モリちゃんの酒中日記 2月その2

2月某日
「力道山-『プロレス神話』と戦後日本」(斎藤文彦 岩波新書 2024年12月)を読む。力道山は私の子どものころのヒーロー。著者は力道山を描くことによって戦前から戦後日本の一断面を描きたかったようだ。「いまここにいるぼくたちにとって、力道山の歩んだ道こそは、戦前・戦中から戦後の復興、高度経済成長期までの昭和そのものであり、戦争を体験した世代の日本人の物語であり、いままでとこれからの日本の物語、アジアの物語なのである」(あとがき)。「日本とアジアの物語」であることに共感する。力道山は戦前、日本の植民地であった朝鮮半島に生まれた。生年は1920年、22年、23年、24年など諸説ある。力道山は現在の北朝鮮、韓国でも人気があるようだ。金日成主席に自動車を贈ったという話も紹介されている。プロレスラーとして成功しただけでなくプロモーター、実業家としても成功した。頭が良かっただけでなく、勝負勘にも優れていたのだろう。

2月某日
「イスラーム 生と死と聖戦」(中田考 集英社新書 2015年2月)を読む。パレスチナでは今もイスラエルとアラブ国家に支援されたアラブゲリラが戦闘を続けている。アラブの人びとが信仰しているのがイスラム教で、仏教やキリスト教と並んで世界三大宗教とも言われる。しかしその割にはイスラム教の何たるかを知らないことから図書館で本書を借りた。聖戦とはジハードのことで私の考えではアラブの人は自爆ゲリラも聖戦と考えているように思う。ジハードについて著者は「ジハードは死ぬことを目的にした自殺ではなく、あくまでも戦いであって、死ぬまで戦うのが基本」(序章)と言い切っている。そういえば半世紀ほど前、イスラエルの空港で銃を乱射して自爆した日本赤軍がいた。彼らがイスラム教徒であったかどうか知らないが、恐らくジハードを意識していたと思われる。

2月某日
アビスタにある我孫子市民図書館へ「イスラーム 生と死と聖戦」を返却に行く。良い天気なのでアビスタ前から「天王台経由湖北行き」のバスに乗る。天王台で下車、北口の泰山逸品という中華料理屋でランチ。店員の言葉使いからすると、中国人の経営かと推定される。泰山一品という店名からして中国っぽい。五目チャーハンを注文する。私好みにパラパラに仕上がっている。満足して代金、880円を支払う。帰りは天王台から一駅の我孫子へ。我孫子からバスに乗車、手賀沼公園前で下車。市民図書館に寄って帰宅。

2月某日
今日は月曜日で図書館の休館日。遅い朝食をとったあと、徒歩で駅前の我孫子県民プラザへ。ここは県の施設で学習室や会議室などが充実している。私はだいたいが1階のホールのベンチに座って読書。私のような高齢者が待ち合わせ場所として使っている。15時になったので駅前の「しちりん」がオープンする時間。マスターが暖簾を出すと同時に入店、ホッピーと国産ニンニクオイル揚げをいただく。我孫子駅前からバスでアビスタ前へ。そして帰宅。

2月某日
「力道山未亡人」(細田昌志 小学館 2024年6月)を読む。日本航空の客室乗務員だった田中敬子は21歳で当時、人気も実力も絶頂期にあった力道山と結婚する。しかし盛大な結婚式を挙げて1年も経たないうちに力道山はヤクザとの諍いの末に死ぬ。敬子は小学生のとき神奈川県の健康優良児に選ばれ、高校生のときは神奈川新聞主催の英語論文コンクールで特等賞をとるなど健康にして学業優秀な少女だった。彼女の夢は外交官となることで、大学は国際基督教大学を志望する。入試に落ちて予備校の通学途中の電車で「日本航空客室乗務員・臨時募集」のポスターに魅かれ、試験を受けて見事、合格する。ポスターと出会わなければ客室乗務員になることもなく、力道山との結婚もなかったであろう。力道山は粗暴で酒癖が悪いとの風評があるが、敬子には優しかったようだ。しかも企業家としても鋭いセンスを持っていたといってよい。力道山と敬子は娘に恵まれたが、その娘の子が慶応高校で甲子園に出場したことも明かされている。彼は慶応高校から慶應大学に進み、三菱商事に就職したという。そういえばプロレス中継は三菱電機の提供であった。