2月某日
「アフター・アベノミクス-異形の経済政策はいかに変質したのか」(軽部謙介 岩波新書
2022年12月)を読む。安倍政権の提唱した経済政策がアベノミクス。大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略が3本柱で当面2%の物価上昇を目標とした。アベノミクスは成功したのか失敗したのか、それを判断するにはまだ早いかもしれない。安倍政権の時代に有効求人倍率が上昇したのは事実で、それに着目すれば成功と言えるのかもしれない。しかし、それと同時に非正規労働者も増えているし、コロナ価で貧富の差も拡大しているようだ。経済政策に何を求めるかは人によって、立場によって異なる。経済成長による富の拡大に求める人もいれば、何よりも雇用の安定に求める人もいるだろう。本書はジャーナリストの目でアベノミクスを検証した。私が思うに安倍政権でもそれを引き継いだ菅政権でも2%のインフレは達成できなかった。しかし岸田政権になりロシアのウクライナ侵攻も引き金となって小麦などの原材料費や原油価格が高騰している。異次元の金融緩和政策でも達成できなかった物価目標が、プーチンによるウクライナ侵攻であっさりと達成されてしまった。達成はされたが今度は、物価の過度な騰貴と過度な円安が心配されている。厄介である。
2月某日
吉武民樹さんからの連絡で11時に銀座の暁画廊に集合。集まったのは吉武、中村秀一、大谷源一さん、それに私。福井県出身の現代美術作家の作品が展示されている。福井で福祉事業を展開している松永さんから連絡があったそうだ。松永さんに近くの東武ホテルで昼食をご馳走になる。それから会場でミニシンポジュウムが開かれた。
2月某日
「悪い円安 良い円安-なぜ日本経済は通貨安におびえるのか」(清水順子 日経プレミアムシリーズ 2022年11月)を読む。昨年から急速に進んだ円安。これを機会に少し通貨のことでも勉強しようかと我孫子市民図書館から借りた。本書によると円の対ドル相場は「2017年代以降は1ドル110円台という狭いレンジで安定的に推移していた」。しかし新型コロナウイルス感染症の拡大にロシアのウクライナ侵攻が重なり、原油価格の上昇とともに円安が急激に進んだ。コストプッシュ型のインフレで今のところ目立った賃金上昇をともなわず「悪いインフレ」である。業績の好調な一部の大企業の経営者が大幅な賃金の引き上げをアナウンスしているが、問題は中小零細企業がそれに追随できるかであろう。円安ということはドルだけでなく各国の通貨が円に対して高くなっていることである。2021年1月1日から22年9月1日までで米ドルは34.9%、インドネシアルピアは28.8%、人民元とシンガポールドルが27.5%、台湾ドルが25.9%、対円相場が上昇している。日本に働きに来ている各国の労働者にとっては本国への送金額がそれだけ低下するということなので大変である。しかし来日する観光客にとっては同じものが3割引きで買えるということを意味する。円というか通貨の価値は常に二重性を帯びているのである。
2月某日
福井の松永さんから「越前ガニのオスが脱皮した直後のカニ(月夜蟹)」が贈られる。皮(甲羅等)が柔らかいのが特徴らしい。堪能させていただきました。福井Cネットサービス製のキクラゲの佃煮も絶品でした。吉武さんから電話あり。「松永さんから蟹、届いたでしょ」「ハイ」「こないだの展覧会とシンポジュウムの感想を松永さんに送りなさいね」「了解です」。
2月某日
大谷さんから貸してもらった「対論1968」(笠井潔 すが秀美 集英社新書 2022年12月)を読む。すがは糸偏に土二つなんだけど出てこないので平かなで。1968年は私が早稲田大学に入学した年で前年の67年10.8(ジッパチ)羽田闘争から三派全学連を中心とした学生運動が盛り上がっていた。68年の1月には佐世保でエンプラ入港阻止闘争が、3月から4月にかけては王子の米軍野戦病院阻止闘争と続いていた。私は王子闘争には野次馬のひとりとして参加。大学に入学してからは清水谷公園のべ平連のデモに参加していた。ヘルメットを被ったのは6月15日のデモから。政経学部の学友会が社青同解放派(反帝学評)だったものだから青ヘルメットだった。前年から三派全学連内部で解放派と中核派の緊張関係が高まり、この日も中核派にゲバルトを仕掛けられた記憶がある。68年の5月ころから日大で不正経理追及の学生の声が上がり、東大でも7月に医学部の処分問題を契機に全共闘が結成された。本文中でスガが「村上春樹とは高校の新聞会以来の親友らしい」「現在は中堅どころの広告代理店をやってて」と話しているのは浪漫堂の倉垣君のことだね。高橋ハムさんや呉智英の名前も出てくる。あれから55年も経っているのだ。
2月某日
「〈共生〉から考える」(川本隆史 岩波現代文庫 2022年12月)を読む。我孫子市民図書館から借りたのだが、先週会った福井の松永さんが実践しているのも障害を持っている人々との共生だ。著者の川本は1951年生まれ、東北大学と東京大学の名誉教授で専攻は社会倫理学。本書は「講義の7日間」が収録されているが、「第2日 孤独と共生」で詩人の石原吉郎の評論集「望郷と海」がとりあげられている。私も「望郷と海」は1973年頃購入し読んだ覚えがある。石原の過酷なシベリア抑留体験に粛然とした。私が記憶しているのは、抑留者たちが労働現場へ行進する際、隊列の外側から脱落者が出る。厳寒のなか脱落は死を意味する。したがって抑留者はなるべく隊列の内側に入ろうとするのだが、石原は敢えて隊列の外側に立つという話だ。自己犠牲あるいは自己処罰とも言えるが「俺にはとてもできない」と思ったものだ。話を共生にもどすとミースという社会学者の「現代の世界システムを動かしている資本主義が無限の資本蓄積を続けられるのは、女性、自然、第三世界という三位一体の植民地からの搾取あってのことだ」という論を紹介している。斎藤幸平の論に近いと思う。
東大全共闘で助手共闘のメンバーだった最首悟のダウン症のお子さんの20年にわたる暮らしのおりふしを綴ったエッセイも紹介されている。「無神経に『共に生きる』といわれると重い知恵遅れの子と暮らしている身としてはムシャクシャしてしまうのであるが、しかし同時にその子の存在が、人間の根源的な共同性を想起させることも事実である」。障害児の親としての重い言葉である。7日目の講義の最後は吉野弘の「生命(いのち)は」という詩の朗読で終わる。ほんの一部を紹介すると、
生命は/その中に欠如を抱き/それを他者から満たしてもらうのだ
私は銀座の暁画廊で鑑賞した福井の現代美術作家の木彫を思い出す。獣を彫刻したその木彫は牙の一部や耳が欠けているのだ。「その中に欠如を抱き/それを他者から満たしてもらうのだ」