2月某日
「向日性植物」(李屛搖著 李琴峰訳 光文社 2022年7月)を読む。作者の李屛搖(り・へいよう/リー・ピンチャオ)の搖は本当は篇が王なのだがWORDに登録されていないようなので搖の字を使います。スミマセン。訳者の李琴峰は台湾生まれ、台湾育ちの日本語作家。「彼岸花が咲く花」で第165回芥川賞を受賞している。台湾では2019年に同性婚が認められている。日本では経済産業省出身の首相秘書官が同性婚を巡って「隣に住むのも嫌」と発言、秘書官を罷免されている。日本は産業でも文化でも台湾や韓国に大きく後れを取っているようなのだ。舞台は同性婚が合法化される以前の台北。女子高生の「私」は一学年上の学姐(シュエジュ―)と互いに惹かれ合っていく。学姐に1年遅れて台湾大学に「私」も入学、卒業後も二人の関係は続く。「訳者あとがき」で李琴峰は著者の「私はレズビアンが自殺しない物語が書きたかった」という言葉を紹介している。台湾においても性的マイノリティの存在は社会的にも厳しいものがあったということだろう。台湾は基本的に外食文化である。「私」と学姐のデートの場も朝食食堂であったりする。私は20年ほど前に台湾に行ったことがあるが、その外食文化の一端の触れることができた。台湾へはまた行きたいですね。
2月某日
「田舎のポルシェ」(篠田節子 文藝春秋 2021年4月)を読む。車を買ったロードノベルが3編。岐阜から故郷の八王子へ。実家の農家の兄が亡くなり、実家仕舞いと残された米を引き取るためだ。軽トラックを運転するのは岐阜で紹介された、実家の酒屋を閉店した中年男。この傍若無人に見える中年男がいい。あと一編は会社をリストラされた中年男二人組がボルボと共に北海道旅行に向かう話、最後はヒグマに襲われる。最後の一編は夫に先立たれた介護士がコロナ禍で観客を入れないホールでオペラを熱唱する話。ロードノベルという共通点のほかに主人公が中高年の男女というのも共通する。
2月某日
池袋駅で渡辺正喜(ナベ)さんと待ち合わせ。ナベさんは日本木工新聞社での同期。26か27歳からの付き合いだからもう直ぐ半世紀となる。ナベさんの案内でロマンス通りの焼き鳥屋へ。千登里という店で創業は戦後すぐ(確か昭和23か24年)という老舗。ビールで乾杯のあと私はぬる燗、ナベさんは焼酎のお湯割り。煮込みを頼んで私は箸をつけるがナベさんはまったく食べない。ナベさんが食べないので焼き鳥も頼めない。私は結局ぬる燗を3本ほど呑んでしまった。ナベさんはちょっと具合悪そうでタクシーで帰るという。池袋駅のタクシー乗り場で別れて、私は山手線で日暮里へ。日暮里で常磐線に乗り換え我孫子へ。
2月某日
「真珠とダイヤモンド」(桐野夏生 毎日新聞出版 2023年2月)を読む。上下2巻だが、3日で読み終わってしまった。私はほとんどの本は我孫子市民図書館で借りるが、桐野夏生の小説だけは別。出版されてからすぐに読みたいので、新聞広告を見たらすぐに本屋へ行く。最初の舞台は1986年の萬三証券福岡支店。水矢子と佳奈は同期入社組だが水矢子は高卒、佳奈は短大卒なので年齢は佳奈が2歳上だ。佳奈は持ち前の美貌を活かして営業の第一線で活躍する。水矢子は事務職として佳奈を支える。1986年は昭和61年、バブルが始まった頃か。株価は上がり続けNTT株も売り出された。私は1972年に大学を卒業してから転職を3回ほど繰り返し、その頃は退職まで席を置くことになる小さな出版社にいた。バブルの影響は小さな出版社にも及んで、終電が無くなるまで呑んで帰りのタクシーを捕まえるのが大変だった記憶がある。佳奈はやはり同期入社で大卒の望月と親しくなりやがて結婚する。望月には株で儲けやがては海外で生活するという夢がある。そのための第一歩として福岡支店でトップの成績を挙げ、東京本社の国際部への異動を狙う。望月は病院長の息子の医者や長崎のヤクザを顧客に付けて、東京進出を果たす。水矢子は東京の大学進学を希望していたが、結局、第一志望には落ちて女子大へ進学する。バブル期の東京はコロナ禍に沈む東京とは百八十度違う世界だ。本社に異動した望月も接待で深夜の帰宅を繰り返すが、営業成績も順調に伸びていく。専業主婦となった佳奈は寂しさからホストクラブに出入りする。しかしバブルは弾け、望月は多額の借財を負うことになる。ヤクザの取り立てにあった望月と佳奈は高層階から身を投げる。水矢子は進学した女子大を中退、占い師のアシスタントなどいくつもの職を転々とする。最後は雇止めにあってアパートも追い出され公園のベンチがねぐらとなる。水矢子は輝かないダイヤモンドで佳奈は薄汚れた真珠と自嘲する。水矢子は公園のベンチで幻の佳奈に見守られながら目を閉じる。帯に「桐野夏生が描く当世地獄絵図」とあったが、まぁその通りです。
2月某日
厚生労働省で12時50分に社保研ティラーレの佐藤社長と待ち合わせ。12時頃に霞が関に着いたので飯野ビル地下1階でランチ。親子丼を頂く。厚労省で佐藤社長と保険局長の井原さんと面談。「地方から考える社会保障フォーラム」にアドバイスを頂く。面談後、佐藤社長にドトールでコーヒーをご馳走になりながら雑談。風雨が激しそうなのでどこにも寄らず地下鉄千代田線で我孫子へ。