5月某日
「完本 私の昭和史 2.26事件異聞」(末松太平 中央公論新社 2023年1月)を読む。2.26事件は1936(昭和11)年2月26日に起きた一部の陸軍青年将校によるクーデター未遂事件である。当時、著者の末松は青森の連隊で大尉に任官していた。クーデターに参加した青年将校や彼らに思想的な影響を与えた北一輝、西田税とは頻繁に会い議論を交わす間柄であった。末松は青森勤務だったため、事件には参画していないが、37年1月陸軍軍法会議で禁固4年の判決を受け免官。本書は63年に刊行された「私の昭和史」に三島由紀夫や橋川文三の当時の書評を加え、さらに日本近代史研究者の筒井清忠の解説を加えて完本としたもの。500ページを超える大著で読み終わるのに3日かかってしまった。昭和維新を構想するに至る当時の青年将校の考え方、行動の背景が理解できた。2.26事件の前年、陸軍省内で白昼、軍務局長の永田鉄山が皇道派の相沢中佐に斬殺されている。末松は相沢とも親しく交際しており、末松は相沢の礼儀正しさや真面目さを評価している。私はどちらかというと相沢に狂気染みたものを感じていたので、そこいらは新鮮に感じた。
5月某日
「太平洋戦争への道 1931-1941」(半藤一利 加藤陽子 保阪正康 NHK出版新書 2021年7月)を読む。ロシアのウクライナ侵攻が始まったのが昨年2月。私はそこにかつて日本が歩んだ中国への侵略の道を想う。1931(昭和6)年9月、中国東北部の柳条湖で、日本の経営する南満州鉄道の鉄路が何者かによって爆破された。関東軍はこれを中国軍によるものとして武力攻撃を開始、5カ月でほぼ満洲全域を制圧し、翌年には満洲国が建国される。ロシアの思惑も短期間にウクライナ全土を制圧し、親ロシア政権を樹立したいというものだったろうが、ウクライナ軍の強固な抵抗にあっている。ウクライナ国軍と国民の旺盛な戦意に加えて米国やヨーロッパ諸国の援助も見逃せない。ロシア国民に戦争の真実が知らされていないというのも戦前の日本と似ている。ロシアは5月9日に戦勝記念日を祝ったばかりだが、プーチン大統領はかつてヒトラーがソ連に侵攻して手ひどい敗北を喫し、自らは自殺したことを思い返すべきだ。
5月某日
「私のことだま漂流記」(山田詠美 講談社 2022年11月)を読む。毎日新聞の「日曜くらぶ」に連載されたものを単行本にしたもの。本文にも出てくるが「日曜くらぶ」には、山田が敬愛して止まない宇野千代がかつて「生きていく私」を連載していた。山田の小説は何冊か読んできた。なかなか才能のある作家と思っている。このエッセーを読んで、この人が普通のサラリーマン家庭で育ち、明治大学文学部に進学し、売れない漫画家となり大学を中退し、新宿、銀座、赤坂、六本木でホステス家業を転々とする20代前半を過ごしたことを知った。その後、子持ちの黒人の米軍人と知りあい福生で同棲しているときに文藝賞を受賞し、作家デビューを果たすのだ。宇野千代との交情、売れない漫画家時代も面白いのだが、私には日本における黒人差別にいささか驚いた。デビュー作の「ベッドタイムアイズ」は米軍基地からの脱走兵としがないクラブ歌手のラブストーリー。「そうは言っても、黒人相手じゃないか。しかも、出会って、アイコンタクトだけで好意を伝え、すぐさま性的関係を持つ。あまりにもふしだらなんじゃないのか? そう糾弾されて面食らった」「日本人が肌の色に関する差別語をまだ豊富に持っていて、それを口に出すことに、ほとんど躊躇しない時代だった」と山田は記す。山田の両親が差別意識のまったくない人たちで山田が実家に連れて行った黒人親子を歓待する話などはほっとさせられるのだが…。朝日新聞に芥川賞作家の李琴美がオーストラリアのLGBTや先住民の迫害の過去について書いていた。私の父の父(つまり祖父)は明治時代に滋賀県から北海道に渡り、苫小牧で古着屋を開業したという。祖父が北海道の先住民であるアイヌを迫害した事実は知らない。けれど私の祖父を含めた和人たちが総体としてアイヌの人たちの土地を奪ったのは歴史的な事実と思われる。
5月某日
中央区勝どきの月島第2児童公園で開かれているマルシェを見に行く。吉武民樹さんに誘われ大谷源一さんと参加する。地下鉄の勝どき駅に4時頃着いてブラブラしていると大谷さんに会えた。川村学園大学で吉武さんの同僚だった台湾出身の福永先生が肉まんとあんまんを出店しているのだ。好評ですでに売れ切れていたが、事前に予約しておいてくれたので手に入れることが出来た。福永先生に挨拶して公園を後にしバスで築地本願寺へ向かう。築地本願寺の喫茶コーナーで一休み。築地本願寺から歩いて銀座7丁目のライオンへ。吉武さんの出身校の福岡修猷館の同級生が集まっているとのこと。福岡出張のときお世話になった弁護士の羽田野先生も来ていた。吉武さんから早稲田の政経学部出身で長崎の中学で堤修三さんと同級生だった人(確か田中さん?)を紹介される。銀座7丁目から新橋駅まで歩き上野東京ラインに乗車。上野で川口に帰る大谷さんと別れ、私と吉武さんは我孫子へ。
5月某日
「長く高い壁」(浅田次郎 角川文庫 2021年2月)を読む。時は1938年秋、日中戦争下の満洲に隣接する華北が舞台。タイトルの「長く高い壁」は万里の長城を意味する。従軍作家の小柳が推理する分隊10名の毒殺事件の真相とは?浅田次郎は中国の近代史に明るい。そしておそらく中国語にも。浅田は高卒後、自衛隊に入隊しさまざまな職業を経た後、作家に。「鉄道員(ぽっぽや)」で直木賞を受賞している。人間、学歴ではないんだよなー。