モリちゃんの酒中日記 8月その2

8月某日
「松雪先生は空を飛んだ」(上下)(白石一文 角川書店 2023年1月)を読む。それなりに面白かったんだけど…・。空を飛ぶ能力を持った人たちの話し。松雪先生の私塾に学ぶ数人がある日先生に呼び出され、先生の血を飲まされる。それによって空を飛ぶ能力を身につけるのだが、私はオウム真理教、麻原彰晃の空中浮遊と血のイニシエーションを思い出させた。白石一文には「プラスチックの祈り」という荒唐無稽な小説があった。確か人間や街がプラスチックになってしまうというストーリーだった。ストーリーは荒唐無稽でも、そこに切実さがあれば小説としてはあり得るとおもうけれど、私の読むところでは本作にはその切実さが希薄であった。

8月某日
「かっかどるどるどぅ」(若竹千佐子 河出書房新社 2023年5月)を読む。若竹千佐子は1954年、岩手県遠野市生まれ。岩手大学教育学部卒。卒業後は臨時教員をへて専業主婦。55歳で夫を亡くし息子のすすめで小説講座で学ぶ。「おらおらでひとりでいぐも」で63歳で作家デビュー。本作は小説としては2作目。主な登場人物は5人。女優の夢を捨てきれず、つましい暮らしを送る60代後半の女性。舅姑の介護に明け暮れ、自分を持たぬまま生きてきた68歳女性。大学院を出たものの就職氷河期に重なり、非正規雇用の職を転々とする30代後半の女性。生きることに不器用で、自死を考える20代の男性。心もとない毎日を送る4人は、引きつけられるように古いアパートの一室を訪ねるようになる。そこでは片倉吉野という不思議な女性が、訪れる人たちに食事をふるまっていた。…というのがこの小説の大雑把な前提だ。超高齢社会で格差社会でかつ孤立社会でもある現代日本の断面を描きつつその再生も展望する小説。読んでいて心が温まります。

8月某日
「腹を空かせた勇者ども」(金原ひとみ 河出書房新社 2023年6月)を読む。表題作と「狩りをやめない賢者ども」「愛を知らない勇者ども」「世界に散りゆく無法者ども」という4つの短編で構成されている。主人公は中学3年生から高校1年生までのレナレナ。レナレナのママとパパ、中学校の同級生、そして行きつけのコンビニの店員で中国からの留学生が主な登場人物である。作者の金原は1983年生まれで、レナレナの親と同じ世代であろう。そして私の子どもと同じ世代でもある。ということはレナレナは私の孫と同世代ということになる。レナレナは同級生はもちろんのこと中国からの留学生とも心を通わせる。だが両親、とくにパパとはうまくコミュニケーションがとれない。パパの存在感は一貫して薄い。結局、この小説社会は女たちによって支えられている。現実の日本社会は女性の進出が進んでいるとは言っても男性社会である。だが10年、20年経過してレナレナたちが社会の中堅を担うようになったら、そこは変わる可能性がある。その可能性を大きく予感させる一作であった。

8月某日
「日本人が知らない戦争の話-アジアが語る戦争の記憶」(山下清海 ちくま新書 2023年7月)を読む。太平洋戦争という呼び方は日本がアメリカに負けた後に、米国政府や米軍の意向に沿って決められたと思う。日本では日米開戦後、大東亜戦争という呼称が用いられている。太平洋戦争では中国大陸の戦争やビルマでの戦闘をイメージすることは難しい。地理的には大東亜戦争という呼び方がしっくりすると思うが、戦後の日本人には受け入れがたかった。それで本書ではアジア・太平洋戦争という言い方をしている。「日本人が知らない」というタイトルの通り、本書には私たちの知らない戦争の現実が記されている。真珠湾の奇襲からほどなくして日本陸軍は英領のシンガポールを陥落させた。シンガポールは中国系の人々(華人)が住民の多数を占めたが、多くの華人が日本軍の手により虐殺された。オランダ領であったインドネシアでも、住民を虐待した例は多い。ナチスドイツのユダヤ人虐殺を視野に入れると鬼畜米英ではなく、鬼畜日独こそがふさわしいと思えてくる。広島、長崎への原爆投下もあって、我々は日本人を戦争の被害者ととらえがちだ。もちろん無差別爆撃による被害者としての側面もあるのだが、中国や東南アジアの人々に対しては、私たちは加害者なのだ。そのあたりについて私たちは自覚的にあるべきだろう。ところで本書では各章の最後にコラムとしてちょっとした話題が提供されている。「日帝が残したタクワン」というコラムでは、韓国で食事をすると「キムチではなくタクアンが出てくることも多い」、韓国では、「日帝(日本帝国主義)の持ち込んだもので、よかったものはタクワンだけ」と言われているそうだ。

8月某日
年友企画の岩佐さんの呼びかけで神田駅近くの「さかながはねて」に17時30分に集合。集まったのは岩佐、社保研ティラーレ社長の佐藤さん、フィスメック社長の小出さん、社会保険出版社の高本社長そして私。2時間30分食べて呑んでそれでひとり5000円はリーズナブル。退職して以来、私はひとりで呑むことが多い。ひとり呑みの良さもあるがたまには集まって呑むのも悪くない。幹事をやってくれた岩佐さんに感謝である。

モリちゃんの酒中日記 8月その1

8月某日
大学時代の同級生と会食。13時30分に京橋の明治屋ビル地下のレストラン「モルチェ」に集合。弁護士をやっている雨宮先生以外はリタイヤ組。もっとも元いすゞ自動車の内海君はイタリヤの会社に呼ばれて年に何回かあちらにいっているらしい。元伊勢丹の岡君は親の介護のため、60歳で退職した。あとは元三鷹市社協の吉原君と私の5人。そういえば、1969年の4.28(4月28日のこと)、内海君や近ちゃん(近藤さん)、島崎君らとデモ見物に行って機動隊に襲われたことがある。内海君と近ちゃんは逃げ遅れて逮捕されてしまった。。確か京橋の近くの宝町あたりだった。内海君にそのことを話すと「俺は銀座の真ん中で捕まったの」と譲らない。吞んで食べて喋っていたら3時間ほどはあっという間に過ぎてしまい、店の人に「そろそろ」と言われてしまった。

8月某日
「インフレ・ニッポン-終わりなき物価高時代の到来」(大塚節雄 日本経済新聞出版 2023年4月)を読む。日本は長くデフレだった。しかし長引くコロナ禍で需要も減ったが供給力も減少した。それに昨年2月のロシアのウクライナ侵攻である。原油や小麦が高騰した。通貨としての円も下落し輸入物価の高騰に拍車をかけた。今年3月に日銀総裁を辞めた黒田氏(それと安倍元首相)は2%の物価上昇を公約したが、任期中は実現できなかった。辞めたとたんに実現されるという皮肉な結果となった。著者の大塚は日本経済新聞社の編集委員で2022年4月の日経新聞電子版に「ウクライナ危機で資源高に根ざす輸入インフレは日銀の想定を超えて進んだ。資源を海外に頼る日本にとって輸入インフレは海外への所得流出を意味し、家計の『所得デフレ』や内需型企業の『収益デフレ』に等しい」と書いている。著者は最後に日本経済に幾つかの提言を行っている。私がもろ手をあげて賛成したいのは提言③の「失われた『賃上げメカニズム』の歯車を回せ」である。私の考えでは、毎年3~5%の賃金上昇、それを0.5~1%下回る物価上昇、これがあれば日本経済はうまく回るはず。

8月某日
御徒町駅近くの清瀧上野2号店でデザイナーの土方さん、HCM社の大橋さん、年友企画の石津さんと会食。土方さんから佃煮、石津さんからお煎餅などのお土産をいただく。土方さんとの出会いは10数年前。土方さんが開発した「胃ろう吸引シミュレーター」の販売を巡ってだった。販売を当社が引き受けたのだが、専任の営業を置くことができずに伸び悩んでいた。そんなときにHCM社が販売を引き受けてくれた。土方さんと大橋さんとはそれ以来、仲良くさせてもらっている。こうした呑み会の場合、お互いの近況報告がメインとなるが、年金生活者の私はもっぱら聞き役。土方さんにご馳走になる。

8月某日
「白鶴亮翅」(多和田葉子 朝日新聞出版 2023年5月)を読む。タイトルの白鶴亮翅は「はっかくりょうし」と読み、太極拳のポーズのひとつ。「鶴が右の翼を斜め後ろに広げるように動かして、後ろから襲ってくる敵をはねかえす」ポーズのようだ。物語は現代のベルリンが舞台。夫のドイツ留学についてきたミサとミサを巡るベルリンの友人たちを巡る物語だ。留学を終えて夫は帰国するがミサはベルリンに残る。ミサは隣人のMの誘いで太極拳を習い始める。多和田葉子も確かドイツ在住だから作者のドイツ体験が物語の底流にあるのは確かだ。ドイツでドイツの歴史を体感し、また日本の歴史を想う-それも自然な形で。
なかなか素敵な物語として私は読んだ。

モリちゃんの酒中日記 7月その3

7月某日
床屋さん「カットクラブパパ」へ行く。以前行っていた「髪工房」が突然、閉店したのでこのところ「カットクラブパパ」へ行っている。髪工房の店主は私よりも年上だったが、カットクラブのほうは私よりもだいぶ若い。今回も髪を短めに仕上げてくれる。終ってから床屋近くの食堂「三平」へ。ここは年配のご婦人が数人でやっている昔ながらの食堂。五目チャーハンを食べる。5時30分に我孫子駅北口へ立憲民主党の岡田克也幹事長が演説に来るというので観に行く。30分ほど前に行ったがすでに数十人が集まっていた。圧倒的に高齢男子が多い。政治に背を向ける若い人たち。日本の将来は大丈夫か?岡田幹事長の演説は可もなく不可もなし。

7月某日
「東京史-七つのテーマで巨大都市を読み解く」(源川真希 2023年5月 ちくま新書)を読む。東京は明治維新後に日本の首都となり、関東大震災、東京大空襲を経ながら膨張を続けてきた。無秩序な膨張を繰り返してきたように見えるが、内務省や東京市によってそれなりの規制を受け、都市計画も存在した。にしても東京の魅力とは何であろうか? 西欧的な秩序とアジア的な混沌。この二つの混在か。

7月某日
「我が産声を聞きに」(白石一文 講談社 2021年7月)を読む。「来週の木曜日、空いている?」と夫の良治に言われ、名香子は夫とともに車で中華レストランを訪れる。食事を終えてデザートを食べているとき、夫から切り出されたのは「実は好きな人がいる、彼女と暮らすことにした」という別れ話だった。自宅その他の財産も、退職金の半分も名香子に渡すという。こんなこと突然、配偶者から言われたらショックだろうなぁと思う。名香子もそうだった。しかし名香子はショックを契機に徐々に変わっていく。飼い猫のエピソードが効いている。二番目の飼い猫ミーコは失踪してしまうのだが、ラストでは庭に迷子猫があらわれるシーンだ。子猫が再生のシンボルのようだ。

7月某日
「投身」(白石一文 文藝春秋 2023年5月)を読む。舞台は2022年の東京、品川。主人公の49歳の女性、旭(あきら)は「ハンバーグとナポリタンの店 モトキ」を品川区役所の近くで営業している。コロナ禍で客足は遠のいている上にロシアのウクライナ侵攻で食品の仕入れ値が高騰し、経営は苦しい。しかしモトキの常連でもある大家の二階堂さん(79歳)が家賃を格安に抑えてくれているので何とか赤字は免れている。旭の妹、麗、麗の夫の藤光との交流(実際は旭と藤光の性交を伴う交情)やかつての旭と年下の専門学校生、ゴローとの性交を伴う交流が描かれる。まだ周囲には知られていないが、二階堂さんは認知症を患っている。結局、二階堂さんは東京湾に船を出し、投身自殺をする。私は多摩川で入水自殺した西部邁のことを思い出さずにはいられなかった。西部は認知症ではなかったが、自身の老いが耐えられなかったということでは二階堂さんと共通するところがある。さらに二階堂さんも西部も妻を先に喪っている。そういえば、江藤淳も奥さんが亡くなった後に自殺している。男って弱いんだな。