家出する。葉山に行く前に寄った鎌倉で乗ったタクシーの前の車に乗っていたのが川端康成。渋滞で車が進まなかったとき、川端は車を降りて母親へ「今日の鎌倉は美しいね」と告げ「でもそれはねえ、あなたが僕と同じ、末期の眼でそれを見ているからだ」と語る。翌日、新聞の一面にはノーベル賞作家の自殺が報じられていた。後の3編も実に面白かった。中島京子の作品は、短編であっても筋が複線、複々線に分かれ私には多少難解。この小説も私は続けて二度読んで理解した。

7月某日
「ホモ・エコノミクス-『利己的人間』の思想史」(重田園江 ちくま新書 2022年3月)を読む。経済学が前提とする人間は「自分の利益を第一に考えて合理的に行動する主体=経済人」であり、この経済人が利己的人間であり、すなわち「ホモ・エコノミクス」である。ヒュームやスミスをはじめ、ヨーロッパの思想史の素養がない私にとって読み通すのは、かなりしんどいものがあったが、読後感は悪くない。著者の本をもうちょっと読んでみようという気になった。だいたいこの本は図書館で借りたので傍線を引くことも出来なかった。ならば新刊を買ってみようかという気にもなった。著者の重田園江は1968年生まれ、早稲田大学政経学部政治学科卒業後、日本開発銀行を1年で退社、東大大学院博士課程を経て現在、明治大学政経学部教授である。早稲田の政治学科で私の20年ほど後輩である。もっとも私は学部の授業に面白さが感じられず、5月以降は当時盛んだった過激な学生運動に参加、授業にはほとんど出席したことがなかった。重田も学部生であった1980年代を振り返り、「60年代に(大学の費用で)アメリカ留学したであろう教員陣による、熱意も新鮮味もないアメリカ政治学の授業が行われていた。聞くに耐えない退屈な授業に辟易し、経済学科への編入を試みたほどだ」と書いている。それでも重田は藤原保信ゼミに参加したぐらいなのだから優秀だったのは間違いのないところ。本書の感想は本屋で新刊を入手し再読してからということにしよう。