モリちゃんの酒中日記 5月その2

5月某日
「学校の戦後史」(岩波新書 木村元 2015年3月)を読む。戦後の学制改革で注目すべきは新制中学校の存在と本書は述べる。「義務制の中学校は、当時世界でもアメリカ以外には存在しておらず」(序章)ということだ。戦前は尋常小学校が義務教育で、卒業すると高等小学校、旧制中学校、高等女学校などへ進学する。エリートコースは旧制中学で旧制中学卒業後は、旧制高校さらに大学へと進学する。高等小学校卒業後は工業学校、商業学校、師範学校へ進学する。その後は高等工業専門学校、高等商業専門学校、高等師範学校である。戦前が複線型とすれば戦後は単線型である。私が大学生のころ(1968~72)は学生運動が盛んで、産学協同路線粉砕とか教育の帝国主義的再編粉砕とか叫んでいたものだ。産学協同路線は高度経済成長期ということもあり、一般的には受け入れられてきた。しかし本書では「市場原理に支配される現実社会において、公共性を生きる政治的能力の育成を教育の積極的な対象とすることは難しい。したがって、市場原理とは別の原理(すなわち公共性)のもとに政治的能力の獲得を保障する必要があり、そこに学校の役割が認められる」(終章)としている。産学協同路線とは教育に市場原理を持ち込むものだとすれば、産学協同路線粉砕は正しかったのかもしれない。

5月某日
「花芯」(瀬戸内寂聴 講談社文庫 2005年2月)を読む。この小説は1957年に発表され、解説(川上弘美)によると、毀誉褒貶の激しかった作品で、「室生犀星、円地文子、吉行淳之介からの好意的な支持があったにもかかわらず、マスコミの向かい風を受けるようになってしまった」という。今から60年以上前の作品であり、平野謙の「必要以上に『子宮』という言葉が使われている」という批評も時代を感じさせる。私は瀬戸内の小説は伊藤野枝と大杉栄を描いた「美は乱調にあり」、菅野スガを描いた「遠い声」、金子文子を描いた「余白の春」のアナキスト3部作しか読んだことがないのだが、彼女が仏教に帰依したことも含めて、精神のアナキストだったのではあるまいか、と思っている。「花芯」で描きたかったのも精神の自由さではないだろうか。

5月某日
「イスラエルの自滅-剣によって立つ者、必ず剣によって倒される」(宮田律 光文社新書 2025年1月)を読む。パレスチナ問題についての本は元日本赤軍の重信房子のも含めて数冊読んだが、この本が一番わかりやすかった。著者は1955年生まれ。慶應義塾大学文学部東洋史専攻、同大学大学院修了後、UCLA大学院修了。87年、静岡県立大学に勤務し、中東アフリカ論や国際政治学を担当。2012年、現代イスラム研究センターを創設、理事長に。専門的な知識とジャーナリスチックな感覚を併せ持つ貴重な人材とみた。本書の結論的部分が「パレスチナに主権をもつのは『パレスチナ人』であり、イギリスがユダヤ人の国家建設を約束したバルフォア宣言も、また1947年の国連分割決議も、パレスチナ人の民族自決権を侵害するものだ」というものだ。今も続くイスラエルのガザ侵攻やパレスチナへの植民は、日本の満洲侵略を思い起こさせる。副題の「剣によって立つ者、必ず剣によって倒される」は旧約聖書にある言葉だそうだ。ユダヤ教徒であるイスラエル国民、なかんずくネタニヤフ首相は肝に銘ずべし。

5月某日
「前方後円墳」(下垣仁志 吉川弘文館 2025年3月)を読む。日本列島において3世紀後期から7世紀初頭にかけて大規模な墓が造営された。その多くが形状から前方後円墳と名付けられた。著者は京都大学大学院教授、1975年生まれだから今年50歳、気鋭の考古学者と呼んでいいだろう。巨大な墳墓が造営された背景を遺跡などの出土物から科学的に推定し、さらに大胆な推測を加えるという手法は私には好感が持てた。「前方後円墳の論理-公共事業説批判」では次のように述べている。「(超)大型古墳は、その造営を通じて経済・軍事・イデオロギー・領域・社会関係などの権力資源が複合的に行使される媒体として機能した。…超大型古墳の造営が各種権力資源のコントロールと安定的に嚙みあった古墳中期の畿内に国家が誕生していたと判断できる」。ピラミッド公共事業説というのがあって、これから類推して古墳公共事業説があるが、著者は「古墳時代の造墓には人民に配慮した『公共事業』性も『失業対策』性もまったくみいだせない」とし、「結果論的に生じた社会への還元を、安直に支配者の善意に読みかえてしまう古墳公共事業説の志向は、歴史事象をねじまげるものと評せざるをえない」と断言する。さらに著者は「古墳公共事業説が論者の意図に反して、現代日本の全体主義化を学問面から助長しかねない」と危惧する。リベラルだねぇ。

5月某日
監事をしている一般社団法人の監査が虎ノ門の事務所で13時30分から。事業報告書、決算報告書、銀行残高証明書などを示され、常務理事と事務局長から説明を受ける。幹事は私ともう一人、会員協会の理事長の二人。理事長はさすがに的確な質問をしていたが、私はほぼ説明を聞くだけ。1時間ほどで監査を修了。本日は17時から御徒町の吉池食堂で大谷源一さんとの会食がある。地下鉄銀座線の虎ノ門から上野広小路へ移動。御徒町周辺の「てんや」で遅いランチ。上野松坂屋と吉池をのぞく。吉池食堂へ行くと「本日は予約で一杯です」とのこと。大谷さんにその旨連絡すると、「大興」を5時から予約しました、との返事。「大興」は町中華の名店で、店内に創業1946年とあった。私も大谷さんも1948年生まれだから私たちよりも年上である。しかし中華は後期高齢者の二人組にはやや重い。

モリちゃんの酒中日記 5月その1

5月某日
昨日はメーデー。今は手賀沼公園の一部となって家族連れが敷物を敷いて憩っていたりするが、昔は確かグランドとして使われていた。メーデーのときも我孫子市内の労組が集会に使っていた記憶がある。労働組合の組織率も低下しているからね。図書館で借りた「幸福な遊戯」(角田光代 角川文庫 2003年11月)を読む。単行本は91年9月に福武書店から刊行されている。表題作の「幸福な遊戯」「無愁天使」「銭湯」の3編の中編小説が収録されている。私の角田光代の小説の印象は健全なリアリズムというもので決して暗くはない。90年に「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞してデビューとある。角田は67年生まれだから、早稲田大学第1文学部を卒業して間もなくのデビューである。恵まれていたデビューとも言えるが不安に満ちたデビューであったと想像する。私はこの3作にその「不安」を色濃く感じるのだ。

5月某日
「日ソ戦争-帝国日本最後の闘い」(麻田雅文 中公新書 2024年4月)を読む。ソ連は第2次世界大戦末期まで日ソ中立条約によって対日本との戦闘を控えてきた。しかし1945年5月、ドイツの無条件降伏を経て日本、とくに満洲、南樺太、千島列島への侵攻が具体化してくる。本書は45年8月9日にソ連軍が満洲へ侵攻し、さらに南樺太、千島列島を奪取した経緯を、当時の記録をもとに再現している。本書を読んで思うのはソ連という国家の膨張的、侵略的性格だ。それは現在のロシアのウクライナ侵攻にも受け継がれている。中ソ対立が顕著だったとき、中国共産党はソ連を社会帝国主義と形容したが、それは正しいと本書を読んで思う。もっとも戦前の日本は帝国主義そのもので東アジアを蹂躙した。著者は「おわりに」で日ソ戦争の特徴的な3点をあげている。①日ソ戦争では民間人の虐殺や性暴力など、現代では戦争犯罪に当たる行為が停戦後も多発した②住民の選別とソ連への強制連行③領土の奪取。①は日本軍の南京事件などが見られるし②は日本の朝鮮人や中国人の強制連行や強制労働が見られる。③は現にウクライナ戦争でロシアが、ガザ戦争でイスラエルがやっていることである。

5月某日
昨日は青空のもと気温も24度位まで上がったのだが、連休最終日の本日は一転、昨夜から冷たい雨が降っている。「溺レる」(川上弘美 文春文庫 2002年9月)を読む。単行本は1999年8月、川上は1958年生まれだから彼女が40歳前後の作品である。女流文学賞と伊藤整文学賞を受賞しているから文学作品としても高く評価されたのだろう。表題作を含む8つの短編が納められているが、いずれも男女のことを題材にしている。私は上品なエロティックを感じつつ読んだ。15時30分から立憲民主党の街頭演説会が我孫子駅南口のロータリーで。岡田克也、我孫子選出の衆議院議員の宮川伸、参議院副議長の長浜ひろゆきが登場。3人の演説を聞いて私が感じたのは「現場感」の希薄さ。生産や流通の現場、医療や介護の現場をもっと回るべきではないか。そこには切実な国民のニーズがあるはずだし、そのニーズに応えるのが立憲民主党の役割と思うのだが。

5月某日
バス停のアビスタ前から坂東バスに乗車。平日の午後のためか乗客が少ない。終点の東我孫子車庫のひとつ前の我孫子中学校では私ひとりに。終点で下車、左へ行くと天王台の駅、右へ行くと手賀沼だ。手賀沼へ出て遊歩道を歩くことにする。あやめ通りを手賀沼方面に下ると「手賀沼ふれあいライン」にぶつかる。この道をしばらく行くと「ジュリエッタ」というイタリア料理店がある。私は言ったことはないが☆4.3、「本日は満席です」の貼り紙が出ていた。「手賀沼ふれあいライン」から田んぼのあぜ道を横切って遊歩道へ。私のような高齢者歩行者に行きかう。ようやく前方に「水の館」が見えてくる。「水の館」1階の我孫子農産物直売所「アビコン」を訪問、我孫子高校前まで歩き坂東バスを待つ。バスをアビスタ前で下車、帰宅。1万3千歩ほど歩いていた。

5月某日
表参道の「ふーみん」で会食。「ふーみん」は中華の名店で吉武民樹さんが表参道にあった「こどもの城」の理事長をしていたときによく利用していたそうだ。3月に高本夫妻のマンションで開かれた花見の会の延長で、そのとき初参加の小堀鴎一郎先生も岩佐愛子さんと一緒に参加してくれた。高本夫妻の友人の市川美奈子さんにも久しぶりで会うことができた。私のテーブルは吉武さん、高本社長、大谷さんと一緒で、小堀先生のテーブルは岩佐さん、江利川さん、今は立憲民主党の議員秘書をしている佐藤さんが一緒。もう一つのテーブルは厚生省で江利川さんと入省同期の川邊さん、川邉さんが資金課長のときの課長補佐の岩野さん、高本夫人と市川さんだ。大変おいしい料理をいただいたが、おしゃべりに夢中で何を食べたかよく覚えていない。

モリちゃんの酒中日記 4月その4

4月某日
図書館で借りた「西洋の敗北-日本と世界に何が起きるのか」(エマニエル・トッド 文藝春秋 2024年11月)を読む。「この本は多くの人の予約が入っています。なるべく1週間くらいでお返しください」という赤い紙が貼ってあったので、3日間あまりで400ページ余りの本を読了。しかし中身を理解し得たかというと心もとない。ロシアのウクライナ侵攻が本書執筆の動機の一つだったようだ。序章でロシアを「ネオ・スターリン的な官僚制のロシアとはかけ離れた、技術的、経済的、社会的に極めて柔軟性に富む「近代的なロシア」-つまり侮ってはならない強敵-を見出すことができる」と表現する一方、アメリカについては「西洋の危機、とりわけアメリカの末期的な危機こそ地球の均衡を危うくしている」と指摘している。プーチン政権下2000年から2017年でアルコール中毒による死亡率は、人口10万人当たり25.6人から8.4人に、殺人率も28.2人から6.2人に減少、2020年には4.7人にまで低下している。2000年の乳幼児死亡率は1000人当たり19人だったが2020年には4.4人まで減少、アメリカの5.4人を下回った。西欧が課した経済制裁もロシアに一定の困難をもたらしたが、一方で代替物の生産などで経済成長ももたらしたという。

4月某日
「戦争と有事-ウクライナ戦争、ガザ戦争、台湾危機の深層」(佐藤優 GAKUKEN 2024年10月)を読む。私が感じたのは佐藤優の考えはウクライナ戦争に関してはロシア、プーチン寄り、ガザ戦争に関してはイスラエル寄りということだ。佐藤は同志社大学神学研究科修了、外務省入省、在ロシア連邦日本国大使館に勤務、その後、本省で対ロシア外交の最前線で活躍した。確かプロテスタントの信者でもあり、そうした経歴からもロシアやイスラエル寄りとなるのも、うなずけないことではない。まぁ私は佐藤とは対称的にウクライナ、アラブ寄りなのですが。

4月某日
千葉県地域型年金委員会の理事会に出席。会場は京葉線の千葉みなと駅近くの千葉年金事務所である。理事会開催の30分ほど前に駅に到着、駅構内の立ち食いソバ屋でカツ丼の小を食べる(450円)。スマホの地図を見ながら年金事務所を探すが難航。1カ月くらい前に立川の社会福祉法人の評議員会に結局たどり着けなかった記憶がよぎる。何とか探しあげて30分遅刻で出席。千葉県年金委員会の解散等を決議する。理事会終了後、近くの居酒屋で出席理事全員で懇親会。理事は社会保険OBが大半だが、会長の岩瀬さんは確か京葉銀行の出身で現在は趣味で油絵を描く。いつか自分の油絵を絵葉書にしたものをいただいたが巧みなものだった。懇親会の費用は幹事の佐々木満さんが委員会の残余金から払ってくれた。京葉線から武蔵野線を経由、新松戸から常磐線で我孫子へ。

4月某日
「男どき 女どき」(向田邦子 新潮文庫 昭和60年5月)を読む。向田邦子は1929(昭和4)年-生まれ、1981(昭和56)年に台湾上空の飛行機事故で死去。人気シナリオライターとして数々のドラマを手がけたが、80年に直木賞を受賞。ということは小説家として「これから」というときに亡くなったことになる。本書は「この作品集は昭和57年8月新潮社より刊行された」と巻末に付記されているから、作家の事故死を受けて急に編集されたものだろう。4編の短編といくつかのエッセーが収録されている。短編には彼女の才能を感じるしエッセーには彼女の気配りと優しさを感じる。

4月某日
「菜食主義者」(ハン・ガン クオン 2011年4月)を読む。昨年、韓国初のノーベル文学賞を受賞したハン・ガン。本書も受賞を受けて増刷されたらしく、奥付は「2024年12月第2版第8刷」となっていた。本書は「菜食主義者」「蒙古斑」「木の花火」というタイトルの中編小説の連作である。最初の「菜食職主義者」を読んだ段階ではさして感銘を受けなかったのだが、「蒙古斑」「木の花火」と読み進むうちにハン・ガンの人間洞察の深さに驚かされることとなった。主人公が植物となるイメージが出てくるが、これは人間に対する絶望を表現しているように私には読めた。

4月某日
「国際法からとらえるパレスチナQ&A-イスラエルの犯罪を止めるために」(ステファニー・クープ 岩波ブックレット 2024年12月)を読む。著者は青山学院大学法学部ヒューマンライツ学科准教授。本書によると国際法とは「国際社会に関する法で、基本的に、国際条約、そして慣習国際法と言われる確立した国際社会の慣習からなります」。そして「パレスチナ人という集団の全部または一部を破壊する意図をもってイスラエルがガザを攻撃しているという視点は、イスラエルによる1948年以来のパレスチナ人の追放、パレスチナの不法占拠の継続、平和的解決の妨害といった歴史的背景を、現在の状況とつなげて考えるためにも、重要」としている。著者の考えに私は全面的に賛成である。1947年、国連総会で、パレスチナ人とユダヤ人の間でパレスチナを分割する決議が採択された。この決議は人口の三分の一、土地の6%しか有していなかったユダヤ人に、パレスチナの領土の57%を与えるという不公平なものであった。さらにイスラエルは1967年の第三次中東戦争以後も、入植地を拡大し、パレスチナ人の住居や施設を爆撃、侵略している。本書はこれらのイスラエルの行為を、国際法から見ても犯罪と断罪している。

4月某日
「82年生まれ、キム・ジヨン」(チョ・ナムジュ ちくま文庫 2023年2月)を読む。昨年末、韓国の現職大統領が罷免された。罷免を要求する集会、デモ行進には多くの女性たちの姿があった。私はテレビのニュースなどでこの映像を見るにつけ「韓国では女性の地位は男性と同等」と思い込んでいたが、本書を読むとそうでもないようだ。同じ子供であっても男の子の進学が優先され、キム・ジヨンの母は、国民学校(日本の小学校)を出ると働かなければならなかった。兄は大学に進んだにも関わらずである。キム・ジヨンの親は私と同じ世代である。韓国は一人当たりのGNPは日本を追い抜いているが、少子化は日本を上回る勢いで進んでいる。私にとって韓国は「近くて遠い国」。韓国のことをもっともっと知りたいと思う。

4月某日
引き続きチョ・ナムジュの「ソヨンドン物語」(筑摩書房 2024年7月)を読む。目次裏に「書名の「ソヨンドン」はカタカナに、本文の町名は「ソヨン洞」とした」と注記がある。洞とは日本での○○市本町のように町に該当する地名の表記方法らしい。ソヨン町に住む人びとの日常を綴る小説である。韓国とくにソウルでは不動産価格の上昇が著しい。それを背景にした庶民の悲喜こもごもが描かれる。日本の文学界でも女性の作家の伸張が著しいが韓国でもその傾向はあるようだ。この小説では登場人物の名前はすべてカタカナで、ユジョン、セフン、ヨングンという具合だ。韓国では漢字はほぼ使われなくなっているようだ。韓国の現代小説はかなり面白いと思う。ハン・ガンのノーベル文学賞受賞も韓国の現代小説に光を当てるきっかけの一つになったのかもしれない。