9月某日
「はたちの時代-60年代と私」(重信房子 太田出版 2023年6月)を読む。重信房子ねぇ。重信は1945年生まれだから私とほぼ同世代。本書によると都立の商業高校を卒業後、キッコーマン醬油に入社。その後、キッコーマンに勤めながら明治大学文学部のⅡ部に入学、持ち前の正義感からブント(共産主義者同盟)が主導する明大の学生運動に参画する。1969年にブントが路線を巡って分裂したときは赤軍派に所属。 国際根拠地論に従って京大生の奥平剛士と偽装結婚、パレスチナに渡る。奥平はその後、リッダ空港銃撃戦で死亡する。本書には私が知らなかったブント分裂や赤軍派誕生の状況、連合赤軍の実態が描かれていてそれはそれで面白い。しかし私は当時好景気の絶頂にあった日本で、革命を現実として捉えていた彼らの感覚こそが面白い。私なども革命を夢想した学生の一人だが、赤軍派に加入するほど度胸は持ち合わせていなかった。重信が連合赤軍の指導者だった森恒夫とも親しかったことも明かされるが、同じ明治のブントの仲間だった遠山美枝子の死の報にパレスチナで接する衝撃にも驚かされる。
毛沢東主義の京浜安保共闘とブント赤軍派が連合したのが連合赤軍だが、毛沢東主義とブンドの違いについて重信は次のように主張する。「ブントと毛沢東派の問題の立て方は、根本的に違います。ブントは、路線問題など政治主義的に、その見解の一致を行動の一致、組織活動の基本としています…革命家の自覚を持って、恥じない範囲で自由に過ごそうということでしょう。教条主義ではないのです。プチブル的な自由主義であり、寛容とも言えるし、だらしない組織性で知られます」「ところが毛沢東派は、一般的にも当時は特に『四人組』の時代でもあり、日常生活の在り方一つ一つの中で、利己主義は無いか、走資派の芽は無いかという批判活動と、その追及を受けた自己批判など、告発し追求するスタイルの文化大革命・思想革命を重視していました。こうした毛沢東派的な見方でみれば、ブントの指導部含めて、みな失格の烙印を押されそうです」。この見方は当たっているように思う。ただ毛沢東派といってもいろいろあって、ブントのML派や日中友好協会(正統)に軸足を置く一派などがいた。ML派はゲバルトに強かったという印象が強いけれど…。
9月某日
「暗い時代の人々」(森まゆみ 朝日文庫 2023年9月)を読む。書店の文庫本の新刊コーナーに平積みされていたので迷いなく買う。図書館ばかりでなくたまには書店に行くべきだと思う。戦前、同調圧力に屈することなく自由の精神を貫いた真の〝リベラリスト″たちを描く小伝集。森まゆみ自身がリベラリストである。早稲田大学政経学部で藤原保信のゼミで学んだ影響があるのかもしれない。戦争中の帝国議会で反軍演説を行った斎藤隆夫の項で早大出身の斎藤に触れて「わたしも1970年代にこの大学に学び、興味深い授業は斎藤保信先生の授業とゼミぐらいだったが、何かというと『都の西北』を歌ったことを覚えている」と記している。森はリベラリストだが、時代が右傾化するなかで左派色が強まっているように私には思える。「文庫版あとがき」でも「単行本刊行後も、新型コロナの猖獗、無観客で行われた東京オリンピック、安倍元首相の銃撃事件、台湾有事や北朝鮮のミサイル攻撃の喧伝、そしてロシアとウクライナの戦争が起こった。それらを口実に米国から武器を買い、軍備を増強し、自由な言論の外堀は埋められ続けている(中略)『新しい戦前』という言葉も現実味を帯びてきた」と日本の現状を憂いている。深く同感。
9月某日
北朝鮮の金正恩委員長がロシアのウラジオストクを訪問、プーチンと会談したり夜はオペラを鑑賞したりしたことが報じられている。戦前は日本、ドイツ、イタリアの3国が軍事同盟を結びファシズム陣営を形成していた。現在はロシアと北朝鮮に中国を加え、権威主義の3国同盟を形成しているように私には思える。これも「新しい戦前」の現実化のひとつであろうか。アメリカやイギリス、日本、韓国、その他先進資本主義国家の現状は、貧富の格差が拡大しつつあるが、それでも前記のロシア、中国、北朝鮮の権威主義国家の現状よりは遥かに〝マシ″と考える。日本の民主主義の現状に満足してはいないが、若い世代に期待するしかないね。