モリちゃんの酒中日記 4月その3

4月某日
「彼女のこんだて帖」(角田光代 講談社文庫 2011年9月)を読む。いろんな人たち、独身だったり、恋人だったり、夫婦だったり…が料理を通して人生を語る。それも深刻にではなくさらっとね。その料理のレシピが巻末についている。角田光代って深刻な話しも面白いけれど、こうした軽い話もよい。帝国ホテルのPR誌に連載した短編をまとめたのも面白かった。角田の「あとがきにかえて」、井上荒野の解説「世界を味わう小さなスプーン」もよい。

4月某日
「東京抒情」(川本三郎 春秋社 2015年1月)を読む。東京を愛する川本は、旅を愛する人でもある。紀行文にも読ませるものがあるが、今回は東京モノ。私は高校を卒業した1966年に上京、町田市玉川学園の親戚の家で一年間、浪人生活送った後、早稲田大学に入学した。1年生は西武線下井草のアパートに入居した。2年の夏に学生運動で逮捕され、アパートにがさ入れが入ったこともあって居ずらくなり、友人の紹介で練馬区小竹町の力行会が運営する国際学寮に卒業するまでいた。卒業後に現在の妻と結婚、妻の親が建てた我孫子の家に入居、現在に至っている。千葉県民歴が50年以上に及ぶが勤め先は、浜松町、駒込、新橋、神田と変わったが、いずれも東京の個性的な街であった。したがってこの本にも共感するところが多かった。共感その1「東京は大都市とはいえ、よく見れば小さな町の集まりで作られている」。例えば駒込は山手線の外側が豊島区で内側は文京区、豊島区側には霜降り銀座などがあって下町だが、内側には六義園や東洋文庫などがあって山の手の雰囲気を残す。共感その2「東京の町の特色は電車の駅を中心に商店街が作られていくことだが、そこにはたいてい居酒屋がある」。私は浜松町では国道1号線沿いにあった居酒屋、駒込では駅前の姉妹がやっている居酒屋によく行っていた。新橋では居酒屋で一杯やった後、ニュー新橋ビルの2階にあったスナックに行くというのが定番であった。神田では日銀通りをちょっと入った葡萄屋などによく行っていた。2次会には湯島の「マルル」、根津の「フラココ」というスナックへ行った。どちらも個性的なママがいたが、両方ともいまはない。共感その3「ちなみに「金美館」は戦後も、下町に多くの映画館持ったチェーンで、現在も日暮里にはその名残で「金美館通り」という商店街がある」。私の義理の姉(兄の奥さん)の元職場は小学館で詩人の高橋順子さんと親しかった。順子さんの夫が作家の車谷長吉で、私はこの人の小説のファンであった。で、義理の姉が車谷夫妻と酉の市の帰りに金美館通りの小料理屋に行くのでそこに来ないか、と誘ってくれたのだ。「侘助」という小料理屋で今でも繁盛しているようだ。

4月某日
高校時代の同級生、山本君と増田君と春日部駅西口で16時に待ち合わせ。20分ほど目に行くと増田君がすでに来ていて駅前のベンチに座っていた。増田君の隣に座って山本君を待っていると、ほどなく山本君が改札から顔を出す。私と二人は確かに高校の同級生なのだが、増田君とは中学も一緒、山本君とはなんと小学校から一緒である。3人で駅近くの飯田屋へ入る。飯田屋といえば我孫子の飯田屋で元年住協の林さんと呑んだことがある。高齢者の間で飯田屋で呑むことが流行っているのかもしれない。生ビールで乾杯した後、三人は好きなものを呑む。私はハイボール。2時間ほど呑んだ後解散。私は春日部から柏、柏から我孫子へ。我孫子駅前の「しちりん」で軽く一杯。

4月某日
「あ・うん」(向田邦子 文春文庫 2003年8月)を読む。「あ・うん」はテレビドラマ化もされ、映画化もされた。テレビドラマはNHKとTBSで作られたが私が観たのはNHKの方。主人公の水田仙吉をフランキー堺、門倉修造を杉浦直樹、水田の奥さんで門倉が秘かに惚れている水田たみを吉村実子、門倉の奥さんを岸田今日子、水田の一人娘を岸本加世子が演じていた。映画では門倉を高倉健、水田が坂東英二、門倉の妻を富司純子、娘を富田靖子が演じていた(ウイキペディアによる)。小説では門倉と水田の容貌を「門倉は羽左衛門をもっとバタ臭くしたようなと言われる美男で、銀座を歩けば女は一人残らず振り返るといわれたが、仙吉のほうは、ただの一人も振り返らない男だった」と表現されているからテレビも映画もキャスティングは適切であった。文庫本の裏表紙に「太平洋戦争をひかえた世相を背景に男の熱い友情と親友の妻への密かな思慕が織りなす市井の家族の情景を鮮やかに描いた著者唯一の長編小説」と記載されている。向田は昭和4(1929)年生まれ、56(1981)年8月に航空機事故で死去。テレビドラマは81年5月から6月にかけて放映されている。

モリちゃんの酒中日記 4月その2

4月某日
HCM社の大橋さんから尾身茂さんの日本経済新聞に連載された「私の履歴書」の切り抜きが送られてきた。今朝、新聞を取りに行ったら大橋さんからの封書があったのだ。「私の履歴書」によると尾身さんは子どもの頃から外交官志望であった。高校生のときに米国に1年間留学し、帰国したとき東大は紛争で入試はなく、慶應大学法学部に通うことに。自治医科大学が一期生を募集していることを知り、入試を受け合格する。卒業後は東京都の離島の診療所や都立墨東病院で地域医療に携わる。WHOへの赴任を希望し、そのため厚生省に入省する。WHOではフィリピンにある西太平洋事務局に勤務、ポリオ撲滅などに貢献した。尾身さんはSARSの流行も半年で終息させた。後にコロナウイルスの闘いで中心的な役割を担うことになるが、感染症と向き合った人生とも言えようか。尾身さんは現在、結核予防会の理事長。6年ほど前に亡くなった竹下隆夫さんが専務理事を務めていた団体だ。竹下さんが元気だったころ、水道橋のビルにあった予防会の本部によく竹下さんを訪問したことを思いだす。

4月某日
図書館で借りた「鯨の岬」(河崎秋子 集英社文庫 2022年6月)と「村田兆治という生き方-マサカリ投法、永遠なれ」(三浦基裕 ベースボール・マガジン社 2024年11月)を読む。「鯨の岬」は表題作と「東陬(とうすう)遺事」がおさめられている。表題作は老年期に差し掛かろうとする主婦が幼年期を振り返るというストーリー。私にとっては可もなく不可もなしという読後感。「東陬遺事」は読み応えがあった。幕末、幕府の直轄地となった北海道東部のネモロ(根室)地方の物語。東陬とは東の僻地という意味らしい。河崎は北海学園大学出身の酪農家、「東陬遺事」で北海道新聞文学賞を受賞、その後、直木賞も受賞。文章もしっかりしているし時代考証もホンモノだ。「村田兆治」はマサカリ投法で名をはせた元ロッテライオンズの村田兆治の物語。作者の三浦基裕は日刊スポーツの社長を務めた後、佐渡市長を1期務めた。2期目は元市役所職員に敗れたが、この時の市長選には元厚労省職員で佐渡市の副市長を務めた私の友人も出馬した。それはさておき、村田はプロを引退した後、離島甲子園の開催など少年野球の振興に尽力した。自宅の火災で死亡したが、著者の哀惜の情が伝わってくる書である。

4月某日
「ピリオド」(乃南アサ 双葉文庫 2024年5月)を読む。巻末に「本書は2002年5月、小社より文庫判で刊行された同名作品の新装版です」との文章がある。乃南は1960年生まれだから40歳頃に構想、執筆された小説である。当時、話題になったという記憶もないが、私は面白く読んだ。主人公は40歳、×1のフリーカメラマンの葉子。冒頭、葉子が津軽の廃屋と化したアパートを訪ねるシーンから物語は始まる。去年、死刑になったという男の育った家だという。小説では死刑囚の名前は明らかにされないが、永山則夫のことであろう。物語では葉子の住む中野のマンション、葉子の兄一家が住む長野の家、それと葉子と兄が育った栃木の家、そして津軽の廃屋が重要な意味を持っている(と思う)。葉子と不倫関係にあった編集者の妻が殺害される。葉子のマンションには甥が受験のために滞在し、姪も春休み遊びにくるに。葉子の兄は末期がんで長野の病院に入院している。葉子の旧友でもある兄の妻は近くのガソリンスタンドの主人との不倫が疑われている。終章で葉子が撮影した栃木の実家の写真を見るシーンがある。そこで葉子は津軽の廃屋のことを思いだす。「あの長屋が残る限り、既に刑死している男の記憶は、人々から薄れることはないだろう。男は今も不名誉なまま、生き続けることになる」と記されている。

4月某日
アメリカのトランプ大統領が自国第一主義に基づいて高い関税障壁を設けようとしている。これについて今朝の朝日新聞(4月14日)に小野塚知二・東大特任教授(西洋社会経済史)が解説していた。19世紀、重商主義のもと自国の産業を保護するために高い関税がかけられていた。当時の英国では人口増加に伴う穀物価格の上昇が問題になっていた。そこで外国の食糧に関税をかけずに輸入することを主張したのがリカードで、その考え方は1846年の穀物法廃止につながり、輸入穀物の関税が撤廃された。しかし自由貿易の考え方がそのまま単線的に広がったと見るのは過ちで、第一次世界大戦の背景には英国やドイツ、イタリア、ロシアに広がった経済的なナショナリズムがある。戦間期の1932年、英国は自由貿易から保護主義に転換、オーストラリアやインドなどを自国の経済圏に囲い込み、それ以外の国には高い関税を課した。やがて世界は連合国側(米英中ソなど)と枢軸国(日独伊)に分かれ、第二次世界大戦を戦うことになる。戦後の国際通貨基金(IMF)や関税貿易一般協定(GATT)に通底するのは、経済的に相互依存が進めば戦争の可能性が低くなるという思想だ。小野塚教授は最後に次のように警告する。「米国が経済圏を囲い込み始めたりすれば、1930年代のブロック化に近づくかもしれない。関税をおもちゃのようにもてあそび続けるなら、これまで経験したことのない緊張と摩擦がもたらされる恐れがある」。何年か前にタモリが言っていた「新しい戦前が始まる」という言葉が思い出される。

モリちゃんの酒中日記 4月その1

4月某日
昨日、評議員をしている社会福祉法人の評議員会が立川で開催。7時から開催なので6時30分頃、立川に到着、楽勝で間に合うと思ったが会場がなかなか見つからない。何度も来ているのに見つからないとは…。老化の兆しか。霧雨が降り出し、寒さも募り悪寒も。体調を考えて立川駅に戻り、しばし休息。我孫子まで帰ることにする。我孫子駅でトイレによったらバスを乗り過ごす。次のバスまで20分以上あるのでタクシーに乗る。タクシー代900円也。本日はとことんついていない。にしても社会福祉法人の理事長、理事、評議員の皆さん、申し訳ありませんでした。

4月某日
昨年、週刊文春が報じたタレント中居某のフジテレビ女子アナウンサーへの性加害とそれを巡るフジテレビへの対応についての報告書が公表された。公表を報じた新聞やテレビの報道を通じてしかその内容を知ることはできないが、フジテレビの対応はひどすぎないか。たとえてみれば中居某は時代劇に出てくる悪代官で、フジテレビは悪代官を支える越後屋である。悪代官は村の娘に性的暴行を行うが越後屋を通じて事件の隠ぺいを図る。「おぬしも悪よのー」である。悪代官の舞台は江戸時代であり、しかも当時、悪代官が普遍的に存在したわけでもない。中居某とフジテレビの件は現代に現実に起きた事件である。我々はテレビ局の記者に性的暴行を受けた伊藤沙織さんの事件も知っている。権力や権威、不平等を背景にした性的な取引を含む不正な取引は許されない。

4月某日
千代田線で霞が関へ。虎ノ門の渡邉弁護士を訪問、渡邊先生は昨年、フェアネス法律事務所から独立、高田馬場の社会福祉法人の件は引き続き担当しているとのこと。社福を巡る訴訟は敗訴したとのこと。訴えた地主とも電話で話したが意気軒高であった。私はこの件に関わって10年近くになるが、応援する気持ちは変わらない。裁判所も間違うことがある(袴田さんの事件をみよ)のだ。正義は何回負けても、最後に勝てばいいのだ。弁護士事務所を出て、大学の同級生で弁護士の雨宮先生の待ち合わせ場所、「さかなさま」へ。最初から日本酒を頼む。刺身の盛り合わせ、栃尾の油揚げなどをいただいた後、鍋を頼み、最後は雑炊、おいしゅうございました。雨宮先生にすっかりご馳走になる。

4月某日
「アナキズムを読む-〈自由〉を生きるためのブックガイド」(田中ひかる編 皓星社 2021年11月)を読む。私は若年から何度か思想の変遷(それほど大袈裟なものではないが)を繰り返してきたが、最後に行きついたのはアナキズムのようだ。半世紀前の全共闘運動も根底にはアナキズムがあったように思うし、地球環境保護やフェミニズムの運動もアナキズムに通底しているように思う。本書では「チッソは私であった-水俣病の思想」(緒方正人)や「明けの星を見上げて-大道寺将司獄中書簡集」などが紹介されている。私は1870年代のスイスの時計工たちの主張「平等で自由な社会が、権威主義的な組織から生み出されることなどどうして望みえようか」に限りなく共感する。

4月某日
「皇后は闘うことにした」(林真理子 文藝春秋 2024年12月)を読む。林真理子は皇室や華族に大いに興味を抱く。そのこと自体は一般の国民の関心事と同じであり、私も同類である。しかし林は膨大な資料を読みこなし、関係者への取材を行った後に作品を仕上げている。林の興味、関心はミーハーを基礎にしていると思われる。しかしそれを基礎にして立派な文学作品に仕立て上げている。現在、日大の理事長を務め文学活動は控えざるを得ない。将来の文化功労者候補である。宮尾登美子のようにね。

モリちゃんの酒中日記 3月その2

3月某日
「昭和天皇の敗北-日本国憲法第一条をめぐる闘い」(小宮京 中央公論新社 2025年1月)を読む。1945年8月に大日本帝国は米国を主体とする連合国に敗北した。これは歴史的な事実であるが、敗北を境として天皇制国家が民主的国家に転換した、と私などは思っていたのだが、本書を読む限りはそれは誤りであったようだ。8月の敗戦は軍事的な敗北であって、昭和天皇はじめ支配者層は天皇制が敗北したとは考えていなかった。それが米軍を主体とする進駐軍との折衝を経ながら、日本型ファシズムとしての天皇制が敗北したことを支配者層が骨身にしみて感じるようになる。私は少し猫背で、国民に帽子を振る昭和天皇しか記憶にないのだが、戦前戦中は天皇は大元帥陛下でもあったのだ。敗戦後、新憲法の公布とその定着まで、天皇の地位は結構、不安定だったのではないか。

3月某日
「宮尾登美子全集 第四巻(岩伍覚書 寒椿)」(朝日新聞社 1993年2月)を読む。「岩伍覚書」は「櫂」「春燈」「朱夏」で岩伍と妻の喜和、娘の綾子の生涯を描いたシリーズのいわば外伝。三作は喜和や綾子の視点で描かれているが、「岩伍覚書」はタイトルのとおり岩伍の視点で描かれている。作者の宮尾登美子は父の死後、父の日記を読むことになるが、「岩伍覚書」の一部もその日記に基づいていると思われる。「寒椿」は高知の芸者子方屋の松崎に売られてきた澄子、民江、貞子、妙子の物語。芸者子方屋で三味線や踊りなどの芸を仕込まれた少女たちはやがて芸者や娼婦として売られていく。少女たちは親の借金のために芸者子方屋に売られ、さらに膨らんだ親の借金のために売られていく。戦前は日本が進出した中国大陸へ渡った女性も多かった。戦前は人身売買も普通に行われていたのである。岩伍はその人身売買で財を築くわけだが、岩伍自身は貧しい人のためと思っている。宮尾登美子はこのような人身売買を必ずしも「悪」とは描いていない。物語の前提として、時代小説が身分制度を前提として描くように描いているのである。

3月某日
中央区新川の高本夫妻のマンションの集会室で花見の会。八丁堀駅からマンションを目指すがスマホの地図がうまく読み取れず、高本(夫)さんに迎えに来てもらう。部屋に着くと全員が揃っていた。元民介協専務の扇田さんとは久しぶりに会うことができた。元厚生労働省の江利川、吉武さん、社保研ティラーレ社長の佐藤さん(現在は立憲民主党の衆議院議員秘書)、元滋慶学園の大谷さんらと歓談。年友企画の岩佐さんが医師の小堀鴎一郎先生を連れてくる。先生は1938年生まれだから私の10歳年上だが、とてもお元気で現在も自分で車を運転して訪問診療を行っているという。先生は文豪森鴎外の孫ということで、私も上野の池之端にあったホテル、鴎外荘の話などをする。先生は外科医で江利川さんの実父の手術も執刀したそうだ。帰りは吉武さん、大谷さんと茅場町駅から日比谷線で上野へ。私と吉武さんはそのまま北千住で常磐線に乗り換えて我孫子まで。

3月某日
昨年、ノーベル文学賞を受賞したハン・ガンの「少年が来る 新しい韓国の文学15」(クオン 2016年10月)を読む。2024年12月に第2班第4刷が発行されている。作者のノーベル賞受賞で売れ行きに弾みがついたのである。1980年の光州事件を舞台としつつ、事件の死者の魂が時空を超えて語る。リアルかつファンタジックな不思議な作品。繰り返し読みたいが「この本は、次の人が予約してまっています」という黄色い札が貼ってあるので、これから図書館に返却します。

3月某日
「ダーク」(桐野夏生 講談社 2002年10月)を読む。パソコンで光州事件を検索したら、ハン・ガンの「少年が来る」などと一緒に桐野の「ダーク」が示されたので、我孫子市民図書館にリクエストした。02年の発行なので通常の書棚ではなく書庫に在庫されていて、図書館員が書庫から出してくれた。私立探偵の村野ミロを主人公としたシリーズの最終作。私は「ダーク」を除いてすべて読んでいる。第一作の「頬に降りかかる雨」が93年で02年の「ダーク」までシリーズは5作である。この頃の桐野はハードボイルド作家に分類されていたし、本作においても暴力とセックスの場面の描写はさすがである。ミロはソウルで日本人に強姦され、その子を身ごもる。ミロは中絶はせず出産することを決意する。ラストシーンは赤ん坊のハルオと訪れた那覇市である。光州事件に釜山から光州を訪れた少年が、後にミロと結ばれる徐である。「ダーク」はミロシリーズのなかでも時間的、空間的な広がりと内容的な深さで際立っているように思う。

3月某日
床屋「カットクラブパパ」に散髪に行ったら2人待ち、近くのレストラン「コビアン」で生ビール中と「エビとキノコのアヒージョ」を頼んで時間をつぶす。コビアンに小1時間ほどいて再び床屋へ。10分ほど待って散髪、今年から料金が500円上がって4000円に。以前行っていた若松の床屋は2500円で、こちらは25日に1回のペースで行っていた。カットクラブパパは35日~40日に1回で行こう。こちらの床屋さんは腕がいいというか、センスがいいんだよな。

3月某日
「男の愛-俺たちの家」(町田康 左右社 2025年1月)を読む。「男の愛-たびだちの詩」の続編。ヤクザとしてデビューした清水次郎長がヤクザとして世の中に認められていく過程を描く。町田はヤクザとしての次郎長を肯定も否定もしない。その破天荒な人生を率直に描く。人間としての次郎長は肯定していると言ってよい。「ギケイキ」もそうだったけれど、町田は「人生を外れた」人が好きなんだ。本書の最後で次郎長は恋女房お蝶と結婚する。次郎長には過ぎた女房なのだが、町田はその次郎長を「その後ろ影には華やかな孤独の香りが漂っていた」と形容する。「華やかな孤独」だよ。