モリちゃんの酒中日記 8月その3

8月某日
「朝鮮王公族-帝国日本の準皇族」(新城道彦 中公新書 2015年3月)を読む。つい先だってアメリカのキャンプデービッドで日米韓の首脳会談が行われた。この3か国は特別な関係にあると思う。日米は1941年11月8日から1945年8月15日まで太平洋戦争を戦った。日本は韓国を1910年に併合し、敗戦まで支配下においた。朝鮮半島は日本の敗戦によって南は米軍の、北はソ連軍の支配下におかれた。南は大韓民国、北は朝鮮人民民主主義共和国として分断統治されている。日本の韓国併合まで韓国は大韓帝国として皇帝の支配する国だった。併合にともなって韓国の皇族は朝鮮王公族として、日本の皇族に準ずる地位と待遇を得ることになる。「異民族ながら『準皇族』扱いにされた彼らの思いは複雑であった。」「本書は、帝国日本に翻弄された26人の王公族の全貌を明らかにする」(本書の袖のコーピーより)。ということなのだが、戦争が終わってから80年近く経過し、日韓併合からは100年以上が経過している。正直あまりピンと来ない。そこで韓国皇帝の正統な後継者、王世子李垠(イウン)に嫁いだ梨本宮方子の母、梨本宮伊都子の目を通して、この結婚と当時の宮中社会を描いた小説「李王家の縁談」(林真理子 文藝春秋 2021年11月)を読む。

8月某日
「李王家の縁談」を読む。「李王家の縁談」について作者の林真理子が週刊文春の連載エッセー「夜ふけのなわとび」(9月7日号)で次のように書いていた。「もともと皇族や華族が大好きで、本も一冊書いている。文藝春秋から出した『李王家の縁談』は、朝鮮の皇太子に嫁いだ『梨本宮伊都子妃の日記』を元にしている。これが面白いの何のって。昔の皇族の妃が、いわゆる〝書き魔″で、克明な日記を書いているのだ」。林はさらに伊都子妃について「戦後は民主主義についていけなかった。テレビで見る正田美智子さんに憤慨したりしている」と書いている。明治維新によって士農工商といった身分制度は撤廃されたはずだが、皇族に加えて華族が新しい身分制度となった。華族は旧大名家や公家、維新の功労者などが列せられた。伊都子は鍋島侯爵家の出身で父親がイタリア公使としてローマに赴任していたときに産まれたことから伊都子と名付けられたという。戦後、朝鮮半島は日本帝国主義の支配から脱して南は韓国、北は朝鮮民主主義人民共和国として独立した。李王家の末裔はどうしたんだろう? 浅田次郎の小説に陸軍高官だった王世子の弟が、広島の原爆で爆死し、お付きの士官が拳銃自殺する小説があったと思う。これも泣かせるんだよね。

8月某日
「フェミニズム 『女であること』を基点にする」(加藤陽子 鴻巣友希子 上間陽子 上野千鶴子 NHK出版 2023年7月)を読む。別冊NHK100分de名著シリーズの一冊。私は加藤陽子の「伊藤野枝集」が面白かった。伊藤野枝は100年前の関東大震災の直後に当時、実質的に夫婦関係にあった大杉栄と一緒にいた甥と3人ともに憲兵大尉の甘粕正彦に殺害される。伊藤野枝の生涯は瀬戸内寂聴の「美は乱調にあり」や村山由佳の「風よあらしよ」などで描かれている。加藤陽子がとりあげた「伊藤野枝集」は岩波文庫で森まゆみが編集して2019年9月に出版されている。加藤は伊藤野枝が「百年以上前の日本で、仕事と子育てを両立することができたのでしょうか」という問いを発する。加藤は没落したとはいえ、それなりの教育を受けることのできた伊藤野枝の育ちと、仮設と断りながら「野枝は子育てに大きな喜びを感じていた」ことをあげている。なるほどねぇ。私は団塊の世代の多くの男性がそうであるように子育てに積極的に関わってこなかった。我が家において子育て、教育は母親つまりは妻の役割であった。母親と子供の関係はそれなりの緊張感もはらみながらも親密であった。私と子供の関係はと言えば、母親に比べれば疎遠、それは現在にも至る。

8月某日
「のろのろ歩け」(中島京子 文春文庫 1015年3月)を読む。解説の酒井充子によると「三者三様の女性たちがアジアの街にやってきた。文房具メーカーに勤める大学卒業二年目の美雨は台湾に、ファッション雑誌の編集経験十年、バリバリの編集者、夏美は北京へ。そして派遣スタッフだった亜矢子は、仕事を辞めて夫の駐在地である上海へ。三人が、それぞれの旅先あるいは滞在先で出会う人たち、小さな出来事によって、ほんの少しだけ返信する」と要約される。中島京子の小説に登場する女性たちはそれぞれに魅力的である。私には彼女たちが声高に女性の自立を叫ぶのではなく、それぞれの生き方が人間としての自立に基礎をおいていることから魅力的に感じるのではないかと思う。