モリちゃんの酒中日記 12月その1

12月某日
「還りのことば-吉本隆明と親鸞という主題」(吉本隆明 芹沢俊介 菅瀬融爾 今津芳文 雲母書房 2006年5月)を読む。菅瀬と今津は浄土真宗本願寺派の僧侶である。親鸞に関する本を何冊か読んできたが、私には吉本隆明の言う親鸞の偉さがよく理解できなかった。私は仏教にしろキリスト教、イスラム教、オウム真理教にしろ教団と過激党派との類似性が気になった。イスラム原理主義者たちはいまだに世界各地でテロを繰り返しているし、中世の十字軍はキリスト教徒によるアラブ世界への侵略だったと言えなくもない。日本の中世でも仏教教団が僧兵という軍事組織を持っていたし、浄土真宗の門徒が各地で蜂起(一向一揆)している。半世紀近く前になるが日本の過激派もテルアビブ事件や連合赤軍事件、連続爆破テロ、凄惨な内ゲバ殺人を繰り返した。過激な党派は一種の教団と言えるのではないか。現代日本の宗教各派が平和的に宗教活動を行っているのは、各派が一応は「外に開かれている」からではないか。政治党派にしろ宗教教団にしろ「内にこもった集団」となると危険な暴力集団へ変身してしまう可能性がある。オウム真理教や連合赤軍がその例である。

12月某日
サッカーのW杯カタール大会で日本はドイツに続きスペインにも勝利、2大会連続で準決勝に進出。12月3日の朝刊ではこのように報じられていた。私は昨日、朝4時起きでスペイン戦をテレビ観戦した。予定をしていたわけではなくちょうど目が覚めてしまったのだ。もともとサッカーファンでもないし。でも試合を見ていると不思議に引き込まれてしまった。欧米や南米でサッカーが人気ナンバーワンのスポーツであることもなんとなく理解できたように思う。サッカーやラクビーのゲームを観ていると戦争映画の戦闘シーンを観ているような気がする(個人の感想です)。スポーツって戦闘の代替行為と言えなくもない。テレビ観戦を終え6時過ぎに再び就寝。11時に起床、朝食後マッサージへ。マッサージ師の青年との話題もサッカー。

12月某日
「世界は五反田から始まった」(星野博美 ゲンロン叢書 2022年7月)を読む。著者の星野博美は1966年生まれ、国際基督教大学卒。ノンフィクション作家だが写真家でもある。私は星野が自身のルーツを探った「コンニャク屋漂流記」を面白く読んだ記憶がある。星野のルーツは千葉県の房総なのだが、祖父の代から五反田に居を構え、住居にバルブなどを製造する工場(星野製作所)を併設した。星野製作所は父親の高齢化や取引先の事業終了にともない昨年、事業を終えている。で、本書は主として五反田における星野家三代の歩みと五反田という街の歴史をたどったものだ。五反田というと私にとっては取引先の全社連(全国社会保険協会連合会)があって、何回か通ったことがある。駅前に五反田有楽街という盛り場があって、かなり場末感の漂う街だったように思う。もっとも全社連はその後、品川に引っ越してしまい私が行くこともなくなった。星野製作所は五反田から東急池上線で2つ目の戸越銀座の近くにあった。銀座の名前が付く商店街は日本各地にあるようだが、東京では戸越銀座と江東区の砂町銀座の存在が知られる。祖父が始めた星野製作所は昭和一桁生まれの父が継承する。戦前の五反田界隈は町工場が密集する地域だった。今では町工場の跡地にはマンションが林立している。町工場が密集していたということはそこに働く労働者が多かったことを意味する。それで戦前はそれらの労働者をオルグするために日本共産党員も五反田あたりにはいたようで、かの小林多喜二の「党生活者」に出てくる倉田工業は実在の藤倉電線の五反田工場がモデルであった。戸越銀座の近くにある武蔵小杉の商店会から満洲へ移住した人が多かったエピソードや太平洋戦争末期の数次にわたる東京大空襲の被害の模様も綴られる。棄民とされた満洲移民に星野はもちろん同情を隠さない。しかし星野の視点は満洲移民によって土地を奪われた中国の民衆にも及んでいる。中国大陸や朝鮮半島、東南アジアへの日本軍国主義の侵略にも目を背けないという姿勢ですね。

12月某日
「小説家の一日」(井上荒野 文藝春秋 2022年10月)を読む。井上荒野は1961年うまれだから来年62歳になるんだね。父親は小説家だった井上光晴。出家する前の瀬戸内寂聴(晴美)と井上光晴との恋愛を描いた小説「あちらにいる鬼」は寺島しのぶと豊川悦司の主演で現在上映中。「小説家の一日」にも井上光晴と思われる父親が出てくる一編がある。「好好軒の犬」というタイトルの短編がそれで妻の「私」の目から見た小説家の夫、光一郎と娘の海里が描かれる。「小説家になる前、光一郎は革命家になろうとしていた。この世界を変えようとしていたのだ」「小説は光一郎にとって、革命の手段だった。けれども運動の矛盾点を批判する小説を書いたことで、党から除名された」と書かれているが、まぁ事実でしょう。「好好軒の犬」では「私」が夫の勧めで小説を書き、それが文芸誌に掲載されることも描かれているが、これもまぁ事実でしょう。表題作の「小説家の一日」は小説家となった海里とその夫で古本屋の敏夫の八ヶ岳の麓の別荘での日常が描かれる。

12月某日
今年亡くなった馬木さんを偲ぶ会を六本木のフレンチレストランで。私と友野君、渡辺さん、井上さんが千代田線乃木坂駅で待ち合わせ。フリーライターの友野君以外は年金生活者だ。
馬木さんと私たち4人は江古田の国際学寮という学生寮で一緒だった。国際学寮とは日本力行会という団体が経営する学生寮で都内の大学に通学する学生に宿舎と食事を提供していた。通学する学生といっても当時は大学闘争の真っ盛りで大学に通った記憶は余りない。井上さんは東京教育大学の出身で卒業後、電通に就職したので学業成績も優秀だったろうと思っていたのだが、聞いてみると「全然」ということだった。当時、教育大学は筑波への移転阻止闘争で学問どころではなかったのだろう。私も4年で卒業することはしたのだが、学業は「全然」であった。友野君は東京外語大学に在学中から学生運動に参加、結局7年かけて卒業したが、当然の如く成績は「全然」だし、卒業後学内立ち入りを禁止されたそうだ。渡辺君は卒業せずに中退して私と同じ「しば企画」に入社、印刷機を回していたが「プロミス」に転職、本社の総務部長も務めた。学生寮にいた頃から半世紀も経つが食事しながら話題は尽きなかった。