モリちゃんの酒中日記 3月その1

3月某日
宮尾登美子の「櫂」(新潮文庫 平成8年11月)と「春燈」(朝日新聞社 宮尾登美子全集第2巻)を読む。15歳で渡世人・岩伍に嫁いだ喜和と岩伍が娘義太夫との間に儲けた綾子の物語。芸妓娼妓紹介業を始めた岩伍は商売に集中するあまり家庭を顧みない。喜和は家を出て小商いを始める。綾子は喜和になつき岩伍の家には寄り付かない。しかし綾子の高女受験を機に綾子は岩伍の家に帰ることにする。岩伍と喜和の離婚は成立し、岩伍はすでに使用人だったお照と事実上の夫婦となり、お照の連れ子二人も同居する。喜和と別れ、岩伍の家へひとり自動車で向かう綾子。「櫂」は喜和の視点から大正、昭和の高知の街と芸妓娼妓紹介業という現在では特別な世界を描く。「春燈」では今度は綾子の視点で昭和戦前期の高知の街と綾子の県立高女の受験失敗と、高坂高女への進学と卒業後の研究科での勉学、そして高知の山村での綾子の代用教員生活を描く。綾子が赴任した山村は高女時代の親友で夭折した規子の故郷でもあった。山村の自然の描写が美しく、高知の街中で育った綾子、そして作者の感激が伝わってくる。
「春燈」の最後で綾子は小学校教員の同僚と結婚する。綾子は岩伍の経営する芸妓娼妓紹介業という仕事が若い女性の生き血を仕事に見えて嫌でたまらない。そういう価値観は喜和とは共有されるが岩伍には通じない。岩伍にとっては女性の貧困からの脱出に手を貸している感覚である。NHKBSのドラマでは岩伍は仲村トオルが演じていた。喜和を演じていたのが松たか子だからバランス的には仲村トオルでいいのかもしれない。しかし岩伍の複雑な性格を演じるにはもう少しベテランがいいのではないか。イメージでいうと三船敏郎とか萬屋錦之助、青年期は仲村トオルでいいが、中年以降はかえてもらいたい。ところで芸妓娼妓紹介業は戦後の売春防止法により、少なくとも娼妓紹介業は違法とされる。

3月某日
監事をしている一般社団法人の理事会に出席。会場は八重洲の貸会議室。会長(代表理事)の挨拶がいつも聞かせる。今回は東日本大震災から14年ということもあって震災がらみのお話。死者は15900人にのぼるが、うち70-79歳が23.8%、80歳以上が20%だったとか、高齢者の比率が高い。あの日は確か金曜日、地震の発生は午後2時46分。高齢者は自宅にいて津波に襲われたということだろう。この日は根津で呑み会があるので八重洲から丸の内口に出て、千代田線の大手町から根津へ。駅近くの喫茶店で遅いランチのサンドイッチをいただく。喫茶店を出て言問通りを5分ほど行ったところで「森田さん!」と声を掛けられる。本日の呑み会のメンバー、大橋さんに土方さん、石津さんだった。4人で本日の会場「たけむら」へ。上品な割烹で日本酒も揃っている。土方さんにすっかりご馳走になる。大橋さんからはお土産をいただく。

3月某日
「仁淀川」(宮尾登美子 新潮文庫 平成15年9月)を読む。「櫂」「春燈」「朱夏」と続く岩伍と喜和、そして綾子の物語の最終版。満洲から体一つで引き揚げてきた綾子と夫の要、娘の美耶は故郷高知の仁淀川のほとりにある夫の生家に身を落ち着ける。貧しい農家を手伝いながら綾子は満洲からの帰還やここでの暮らしを娘のために書き残そうと決意する。後に綾子は要と離婚し夫の生家も出ることになる。綾子は作者の宮尾登美子その人がモデルであるが、宮尾は高知市で再婚後、上京して遅咲きの作家デビューを果たすことになる。

モリちゃんの酒中日記 2月その3

2月某日
水曜日の夜はNHKBSのドラマを見る。7時からは特選ドラマ「櫂」。原作は宮尾登美子の同名の自伝的小説。遊郭への女郎紹介業を営む岩伍(仲村トオル)に嫁いだ喜和(松たか子)が主人公。夫の稼業に反発する喜和。しかし満州事変当時の時代の雰囲気はそれを許さない。20代前半と思われる松たか子の初々しさが光る。櫂が終わると同じNHKBSで「ハルとナツ-届かなかった手紙」。脚本は橋田須賀子。戦前、北海道から南米に渡った姉妹、ハルとナツの物語。実はナツは渡航直前にトラホームに罹患、独り北海道の親戚の家に預けられる。親戚の家では叔母に苛め抜かれるナツ。ここらへんはさすがに「おしん」を手がけた橋田須賀子。70年後、日本に里帰りしたハル(森光子)に日本で成功したナツ(野際陽子)はあおうともしない…。森光子も野際陽子もすでに物故しているが、二人とも達者な演技で。「ハルとナツ」が終わると10時、ウイスキーを飲み始める時間である。

2月某日
図書館で借りた「おらおらでひとりいぐも」(若竹千佐子 河出書房新社 2017年11月)を読む。実は宮沢賢治の詩「永訣の朝」に同じ一節があることを朝日新聞の天声人語で知った。若竹の小説は高卒後、上京した私が夫と出会い、そして死に別れる。悲しみのなかで私は自立の道を選ぶ。「ひとりでいぐも」である。宮沢賢治の詩では「いぐも」は病床の妹が「ひとりで逝くも」とつぶやいたことを描写している。若竹の「いぐも」は「行くぞ!」という意味ね。

2月某日
手賀沼健康歯科で3カ月健診、奥歯に磨き残しがあると指摘される。頑張って歯磨きしてきたのに残念である。歯医者の帰りにスーパーに寄って歯ブラシと歯間ブラシを購入、さらに丁寧な口腔ケアを目指す。

2月某日
我孫子駅前の千葉県福祉ふれあいプラザ2階の「ふれあいホール」に「我孫子市ふるさとお笑いLIVE!」を観に行く。全席指定で前売券は4000円、即日完売という。我孫子市出身の塙が属するナイツが出演するのが目玉。14時30分の開場に合わせて行くと、ホールにはすでに人が詰めかけていた。ナイツ他、10組ほどの芸人が出演、ライブとテレビでは演目の内容が微妙に違うことを発見、テレビでは他人のプライバシーや差別発言と捉えられることを気にするのが一般的。しかし誤解を恐れずに言えば、プライバシーの暴露や差別は芸能の重要な要素だったはずだ。例えば歌舞伎や文楽の心中ものは実際の事件に題材をとったものがあるし、落語では与太郎は知恵遅れを主人公にしているといえなくもない。現代でもビートたけしや爆笑問題はテレビでもぎりぎり切り込んでいるように思う。

2月某日
日曜午後1時からはBSNHKで映画が放映されている。今日はデビットリーン監督の「ドクトルジバゴ」が放映されるので観ることにした。この映画が日本で公開されたのは私が高校生のとき。同級生の山本君と観に行った。観た後に山本君が「社会主義も嫌に感じるな」といったのに対し、私が「そんなことはない」と反論したのを覚えている。今にしてみると山本君が正しかった。

2月某日
「孤独な夜のココア」(田辺聖子 新潮文庫 昭和58年3月)を読む。何度目かな、少なくとも2回は読んでいるはず。12の短編小説がおさめられている。惹句に曰く「田辺聖子の恋愛小説。そのエッセンスが詰まった、珠玉の作品集」。失恋もめでたく成就する恋愛も描かれるが、私はどちらかというと悲恋ものが好き。なかでもお薦めは「春つげ鳥」と「ひなげしの家」。「春つげ鳥」は22歳のわたしとちょうど倍、年上の笹原サンの物語。笹原サンには妻子がいるが、子どもの進学を機会に離婚する心を固める。笹原サンは二人のために山の上に家を買い、家財道具もそろえ始める。「毎夜、笹原サンは正確に七時ごろ帰る。…でも、その夜、笹原サンは、いつまで待っても帰らなかった」。会社で倒れて病院で死んだのだ。山の上の家には毎朝、春告鳥が姿を見せていた。「もしかしたら笹原サンは、わたしに、あの春つげ鳥を見せるために、わたしにめぐりあったのではないかと思われる」。「ひなげしの家」は、神戸の都心をはずれた西の盛り場でバーをやっているわたしの叔母さんには長年連れ添っている画家の叔父さんがいる。叔父さんには別に家族がいるが別居している。「ひなげしの咲く前に、叔父さんは入院した」「たった七十日の入院で、叔父さんは死んだ」「ガンである」。病室から叔母さんが出て行った。「いつまでたっても、叔母さんは帰らなかった。叔母さんはひなげしの家で、首を吊って死んでいた」。「遺書もなかった。叔母さんはいさぎよかった」「ひなげしの家は、いまは人手に渡った」。

2月某日
虎ノ門の社会保険福祉協会で「保健福祉委員会」。協会の保健福祉活動の報告を受け、必要に応じて助言する。今回で委員会は役割を終えるということで近くのフレンチレストランで昼食をご馳走になる。昼食後、15時に人と会うことになっているので新橋界隈をしばし散策。15時に烏森口で厚労省OBの堤修三さんと待ち合わせ。近くの昼飲みできる店に入る。もともと厚労省の医系技官だった高原亮治さんと3人の呑み会だったが高原さんが赴任先の高知で亡くなったので2人の呑み会に。3人は堤さんが東大法学部、高原さんが岡山大学医学部、私が早稲田の政経と出身大学も別々だが、それぞれの大学の全共闘崩れという共通項がある。

2月某日
図書館で借りた「ゲーテはすべてを言った」(鈴木結生 朝日新聞出版 2025年1月)を読む。芥川賞受賞作である。高名なゲーテ学者の博把統一(ひろば・とういち)の一家を描く。惹句に曰く「若き才能が描くアカデミック冒険譚!」。まぁそういうことである。