モリちゃんの酒中日記 2月その3

2月某日
「歩きながら考える」(ヤマザキマリ 中公新書クラレ 2022年9月)を読む。ヤマザキマリは阿部寛主演で映画になった「テルマエ・ロマエ」(第3回マンガ大賞)の原作者として知られる。イタリア人と結婚し旦那の仕事の都合でポルトガルやアメリカに住むが、基本は旦那の実家があるイタリアの田舎町に住む。日本に滞在中にコロナ禍に遭遇し、日本への長期滞在を余儀なくされる。で、本書は空間(日本とイタリアその他)と時間(現在と過去)を超えた文明批評と言っていい。イタリア人と結婚して優れた文明批評的なエッセーを遺した作家としては須賀敦子が名高い。ヤマザキマリの旦那はベッピーノで須賀敦子の夫の名は確かペッピーノ、なんか共通点があるような…。「須賀敦子 ヤマザキマリ」で検索するとヤマザキマリが須賀敦子の「コルシア書店の仲間たち」の書評を書いていたのを見つけた。須賀敦子も好きで10年ほど前に随分読んだ記憶がある。二人とも異文化に対する批評的な受容という共通点がる。私が本書を読んで感じたのは日本人のナイーブさ。ヤマザキは「特にイタリヤや中東は隙あれば付け込まんとする人が少なくなく、『騙されるほうが悪い』という価値観が一般に浸透している社会です」と書いている。日本でも最近「オレオレ詐欺」などが出てきているが、これなども逆に被害者である日本人のナイーブさを実証していると言えなくもない。これからグローバル化はますます進むだろう。グローバル化にともないコロナに限らない未知のウイルスによるパンデミックも予想される。ヤマザキに学ぶべきは旺盛で細密な観察眼と豪胆な精神力であろう。

2月某日
「年をとったら驚いた!」(嵐山光三郎 ちくま文庫 2022年12月)を読む。嵐山光三郎は1942年~、古くは昭和軽薄体という文体を使うグループ(椎名誠、南辛坊、糸井重里など)の一派とみなされていた。私は嵐山の良い読者とは言えないが、彼の本を読むたびにその知識に圧倒される。圧倒はされるけれど威圧されない。昭和軽薄体の名残を遺す文体の及ぼすところであろうか。書名となった「年をとったら驚いた!」は何を意味するのであろうか?嵐山は「自分のカラダが弱っていくのが面白い。昔できたことが出きなくなるんだから笑っちゃいますよ」とし「七十歳をすぎた高齢者の発言はすべて愚痴である」と断言する。また「すべての老人は冗談を言って生きていけばいい」とも。嵐山は今年、81歳になる。ますます長生きして冗談を言い続けてもらいたい。

2月某日
「天皇財閥・象徴天皇制とアメリカ」(涌井秀行 かもがわ出版 2022年10月)を読む。涌井秀行という人の本を読むのは初めて。1946年生まれで早稲田大学法学部を71年に卒業。立教大学大学院で経済学を学び、明治学院大学国際学部で教授を務め、2015年に定年退職と巻末の経歴にある。私の知り合いである新崎智(呉智英)さんと同年の生まれで同じ法学部を卒業している。同時期に共産同戦旗派のリーダーだった荒袋介も法学部に在籍していた。各章のタイトルは「第1章 戦前日本資本主義の軍事的=半封建的構成の成立・展開帰結」「第2章 天皇財閥と戦前日本資本主義」「第3章 戦後日本を覆うドームのごときアメリカ=象徴天皇制」「第4章 戦後日本を覆うドームのごときアメリカの権威=権力-アメリカニゼーション」「第5章 アメリカ株価資本主義と世界金融反革命」「第6章 インターネットの編成原理と21世紀社会主義」である。なんとなくブンドっぽい。第1章では「戦前の日本は、世界史的にみれば帝国主義への移行期の『外圧』のなかで、早急に重化学工業化を進めなければならなかった」とし、そのための資金を「半封建的な農業蓄積に求めるほかはなかった」としている。そして「日清戦争での賠償金強奪、日露戦争から始まる『朝鮮』→『日満』→『日満支経済ブロック』→『大東亜共栄圏建設』へと果てしなく拡大してゆく植民地侵略」へとつながってゆくと描かれる。第2章では財閥としての天皇家が全国の山林や日清戦争の賠償金などをもとに形成され、終戦時には三井財閥や三菱財閥を大きく上回る37億4795万円に達していたことが明らかにされる。
第2次世界大戦に敗北した日本はアメリカによって絶対主義天皇制から象徴天皇制へ転換させられる。しかし著者によると昭和天皇は大日本帝国憲法による「統治権を総攬する」元首としての意識を捨てきれなかったという。そして平成天皇は戦没者への「慰霊」と災害の被災者への「お見舞い」という「天皇制慈恵主義」で「日本国民統合の象徴」としての役割を果たした。象徴天皇制は「内なる天皇制」として日本国民の意識の底に生きた。それとともに戦後日本を支配したのはアメリカである。政治的、経済的な支配に止まらず、「戦後は圧倒的なアメリカから来た文化に日本は飲み込まれた」。こうしたアメリカ支配を支えたのは「資本主義体制構築・維持のためのドル散布(援助と直接投資)であった。と同時に日本は中国に次ぐアメリカ国債保有国になった。日本はアメリカの金融信託統治領になったと著者は言う。著者の歴史認識は正しいのではないか。ロシアのウクライナ侵攻を見てもそう感じる。著者は最後にソ連・東欧型の「20世紀社会主義」から人々は解放されつつあるとし、インターネットの編成原理(分散=共有=公開)という〔21世紀型社会主義〕社会の編成原理に希望を見出しているのだが…。

2月某日
「伊勢神宮-東アジアのアマテラス」(千田稔 吉川弘文館 2023年1月)を読む。伊勢神宮内宮の祭神がアマテラスで皇祖神、天皇家の先祖である。天皇が政治権力を握っていた時代はそんなに長くない。倭国の時代から天平、飛鳥の頃までか。大化の改新以降、天智天皇、天武天皇、聖武天皇は確かに政治権力を握っていたらしい。それ以降は後醍醐天皇を例外として、藤原氏や源氏、徳川氏などが権力の座に就く。しかし天皇家は存続し続けた。明治になって「天皇は神聖にして侵すべからず」という存在とされたが、昭和天皇は戦前から立憲君主制の立場をとっていた。日本は日清戦争以降、台湾、朝鮮、南樺太に領土拡大、満洲に傀儡政権を樹立した。本書によるとアマテラスを主神とする神社は朝鮮に234、満洲に50あり、海外植民地の合計では584に達する。これらの神社の多くは戦後破壊されたという。キリスト教の場合、植民地から欧米の宗主国が去った後も教会などの宗教施設は残され、宗教活動が存続したことも珍しくないという。国家神道という宗教とキリスト教などの世界宗教との違いであろうか。

モリちゃんの酒中日記 2月その2

2月某日
「アフター・アベノミクス-異形の経済政策はいかに変質したのか」(軽部謙介 岩波新書
2022年12月)を読む。安倍政権の提唱した経済政策がアベノミクス。大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略が3本柱で当面2%の物価上昇を目標とした。アベノミクスは成功したのか失敗したのか、それを判断するにはまだ早いかもしれない。安倍政権の時代に有効求人倍率が上昇したのは事実で、それに着目すれば成功と言えるのかもしれない。しかし、それと同時に非正規労働者も増えているし、コロナ価で貧富の差も拡大しているようだ。経済政策に何を求めるかは人によって、立場によって異なる。経済成長による富の拡大に求める人もいれば、何よりも雇用の安定に求める人もいるだろう。本書はジャーナリストの目でアベノミクスを検証した。私が思うに安倍政権でもそれを引き継いだ菅政権でも2%のインフレは達成できなかった。しかし岸田政権になりロシアのウクライナ侵攻も引き金となって小麦などの原材料費や原油価格が高騰している。異次元の金融緩和政策でも達成できなかった物価目標が、プーチンによるウクライナ侵攻であっさりと達成されてしまった。達成はされたが今度は、物価の過度な騰貴と過度な円安が心配されている。厄介である。

2月某日
吉武民樹さんからの連絡で11時に銀座の暁画廊に集合。集まったのは吉武、中村秀一、大谷源一さん、それに私。福井県出身の現代美術作家の作品が展示されている。福井で福祉事業を展開している松永さんから連絡があったそうだ。松永さんに近くの東武ホテルで昼食をご馳走になる。それから会場でミニシンポジュウムが開かれた。

2月某日
「悪い円安 良い円安-なぜ日本経済は通貨安におびえるのか」(清水順子 日経プレミアムシリーズ 2022年11月)を読む。昨年から急速に進んだ円安。これを機会に少し通貨のことでも勉強しようかと我孫子市民図書館から借りた。本書によると円の対ドル相場は「2017年代以降は1ドル110円台という狭いレンジで安定的に推移していた」。しかし新型コロナウイルス感染症の拡大にロシアのウクライナ侵攻が重なり、原油価格の上昇とともに円安が急激に進んだ。コストプッシュ型のインフレで今のところ目立った賃金上昇をともなわず「悪いインフレ」である。業績の好調な一部の大企業の経営者が大幅な賃金の引き上げをアナウンスしているが、問題は中小零細企業がそれに追随できるかであろう。円安ということはドルだけでなく各国の通貨が円に対して高くなっていることである。2021年1月1日から22年9月1日までで米ドルは34.9%、インドネシアルピアは28.8%、人民元とシンガポールドルが27.5%、台湾ドルが25.9%、対円相場が上昇している。日本に働きに来ている各国の労働者にとっては本国への送金額がそれだけ低下するということなので大変である。しかし来日する観光客にとっては同じものが3割引きで買えるということを意味する。円というか通貨の価値は常に二重性を帯びているのである。

2月某日
福井の松永さんから「越前ガニのオスが脱皮した直後のカニ(月夜蟹)」が贈られる。皮(甲羅等)が柔らかいのが特徴らしい。堪能させていただきました。福井Cネットサービス製のキクラゲの佃煮も絶品でした。吉武さんから電話あり。「松永さんから蟹、届いたでしょ」「ハイ」「こないだの展覧会とシンポジュウムの感想を松永さんに送りなさいね」「了解です」。

2月某日
大谷さんから貸してもらった「対論1968」(笠井潔 すが秀美 集英社新書 2022年12月)を読む。すがは糸偏に土二つなんだけど出てこないので平かなで。1968年は私が早稲田大学に入学した年で前年の67年10.8(ジッパチ)羽田闘争から三派全学連を中心とした学生運動が盛り上がっていた。68年の1月には佐世保でエンプラ入港阻止闘争が、3月から4月にかけては王子の米軍野戦病院阻止闘争と続いていた。私は王子闘争には野次馬のひとりとして参加。大学に入学してからは清水谷公園のべ平連のデモに参加していた。ヘルメットを被ったのは6月15日のデモから。政経学部の学友会が社青同解放派(反帝学評)だったものだから青ヘルメットだった。前年から三派全学連内部で解放派と中核派の緊張関係が高まり、この日も中核派にゲバルトを仕掛けられた記憶がある。68年の5月ころから日大で不正経理追及の学生の声が上がり、東大でも7月に医学部の処分問題を契機に全共闘が結成された。本文中でスガが「村上春樹とは高校の新聞会以来の親友らしい」「現在は中堅どころの広告代理店をやってて」と話しているのは浪漫堂の倉垣君のことだね。高橋ハムさんや呉智英の名前も出てくる。あれから55年も経っているのだ。

2月某日
「〈共生〉から考える」(川本隆史 岩波現代文庫 2022年12月)を読む。我孫子市民図書館から借りたのだが、先週会った福井の松永さんが実践しているのも障害を持っている人々との共生だ。著者の川本は1951年生まれ、東北大学と東京大学の名誉教授で専攻は社会倫理学。本書は「講義の7日間」が収録されているが、「第2日 孤独と共生」で詩人の石原吉郎の評論集「望郷と海」がとりあげられている。私も「望郷と海」は1973年頃購入し読んだ覚えがある。石原の過酷なシベリア抑留体験に粛然とした。私が記憶しているのは、抑留者たちが労働現場へ行進する際、隊列の外側から脱落者が出る。厳寒のなか脱落は死を意味する。したがって抑留者はなるべく隊列の内側に入ろうとするのだが、石原は敢えて隊列の外側に立つという話だ。自己犠牲あるいは自己処罰とも言えるが「俺にはとてもできない」と思ったものだ。話を共生にもどすとミースという社会学者の「現代の世界システムを動かしている資本主義が無限の資本蓄積を続けられるのは、女性、自然、第三世界という三位一体の植民地からの搾取あってのことだ」という論を紹介している。斎藤幸平の論に近いと思う。
東大全共闘で助手共闘のメンバーだった最首悟のダウン症のお子さんの20年にわたる暮らしのおりふしを綴ったエッセイも紹介されている。「無神経に『共に生きる』といわれると重い知恵遅れの子と暮らしている身としてはムシャクシャしてしまうのであるが、しかし同時にその子の存在が、人間の根源的な共同性を想起させることも事実である」。障害児の親としての重い言葉である。7日目の講義の最後は吉野弘の「生命(いのち)は」という詩の朗読で終わる。ほんの一部を紹介すると、
生命は/その中に欠如を抱き/それを他者から満たしてもらうのだ
私は銀座の暁画廊で鑑賞した福井の現代美術作家の木彫を思い出す。獣を彫刻したその木彫は牙の一部や耳が欠けているのだ。「その中に欠如を抱き/それを他者から満たしてもらうのだ」

モリちゃんの酒中日記 2月その1

2月某日
「向日性植物」(李屛搖著 李琴峰訳 光文社 2022年7月)を読む。作者の李屛搖(り・へいよう/リー・ピンチャオ)の搖は本当は篇が王なのだがWORDに登録されていないようなので搖の字を使います。スミマセン。訳者の李琴峰は台湾生まれ、台湾育ちの日本語作家。「彼岸花が咲く花」で第165回芥川賞を受賞している。台湾では2019年に同性婚が認められている。日本では経済産業省出身の首相秘書官が同性婚を巡って「隣に住むのも嫌」と発言、秘書官を罷免されている。日本は産業でも文化でも台湾や韓国に大きく後れを取っているようなのだ。舞台は同性婚が合法化される以前の台北。女子高生の「私」は一学年上の学姐(シュエジュ―)と互いに惹かれ合っていく。学姐に1年遅れて台湾大学に「私」も入学、卒業後も二人の関係は続く。「訳者あとがき」で李琴峰は著者の「私はレズビアンが自殺しない物語が書きたかった」という言葉を紹介している。台湾においても性的マイノリティの存在は社会的にも厳しいものがあったということだろう。台湾は基本的に外食文化である。「私」と学姐のデートの場も朝食食堂であったりする。私は20年ほど前に台湾に行ったことがあるが、その外食文化の一端の触れることができた。台湾へはまた行きたいですね。

2月某日
「田舎のポルシェ」(篠田節子 文藝春秋 2021年4月)を読む。車を買ったロードノベルが3編。岐阜から故郷の八王子へ。実家の農家の兄が亡くなり、実家仕舞いと残された米を引き取るためだ。軽トラックを運転するのは岐阜で紹介された、実家の酒屋を閉店した中年男。この傍若無人に見える中年男がいい。あと一編は会社をリストラされた中年男二人組がボルボと共に北海道旅行に向かう話、最後はヒグマに襲われる。最後の一編は夫に先立たれた介護士がコロナ禍で観客を入れないホールでオペラを熱唱する話。ロードノベルという共通点のほかに主人公が中高年の男女というのも共通する。

2月某日
池袋駅で渡辺正喜(ナベ)さんと待ち合わせ。ナベさんは日本木工新聞社での同期。26か27歳からの付き合いだからもう直ぐ半世紀となる。ナベさんの案内でロマンス通りの焼き鳥屋へ。千登里という店で創業は戦後すぐ(確か昭和23か24年)という老舗。ビールで乾杯のあと私はぬる燗、ナベさんは焼酎のお湯割り。煮込みを頼んで私は箸をつけるがナベさんはまったく食べない。ナベさんが食べないので焼き鳥も頼めない。私は結局ぬる燗を3本ほど呑んでしまった。ナベさんはちょっと具合悪そうでタクシーで帰るという。池袋駅のタクシー乗り場で別れて、私は山手線で日暮里へ。日暮里で常磐線に乗り換え我孫子へ。

2月某日
「真珠とダイヤモンド」(桐野夏生 毎日新聞出版 2023年2月)を読む。上下2巻だが、3日で読み終わってしまった。私はほとんどの本は我孫子市民図書館で借りるが、桐野夏生の小説だけは別。出版されてからすぐに読みたいので、新聞広告を見たらすぐに本屋へ行く。最初の舞台は1986年の萬三証券福岡支店。水矢子と佳奈は同期入社組だが水矢子は高卒、佳奈は短大卒なので年齢は佳奈が2歳上だ。佳奈は持ち前の美貌を活かして営業の第一線で活躍する。水矢子は事務職として佳奈を支える。1986年は昭和61年、バブルが始まった頃か。株価は上がり続けNTT株も売り出された。私は1972年に大学を卒業してから転職を3回ほど繰り返し、その頃は退職まで席を置くことになる小さな出版社にいた。バブルの影響は小さな出版社にも及んで、終電が無くなるまで呑んで帰りのタクシーを捕まえるのが大変だった記憶がある。佳奈はやはり同期入社で大卒の望月と親しくなりやがて結婚する。望月には株で儲けやがては海外で生活するという夢がある。そのための第一歩として福岡支店でトップの成績を挙げ、東京本社の国際部への異動を狙う。望月は病院長の息子の医者や長崎のヤクザを顧客に付けて、東京進出を果たす。水矢子は東京の大学進学を希望していたが、結局、第一志望には落ちて女子大へ進学する。バブル期の東京はコロナ禍に沈む東京とは百八十度違う世界だ。本社に異動した望月も接待で深夜の帰宅を繰り返すが、営業成績も順調に伸びていく。専業主婦となった佳奈は寂しさからホストクラブに出入りする。しかしバブルは弾け、望月は多額の借財を負うことになる。ヤクザの取り立てにあった望月と佳奈は高層階から身を投げる。水矢子は進学した女子大を中退、占い師のアシスタントなどいくつもの職を転々とする。最後は雇止めにあってアパートも追い出され公園のベンチがねぐらとなる。水矢子は輝かないダイヤモンドで佳奈は薄汚れた真珠と自嘲する。水矢子は公園のベンチで幻の佳奈に見守られながら目を閉じる。帯に「桐野夏生が描く当世地獄絵図」とあったが、まぁその通りです。

2月某日
厚生労働省で12時50分に社保研ティラーレの佐藤社長と待ち合わせ。12時頃に霞が関に着いたので飯野ビル地下1階でランチ。親子丼を頂く。厚労省で佐藤社長と保険局長の井原さんと面談。「地方から考える社会保障フォーラム」にアドバイスを頂く。面談後、佐藤社長にドトールでコーヒーをご馳走になりながら雑談。風雨が激しそうなのでどこにも寄らず地下鉄千代田線で我孫子へ。

モリちゃんの酒中日記 1月その3

1月某日
「トーキョー・キル」(バリー・ランセット 白石朗訳 2022年11月 集英社)を読む。四六判ハードカバーで本文だけで400ページを優に超える。定価は税別3000円。いわゆるハードボイルド、図書館で借りなければ私はまず読むことはない本だ。読み終えるのに3日かかったが、実に面白かった。粗筋は巻末に付されている解説(杉江松恋)に述べられているので、それをさらに削って紹介する。主人公のジム・ブローディは両親ともにアメリカ人だが、17歳まで東京で育つ。父親は東京では初の調査とセキュリティ全般の探偵社を起業する。ブローディは長じてサンフランシスコで古美術商を開業するが、父からは探偵社の経営権も遺贈される。ブローディは第2次世界大戦中に日本軍の士官として満洲に赴任した過去がある三浦晃から身辺警護を依頼される。いくつかの殺人事件が起こり、ブローディにも危険が及ぶ。事件の全体像は物語の最終部に明らかにされるが、ここでは満洲国皇帝の溥儀の隠された財宝を巡るとだけ明かしておこう。竹刀や日本刀によるアクションシーンはなかなかのものでした。

1月某日
庭の金柑の木から実を収穫。奥さんと二人で1時間、3分の2ほどを取り終える。残りはリクエストしていた友人のために残しておく。金柑の実を水洗いして金柑酒造りに挑戦する。果実酒ブランデーに漬け、3カ月ほどで熟成するらしい。今年は4月に夏みかん酒、11月には柚木酒に挑戦したい。

1月某日
「きみはポラリス」(三浦しをん 新潮文庫 2011年3月)を読む。新潮文庫は発行年を平成、令和という元号で記している。本書も奥付では平成23年となっていたのを「ほぼ日手帳」の「満年齢早見表」をみて、西暦に書き換えた。平成23年って2011年だったんだ。しかも3月、東日本大震災があったときである。あの日からもうすぐ12年になるわけね。三浦しをんは1976(昭和51)年生まれ。昭和の場合は昭和の年数に25を加えると西暦の2桁になる。たとえば終戦の年、昭和20年は25加えて45、すなわち1945年である。さて解説(中村うさぎ)によると、本書にはさまざまな形の「恋愛」をテーマにした11の短編が収められている。男同士の「恋愛」だったり、1日限りの車泥棒と車に紛れ込んだ8歳の少女との「恋愛」だったり。この歳の差恋愛は「冬の一等星」というタイトルで、中村うさぎも「私の一番好きな作品」としている。私も同じです。

1月某日
「すれ違う背中を」(乃南アサ 新潮文庫 2012年12月)を読む。前科者(前持ち)二人組女子の物語。前作「いつか陽のあたる場所で」に続くシリーズ2作目。芭子はホストに貢ぐためにカード詐欺を働き、綾香はドメスティックバイオレンスから逃れるために夫を殺害、それぞれ懲役刑を済ませて出所、根津界隈で綾香はパン職人の修業中、芭子はペットショップでバイト中。本作で芭子は愛犬用のチョッキなどの服飾作家としての才能を発揮する。乃南アサには「女刑事音道貴子」シリーズがあるが、こちらは「前持ち二人組」シリーズ。私も学生運動で留置所の経験があるが、そこで出会ったいわゆる犯罪者にも悪い人はいなかった。社会人になってからも学生運動、労働運動で刑務所に行った人や、普通の犯罪(傷害や公務執行妨害など)で刑務所に行った人と知り合ったが、普通人と何ら変わりなかった。むしろ人の好い人が多かった気がする。綾香と芭子も「人の好さ」にかけては人後に落ちない。むしろ「人の好さ」故に様々な「事件」に巻き込まれていく。乃南アサは多彩な作家で様々な人生模様を描くが、私は「前持ち二人組シリーズ」のような人生肯定モノが好きですね。

1月某日
前の会社で一緒だった石津さんと呑みに行く約束をしていたら第一生命の営業ウーマンの本間さんも一緒に行くことになった。本間さんの指定は八丁堀の「串武」という焼き鳥屋。八丁堀は以前付き合いがあったCIMドクターズネットワークの事務所があったところで、私には多少土地勘がある。18時スタートということだが、少し早く地下鉄の駅に着いたので近所を散策する。早稲田大学が社会人向けのスクールを開設している早稲田大学エクステンション講座も近くだ。私も10数年前、貸借対照表や損益計算書の読み方を学びに3カ月くらい通った経験がある。それから1階がお酒や食料品売り場で2階がバーになっている店も健在だった。「串武」では本間さんにお刺身や焼き鳥、焼酎をご馳走になる。

1月某日
「トリップ」(角田光代 光文社文庫 2007年2月)を読む。日本の東京から私鉄で2時間ほどの中都市が舞台の短編集。そこで暮らす普通の人々が各短編の主人公だ。「普通の人々」というのが角田文学の肝ではないかと私は思っている。「八月の蝉」では普通のOLが愛人の生まれたばかりの赤ん坊を誘拐、我が子として育てる話である。普通のOLは誘拐という犯罪を犯したりはしない。しかし私は誰にでも犯罪を犯す可能性はあるのではないかと思う。乃南アサの「すれ違う背中を」の二人組の主人公も前科持ちだったし。「トリップ」の主人公たちも犯罪は犯さない。LSDを常習する主婦いたけれどね。でもこれは普通の主婦がLSDに親しんでいるという話だ。つまり普通の日常こそに小説の種は潜んでいるということなのだ。

1月某日
「可能性としての戦後以降」(加藤典洋 岩波現代文庫 2020年4月)を読む。加藤典洋は1948-2019年、明治学院大学教授、早稲田大学教授を務めた。加藤典洋の本はよく読むほうだが、私にとって難解である場合が多い。なのになぜ読むかというと、テーマが私にとって魅力的だからだ。本書の最初の論文「『日本人』の成立」も「日本人とは何か?」を含む魅力的かつ難解なテーマではある。日本列島には稲作が始まる遥か以前から人間が居住していた。その人たちは日本人という意識はなかったと思われる。ひとが自分の所属を○○人と意識するのは他国の人、他言語を発する人を意識してからと思われる。中国の歴史書「三国志魏志倭人伝」に日本のことが倭、そこに住む人が倭人として紹介されている。当時の倭国の指導者は中国の皇帝から冊封されることによって自らの権力の正統性を確認し、被支配者層にも確認させたものと思われる。のちに大和王権も推古天皇のとき、聖徳太子が「日出ずる処の天子、日没する処の天子へ」と書簡を送り、日本列島にも中国大陸と同等の王朝=皇帝が存在することを宣言した。これを中国の皇帝政府がどう認識したか、正確には分からない。加藤典洋の本は難解ではある。しかしそれだけ私の知的好奇心を刺激してくれることは確かである。亡くなったのが惜しまれる。