12月某日
北海道の室蘭で小中高が一緒だった山本君と呑むことになったので、中高が一緒だった坂本君も誘うことにする。山本君は家が近所で小学校の5、6年生が同じクラスだった。坂本君は中学校で私と同じブラスバンド部に所属、トランペットを吹いていた。柏駅の中央改札口で待ち合わせ、昼間からやっている居酒屋「かね子」に入る。生ビールで乾杯の後、私は焼酎のお湯割り、坂本君と山本君は焼酎の水割りを呑む。「かね子」は焼トンの美味い店で、3時に入店したときは空席もあったがすぐに満席となった。2時間制で少し超過したが3人とも満足したようだった。柏から山本君は東武野田線で春日部へ、私と坂本君はJR常磐線で私は我孫子、坂本君は天王台へ。私は我孫子で「しちりん」に寄る。
12月某日
図書館で借りた「武家か天皇か-中世の選択」(関幸彦 朝日新聞出版 2023年10月)を読む。歴史を出来事の叙述としてではなく、体制(システム)の相克、協調、闘争として捉えようとしている関の論理の展開には興味を覚えた。しかし私が親しんだ歴史の本とはちょっと感覚が違い、250ページに満たない本ながら読み終わるのに4日もかかってしまった。本書を要約するのは難しい。私が興味を持った論を紹介したい。例えば至尊と至強の分離。12世紀の源平争乱を経て源頼朝は鎌倉に幕府を開くが、これにより天皇(至尊)と至強としての幕府権力が分離される。摂関政治が台頭するまでの古代国家においては大王が軍事力と政治権力を独占していた。9世紀以前の天皇名は文武、天武、聖武など「武」や「文」の漢語が共有され、そこには帝王たる治世への形容句が内包されていた。しかし10世紀の東アジア史の転換(大唐帝国の滅亡)を契機に、日本は律令国家体制から王朝国家に移行し、それに伴って天皇の呼称も変化する。宇多・醍醐・村上と続く京都の地名や御所名を冠する天皇の登場である。
12月某日
図書館で借りた「我が産声を聞きに」(白石一文 講談社 2021年7月)を読む。表紙の猫の写真を見て「見たことあるなぁ」と思ったが、読み始めてこの本は読んだことがあると感じた。2021年の発行だから2年前、そんな直近に読んだ本でも忘れてしまうのだ、と自分の耄碌ぶりに驚く。しかし考えてみれば同じ本を2度読むということは悪いことではない。本書でも前回読んだときは感じられなかったことを発見することができた。東京の理工系大学の大学院卒のエリート技術者と結婚した関西の外語大学出身の名香子が主人公。名香子は突然、夫に好きな人ができたので別れて欲しいと言われ、夫は好きな人の住む北千住へと行ってしまう。前回、読んだときには気付かなかったが、作者は完全に名香子の味方。夫との別離をきっかけにして名香子は敢然として自立の道を選ぶ。自立を決意したとき、庭に数年前いなくなったミーコと似た猫が姿を現す。猫は夫からの自立の象徴とも読める。
12月某日
「満洲事変はなぜ起きたのか」(筒井清忠 中央公論新社 2015年8月)を読む。去年、タレントのタモリが「来年は新しい戦前が始まる」と言って一部で注目を集めた。ロシアのウクライナ侵攻は昨年の2月だから「新しい戦前」は昨年から始まっていたのかもしれないし、ロシアのクリミア半島併合は2014年3月だから、そこから「新しい戦前」が始まったともいえる。私はロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのパレスチナ・ガザ地区侵攻が、戦前の日本の満洲国建国やその後の中国大陸への全面的な戦闘拡大と二重写しに感じられる。日清日露戦争に勝利した軍部、とくに陸軍は次の狙いを中国大陸に定める。日露戦争後、満洲に留まったまま軍政を継続しようとする軍部の児玉源太郎参謀総長に伊藤博文韓国統監は「満洲は決して我国の属地ではない。純然たる清国の領土である」と発言したことが紹介されている。筒井は「伊藤は見事なリーダーシップを発揮したのである。また、この時、文官による陸軍のコントロールが実行されたといえなくもないであろう」と評価している。日本はパリ講和条約でも人種平等案を提起している。米国内の差別問題とイギリスの反対とにウイルソンが抗しえず、削除されたが。ワシントン会議でも日本はおおむね国際協調路線だった。むしろ米国では排日移民法が可決されるなど排外主義的傾向が強まっていた。大正デモクラシーという風潮もあってか、この頃の日本は比較的リベラルであった。
日本が侵略色を強くしていくのは昭和に入ってからであろう。張作霖爆殺事件や満州事変のきっかけとなった柳条湖事件など陸軍の謀略と、それに乗じた新聞報道などによって戦争気運は高まっていく。そういえば朝の連続テレビ小説「ブギウギ」でも戦時色が色濃くなって主人公の弟が戦死し、真珠湾奇襲攻撃の成功に街は沸き立っていた。本書でも、張作霖爆殺事件や満州事変などの謀略事件が「日本軍の手によって行われたことがすぐに中国と世界に判明し決定的に信用を落としたのである」と綴られている。後に外務大臣となった重光葵は次のように言っている。「大正期の日本は世界の五大国、三大国の一つまでいわれるようになり…人類文化に対する責任は極めて重かった。…『責任を充分に自覚し、常に自己反省を怠ることなく、努力を続けることによってのみ』この責任は果たされるはずであった」
「然るに、日本は国家も国民も成金風の吹くに委せて…内容実力はこれに伴わなかった…日本は、個人も国家も、謙譲なる態度と努力とによってのみ大成するものである、という極めて見易き道理を忘却してしまった」。この時期は普通選挙制度の実現など平等主義的政治要求が一般化した時代でもある。「参政権の獲得により日本の権益の侵害は国民一人一人の利益への侵害と受け止められるように」なり、「それへの被害者意識と報復を求める感情は巨大な、ある場合には統御できないものともなるのである」という著者の認識は、やがて来るファシズムの時代を予感させる。
12月某日
フィスメックの小出社長と社会保険出版社の高本社長と会食の予定。17時30分に小出社長を訪問することになっている。少し早く着いたので1階ロビーで本を読んでいると社会保険研究所の鈴木前社長が通りかかり、しばし雑談。17時20分にフィスメックに向かうと年友企画の岩佐さんに遭遇。小出社長と神田小川町の「蕎麦といろり焼 創」に向かう。ほどなく高本社長が来たので生ビールで乾杯。あとは日本酒の銘酒を楽しむ。この店は料理が美味しいうえに銘酒を揃えているのが嬉しい。2時間ほどで会食を修了。すっかりご馳走になる。高本社長に千代田線の新御茶ノ水駅の改札まで送って貰う。地下鉄に乗ったら若い男性に席を譲られる。後期高齢者で身体障害者なのでありがたく座らせて貰う。
12月某日
「ウクライナ戦争をどう終わらせるか-『和平調停』の限界と可能性」(東大作 岩波新書 2023年2月)を読む。2022年2月24日にロシアのウクライナ侵攻は始まった。本書はその1年後に出版されている。来年の2月には戦争開始から2年が経過することになるが、戦争は終わりそうもない。アメリカがベトナム戦争に敗北したように、またフランスがアルジェリアから撤退したようにロシアもウクライナから撤退せざるを得なくなるのではなかろうか、というのが私の希望的観測である。著者はそのためにはロシアへの経済制裁の継続、EUや米国そして日本のウクライナへの支援が必要とする。本書では日本の2つのNGOが紹介されている。「ピースウィンズ・ジャパン」と「難民を助ける会」である。しかしガザの難民にも支援が必要だしね。政治資金パーティーのキックバックを受けた安倍派の国会議員は率先してカンパすべきであろう。