モリちゃんの酒中日記 11月その4

11月某日
「親鸞-主上臣下、法に背く」(末木文美士 ミネルバ書房 2016年3月)を読む。サブタイトルの「主上臣下、法に背く」は、親鸞が主著の「教行信証」で仏法に背いて念仏教団(後の浄土真宗)を弾圧した朝廷を厳しく糾弾した文章の一部である。著者の末木文美士(すえき・ふみひこ)は1949年山梨県生まれ、1978年東大大学院博士課程単位取得退学。現在、東大名誉教授。親鸞はいうまでもなく浄土真宗の開祖である。私の世代では吉本隆明が「最後の親鸞」などでその思想を高く評価したことで知られる。私は「最後の親鸞」も数十年前に読んだ覚えはあるが中身はよく覚えていない。しかし親鸞の言葉を弟子の唯円が残したとされる歎異抄の「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人おいておや」という親鸞の言葉は覚えている。親鸞は私にとって「気にかかる人」であったことは確かだ。仏教についての基礎知識が乏しい当方にとって本書を読み進むことはかなりしんどいことではあった。だが著者の示す親鸞像の一端は理解できたかもしれない。著者は終章で、従来の親鸞像は、「中世という暗黒時代に、突如宇宙人が舞い降りるように出現した宇宙人」のように描かれてきたが、そうではなく、「中世という時代の中で、その時代を最も真摯に生き抜いた思想家として親鸞を読み直そう」と書いている。
著者は親鸞についての史料をA親鸞自身が書き残したものB弟子等による伝聞を残したものC親鸞死後の伝聞や伝説に分類している。Aは教行信証をはじめとした親鸞の著作でありBの代表的なものが歎異抄である。著者は近代以降、歎異抄がきわめて重視され教行信証以上に評価されてきたことは「きわめておかしなことであり、今日、根本的に改められなければならない」としている。著者の立場としては歎異抄の価値を否定することではなく、記録した唯円の主体的な立場という観点から読み取り、評価すべきと主張する。唯円の主体的立場とは「親鸞の教えを東国において真摯に受け止めた」唯円の立場ということである。中世の東国は中心地の京都からすれば辺境であったろう。親鸞は越後での流人生活のあと京都には帰らず東国へ向かう。東国での拠点は常陸国笠間郡稲田郷の稲田草庵であった。越後から笠間まで当然、徒歩による移動である。親鸞は90歳まで生きたとされる。当時としては相当な長寿である。本書で私が学んだことの一つは史料批判の大切さである。それと伝記の類は情緒的に読まないほうがよろしいのでは、ということである。

11月某日
テレビでクリントイーストウッドが監督と主演した映画「グラントリノ」を見る。フォードの工場を定年で退職し妻にも先立たれた孤独な老人ウォルトをクリントイーストウッドが好演。自分の住む町に引っ越してきたモン族の少年タオとの交流が始まる。モン族はベトナムやラオスに分布する山岳民族だが、ベトナム戦争で米軍に協力したことから共産政権の成立に伴いアメリカに亡命したらしい。タオを付き合っていたモン族の不良グループと訣別、ウォルトの紹介で手に職をつけ始める。ウォルトは肺がんで余命が幾ばくも無いことを知る。不良グループは報復にタオの姉を強姦する。不良グループに面談するウォルト、ピストルをちらつかせる不良グループ。ポケットに手を入れたウォルトは短銃を取り出そうとしたと誤解した不良グループに射殺され、不良グループは収監される。もちろんすべてはウォルトが仕組んだことで葬儀のときに自宅は教会へ、愛車のグラントリノはタオに遺贈されると発表される。クリントイーストウッドは1930年5月生まれ。高倉健は1931年2月生まれ、同じ学年である。クリントイーストウッドは西部劇から高倉健は仁侠映画からスタートして演技派俳優に変身した。どちらも好きなんだよね、私。

11月某日
「韓国併合-大韓帝国の成立から崩壊まで」(森万佑子 中公新書 2022年8月)を読む。私は韓国の歴史についてはほとんど無知であったことをこの本を読んで知らされた。朝鮮半島には古くから朝鮮民族による国家が成立していた。日本列島に国家が成立した以前から朝鮮半島には国家が成立していたと考えられる。その差は中国に対する距離的な遠近が影響したと思われる。朝鮮半島に成立した国は中国と朝貢関係を結んだが、日本列島に成立した国は相対的に独立していた。もっとも福岡県で出土した金印に「漢委奴国王」と記されていたように中国に冊封されたケースもあるし、豊臣秀吉のように朝鮮半島、中国大陸への侵略を企てた者もいる。大韓帝国の源は1392年に建国された朝鮮王朝で中国大陸は女真族の清王朝が支配していた。朝鮮王朝は清から冊封を受けたが、清に倒された明王朝に親近感を持っていたとされる。明王朝は漢民族であり朝鮮は明から儒教、科挙、衣冠制度などを受け継ぐ。中華文明は清ではなく朝鮮が受け継いでいるというプライドがあった。明治維新以降朝鮮半島はロシアと日本、清からの干渉にさらされる。日清戦争を経て朝鮮は清からの支配を脱し、清との冊封関係を絶って大韓帝国が成立する。しかし日本からの間接的な侵略、直接的な干渉は続く。大韓帝国は日本の保護国となり、1910年に併合される。日本にとって朝鮮は江戸時代まで文化の先進地域であった。仏教も文字も朝鮮半島を経由して日本にもたらされた。明治維新までは日本人は朝鮮とその背後の中国王朝には尊敬の念を抱いていた。明治以降、欧米列強と同じように帝国主義的な進出を意図し、ついには植民地支配や侵略に繋がっていくわけである。

11月某日
学生時代、同じサークル(早大ロシア語研究会)だった長田君と同じく学生時代、同じ寮(江古田の国際学寮)だった友野君と千代田線乃木坂駅の青山霊園側改札で待ち合わせ。亡くなった尾崎(森)絹江さんの娘さんが夫とやっているフランス料理に行く。政策研究大学院大学の脇を通ってお寺もある静かな通りにその店はあった。店には私たちしかいなく結局、13時から16時過ぎまで店にお邪魔していたことになる。尾崎さんの夫でやはりロシア語研究会にいた森君とも電話で話すことができた。乃木坂で長田君と友野君と別れ、私は国会議事堂前で南北線に乗り換え市ヶ谷へ。市ヶ谷ルーテルホールへ。荻島良太さんのサキソフォンリサイタルに行く。川邉さん、吉武さん、大谷さんと一緒。荻島さんのリサイタルは久しぶり。素人の私が言うのもなんですが、難曲と思われる現代音楽風の曲を体も使いながらこなしていた。コロナ禍ということもあって客の入りはいまいちだったが、生意気を言わせてもらえば若い人の成長する姿を見るのはいいものだ。

11月某日
「悪と往生-親鸞を裏切る『歎異抄』」(山折哲雄 中公文庫 2017年1月)を読む。末木文美士の「親鸞」に続いての親鸞本である。末木は唯円が親鸞からの聞き書きを記録した歎異抄を主著の教行信証以上に評価されているのは如何なものかという立場であったが、本書はもっぱら歎異抄から親鸞と聞き手の唯円の思想を探ろうというものだ。山折は唯円に対して聞き手としてだけではなく、歎異抄の編集者としての立場を認めている。親鸞の思想をどのようにインタビュー記事としての歎異抄のなかで表現していくか、そこに編集者としての唯円の立場がある。山折はそうした唯円の立場を「唯円の二重性」と表現する。「師の言葉をひとしずくももらすまいと耳を澄ましている唯円」と「親鸞の言葉を背にして『異端』の道にふみ迷う弟子たちに立ち向かっていく、戦闘的な唯円」である。前者がインタビュアー、後者が編集者としての唯円である。本書には巻末に「『歎異抄』の参考テキスト」が収録されている。初めて通読したが、十分に理解したとは言い難し!