モリちゃんの酒中日記 7月その2

7月某日
「明治日本の植民地支配-北海道から朝鮮へ」(井上勝生 岩波現代選書)を読む。著者の井上勝生は北大の名誉教授、専門は幕末維新史だが、北大の施設で「東学党首魁」と直に墨書された頭蓋骨が発見されたことから、朝鮮半島での日本帝国陸軍による東学党の乱参加者への酸鼻な弾圧処刑、さらには北海道でのアイヌ民族に対する収奪、差別に向きあうことになる。本書によると、日本軍の東学農民軍に対する作戦のすべてが日清戦争の公式戦史から抹消、隠蔽されているという。「東学党首魁」とされた頭蓋骨=遺骨を受け取るために北大を韓国から代表団が訪れる。そのとき代表団の告由文が紹介されているが、その内容は、私の想像を超える激しいものだった。一部を紹介する。「あなたは、新聞紙に包まれて紙箱に入れられたまま、昔の侵略者の地、埃まみれのあちらこちらの片隅に押しやられながら、十年たらぬ百年の間、恥辱の歳月を送られました」「今ここ日本の地には、過去における日帝の韓国侵略を正当化する盲信が、いまだに相次ぐかと思えば、強大国の覇権主義の悪癖も姿を消しません。それゆえにこそ、あなたが命を賭した『斥倭抗戦』の戦いは、実に先駆的な自己犠牲でありましたし、こんにちの私どもが心に刻まなければならぬことの如何と、歩むべき道の方向を克明に差し示して下さっておられます」。

7月某日
「札幌誕生」(門井慶喜 河出書房新社 2025年4月)を読む。明治以前、北海道における和人の中心地は箱館(函館)であり、松前であった。明治になって開拓使が札幌に置かれ、以降、現在まで札幌は北海道庁の所在地であり、北海道最大の都市となった。本書を読むと人口で函館を札幌が上回るのは明治も末期であるという。本書は札幌の開拓や文化の醸成に力を尽くした5人の物語である。最初に登場するのは初代の開拓判官、島義勇。佐賀出身の義勇は北海道開発に尽力するも、ほどなく東京に呼び戻される。やがて江藤新平とともに佐賀で挙兵、佐賀の乱である。乱は敗北し島は江藤とともに斬首される。以下、内村鑑三、バチラー八重子、有島武郎、岡崎文吉の生涯と北海道の関りが綴られる。それなりの人物像が造形されていると思うが…。アメリカ大陸がもともとは先住民、インディアンのものだったように、蝦夷地、北海道はアイヌ民族のものであった。そういう視点が門井には抜け落ちていると思う。

7月某日
「草の根のファシズム-日本民衆の戦争体験」(吉見義明 岩波現代文庫 2022年8月)を読む。戦後の1948(昭和23)年に生まれた私は、55年(昭和30)年に室蘭市立高砂小学校に入学、民主的な教育を受けたことになる。戦後の平和は善、戦前の軍国主義は悪という考え方を植え付けられたのは間違いない。もちろん日本帝国主義のアジア・中国大陸への侵攻は間違いであり、近隣諸国、住民へどれほどの厄災を与えたか計り知れない。しかし満州事変以来の侵略戦争に動員、徴兵された庶民の肉声は私の先入観を少しばかり裏切るものであった。本書によると、徴兵された農民兵士は「忙しく苦しかった農作業から解放され」、「毎日の入浴」、「仲々よい」食事、「立派な革靴」など農村にいる時よりもめぐまれた生活ができた、という。本書のタイトル、「草の根のファシズム」は、日本軍国主義を支えたのは日本人民、大衆であるということであると思う。60年安保の頃、竹内好が「一木一草の天皇制」と言ったことと同じ趣旨ではないだろうか。私は小学校低学年のときに観た映画「二等兵物語」を思い出す。伴淳とアチャコが扮する新兵の軍隊生活を描いたものだが、背景には戦後の庶民の反戦平和への想いがあったように思う。

7月某日
「マリヤの賛歌」(城田すず子 岩波現代文庫 2025年6月)を読む。本書は、惹句に曰く「稼業没落後に芸者屋に売られ、国内外の遊郭や軍『慰安所』で性売買女性として生きざるをえなかった戦中戦後の苦難の日々を、婦人保護施設入所後に振り返った半生記」ということである。城田は1920年生まれ。戦中戦後を売春を生業として生きざるをえなかったが、55年に日本基督教団の「慈愛寮」に入寮、キリスト教に入信し65年に「かにた婦人の村」に入所、後半生を過ごす、1993年没。本書を読むと売春が貧困と密接に関連していることがわかる。戦中戦後に比べると急速に豊かになった現代でも基本的な構造は変わっていないのではないか。ホストクラブで顧客の若い女性に過大な売掛金を科し、売春を強要する事例が報道されている。

モリちゃんの酒中日記 6月その3

6月某日
早稲田大学のサークル(ロシヤ語研究会)の3年後輩だった長田君が亡くなった。友人の友野君が電話で知らせてくれた。新宿区の落合斎場の通夜に参列することにする。我孫子から千代田線で大手町へ。東西線に乗り換えて早稲田、高田馬場の次が落合。徒歩5分ほどで斎場に。通夜はすでに始まっていて僧侶の読経の声が響く。祭壇には長田君の在りし日の笑顔が輝く。いい写真だ。焼香。参列者に知っている顔はいない。友野君は明日の葬儀に参列すると言っていた。お清めの席にも寄らず退席。落合から地下鉄で飯田橋へ、JRに乗り換え秋葉原、山手線で上野へ。上野から常磐線で我孫子へ。常磐線では席を譲られる。席に座って見上げると、譲った人は髪の薄くなった50代後半から60代の人。平気でシルバーシートに座っている若い人もいるが、譲ってくれるのは年配者が多いというのが私の印象。

6月某日
「摂関政治-古代の終焉か、中世の開幕か」(大津透他 岩波書店 2024年11月)を読む。「シリーズ古代史をひらくⅡ」の最終巻。タイトル通り後期平安時代の摂関政治を取り上げている。摂関政治とは摂政、関白がリードする政治ということであろう。それ以前は律令制のもと、中央集権的な支配体制が築かれ、税も中央政府(朝廷)により一元的に管理されていた。それが私的な荘園が広範囲に拡大し、私的領有と公的領有が並立するようになったらしい。しかし何といってもこの時代を画するのは平和な時代ということであろう。摂関政治以前には古くは壬申の乱、大化の改新といった内乱、クーデターがあったし、白村江の戦いに見られる朝鮮半島への出兵もあった。また時代が下れば平安末期には源平の合戦があり、鎌倉時代には二度にわたる元寇があった。平和な時代を背景にして貴族社会では文藝が興隆した。漢詩、和歌などに加えて源氏物語、枕草子などの小説、随筆でも見るべきものがあった。源氏物語、枕草子など女性が執筆したものは女房文学と呼ばれる。私は日本史に興味があるけれど、どうしても動乱期に興味が集中するきらいがある。源平の争乱や、南北朝、応仁の乱、戦国時代、関ヶ原から大坂の陣、幕末の尊王攘夷という具合である。本書を読んで摂関時代にも親しんでみようと思う。

6月某日
「道長ものがたり-『我が世の望月』とは何だったのか―」(山本淳子 朝日新聞出版 2023年11月)を読む。「摂関政治」に続いて、この時代をリードした藤原道長を巡る物語である。道長の時代を画するのは、道長はじめ当時の有力者が、天皇または皇太子にみずからの娘を妃として入内させ、皇子を得ようとしたことである。この皇子が成人前にミカドになれば、妃の父となる有力者は摂政として、政治を司ることができるからだ。ミカドの外祖父として権力を握る、このような例は世界史でも例のないことでなかろう。しかし道長の時代のようにそれが百年も続いたというのは、珍しいのではないか?道長には天皇を廃してみずから王となる選択肢はなかった。天皇制は温存しつつ、実際の権力は摂関家(藤原氏)や将軍家(鎌倉、足利、徳川)が握るという伝統である。ひるがえって現代も、天皇制は象徴天皇制として残しつつ、実際の権力は議院内閣制のもと、内閣総理大臣が握っているということであろう。

6月某日
社会福祉法人にんじんの会の評議員会に出席。会場は立川の同法人の研修センター。前回は立川駅から会場にたどり着けず欠席してしまったが、今回は30分前に無事、到着することができた。中村理事長と石川常務理事及び各施設の管理者から法人運営について説明があり、了承した。経営は順調に推移しているようだ。実務を担っている石川常務の手腕と職員の能力向上によるものと思う。石川常務の母親で創業者の石川はるえさんは欠席とのことだった。会議の終了後、近くの「末広」で食事。幹部職員と楽しく歓談することができた。

6月某日
「マル」(平沢克己 集英社インターナショナル 2025年3月)を読む。平沢克己は1950年東京・蒲田生まれ、早稲田大学理工学部卒業後、翻訳会社を立ち上げる。私は1948年北海道生まれで早大政経学部卒。生まれは東京の下町と北海道の山のなかという違いはあるが、反骨精神が旺盛なところなど一部共通点があり、面白く読んだ。私は当時、盛り上がっていた学生運動にのめり込んだが、平沢は冷静だったようだ。東京育ちと北海道育ちの違いだろうか。