モリちゃんの酒中日記 10月その2

10月某日
袴田巌さん(88)の無罪が確定した。逮捕から58年も経っているんだって。死刑が確定してから、処刑の恐怖と闘いながら冤罪を訴えてきた。本人も偉いが袴田さんを支えてきたお姉さんのひで子さん(91)もエライ。ひで子さんは現在、マンションを経営していて、そこに巌さんと一緒に住んでいるらしい。テレビで拝見するとひで子さんはとても頭脳明晰に感じられる。経営の才能にも恵まれているってことだね。石破茂内閣が発足したと思ったら解散だって。自公で過半数は確保するだろうけれど自民は相当議席数を減らしそうだ。そうそう石破内閣には村上誠一郎が自治大臣で入閣した。安倍元首相が銃撃されたとき「国賊」発言をして党から処分された人。安倍や高市といった右派受けする人から、石破や村上などリベラル色を感じさせる人まで自民党の幅広さを感じる。自民党にはアメリカの共和党と民主党の両方の強みを持っている感じがする。

10月某日
今年のノーベル平和賞が日本原水爆被害者団体協議会(被団協)に決まった。異議はないけれど…。広島、長崎に原爆が落とされ、日本が戦争に負けてから90年になろうとしている。戦争や武力紛争はほぼ絶えることなく続いている。中国大陸の国共内戦、朝鮮戦争、アルジェリア独立戦争、ベトナム戦争、中印国境紛争、最近ではロシアのウクライナ侵攻とイスラエルのパレスチナ侵攻である。人類の歴史とともに戦争はあったのだろうか? 人類が誕生したころ、狩猟採集で食べていたころには戦争はなかったのではないかと思う。原始共産主義の時代だからね。日本でいうと米作が始まった縄文時代の晩期には戦争があったらしい。石礫や鏃などが発掘されている。卑弥呼の時代には、内乱がおさまらず女王を立てたら戦がおさまったという記述が中国の歴史書にあるらしい。奈良時代、平安時代はほぼ戦はなかったが、平将門の乱や蝦夷との戦があり、平安末期には源平の戦が続いた。鎌倉時代には2度の元寇があったし、室町時代は南北朝の戦や応仁の乱があり、戦国時代を経て関ヶ原合戦、大坂の陣をへて泰平の世(江戸時代)が始まる。明治時代以降。1945年の敗戦に至るまで日本は対外戦争を繰り返した。台湾出兵、日清日露戦争、武力による朝鮮併合、シベリア出兵、第1次世界大戦への参戦、満州事変に日中戦争、そしてアジア太平洋戦争である。90年も日本が戦争をしていないなんて日本近代史ではむしろ異常。だから、戦争にはつねに反対の意志を持っていなければと思います。

10月某日
書棚を整理していたら「白秋」(伊集院静 講談社 1992年9月)が出てきた。伊集院静は1950年2月生まれ。私より1学年下だが現役で立教大学に入学しているから、一浪して早稲田に入った私とは大学では同学年だが、大学に入学してからの人生の軌跡はまったく違う。伊集院は野球部の合宿所に文学全集を持ち込んで先輩、同僚をびっくりさせるが、ほどなく体を壊して野球部を退部。卒業後は広告会社への勤務の傍ら作詞に手を染める一方、CMディレクターとしても辣腕を振るうなか、夏目雅子と恋仲になる。伊集院には妻子があり不倫関係を続ける。伊集院の離婚後ふたりは結婚、ほどなくして夏目は病魔に侵され死去(85年)。女優の篠ひろ子と再再婚(92年)。伊集院の両親は韓国から日本に来た。本作はこうした伊集院の経験が凝縮されている。主人公の真也は富豪の家に生まれるが心臓に病を持ち、鎌倉の別荘地に看護師と暮らす。真也の別荘の2軒先に生け花の先生、衣久女が住む。衣久女のもとに生け花を習いに来るのが文枝。文枝と真也は恋に落ちる。以久女は戦前、朝鮮半島で日韓の混血として生まれたことも明らかにされる。文枝と真也は結ばれるが、ほどなく真也は死去、文枝は出産、愛児とふたりで生きてゆくことを決意する。まぁ「死と再生の物語」といってよい。

10月某日
「ヤマト王権-シリーズ日本古代史②」(岩波新書 岩波新書 2000年11月)を読む。本書によると日本列島の政治的統合のプロセスは、①倭国としての統合の展開(1世紀末から2世紀初頭)②近畿地方を中心とする定型的企画をもつ前方後円墳秩序の形成(3世紀後半)③ヤマト王権の成立(4世紀前半)となる。卑弥呼が登場したのが①である。また本書では実在した初代の天皇は崇神天皇(はつくにしらすスメラミコト)とされる。②において国家連合的な形でヤマト王権が誕生し、③において「絶対主義的」なヤマト王権が確立したのであろう。本書ではヤマト王権と朝鮮半島、中国大陸とのかかわりについても多く記されている。中国の歴代王朝には朝貢を行い朝鮮半島に対しては侵略と友好を繰り返したようだ。

10月某日
「陥穽-陸奥宗光の青春」(辻原登 日本経済新聞社 2024年7月)を読む。陸奥は明治維新を主導した薩摩や長州ではなく、紀州和歌山藩の重臣の家に生まれた。しかし父が政争に巻き込まれ一家は藩を追われる。陸奥は高野山での学僧を経て幕府の海軍塾で学び、そこで勝海舟や坂本龍馬と知りあい、海援隊に参加する。明治政府内で頭角をあらわすが、明治10年の西郷の西南戦争に呼応しようとした疑いで投獄される。物語は陸奥の青春と入獄を描く。陸奥は海軍塾時代に英語の重要性に目覚め、獄中でも英書を読んでいた。思うに陸奥は、英書からデモクラシーを学んでいた。西南戦争へ呼応しようとしたのもそれ故であった。しかし獄中から解放された後、陸奥は自由民権派には属しなかった。陸奥の有能さを藩閥政府の伊藤博文らが手放さなかったのだ。余談だが陸奥は最初の妻が亡くなった後、新橋の17歳の芸者、亮子と結婚する。亮子の写真はウイキペディアで確認できるが、やはり美人、それも現代的な美人であった。

モリちゃんの酒中日記 10月その1

10月某日
「日本社会の歴史(上中下)(網野善彦 岩波新書 1997年4月)を読む。網野善彦(1928~2004)は山梨県出身、幼少期に港区西麻布へ転居、白銀小学校、旧制東京尋常科、同高等科を経て、1947年東京大学文学部国史科に入学、石母田正に師事。この頃、日本共産党に入党し民主主義学生同盟副委員長兼組織部長となったが、後に運動から脱落する(ウイキペディアによる)。網野の専門は日本中世史とされるが、本書は先史時代から戦後までの通史である。だが、単なる通史ではなく蝦夷や琉球列島の歴史、遊女や被差別民の歴史にも配慮されている。私は網野の「無縁・公界・楽」や「異形の王権」を購入したが、読み通すことはできなかった。今回、「日本社会の歴史」を読んで、改めて網野史観の独特な魅力に魅かれた。一言でいうと網野の辺境や稀人に対する視線に共感したということか。

10月某日
「静子の日常」(井上荒野 中央公論新社 2009年7月)を読む。タイトル通り75歳の静子の日常を描く。静子は一人息子の愛一郎とその妻、薫子、孫のるかと同居している。夫の十三はすでに亡くなっている。75歳といえば私と同い年である。ということもあって静子には共感できることが多々あった。まぁ静子の価値観とか人生観とかにね。やっぱり、この年齢になっても大切なのは自立です。静子はプールでの付き合いや町内会のバス旅行でも立派に自立している。自立した「静子の日常」は爽やかでもある。
今日は「日本社会の歴史」と「静子の日常」を我孫子市民図書館へ返却に行きます。

10月某日
「左太夫伝」(佐々木譲 毎日新聞出版 2024年8月)を読む。仙台藩士として生まれ、戊辰戦争の渦中に明治新政府に反逆した罪で処刑された玉虫左太夫という人の評伝小説。左太夫は最初、仙台藩の学問所の養賢堂に学び、その後、江戸へ出て大学頭、林復斎の私塾で学ぶ。林復斎はペリーとの外交交渉を担い、左太夫は従者として従う。左太夫は外交交渉の経験を買われ、遣米使節の従者にも選ばれる。左太夫はアメリカの文明に圧倒されるが、何よりも驚いたのが、アメリカの共和制と民主主義だ。左太夫は後に榎本武揚を名乗る榎本釜次郎と知り合うが、彼に次のように述べる。「わたしは漢学を、とくに儒教を学んだ書生です。アメリカにいても、もっともわたしを揺さぶったことは、もしや儒学は意味のない学問ではなかったかということなのです。(後略)」。大政奉還、王政復古の大号令により、幕府は瓦解、左太夫も仙台藩に帰る。仙台藩では藩主の伊達慶邦に信頼され洋式陸戦隊の創設を任される。また奥羽列藩同盟の創設を主張し会津藩、米沢藩との調整連絡役を担う。会津藩に官軍が迫るとき、左太夫は榎本に蝦夷が島へ誘われる。蝦夷が島での共和国樹立を夢見た左太夫は誘いに乗ることにするが、榎本の艦隊とは行き違いとなる。左太夫は江戸、横浜への脱出を図るが官軍に捕らえられる。左太夫がアメリカに渡る前、蝦夷が島と北蝦夷地(樺太)をまわるが、次のように記述されている。「やがて一行は、ヘケレウタという土地に着いた。モロラン会所の東にあって、深い湾に面している。狭い海岸に、南部藩の陣屋が置かれていた」。モロランとは後の室蘭、私の故郷である。

10月某日
「隆明だもの」(ハルノ宵子 晶文社 2023年12月)を読む。2012年に亡くなった「戦後思想界の巨人」と呼ばれた吉本隆明。ハルノ宵子はその長女で漫画家、7歳下の次女が吉本ばななで小説家である。ハルノが吉本隆明全集の月報に連載したものを中心にハルノとばななの対談も収録している。ハルノは吉本家の日常をかなり赤裸々に描いている。吉本隆明といえば私たち団塊の世代にとっては教祖的な存在で、新刊が出ると争って買ったものだ。私は講演会にも2回行った。最初は学生時代でブンドの叛旗派の政治集会に吉本がゲストで講演した。内容は覚えていない。2回目は我孫子市の市民会館で柳田国男がテーマだったと思う。吉本の著作を購入しサインしてもらった記憶がある。「隆明だもの」から私が面白く感じたものを抜粋する。
「90年代前半、父はよく働きよく食べた。そして痩せてきた。(中略)あまりに度が過ぎる隠れ食いのひどさに、口うるさかった母もサジを投げ、この頃の父の食事管理は、無法地帯になっていた。それで糖尿病を悪化させ、痩せてきたのだ」。吉本は伊豆で海水浴中に溺れかけたことがあったが、「溺れた原因も、私は低血糖症だと思っている」。吉本も亡くなる前は認知症めいた行動もあったらしい。「1日のほとんどが眠りがちで」「そんなある日、父が『キミ、塾のポスターを描いて、うちの(私道の)壁に貼ってくれないか』と言う」。これは「2度と戻れない少年時代の、今氏乙治先生の私塾へ通っていた時代への郷愁なのだ」。「うちの家族は全員“スピリチュアル”な人々だった」「たとえばネイティブアメリカンの族長を想像してほしい。なんとなく父のイメージと重なると思う」「吉本家は薄氷を踏むような“家族”だった。父が10年に1度位荒れるのも、外的な要因に加えて、家がまた緊張と譲歩を強いられ、無条件に癒しをもたらす場ではなかった(父を癒したのは猫だけだ)」。ハルノとばななの対談ではハルノが「とてもじゃないけど、並の人は家事もやって子供の弁当まで作って、それであれだけの仕事をこなすことはできないと思います」と語っている。複雑でかつ「族長」のような人だった。

モリちゃんの酒中日記 9月その3

9月某日
「大王から天皇へ」(熊谷公男 講談社学術文庫 2008年12月)を読む。2001年1月に講談社の「日本の歴史」③として刊行されたものの文庫版である。日本の歴史とは直接関係はしないが、本書で分かったことのひとつが中国の皇帝と日本の天皇の違いである。中国では天が地上で最も徳のある人に天下の支配を委ね、新しい王朝が開かれ、やがて何代かして暴君があらわれると、また別の有徳者に天命が下され、新王朝の時代になる。王朝は有限なのである。これに対して日本では天皇位の根拠は天皇の先祖がアマテラスであり、アマテラスの子孫が天孫降臨により、地上(日本)を支配したことによる。もちろんこれらは神話の世界の話である。戦前の一時期、神話を根拠に「八紘一宇」や「大東亜共栄圏」などのイデオロギーが強く日本社会を支配したことがある。これが誤った観念であることは日本の敗戦によって日本社会に受け入れられた。現在の日本の天皇一家は民主的にして平和的な存在である。しかし本書を読むと古代天皇制の歴史は血に塗られた歴史でもある。壬申の乱を持ち出すまでもなく皇位継承をめぐって戦や暗殺、自死、刑死が繰り返されたのである。天皇号が成立するのは本書では天武・持統朝と推定している。それ以前は大王(オオキミ)であった。ヤマト王権が地方王権の連合体で、王のなかの王が大王だったのであろう。
任那日本府について本書はこう記す。「ほんの20~30年ほど前、日本の古代史学界では、日本はヤマト朝廷が成立して間もない4世紀後半には朝鮮半島南部に武力進出し、そこに統治機関として『任那日本府』をおき、朝廷の『宮家(みやけ)』として『任那』を植民地のように支配・経営していた、その支配は562年の『任那』の滅亡まで続く、とする考えが不動の定説であった」「これは『書紀』の記述の影響を受けたものである」。任那は当時、その場所に存在した「金官国」を指すということだ。熊谷は次のように発言する。〔朝鮮史家の田中俊明氏が「『任那』という用語は、使いたくもないし、使うべきでもない」といっていることに、筆者もまったく同感である〕。私も同感です。

9月某日
「この世の道づれ」(高橋順子 新書館 2024年8月)を読む。詩人の高橋順子が亡夫、車谷長吉について書いたエッセーを主に集めたエッセー集である。車谷は2015年5月17日、誤嚥性窒息で亡くなっている。享年69歳。最後の私小説作家とも言われた車谷はモデルとされた人から訴えられたこともあったようだ。高橋順子は次のように書いている。「小説を書く上では当たり障りがないどころか、当たり障りがあるところに手応えを感じていたようだ。モデルにした人たちの心に血を流させた、と晩年述懐していたが、その人たちの身内にもつらい思いをさせていたことを、義母の葬儀の日、私どもに詰め寄ってきた親族から聞かされた」(車谷文学の行方)。「車谷の私小説には、いろいろなからくりがある。事実と見せながら、巧みに虚構も入っている。『あることないこと書かれて』と苦情を言われたことは、ずいぶんあるようだ」(車谷長吉を送って)。車谷は最大の理解者を奥さんにしたのではないか。

9月某日
午前中、月1回の内科診察に我孫子駅近くのNクリニックへ。10時30分頃だったが、入り口に「午前中の診療は終了しました。午後は15時からの予定です」の貼り紙が。診察をあきらめて白山の床屋さんへ。3500円。床屋さんから白山を手賀沼まで歩く。手賀沼沿いの「水辺のサフラン」でサンドイッチと飲み物を購入、お店で頂く。家に帰って2時過ぎまで休息、今度はバスで八坂神社前、Nクリニックへ。休業の貼り紙。「医者の不養生」か?駅前の「しちりん」でホッピーとつまみを2品ほど。焼酎のボトルをキープしてあるので1100円。我孫子駅前からバスで手賀沼公園へ。我孫子市民図書館で借りていた網野善彦の「日本社会の歴史(上)」を読了。

9月某日
NHKの朝ドラ「虎に翼」が終わった。日本の女性弁護士の先駆けで戦後は家庭裁判所の創設や女性の地向上に尽力した三淵嘉子さんをモデルにした主人公を描く。私は毎回見ていたわけではないが女性差別や同性愛の取り上げ方など好感が持てた(☆☆☆)。

パワハラなどで批判が高まっていた斎藤兵庫県知事が失職、知事選挙に立候補するという。内部告発者を公益通報者とせず、処分した斎藤氏。この人こそが処分されるべき(★★★)。

自民党総裁選挙で石破茂氏が当選。保守派で靖国参拝を主張する高市早苗氏に逆転勝利。高市氏は予想以上に票を集めた。ヨーロッパでは極右勢力が伸長しているという。私は石破氏の当選には好感するが、高市氏の善戦には苦い思いを禁じえない(☆☆★★)。