9月某日
「暗鬼」(乃南アサ 文春文庫 2000年10月)を読む。初出は1993年角川文庫である。たまたま図書館で目にした本だが、新聞やテレビ、週刊誌で話題となっているカルト宗教を思い起こされる内容となっている。両親、弟妹、祖父母に曾祖母という大家族が同居する一家に嫁いだ法子が主人公。東京郊外の小金井に広壮な屋敷を持ち他に何軒かの家作を持つ婚家の本業は米屋で、米穀以外にも燃料や調味料も扱っている。家族仲は睦まじく法子も何不自由のない生活を送っている。ある日、店子の一家が無理心中で亡くなるまでは。以下、中村うさぎの解説に沿ってこの小説の中身を見てみたい。中村は「家族とは、ひとつの宗教である」と断言し、「その教義や秘儀は、多かれ少なかれ、他者を戸惑わせるモノなのである」とする。私は毎晩の晩酌を欠かせない。私の実家もそうであったし、私の連れ合いの父上も酒飲みであったから、連れ合いも私の飲酒には好意的(?)である。しかし酒を呑む習慣のない家で育った女性と結婚していたらどうであろうか、そうとう悲劇的な晩飯風景となったのではなかろうか。中村はこの小説を「『家族という名の宗教団体』の得体の知れない暗闇を、外部からの闖入者である『嫁』の目を通して、きわめてミステリアスにグロテスクに描いている」とする。安倍元首相を狙撃した容疑者の母親は旧統一教会の信者となって教団への献金を繰り返し、家庭は崩壊した。中村は「時代とともに、日本の家族は解体した」とし、「家族を失うことで、我々は宗教を失」い、そして「新たな宗教観・世界観を求めて」「新興宗教や自己啓発セミナーに逃げ込んだ」と指摘する。1993年が初出のこの小説は、カルト宗教の現在を予感させるのである。
9月某日
「昭和史講義【戦後文化篇】(下)」(筒井清忠編 ちくま新書 2022年7月)を読む。この新書の袖には「『昭和史講義』シリーズの最終配本となるこの戦後文化篇の下巻では、さまざまなジャンルの映画作品とそれをつくった監督たち、テレビドラマからアニメ、雑誌に至るまで、百花繚乱のメディア文化を、19の観点から第一線の研究者がわかりやすく解説する」と綴られている。私の家に白黒テレビが入ってきたのは私が小学校の4,5年生の頃だったと思う。それまでの娯楽といえば漫画雑誌、トランプなどの室内ゲーム、空き地でのチャンバラそして映画であった。今でこそほとんど観なくなった映画だが、中学生くらいまでは夏休みや冬休み、GWには必ずといっていいほど映画館に行っていた。本書にも出てくる「ゴジラ」「明治天皇と日露大戦争」「若大将シリーズ」などは映画館で観た記憶がある。今でこそ映画監督は大学出が常識で、大島渚は京大、山田洋次は東大である。しかし本書によると、成瀬巳喜男も小津安二郎も木下恵介も黒澤明も大学を出ていない。「撮影所で育った叩き上げである」(第3講 成瀬巳喜男)。本書によれば劇作家の菊田一夫も大学出ではない。菊田は大学どころか「生地も実の両親も明らかではない。(中略)転々とした前半生なので、各地でゆかりの作家として紹介されている」(第13講 菊田一夫-歯を喰いしばる人生)。私は大学に入学すると再び映画を観るようになった。主として東映の仁侠映画である。本書によれば東映の「人生劇場・飛車角」(沢島忠監督 1963年)が仁侠映画の最初となっているが、1968年か69年に確か早稲田松竹で観たはず。シリーズの昭和残侠伝、網走番外地(いずれも高倉健主演)、緋牡丹博徒(藤純子主演)も観たねぇ。日本初の本格的劇場用アニメ「白蛇伝」も小学生の頃、劇場で観た。同作は東映動画の制作だが、「NHK朝の連続テレビ小説「なつぞら」(2019)の主人公・奥原なつのモデルとなったのは、東映動画に所属したアニメーター・奥山玲子である」(第15講 東映動画とスタジオジブリ)。
9月某日
「セカンドチャンス」(篠田節子 講談社 2022年6月)を読む。惹句に曰く「50歳を過ぎても、敗者復活(セカンドチャンス)の大逆転!」「麻里、51歳。長い介護の末母親を見送った。婚期も逃し、病院に行けばひどい数値で医者に叱られ、この先は坂を下っていくだけと思っていたが…」「水泳教室に飛び込んだら、人生がゆるゆると転がりだした」「人生、まだまだ捨てたもんじゃない」。主人公の通うスポーツジムは「プレハブのようなかまぼこ形屋根の平屋建てだ」。大手のスポーツジムとは大違い。主人公と主人公が通うジムにはポンコツ手前という共通項があるのだ。しかし主人公を加えた4人のチームはマスターズでの入賞を果たす。
9月某日
「新選組の遠景」(集英社 野口武彦 2004年8月)を読む。著者の野口武彦は1937年東京生まれ。早稲田大学文学部卒業後、東京大学大学院博士課程中退。神戸大学文学部教授を経て著述業。本書はタイトル通りに新選組のちょっとしたエピソードを残された資料から検証していく。近藤勇、土方歳三、沖田総司らは剣の遣い手として知られているが、彼ら3人の属した剣術の流派は天然理心流である。この流派は「剣術・柔術・棒術・気合術を総合した武術」で「勝つためには何でもやる下卒の兵法なのである」。また天然理心流は集団戦法を得意とした。近藤や土方は三多摩の農家の出身で「新選組には農村自警団の延長といった一面がある」。幕末、京都における過激派浪士の取り締まりには打ってつけと言える。新選組だけでなく幕軍全体が鳥羽伏見の戦いで薩長らの官軍に敗北する。これが戊辰戦争の行方を決定づけるのだが、土方は「武器は鉄砲でなければだめだ。自分は刀と槍で戦ったが、何の役にも立たなかった」と述懐している。土方は会津、蝦夷と転戦するが鳥羽伏見の戦いを教訓にして銃を中心とした近代戦に切り替えていく。野口武彦が早稲田大学在学中はちょうど60年安保の最中で、野口は日共の構造改革派リーダーだったという。