モリちゃんの酒中日記 11月その3

11月某日
「ロシア・ウクライナ戦争-歴史・民族・政治から考える」(塩川伸明編 東京堂出版 2023年10月)を読む。ロシアのウクライナ侵攻が始まってから私は少しウクライナに関心を持ち始めた。例えばウクライナ語はロシア語とは似ているが違う言語だということ。ただアメリカやイギリス、フランスやロシアの歴史に比べるとウクライナについては殆ど無知と言ってよい。それでまぁ我孫子市民図書館で本書を借りたわけです。第2章「ルーシの歴史とウクライナ」で松里公孝東大大学院教授が書いていることが参考になった。それによると、現在のウクライナ地域は①9~12世紀は世俗国家としてはキエフ・ルーシに統合②13~17世紀、モンゴルによりキエフ・ルーシは滅亡、ルーシは東西に分裂③17~18世紀、ロシア帝国が東西ルーシを再統一④19世紀~ロシア革命まで、正教とカトリックの闘争が西部諸県の「ポーランド人問題」として内政化して継続。ロシア革命によりウクライナ、ロシア、ベラルーシが生まれた。ウクライナはソ連(ソヴェト社会主義共和国連邦)を構成する社会主義共和国となった。それでソ連の解体によりウクライナは名実ともに独立国になったということである。中・東欧史ってややこしんだよね。とくにウクライナは。
第4章「歴史をめぐる相克-ロシア・ウクライナ戦争の一断面」で浜由樹子静岡県立大準教授が「ウクライナは、異なる来歴を持ついくつもの地域から成り立っており、民族構成、使用される言語、宗教分布も地域によって少しずつ違う」と書いている。大雑把に言うと西の方が親西欧でウクライナ語が優勢で東部地区が親ロシアでロシア語を話す人が多いらしい。そしてクリミア州はもともとソ連のロシア共和国に属していたが、フルシチョフによってウクライナ共和国に移管された。2022年のロシアのウクライナ侵攻に先駆けて2014年にクリミア州が住民投票の結果、ロシア連邦に編入されたが、ロシアの軍事力を背景にした編入と思っていたが、そうとばかりは言えないらしい。2022年10月には東南部4州が住民投票の結果を受けてロシアに併合されたが、これも同様だ。しかしである、ロシアのウクライナ侵攻は紛れもなく「力による現状変更」である。イスラエルのガザ侵攻が認められないのと同様にロシアのウクライナ侵攻も認めるわけにはいかないのである。私としては。

11月某日
「柄谷行人・中上健次 全対話」(講談社文芸文庫 2011年4月)を読む。柄谷行人は1941(昭和16)年兵庫県生まれの思想家。近著に「力と交換様式」。中上健次は1946(昭和21)年和歌山県生まれ。新宮高校卒業後、新宿でフーテン生活を送りつつ小説家を目指す。76年に「岬」で第74回芥川賞受賞。「枯木灘」「19歳の地図」「蛇淫」などを執筆、92年にガンで逝去。私の友人で5年ほど前に亡くなった竹下隆夫さんが中上と親しくて、確か和歌山の新宮で執り行われた中上の葬儀にも出たように思う。竹下さんは当時、年金住宅福祉協会に勤務していたが、もともとは文芸図書の出版社だった冬樹社で編集長をしていたから中上とはその頃からの付き合いだったのだろう。解説(高澤秀次)によると、柄谷と中上の出会いは1968年、当時東京新宿・紀伊國屋ビルの5階にあった「三田文学」の編集室であった。68年と言えば前年の67年の10.8羽田闘争で火が付いた学生運動が68年に入って東大、日大闘争が始まり10月21日の国際反戦デーでは新宿駅中心に大規模な騒乱状態を出現させた年である。本書によると中上はフーテン時代に早稲田の法学部の地下にあった社学同のサークルの部室に顔を出していて荒岱介(後の共産同戦旗派の創始者)などと親しかったそうだ。それはともかく「本当は、交通があるという状態が都市なんで(中略)世界史を見ても結局、活溌な交通や異種交配があるところだけ“進化”している」(柄谷)、「フリー・ジャズなんて(中略)音がつくりあげるコード、すなわち法制度から、なるべく遠くへ行こうと思うわけでしょう」(中上)という発言などは今でも新しいと思う。

11月某日
11月25日は私の75歳の誕生日である。吉本隆明と同じ誕生日というか1970年に三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で割腹自殺した日でもある。そして8年ほど前に私の母が92歳で亡くなった日だ。ということで西荻窪に住む兄から、北海道に住む弟が出てくるので食事をしようというメールがあった。待ち合わせ場所は新宿野村ビル。久しぶりの新宿なので迷ってしまい5分ほど遅刻。予約してあった土佐料理の「ねぼけ」へむかう。夜景がきれいだった。私以外は奥さんと一緒だった。新宿駅で彼らと別れ私は山手線で日暮里へ。日暮里から常磐線で我孫子へ。

11月某日
作家の伊集院静が亡くなる。73歳だった。私は伊集院静の愛読者とは言えないが、現代作家のなかでは割と読んだ方である。本日(11月29日)の朝日新聞朝刊に桜木紫乃が追悼文を寄せていた。桜木は伊集院のことを無頼と呼んで次のように書く。「無頼はときどき、誰にも告げずにふらりと博打の旅に出るらしい。今度はいったいどんな賭場を見つけ、どんな楽しい博打を打っているのか」。伊集院は確かに無頼であった。無頼はしかし「頼り無い」状態でもあるのだ。在日朝鮮人の家に生まれ高校球児として活躍し、立教大学野球部に入部するも身体を壊して退部。広告代理店のプロデューサーとして当時、人気絶頂の夏目雅子と出会い結婚するが、夏目は病死してしまう。その後、篠ひろ子と結婚する。華やかな人生とも言えるが、挫折と出会いと別れの人生でもあった。

11月某日
「くまちゃん」(角田光代 新潮文庫 平成23年10月)を読む。「あとがき」で「この小説に書いた男女は、だいたい20代の前半から30代半ばである。1990年代から2000年を過ぎるくらいの時間のなかで、恋をし、ふられ、年齢を重ねていく。そう、この小説では全員がふられている」として、次いで「私はふられ小説を書きたかったのだ」と続ける。7編の短編小説がおさめられているが確かに全編「ふられ小説」である。ところで私はふられた経験がない。本当はふられたのにそれに気付かなかったのかもしれないが、自覚がない。北海道で高校までを送り、東京で一浪し大学に入学した。同級生と恋愛し卒業してすぐ結婚した。つまり女性に持てたから振られたことがないのではなく、真剣な恋愛は今の奥さんとの一度切りという貧しくも幸運な恋愛経験の結果である。

11月某日
図書館で借りた「1937年の日本人-なぜ日本は戦争への坂道を歩んでいったのか」(山崎雅弘 朝日新聞出版 2018年4月)を読む。私はかねがねロシアのウクライナ侵攻が戦前の日本の中国大陸への侵攻と重ね合わせて見てきたもので、山崎雅弘という人の書いた本は初めて読むが借りることにした。山崎は大学で教える歴史学者ではない。巻末の略歴では戦史・紛争史研究家となっている。岩波新書の「独ソ戦」を書いた大木毅の存在と近いのかも知れない。「独ソ戦」も面白かったが本書も面白かった。山崎の着目点が良い。山崎は「はじめに」で、ある日を境に「日本人の生活や価値観が」昨日までの「平和の時代」から一転して「戦争の時代」へ激変するような「分岐点」は見当たらないとしている。そうかも知れない。ロシアのウクライナ侵攻にも中世から帝政時代、ソ連時代とその解体といった長い歴史があるし、イスラエルのガザ侵攻には第1次世界大戦時のイギリスの戦略の問題(枢軸国側だったオスマントルコに対抗するためにアラブ勢力には戦後の独立を約束し、ユダヤ人にはユダヤ国家の建設を約束した)、つまりイギリスの二枚舌、三枚舌外交戦略の問題がある。まぁ2000年前にはローマの属国だったとはいえ、ユダヤ国家は存在した。
1937年前後の日本の状況は、既成政党は国民の信用を失っており、軍拡による急激な物価上昇が国民生活を直撃していた。ここらへんは岸田政権下の現代日本を想起させる。7月7日の盧溝橋事件をきっかけに始まった支那事変は当初は政府も軍も不拡大方針だったが、世論やそれを煽った新聞の論調に引きずられ、まず陸軍が戦線の拡大と軍事費の増額を唱え、政府もそれに追随した。ただし衆議院では軍に対して批判的な議員が粛軍演説をしたり、一部の雑誌(中央公論や改造)では軍に批判的な論文も掲載された。ジャーナリストの伊藤正徳は大局的な見地で他国との紛糾を捉えるならば、相互の譲歩や多少の屈服を日本が敢えてすることも、決して日本にマイナスではないと文藝春秋で指摘している。1937年の年末、日本軍は首都南京に迫りつつまった。新聞(大阪朝日)は「南京包囲の態勢成る」「いよいよ迫る首都最後の日」と報じる一方で、大丸、高島屋、三越などの百貨店の全面広告や半面広告を掲載している。つまり、山崎が「はじめに」で書いたように平時から戦時への分岐点が明確にあるわけではなく戦争と平和が併存しつつ、グラデーションのように戦時色が強くなり、やがては戦時一色となるのだ。現代の日本では岸田政権はウクライナ戦争による物価高騰に対応して減税を約束する一方で、自衛隊の装備の現代化に向けて増税の検討に入っているという。いつか来た道をたどることがないように祈るのみである。