モリちゃんの酒中日記 9月その4

9月某日
「甦る『資本論』-若者よ、マルクスを読もう 最終巻」(内田樹×石川康宏 かもがわ出版 2023年7月)を読む。内田樹はレヴィナスの研究者として知られるが武道家でもある。1950年生まれ。東大在学中は革マル派の活動家だったことがあるらしい。この本でも「学生運動にかかわっていた頃に『プロレタリア的自己形成』という言葉を時々耳にしました。もちろん『内田はプロレタリア的な自己形成ができていない』という批判の文脈で使われた言葉です」と自身のことを綴っている。一方の石川康宏は1957年生まれ。ウイキペディアによると立命館大学二部経済学部を卒業。在学中は自治会委員長。京都大学の大学院博士課程を修了後、神戸女学院大学で内田の同僚となる。全国革新懇の代表世話人を務める。ということはバリバリの日本共産党員ということか? まぁ日本共産党にも委員長の公選制を主張する人があらわれたり(その後、確か除名)、変わりつつあるのかもしれない。それにしてもマルクスの思想を学ぶに当たって革マル派や日共などの党派的立場を前提にするのはやはり間違いだろう。マルクスもエンゲルスも世界革命を主張する共産主義者同盟の主要メンバーだったがイギリス亡命以降は、実践活動からは事実上身を引いたみたいだ。マルクスは資本論の執筆に専念したし、エンゲルスはマルクスを支えるための商売に忙しかったらしい。私はまだ資本論を読んでいないが、この本を読んで資本論はたんに経済学や哲学の書ではなく、マルクスが当時の労働者の労働や生活の実態把握のうえに書かれたことがよく分かった。

9月某日
「まずはこれ食べて」(原田ひ香 双葉文庫 2023年4月)を読む。原田ひ香は昨年、NHKの夜ドラで原田原作の「一橋桐子(76)の犯罪」を観てから読むようになった。独身で身寄りもない老女が刑務所へ行けば衣食住に不自由はないと犯罪を企てる話だ。老女役を松坂慶子が好演していた。「まずはこれ食べて」は、大学の同級生が卒業後、IT関連企業を起業した社員たちと、そこに家政婦として派遣される筧みのりの物語だ。IT関連企業だから社員たちの出社は遅い。筧の主な仕事は彼らに昼食と夕食、夜食をつくることだ。ストーリーが進展するなかで、この企業の成り立ちや社員のそれぞれの事情、そして筧の生い立ちや半生が明らかになってくる。私は原田のほのぼのとしながらも風刺も効かせた物語づくりのファンです。

9月某日
私が社長をしていた年友企画を辞めてから5年ほどになる。その年友企画の社員(今では役員になっているらしい)から連絡があってランチをご馳走してくれるという。その日はマッサージの予約をしていたので、マッサージを受けた後我孫子駅へ。13時に神田駅西口で待ち合わせ。駅前の昼からやっている居酒屋へ入る。何でも最近は企画書づくりにもAIを活用しているとか。食べたり吞んだりしているうちに15時を過ぎてしまったのでお開きに。すっかりご馳走になってしまった。しかし年友企画のような会社でもAIの活用が始まっているのかといささかビックリした。「老兵は死なず、消え去るのみ」の感、強し。

9月某日
「レイテ沖海戦〈新装版〉」(半藤一利 PHP文庫 2023年7月)を読む。解説を含めると文庫版で500ページを超え、読み通すのに3日かかった。もともと本書は1970(昭和45)年にオリオン出版社より「全軍突撃・レイテ沖海戦」の題名で刊行され、84年(同59)年に朝日ソノラマ文庫の航空戦史シリーズの一冊にも「レイテ沖海戦」と改題され上下二巻で加えられた(決定版のためのあとがき)。半藤さんは1930年の生まれだから、執筆したのはまだ30代ということになる。「あとがき」では「読み直すとかなり面映ゆいところがある。曲筆はないが舞文の箇所はここかしこにある」と書いているが、確かに歴史探偵として円熟した文章を書いていた晩年のそれとは趣が違う。本書では提督、艦長、幕僚クラスから下士官、兵に至るまでのそれぞれのドキュメントで構成されているが、とくに海軍兵学校第73期出身の最下級最年少の少尉たちには多くの紙幅が割かれている。半藤先生は非戦の人ではあるが、軍人とくに純粋な若い軍人は好きだったのじゃないか。私はアジア太平洋戦争に対しては賛成できないし、それに先立つ日本帝国主義の朝鮮半島や中国大陸への侵攻は認めることはできない。が、特攻隊員を含め先の戦争で亡くなった多くの死を「愚かな死」と一括りにすることはできない。そこは半藤先生と同じ立場である。