モリちゃんの酒中日記 10月その3

10月某日
「大東亜共栄圏-帝国日本のアジア支配構想」(中公新書 安達宏昭 2022年7月)を読む。本書によると大東亜共栄圏という語句が使われたのは1940年8月、第2次近衛内閣の松岡洋右外相が「当面の外交方針は大東亜共栄圏の確立を図る」と記者会見で述べたのが初めてという。80年以上前のことであるが、本書を読むと随分と現代にも通じるものがあると感じた。最近使われる「開かれたインド、太平洋」という言葉だって地理的には大東亜共栄圏と近いものがある。大東亜共栄圏の理想は、ヨーロッパ共同体(EU)のような東アジア共同体であったように思う。しかしその現実は英米蘭の東南アジア植民地を帝国日本の支配下に置き、食料や石油などの天然資源を収奪するというものであった。アメリカとイギリスの植民地であったフィリピンとビルマは独立したが、形式的な独立で実際は日本の軍部に従属させられていた。戦後日本の食料や石油を輸入に頼らざるを得ないという現実は、大東亜共栄圏の時代と変わらない。本書の副タイトルとなっている「帝国日本のアジア支配」ではなく平等互恵の精神による東アジア共同体構想が求められているのではないか。

10月某日
「日本解体論」(白井聡・望月衣塑子 朝日新書 2022年8月)を読む。政治学者の白井と東京新聞記者の望月との対談集。白井は左派の論客、望月は仮借のない政権批判で知られる。日本の全体的な政治状況や論壇、マスコミの状況をみると左派、リベラルの旗色は悪く、保守派、右派の勢いが増しているように思う。安倍晋三政権以降とくにその感が強い。そのなかにあって白井と望月は貴重な存在と言える。本書でも言及されているが、私は伊藤詩織さん問題は日本の劣化を象徴しているように思う。ジャーナリストの伊藤詩織さんがTBSテレビの政治部記者の山口敬之氏を準強姦容疑で被害届を提出、しかし不自然な逮捕令状の取り消しなどがあってその後、不起訴になった件だ。山口氏が安倍元首相と近く、警視庁幹部はそれを忖度したのではないかといわれた。民事訴訟では詩織さん側が勝訴した記憶があるが山口氏側は控訴した筈である。酒を強要して泥酔させホテルに連れ込んでことに及ぶという山口氏の卑劣な行いはい詩織さんの手記で明らかにされている。性被害を被害者が顔出し実名で告発するのは異例のことだ。しかし詩織さんの行動は#MeToo運動に繋がっていく。一方でひどい詩織さんタタキもあった。本書ではそんな現代日本の劣化した現実がいくつも明らかにされる。私たちはその現実に絶望感に近いものを感じるのだが、その現実に果敢に切り込んでいこうとする望月記者に希望も抱くのである。この対談が行われたのは東京オリンピックを巡る汚職事件で電通の高橋元専務が逮捕される前だが、本書は「東京五輪の悲劇的状況」として金まみれの東京オリンピックをきちんと批判している。

10月某日
上野駅の公園口で香川さんと待ち合わせ国立東京博物館へ。創立150周年ということで企画展示は国宝展。甲冑や刀剣、仏像それに肖像画などが展示されていた。入り口を間違えたのか一般客とは逆のまわり方をしてしまった。博物館や美術館は障害者手帳を提示すると本人と介助者1名が無料で拝観できる。そのせいか、どうも私の拝観態度は真剣味に欠ける傾向があるようだ。早々と東京博物館を出て上野駅に向かう。上野駅構内の「つばめグリル」で夕食。「つばめグリル」は品川駅前にもある。なんとなく上野駅や品川駅に似合う気がする。「つばめ」は特急「つばめ」から来ているのだろうか。だとしたら東京駅にもあるかも知れない。上野駅で香川さんと別れ私は常磐線で我孫子へ。我孫子で駅前の「しちりん」に寄る。

10月某日
円安と物価の上昇が止まらない。円安が輸入物価を押し上げロシアのウクライナ侵攻が原油や小麦価格を高騰させている。物価の上昇も賃金の上昇をともなえば持続的な経済成長を期待できるのだが、現状は賃金の上昇をともなわない「悪いインフレ」である。円安の主因は米国の利上げと日本の金融緩和政策の継続にあると言われている。黒田東彦日銀総裁は金融の緩和政策は継続すると発言している。国の借金は1000兆円といわれている。金利が1%上がると金利負担は10兆円。利上げに踏み切ろうにも踏み切れない事情があるのだ。岸田首相も旧統一教会問題に加えて円安と物価上昇、まさに一寸先は闇の状態だ。

10月某日
「自発的隷従の日米関係史-日米安保と戦後」(松田武 岩波書店 2022年8月)を読む。著者の松田は1945年生まれ、79年にウィスコンシン大学大学院歴史研究科修了、京都外国語大学の前学長。日米関係を分析するにあたっての基本的視点として、米国の対日政策は「善意からではなく、明確に自覚した自らの国益に基づいた」ものであり続けるとし、さらに米国の国民の大半が日本人が米国を知っているほどには「日本について知らない」としている。1941年12月8日に始まったアジア太平洋を舞台とする日本の対米戦争は45年8月15日に日本の完全な敗北をもって終わる。それ以降の日米関係は著者のいう「自発的隷属」であった。自発的隷属関係は戦後だけでなく、戦前から「米国の力を利用して競争力を高め、身に付けたその競争力を武器に、米国と競争し対峙する」という形で存在した。これは「いわば対米従属・『面従腹背型』の日米協調戦術」だったわけである。アメリカは独立した時点で共和制を宣言し、自由と独立(国家と個人の)を重んじた。それにたいして近代日本は天皇制と農耕文化のもとに出発した。個人よりも共同体が重視され共同体の意志に逆らうと村八分にされた。50年以上前に東大全共闘により安田講堂に落書きされた「連帯を求めて、孤立を恐れず」のスローガンはいまだに有効なのだ。

モリちゃんの酒中日記 10月その2

10月某日
内神田の「跳人」で大谷さんと待ち合わせ。大谷さんが来る前に店員の大谷さん(同じ苗字)と雑談。土方歳三の生涯を描いた司馬遼太郎の「燃えよ剣」を読みたいそうだ。何でも京極夏彦の土方を扱った小説を読んで土方に興味を持ったようだ。京極ではなかったかもしれないが、分厚くて持ち運びに苦労すると言っていたので多分京極だろう(京極の小説は分厚くて定評がありサイコロ本と呼ばれているそうだ)。大谷さんが来たので本格的に呑み始める。今日はビールに始まってウイスキー、日本酒、焼酎を一通り呑む。帰りは神田から京浜東北線で大谷さんは川口まで、私は上野から常磐線で我孫子まで。我孫子で「しちりん」による。

10月某日
「道」(白石一文 小学館 2022年7月)を読む。並製で500ページを超える長編である。「道」というのはニコラ・ド・スタールという人の描いた絵画のタイトルで、この絵はこの本の扉にも使われ、小説でも重要な役割を演ずる。主人公の功一郎は高校受験のときに手痛い失敗をしてしまう。合格間違いなしと思われていたので、そのことを母親に言い出せずにいる。母親が家政婦として働いている富豪の家に遊びに行ってその絵「道」に出会う。絵を見つめていると突然、絵に引き込まれてしまう。引き込まれたのは受験の前の世界である。この世界で功一郎はなんなく高校受験に成功する。2021年の2月、功一郎は食品会社の我孫子工場の責任者となっている。しかし女子大生の娘を交通事故で亡くし、それが原因で妻は重篤なうつ病を病み自殺未遂を繰り返す。功一郎は再び絵の前に立ち、娘が交通事故に逢った現場に時空を移動し、娘を助ける。まぁ荒唐無稽な話しなんですが、功一郎の働く我孫子の描写はリアル。功一郎が贔屓にしている我孫子の鰻屋「木暮屋」は天王台駅近くに実在する。東日本大震災をはじめとしてこの世には悲惨な災害、事故、事件が絶えない。最近では元首相への銃撃事件とかウクライナ戦争、コロナもあるしね。別の世界を思い浮かべたくもなるよね。

10月某日
有楽町のふるさと回帰支援センターに大谷さんと高橋公理事長を訪問。11月3日の同センター20周年記念レセプションの件。有楽町からバスでトリトンスクエアの㈱日本建築住宅センターの合田純一社長に面談、レセプションに出席とのこと。トリトン発のバスで有楽町へ。途中双子用の乳母車に双子の赤ちゃんを乗せた若いお母さんが乗車、バスの若い運転手が乗降を手伝う。有楽町で下車。大谷さんはJRへ、私は千代田線の日比谷から大手町へ。社保険ティラーレで吉高会長、佐藤社長と面談。帰りは神田から上野経由で我孫子へ。

10月某日
「昭和史講義【戦後文化篇】(上)」(筒井清忠編 ちくま新書 2022年7月)を読む。「日本が迫られている課題・問題と格闘した」思想家や作家、運動がとりあげられている。第1講の「丸山眞男と橋川文三-昭和超国家主義の転換」から第19講の「全共闘運動-課題と遺産」まで、中には興味をひかないものもあったが、私にはおおむね面白かった。例えば宇野重規の「福田恒存と保守思想」は「福田は日本の近代が脆弱であると知りつつ、それでも世界における日本の役割を模索したように思う。それが福田の『保守』だったのではなかろうか」という文章で結ばれている。「獅子文六と復興」(牧村健一郎)では戦後、戦犯指定に怯えつつも文壇復活を果たした文六を「戦前、戦中、戦後の昭和と並走、同伴した作家だった。ただ、時代に埋没したわけではない。フランス仕込みの個人主義とクールな視点が、作品に批評性を持たせた」と評価する。戦後の一時期流行した「葦」や「人生手帖」という人生雑誌というメディアについては「勤労青年の教養文化」(福間良明)の項で、これらの人生雑誌には「『想像の読者共同体』と反知性主義的知性」があったと論じている。今はほとんどの中学生が高校に進学し、大学への進学率も60%を超えていると思うが、私の中学時代、高校に進学しない人が20%くらいいたし、大学進学率も30%未満だったように思う。高校や大学への進学を断念しながらも知性へのあこがれを持ち続けた人たちには「反知性主義的知性」が必要だったのかも知れない。

10月某日
円安が止まらない。直接的な原因はアメリカが金融引き締めを意図して金利の引き上げに舵を切っているのに対して、日本は金融の緩和、ゼロ金利政策をとっているためだろう。だが日本の国力、経済力の低下により円が売られているという側面もあるに違いない。30年ほど前はジャパンアズナンバーワンといわれ、日本資本がアメリカの著名なビルや企業を買って顰蹙を買ったりしたものだ。今や賃金は上がらず、賃金水準は韓国にも抜かれたらしい。少子高齢化に対する無策も円安に拍車をかけているのではなかろうか。教育環境や研究環境の地道な見直しが求められているように思う。

モリちゃんの酒中日記 10月その1

10月某日
「自民党の女性認識-『イエ中心主義』の政治指向」(安藤優子 明石書店 2022年7月)を読む。著者の安藤優子は上智大学在学中にニュース番組のアシスタントとしてデヴュー。のちにニュースキャスター。上智の大学院博士課程後期・満期退学。この本は博士論文をもとにして書かれた。戦後の保守党が女性や女性議員をどう見てきたかを社会学的な観点から解説した、というふうに私なりに本書をまとめてみたが、1970年代以降の政治過程を振り返ることにもなっており、面白かった。私が社会人となったのが1972年で、私の社会人時代と本書の叙述する時代がおおまかにいえば一致する。私が少しびっくりしたのが70年代から80年代にかけて、保守派の論客、佐藤誠三郎や村上泰亮、公文俊平、香山健一らが自民党に一定の影響力があったことだ。影響力があったにもかかわらず。実際の政治家の意識はそれによってほとんど影響されなかった。安倍元首相の国葬に関連して村上誠一郎という自民党の代議士が安倍元首相のことを国賊と呼んだとかで安倍派の議員が何らかの処分が必要と言いだしているという。自民党は党名のとおり自由で民主的な党ならば、党内での言論の自由は保障されるべきである。自民党にはかつて宇都宮徳馬、松村謙三らの良識派といわれた議員が存在し、それが自民党の政策の幅の広さを保障していたように思う。安倍派は90数名と突出した国会議員数を誇っている。それが安倍派の独裁へと進むのなら自民党にとって不幸であり、日本にとっても不幸だ。

10月某日
「小暮荘物語」(三浦しをん 祥伝社文庫 2014年10月)を読む。小田急線の急行通過駅・世田谷代田から徒歩5分にある、ボロアパートの住民を巡る連作短編集。大家は会社を定年退職し一戸建ては持ってはいるが、妻も含めて同居する家族との関係が面倒で、小暮荘に愛犬とともに転居してきた小暮。住人は小暮を入れて5人。1室は空室である。小暮の隣は女子大生の光子、セックスフレンドが何人かいる軽薄な女として登場するが、実は彼女は妊娠できない肉体を抱えている。光子に限らず小暮荘の住人には大家の小暮を含めて悩みを抱えている。それぞれの短編が面白かったが、私の一押しは「柱の実り」。アパートの住民でトリマーをやっている美禰と中年のヤクザ、前田との純愛物語である。三浦しをんは困難な現実に直面する庶民をユーモラスに描く。「絶望の虚妄なるは希望の虚妄なるに相同じ」とする魯迅と似た視点だ。

10月某日
「味なメニュー」(平松洋子 新潮文庫 2018年12月)を読む。このところ平松洋子の食にまつわるエッセーにはまっている。以前読んだ立ち食いソバを食べ歩くエッセーも面白かったが本書も和食、洋食、居酒屋その他を食べ歩くエッセーである。もちろん立ち食いソバもある。基本的に庶民の食べ物である。カレーでは代々木の「ライオンシェア」、銀座の「ニューキャッスル」が紹介されている。立ち食いソバは銀座の「よもだそば」と新橋の「そば作」そして中野駅北口の「かさい」。「立ち食いソバ」の章は「立ち食いそばの数だけ、とっておきの話がある。一杯のそばにこもっているのは、知恵と工夫のエッセンス。その豊かさに手招きされて今日も足が向く」という文章で結ばれている。平松洋子は職人に対するリスペクトの念が強くある。料理、食事に対するあくなき興味はそのリスペクトに支えられている。「新橋駅前の楽園で」という章では「ニュー新橋ビル」に出店しているお店が紹介されている。このビルには思い出がある。大学を卒業してから三つ目に務めたのが新橋烏森口にある業界紙。ニュー新橋ビルにはランチにも行ったし酒も飲みに行ったものだ。地下の居酒屋にもいったし、1階の酒屋では確か立ち飲みもやっていた。2階のスナック「T&A」は常連となって20年くらい通ったが今はもうない。

10月某日
「味なメニュー」でニュー新橋ビルのことを読んだらテレビでそのビルのことがとりあげられていた。番組は「ビルぶらレトロ探訪」、新番組で、俳優の梶原善が昭和から建つ「オヤジたちの楽園」のビルを訪問するというもの。初回は1階のスタンド洋食と生ジュースの店、そして2階の中国人経営のマッサージ店が紹介されていた。1階はチケットの安売り店が多く進出、2階はマッサージ店に占拠されているような状態だった。私が通っていた頃の面影もない。昭和は遠くなりにけりである。梶原善は「鎌倉殿13人」で殺し屋の善次役を好演した。素の梶原はとぼけた味を出していた。次回もニュー新橋ビルを取り上げるという。たぶん地下の居酒屋だろう。

10月某日
雨が降って寒い。翌日の朝刊には今季最低の11.3度を記録したとあった。マッサージの後、そのまま我孫子駅へ。千代田線一本で大手町、雨のなか社保研ティラーレへ向かう。途中の葉菜海家という居酒屋風食堂でランチ。焼き魚と味噌汁、お漬物それに小鉢を選べる。私は納豆を選ぶ。納豆にウズラの生卵はかかっていたのがうれしい。値段は850円だが「ごはん少な目で」と頼んでいたので50円引き。社保研ティラーレで次回のフォーラムの打ち合わせを終わって神田駅から有楽町駅へ。ふるさと回帰支援センターの高橋ハムさんに面会。センターが20周年でパーティを開催するとのこと。何人かの声掛けを頼まれる。銀座から地下鉄銀座線で虎ノ門へ。フェアネス法律事務所で渡邊弁護士と面談。面談後、今村渚弁護士が下関の父上の弁護士事務所で働くことになったと挨拶に来る。何かの折に学生運動の話になったとき、今村さんが「私の父も学生運動をしていたんです」と話した。聞けば東大闘争のときの東大教養学部の自治会委員長だそうな。厚生省OBで私と同世代の東大出身者に聞くと「確かに今村という委員長だった。美青年だったよ。娘も美人か?」と。今村さんはとても可愛い人です。雨のなか歩くのが面倒なので虎ノ門から上野、上野から我孫子へ。我孫子駅前の「しちりん」で一杯。

モリちゃんの酒中日記 9月その3

9月某日
「星屑」(村山由佳 幻冬舎 2022年7月)を読む。ジャンルでいえば「芸能小説」かな。ときは1970年代後半、博多のライブハウスでジャズを歌っていた少女ミチルは芸能プロダクションの桐江にスカウトされる。著名な作曲家、高尾のレッスンでミチルの歌には磨きがかかる。芸能プロの専務の娘で社長の孫でもある真由とコンビを組むことになる。最初は反発し合う2人だが、徐々に互いを認め合っていく。ヨーロッパで活躍するロックバンドに才能を見出されたミチルはロンドンに旅立つ。芸能界での成功物語だが、女性マネージャーの桐江の成長譚もサブストーリーとして読める。70年代後半といえば職場の女性差別は露骨にあった。芸能界でも例外ではなく桐江も女性であるうえに短大卒ということもあって、マネージャー業を本格的に任せられているわけではなく雑用に振り回されている。ミチルと出会いが桐江の運命もかえていくのだ。村山由佳の小説は伊藤野枝の生涯を描いた「風よあらしよ」を読んだのが最初。同作は最近、NHKでテレビドラマ化されて伊藤野枝は吉高由里子が好演していた。でも星屑はテレビや映画よりアニメーションが向いていると思う。

9月某日
ほぼ1週間ぶりで東京へ。14時近くに神田駅到着。昼ご飯がまだだったことに気づき飯屋を捜す。しかしここらは13時30分か14時でランチタイムが終わってしまう店が多いようだ。ようやくオープンしている中華屋を見つけ「五目焼きそば」を食べる。15時前に社保研ティラーレを訪問、佐藤社長と吉高会長と雑談していると、松下政経塾で学んでいる宗野君が来る。佐藤社長と宗野君の3人で赤坂の医療科学研究所の江利川理事長を訪ねる。江利川さんが厚生省年金局の資金管理課長時代から親しくさせてもらっている。今から30年以上前の話だ。江利川さんはその後、年金課長、薬務局経済課長といった難しいポストを歴任、海保保険法が国会で審議されていた頃は担当の審議官だった。内閣府に移って官房長、次官を務める。退官後、一時証券会社系のシンクタンクの理事長を務めたが、厚労省がいろいろな問題を抱えていたとき、厚生労働省の次官に就任。内閣府、厚労省と中央官庁の次官を二度も務めるのは異例である。江利川さんはその後、人事院総裁に就任、民主党政権下で「筋を通した官僚」として知られる。江利川さんが予約してくれた南欧料理の店「月の市場」へ移動。ほどなく武田製薬からゼンセン同盟に出向している永井さん、年友企画の岩佐さんが来て全員が揃う。江利川さんは内閣主席参事官も勤め官邸の勤務も長い。今の官邸官僚に対してはかなり厳しい評価、さもありなん。

9月某日
「この30年の小説、ぜんぶ-読んでしゃべって社会が見えた」(高橋源一郎・斎藤美奈子 河出新書 2021年12月)を読む。高橋源一郎は1951年1月生まれ、東大の入試が中止になった1969年に京都大学を受験するが不合格、横浜国立大学に入学する。学生運動の活動家になり1970年2月に凶器準備集合罪で逮捕起訴され、8月まで東京拘置所で過ごす。元活動家で作家になった人って小嵐九八郎くらいかな。思想家の内田樹は東大の革マル派の活動家だったらしいけれど。斎藤美奈子は1956年生まれ、新潟高校から成城大学経済学部卒。父親は新潟大学名誉教授の物理学者、妹は韓国文学の翻訳家の斎藤真理子。高橋源一郎にも斎藤真理子にも私は親近感を持つけれど、まともに著作を読んだことはなかった。この本は「SIGHT」という雑誌で2005年から始められた「ブック・オブ・ザ・イヤー」という名称の対談がもとになり、「すばる」での対談や「語り下ろし」が加えられている。この本で取り上げられた小説のほとんどは読んでいない。私が小説や評論を読みだしたのは、会社を辞めた後の2019年だから無理もないのだけれど。最終章の「コロナ禍がやってきた-令和の小説を読む(2021)」ではさすがに、半分くらいの本を読んでいた。しかし二人の発言には共感するところが多かった。共感した箇所に付箋を貼っておいたのだが、あとで確認するとほとんどが高橋の発言だった。斎藤に共感しなかったわけではなくて、たぶん斎藤が挑発役となり高橋がまとめ役という役割分担がなされたためではなかろうか。以下、付箋部分。
「ほんとうに社会のことが知りたいのなら、小説を読むべきなのである。…小説家たちは誰よりも深く、社会の底まで潜り、…そのすべてを小説の中で報告してくれるのだから」(はじめに)。「おもしろいのは、やっぱり3.11以降のひとつの問題は、原発に反対する側がシリアスになり過ぎていることなんだよね。厳しい問題であるほどユーモアが必要で、あんまり厳しい顔をしていると反対も続かないと思うんだ」(第2章)。「やっぱり小説は、どこかで不遜な、野蛮なものであってほしい。…作家は、守るべきモラルもあるけど、大抵のことは守らなくてもいいっていうのが、実は小説の、ある種の生命線だと思っている」(第3章)。田中康夫の「33年後のなんとなく、クリスタル」に触れて、高橋は「なんクリ」の解説で、「この本は資本論」としたうえで「33年後に問題になっているのは…レーニンの帝国主義論」「だから、このあとは『実践論』だね。毛沢東の(笑)」(第4章)。「3.11の問題にしても、原発の問題にしても、昨日今日始まったんじゃなくて、この社会が生んだ必然的な帰結だとするなら、明治維新から描かなきゃダメだろうと」(同)。高橋は自身のラジオ番組で女性作家の作品ばかり選んでいるという指摘に「結果として女性のものが圧倒的に多い。小説だけじゃなく、詩でも短歌でも…気になる言葉を発信している人たちは、どこかでマイノリティの声を代弁している。すると必然的に女性が多くなる」(第6章)。ブレイディみかこの「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」について「しかもこれがすごく売れたのがいいですね。理想の社会を生きているから羨ましいんじゃなくて、そこで起きている葛藤が羨ましい」(同)。コロナについて「感染症は単なる病気じゃなくて、文明の病なんですね。文化や文明と交流するようになって初めて、感染症が一つの地域を超えて伝播していった」(同)。コロナ禍と3.11はどこかで通底しているのだ。

9月某日
午前中にマッサージを受ける。11時からの予約だったが15分ほど遅刻してしまった。12時に自宅に帰り昼食。我孫子から各駅停車で大手町へ向かう。社保研ティラーレで次回の「地方から考える社会保障」の打ち合わせ。吉高会長、佐藤社長と私、それに松下政経塾生の宗野君が加わる。吉高会長と私が70代、佐藤社長が50代、対して宗野君は30歳前後で新鮮な意見を言ってくれるのでうれしい。17時45分に御徒町の吉池食堂で前の会社の同僚の石津さんと待ち合わせているので17時に社保研ティラーレを辞去。吉池食堂へ行くと金曜日ということで結構混んでいた。カウンターに案内されてメニューを見ていると石津さんが登場。2時間ほど食べて呑んで喋って帰る。家で大分の焼酎「銀座のすずめ」の封を切り呑み始める。旨い。