モリちゃんの酒中日記 9月その2

9月某日
「楽しく読むだけでアタマがキレッキレになる奇跡の経済教室【大論争篇】」(中野剛志 KKベストセラーズ 2022年3月)を読む。著者は現役の経産官僚で1971年生まれ、東大教養学部(国際関係論)卒業後、通産省に入省。影響を受けた人物に小林秀雄、佐藤誠三郎と並んで西部邁を挙げている(ウイキペディアによる)。本書を私なりに要約すると月刊誌「文藝春秋」の2021年の10月号に掲載された矢野康治財務次官の「財務次官、モノ申す『このままでは国家財政は破綻する』」という論文(通称矢野論文)を批判するかたちをとりながら、日本の経済学者や政治家を徹底的に批判した書である。矢野論文を私は未読だが、本書によると「財政出動や減税を求める与野党の政治の議論を『バラマキ合戦』と批判した上に、こんなことでは日本の財政はいずれ破綻すると警鐘を鳴らし、『タイタニック号が氷山に向かって突進しているようなもの』」という内容だ。一言でいえば財政健全化論で、内容的に別に新しいものではない。ただ現役の財務次官が「文藝春秋」に寄稿したということで話題を呼んだ。
著者はMMT(現代貨幣理論)や「機能的財政」という考え方を参考にしながら、「政府は、国庫が空っぽでも、お金を無尽蔵に生み出すことができるのです。(念のために付言すると、インフレを気にしなければ、ですが)」と主張する。これはつまり、国債をどんどん発行して国の借金を増やすべきだ、という考えである。そして「防災、健康・医療、防衛、環境対策、教育など、政府として当然やるべき仕事をやるために、財政支出を拡大すれば、需給ギャップは埋まって、経済は成長する」とも主張する。過激でトンデモ経済理論にも受け取られかねないが、著者の主張には「インフレを気にしなければ」という留保が付いていることに着目すべきだろう。さらにMMTや機能的財政論の他に著者の思想の根底にはケインズの思想があることにも注目したい。どうも私たちは国の財政を家計とのアナロジーで考えがちである。「家計の収入の10数年分の借金を抱える日本財政」とかね。しかし国は通貨の発行権を持っている。家計にはもちろんそれがない。ロシアのウクライナ侵攻以前であれば私も著者の考えに全面的に賛成をしたであろう。しかし、ウクライナ侵攻以降、円安は進み原油や小麦などの輸入物価は高騰している。世界的なコストプッシュインフレが進んでいる。この段階での著者の見解を聞きたいものだ。

9月某日
午前中、近所でマッサージ治療を30分受けた後、柏へ。頂いた商品券で柏高島屋でウイスキーを購入するためだ。高島屋ではバーボンのMARKERSMARKを購入。アルコール度数45度だ。柏では他にどこにも寄らず我孫子へ。我孫子では近所の蕎麦屋、湖庵で蕎麦を頂く。家へ帰って「赤い長靴」(江國香織 文春文庫 2008年3月)を読む。単行本は2005年1月で出ているから15年以上前の作品。結婚10年になる日和子と逍三の日常を描く連作短編集。二人には子供はいない。結婚前や新婚時代のような強い恋愛感情は消えていて、しかも子供はいない。そんな夫婦関係は何によって成立しうるか、というようなことを考えさせられた。作家の青木淳悟という人が解説で「家庭の平穏さのその底では、二人の心理が絶えずゆれ動き、浮き沈みしている」と表現しているが、まさにそんな感じだ。

9月某日
「そばですよ-立ちそばの世界」(平松洋子 本の雑誌社 2018年11月)を読む。本の雑誌に連載していたものを単行本化したもの。平松洋子が都内の立ち食いそばを訪ね、実際にそばを食しつつ家族のファミリーヒストリーに迫る。私は立ち食いそばをほとんど食べたことがなかったのだが、この本を読んでその奥深さを垣間見ることができた。川一(台東区台東)、そばよし(中央区日本橋本町)、峠そば(港区虎ノ門)には行ってみたい。そして新潟のへぎ蕎麦に加えて日本酒も提供するがんぎ新川一丁目店には17時以降ぜひ。

9月某日
某財団法人の「保健福祉活動支援事業」運営委員会に参加。この財団法人は公益事業の一環として介護事業者やヘルパー向けにセミナーを実施したり、調査研究事業の助成を行っているが、その報告を受けてコメントするというものだ。介護現場での人手不足はかなり深刻なようで、「ICTやロボットの導入が急がれますね」という無難なコメントをしておいた。某財団法人の近くにある法律事務所に寄って情報交換。その後、千代田線の霞が関から我孫子へ。我孫子駅北口の南フランス料理とワインのお店「Bistoro Vin‐dange」(ビストロ・ヴァン・ダンジュ)で神山弓子さんと大谷源一さんと会食。神山さんにすっかりご馳走になる。

9月某日
「そばですよ」に続いて平松洋子の「食べる私」(文藝春秋 2006年4月)を読む。「そばですよ」は立ち食いそばの食べ歩きだが、こちらは著名人と食の関りを、平松洋子がインタビューで明らかにしてゆく。もともとは「オール読物」に連載されていたもので、インタビューした著名人はデーブ・スペクターから樹木希林まで29人。食文化や発酵学が専門の小泉武夫をインタビューしたのは神田の「鯨のお宿 一乃谷」。これは前の会社にいたときランチで何回か行きました。「食べる」という行為は人間、人柄が出るものだということを知らされる一冊。

モリちゃんの酒中日記 9月その1

9月某日
「暗鬼」(乃南アサ 文春文庫 2000年10月)を読む。初出は1993年角川文庫である。たまたま図書館で目にした本だが、新聞やテレビ、週刊誌で話題となっているカルト宗教を思い起こされる内容となっている。両親、弟妹、祖父母に曾祖母という大家族が同居する一家に嫁いだ法子が主人公。東京郊外の小金井に広壮な屋敷を持ち他に何軒かの家作を持つ婚家の本業は米屋で、米穀以外にも燃料や調味料も扱っている。家族仲は睦まじく法子も何不自由のない生活を送っている。ある日、店子の一家が無理心中で亡くなるまでは。以下、中村うさぎの解説に沿ってこの小説の中身を見てみたい。中村は「家族とは、ひとつの宗教である」と断言し、「その教義や秘儀は、多かれ少なかれ、他者を戸惑わせるモノなのである」とする。私は毎晩の晩酌を欠かせない。私の実家もそうであったし、私の連れ合いの父上も酒飲みであったから、連れ合いも私の飲酒には好意的(?)である。しかし酒を呑む習慣のない家で育った女性と結婚していたらどうであろうか、そうとう悲劇的な晩飯風景となったのではなかろうか。中村はこの小説を「『家族という名の宗教団体』の得体の知れない暗闇を、外部からの闖入者である『嫁』の目を通して、きわめてミステリアスにグロテスクに描いている」とする。安倍元首相を狙撃した容疑者の母親は旧統一教会の信者となって教団への献金を繰り返し、家庭は崩壊した。中村は「時代とともに、日本の家族は解体した」とし、「家族を失うことで、我々は宗教を失」い、そして「新たな宗教観・世界観を求めて」「新興宗教や自己啓発セミナーに逃げ込んだ」と指摘する。1993年が初出のこの小説は、カルト宗教の現在を予感させるのである。

9月某日
「昭和史講義【戦後文化篇】(下)」(筒井清忠編 ちくま新書 2022年7月)を読む。この新書の袖には「『昭和史講義』シリーズの最終配本となるこの戦後文化篇の下巻では、さまざまなジャンルの映画作品とそれをつくった監督たち、テレビドラマからアニメ、雑誌に至るまで、百花繚乱のメディア文化を、19の観点から第一線の研究者がわかりやすく解説する」と綴られている。私の家に白黒テレビが入ってきたのは私が小学校の4,5年生の頃だったと思う。それまでの娯楽といえば漫画雑誌、トランプなどの室内ゲーム、空き地でのチャンバラそして映画であった。今でこそほとんど観なくなった映画だが、中学生くらいまでは夏休みや冬休み、GWには必ずといっていいほど映画館に行っていた。本書にも出てくる「ゴジラ」「明治天皇と日露大戦争」「若大将シリーズ」などは映画館で観た記憶がある。今でこそ映画監督は大学出が常識で、大島渚は京大、山田洋次は東大である。しかし本書によると、成瀬巳喜男も小津安二郎も木下恵介も黒澤明も大学を出ていない。「撮影所で育った叩き上げである」(第3講 成瀬巳喜男)。本書によれば劇作家の菊田一夫も大学出ではない。菊田は大学どころか「生地も実の両親も明らかではない。(中略)転々とした前半生なので、各地でゆかりの作家として紹介されている」(第13講 菊田一夫-歯を喰いしばる人生)。私は大学に入学すると再び映画を観るようになった。主として東映の仁侠映画である。本書によれば東映の「人生劇場・飛車角」(沢島忠監督 1963年)が仁侠映画の最初となっているが、1968年か69年に確か早稲田松竹で観たはず。シリーズの昭和残侠伝、網走番外地(いずれも高倉健主演)、緋牡丹博徒(藤純子主演)も観たねぇ。日本初の本格的劇場用アニメ「白蛇伝」も小学生の頃、劇場で観た。同作は東映動画の制作だが、「NHK朝の連続テレビ小説「なつぞら」(2019)の主人公・奥原なつのモデルとなったのは、東映動画に所属したアニメーター・奥山玲子である」(第15講 東映動画とスタジオジブリ)。

9月某日
「セカンドチャンス」(篠田節子 講談社 2022年6月)を読む。惹句に曰く「50歳を過ぎても、敗者復活(セカンドチャンス)の大逆転!」「麻里、51歳。長い介護の末母親を見送った。婚期も逃し、病院に行けばひどい数値で医者に叱られ、この先は坂を下っていくだけと思っていたが…」「水泳教室に飛び込んだら、人生がゆるゆると転がりだした」「人生、まだまだ捨てたもんじゃない」。主人公の通うスポーツジムは「プレハブのようなかまぼこ形屋根の平屋建てだ」。大手のスポーツジムとは大違い。主人公と主人公が通うジムにはポンコツ手前という共通項があるのだ。しかし主人公を加えた4人のチームはマスターズでの入賞を果たす。

9月某日
「新選組の遠景」(集英社 野口武彦 2004年8月)を読む。著者の野口武彦は1937年東京生まれ。早稲田大学文学部卒業後、東京大学大学院博士課程中退。神戸大学文学部教授を経て著述業。本書はタイトル通りに新選組のちょっとしたエピソードを残された資料から検証していく。近藤勇、土方歳三、沖田総司らは剣の遣い手として知られているが、彼ら3人の属した剣術の流派は天然理心流である。この流派は「剣術・柔術・棒術・気合術を総合した武術」で「勝つためには何でもやる下卒の兵法なのである」。また天然理心流は集団戦法を得意とした。近藤や土方は三多摩の農家の出身で「新選組には農村自警団の延長といった一面がある」。幕末、京都における過激派浪士の取り締まりには打ってつけと言える。新選組だけでなく幕軍全体が鳥羽伏見の戦いで薩長らの官軍に敗北する。これが戊辰戦争の行方を決定づけるのだが、土方は「武器は鉄砲でなければだめだ。自分は刀と槍で戦ったが、何の役にも立たなかった」と述懐している。土方は会津、蝦夷と転戦するが鳥羽伏見の戦いを教訓にして銃を中心とした近代戦に切り替えていく。野口武彦が早稲田大学在学中はちょうど60年安保の最中で、野口は日共の構造改革派リーダーだったという。

モリちゃんの酒中日記 8月その2

8月某日
図書館で借りた「まっとうな人生」(絲山秋子 河出書房新社 2022年5月)を読む。フツーの人の人生に潜む楽しさと辛さ、それを絲山秋子は暖かい目線で描く。自身の「双極性障害」の病歴の影響もあるのだろうと思う。本作は前作「逃亡くそたわけ」で福岡の精神病院を逃げ出したなごやんと花ちゃんがその後、富山で再会するという話。互いに家庭を持って平和に暮らしているのだが…。平凡な暮らしを描いて一編の小説に仕上げる―それが絲山の作家的力量である。ただ私は「逃亡くそたわけ」を読んだ記憶がない。今度、図書館で借ります。

8月某日
学生時代からの友人、馬木君が亡くなった。同じ寮にいた加賀(旧姓木下)さんからの電話で知った。西武池袋線の江古田駅の近くにあった国際学寮で馬木君とは出会った。学生運動で逮捕され、私は前に住んでいた下井草のアパートに居づらくなり、先輩のいた国際学寮に引っ越した。馬木君は初めて会ったときは上智大学の1年生、私は早稲田の2年生。ただ国際学寮では馬木君の方が先輩だった。学生時代からよく呑んだしバイトも一緒に行った。大学を卒業してから馬木君は新潟のテトラポットの会社を皮切りに、肉の卸会社や千葉のマザーズ牧場などで働いていた。私も同じようなものだが、要するに職を転々としていたわけだ。馬木君は30歳を過ぎてから鍼灸の専門学校に通い、鍼灸師の国家資格を取得し、自宅のある荒川区で鍼灸院を開業した。ケアマネジャーの第1回の資格試験に合格し、ケアマネ事業所、訪問介護事業所、デイサービスを次々と開業させた。女子医大病院で助産婦をしていた奥さんも退職して、一緒に訪問看護事業所も始めた。事業は順調のように見えたのだが、癌には柔道の猛者だった馬木君も勝てなかった。冥福を祈る。

8月某日
「歴史のなかの新選組」(宮地正人 岩波現代文庫 2017年6月)を読む。宮地は1944年生まれ、東大史料編纂所教授、国立歴史民俗博物館館長を経て、東大名誉教授。私は同氏の「幕末維新変革史」(岩波書店)を購入、幕末から明治初期で分からないことがあると確認するのに重宝している。本書は幕末の著名人はもちろん、市井の庶民の書簡など史料の引用が多い。それは本書の目的の一つが「新選組論における、歴史学の時代小説からの訣別を試みるところにあり、そのためには、徹頭徹尾、史料をもとにして論を展開することが求められるからである」(前置き)としている。近藤勇の書簡も引用されているが、粗野な武人と思われがちな近藤の豊かな教養人としての一面が伺われる。近藤は土方歳三と共に多摩の豪農の出身、剣は天然理心流を学んだが、書をはじめ学問もそこそこ学んだに違いない。近藤は最後、現在の千葉県流山で捕らえられ板橋で斬首される。本書では「近藤は、この場において動揺するような恥ずかしい男ではなかった。新政府は薩長二藩の私的権力であるといいはなち、従容として斬首された」(第8章)と描かれる。

8月某日
馬木君の通夜。町屋斎場へ向かう。友野君、井上さん、渡辺さんといった国際学寮の懐かしい顔に出会う。3人に加えて同じ国際学寮の豊島さん、鈴木さん、それに私を加え6人で呑むことにする。町屋といえば「ときわ食堂」なのだが、あいにく満席だったので隣の蕎麦屋へ入る。当然、話題は「馬木君とあの時代」。私が国際学寮に入寮したのは1969年の年末、退寮したのは卒業した72年3月だ。2年の3学期と3年と4年まるまる国際学寮にいたことになる。学問はまったくしなかった。国際学寮から大学院に進んだ人も何人かいたから、学問に真面目に取り組んでいた人もいた。馬木君や井上さんと土方のバイトに良く行った。土方のバイトは北千住の水野勝吉さんのもとで働くのだ。水野さんと僕らの出会いは1969年4月28日の「4.28沖縄デー」に遡る。この日、ブンドのデモに参加してパクられた国際学寮の森君と警官に暴行してパクられた水野さんが同房だったのだ。留置場でのリンチの証言を求められたのがきっかけで二人は仲良くなり、国際学寮から何人もの学生が土方のバイトに行くことになる。馬木君の通夜が縁で集まった6人、同時代を生きたんだよね。井上さんが「馬木の会」としてまた集まろうと言っていた。賛成。