3月某日
「大塩平八郎の乱-幕府を震撼させた武装蜂起の真相」(中公新書 薮田寛 2022年12月)を読む。大塩平八郎の乱自体は歴史的な事件として記憶に残っている。しかし、江戸末期に大阪の奉行所役人だった大塩という人が窮民救済を目的に乱を企て失敗した、という知識しかなかった。だから新書とは言え、大塩の個人史や当時の知識人や豪農、商人の生活や考え方を学べたのは上出来である。大塩は大坂町奉行所の与力であった。与力とは奉行所の役職で配下に同心を抱えた。江戸町奉行で言えば与力25人に同心100人が配属された。現代の警察に例えれば、警視総監=町奉行、警視=与力、警部=同心、巡査部長=岡っ引、巡査=下っ引きというところであろうか?しかし本書を読むと大塩と言う人が並みの与力ではなかったことがわかる。与力としても優秀で当時禁制であった切支丹や不正無尽を摘発したりしている。しかしそれよりも特筆すべきは大塩が当代一流の知識人だったことである。自宅に洗心洞という私塾を開いたことからすると教育者でもあった。当時の知識人の常として書も漢詩もよくしたらしい。一流の知識人、頼山陽や渡辺崋山とも交流があった。理財の才もあったようで、江戸の官学のトップだった林家にも融資の斡旋を試みている。大塩が決起した背景には天明の飢饉がある。さらに江戸、大阪など大都市における貨幣経済の隆盛=貧富の差の拡大もあったであろう。大塩の乱は一日で鎮圧されてしまうが、大塩は息子とともに市内に潜伏したあと自殺する。実は大塩は乱の前に江戸の幕閣に当てて建議書を送っていた。大塩はその返事を待っていたのではないかというのが著者の推測である。
3月某日
「窓」(乃南アサ 講談社文庫 2016年1月)を読む。単行本は1990年代に発行され、文庫本は99年に出版され、現在のは新装版。乃南アサは1960年生まれだから今年63歳。物語の主人公は聴覚障害のある高校3年生の女の子、麻里子。同じ障害のある聾学校生、直久と知り合うが、直久は聾学校の教師殺人事件に巻き込まれていく。解説では「優れた青春サスペンス」と持ち上げられていたが、私にはそれほど感じられなかった。私は前科持ちの二人の女性が主人公の「前持ち二人組」シリーズや新人巡査シリーズのほうが好きですね。「窓」にもユーモアの要素があるが、ちょいと暗め。
3月某日
「戦争と平和」(吉本隆明 文芸社 2004年8月)を読む。市立図書館の吉本隆明のコーナーに押し込まれていたのを見つけ借りることにした。「戦争と平和」「近代文学の宿命-横光利一について」と題する講演、そして【付録】として川端要壽という人が書いた「吉本隆明-愛と怒りと反逆」というタイトルのエッセーが収録されていた。「戦争と平和」という講演で吉本は政治的リコール権と経済的リコール権という話をしていた。前者は戦争の危機が迫った場合、国民は直接投票でときの政府に不信任を表明し退陣させるというものだ。後者は一種の不買運動である。これが可能になるのは現代の消費のうち半分以上が「つかわなければつかわなくてもいい」消費に使われているためである。バブル以降、日本が消費資本主義に移行したことを根拠にしていると思われる。エッセーを書いた川端は吉本と府立化工の同級生であった。このエッセーに登場する吉本はべらんめえ口調で完全に下町のおっちゃんであった。
3月某日
作家の大江健三郎が3月3日に亡くなっていたことが明らかにされた。88歳だった。大江は1935年愛媛県生まれ、58年に「飼育」で芥川賞を受賞。55年に「太陽の季節」で芥川賞を受賞した石原慎太郎(1932~2022)とは対照的な人生を送り、また作風も大きく異なっていたが、私はどちらも好きで高校生の頃からよく読んでいた。大江なら「死者の奢り」「飼育」、石原は「太陽の季節」「処刑の部屋」。二人が昨年、今年と続けて亡くなったことは戦後文学の終焉を象徴しているような気がする。私は現存する日本の作家では桐野夏生、川上未映子、柳美里なんかが好きだけれど彼女たちが大江や石原の系譜を継承しているとは思えない。
3月某日
「平成時代」(吉見俊哉 岩波新書 2019年5月)を読む。今年は2023(令和5)年だから、本書は元号が平成から令和に改元された直後に執筆が開始されたものと思われる。元号を使っている国は日本だけで、その日本でも西暦による表記が主流となっているとき、果たして「平成時代」と元号で一括りすることに意味があるのだろうか?という疑問に対して著者は「天皇在位との対応が偶然でも、なお「平成」を一つの「時代」として捉えるべき偶然以上の何かがある」として、平成の30年間は「何よりも「失敗」と「ショック」の時代だった」とする。失敗はIT戦略に乗り遅れ韓国や台湾の後塵を拝するようになった日本の家電業界が代表的であり、政治で言えば民主党政権の失敗は誰の目にも明らかだ。政策で言えば少子化を食い止めることが出来なかった人口政策があげられるだろう。ショックは阪神淡路大震災と東日本大震災があげられる。福島の原発事故による完全復興は12年経過した現在でもまだめどが立っていない。平成が始まった1989年、私は40歳だった。会社を引退したのが69歳、平成29年だったから、会社の中堅から社長を務めた30年間はほぼ「平成時代」と重なる。
3月某日
「忍ぶ川」(三浦哲郎 新潮文庫 昭和40年5月)を読む。本作は1960年の芥川受賞作で加藤剛と栗原小巻が共演した映画にもなっている。私はこの小説を読むのは初めてだが、終戦後何年もたっていない東京の下町を舞台にした「純愛小説」に「いいなぁ」と心から思った。物語は青森から上京して大学に通う「私」と料亭「忍ぶ川」に働く志乃との恋愛と結婚を描く。パソコンもスマホもなく二人の新婚世帯には電話すらない。しかし社会全体が貧しかった時代だし、若い二人は貧しさを苦にしない。それどころか希望に満ちてさえする。高度経済成長の結果、日本と日本人は飛躍的に豊かになった代わりに失ったものも多かった。そんなことを感じさせる小説であった。