12月某日
「世界経済の死角」(河野龍太郎 唐鎌大輔 幻冬舎新書 2025年7月)を読む。エコノミストの河野と唐鎌が世界経済の現状について話し合った対談集。「先の見えない時代を生き抜くための最強の経済・金融論」とある。本書を読んで「なるほど」と思った箇所を抜粋。●近代が始まって以来、先進国の中で、四半世紀にわたって実質賃金がまったく増えなかった日本は、極めて異例です。(河野)●「生産性が上がらなかったから、賃金が上がらず、物価が上がらなかった」のではなく、「生産性が上がっても、賃金が上がらなかったから、その分、物価上昇が抑えられてきた」というのが真の因果関係だっただったのではないでしょうか。(同)●ここで強調したいのは、日本の長期的な経済停滞の一因がセーフティーネットの乏しい非正規雇用を増やしたことにあるという点です。(同)●(コロナショック後、一時解雇された人々がより高い賃金が得られる企業に転職した傾向が見られることから)そのため、結果的に生産性の高い分野へと労働力がスムーズに移動し、アメリカ経済全体で見ると、生産性が上がり、実質賃金が上がったというわけです。(同)●コロナ終息後も、人手不足によって自動化が一段と進みました。今やあらゆるレストランで、注文も支払いもスマホやタブレットで行われていますが、これが2つ目の資本の深化(キャピタル・ディープニング)の効果で、生産性を高めました。(同)●(ナチス・ドイツのチェコ侵攻をイギリスのチェンバレン首相が容認し、その後、チェコのズデーデン地方がドイツに割譲され、ナチスの侵攻がエスカレートしていった)これと同じ流れが生まれないように、ロシアに強く対抗しなければ、バルト3国などの安全が脅かされないとも限りません。(同)●ロシアは「軍事ケインズ主義体制」に入っており、インフレの問題はありますが、驚くべきことに、経済はほぼ完全雇用の状態です。公共投資の拡大などを通じて有効需要を創出し、不況を脱出して完全雇用を実現する-このケインズ理論が、実際には国防支出の拡大という形で実践されたというわけです。(同)●(日銀の)黒田体制を通じて、金融政策が著しく通貨政策かし、植田体制になってからも、その後遺症に苦しんでいるという理解が正しいような気がします。(唐鎌)●(日本の政策論壇には「一発逆転」の妙手に飛びついてしまう傾向があることから)アベノミクスの名の下で実行された大規模金融緩和はその象徴に見えますが、地域振興券のような定額給付にも同じような印象を抱きます(中略)刹那的な快楽を求めるあまり、長期的な効果はあまり議論してもらえないケースが多くないでしょうか。(同)●日本では官邸の意向を実行する部署に優秀なエース人材を集中させるため、データの作成や分析に人材を割く余裕がありません。その結果、政治家の耳学問に基づいたアイデアを、そのまま政策に落とし込む傾向が強くなってしまいました。(河野)●政府は四半世紀にわたって「デフレ脱却:を目標に掲げ、たしかにそれは日本社会にとって大きな関心事でした。しかし、2022年以降、グローバルインフレの波は日本にも到達しており、インフレによる生活苦が衆議院選挙における政府・与党の大敗につながったと見られています。「デフレ脱却」のテーマ設定は、明らかに現実と乖離しているように思います。(唐鎌)
12月某日
「江戸のいちばん長い日」(安藤優一郎 文春新書)を読む。タイトルは1868(慶応4)年閏5月15日に江戸の寛永寺に立て籠った彰義隊が新政府軍により鎮圧された日のことだ。当時の日本は太陰暦が使われていたため閏月があった。この本にはとくに新発見が記されていたわけではないが、私は昔から彰義隊が好き。負けることが自明なことながら義のために闘うということがね。高倉健主演の仁侠映画もその路線。でもロシアと闘うウクライナ、イスラエルと闘うパレスチナゲリラには勝って欲しい。
12月某日
「日本の経済政策-「失われた30年」をいかに克服するか」(小林慶一郎 中公新書 2024年1月)を読む。本書が執筆されたのはまだ日本経済がデフレの最中のこと。デフレを脱却し円安、原油や食料など資源高からインフレ基調となっている現在には無用の書家というと、そうではない。著者の基本的な認識は、日本の経済社会の構造が変化していることにある。その一つは日本企業がそれまでの雇用第一という規範を捨て、労働コストの削減に邁進したことをあげる。その結果、企業は生き延びたが、非正規雇用が増え、人的資本が劣化した。2010年代の生産性の低迷はそのツケが回ったのだ。対症療法として低金利政策を打ったことで、採算性の悪い事業が延命され、経済全体の生産性がさらに悪化した(まえがき)。円安、資源高から日本経済がインフレ基調になったとしても、日本経済の構造変化という基本は変わらない。政治家も経営者もこのことに気付いて手を打たないと「失われた30年」はさらに続くことになる。
12月某日
元積水ハウスの畠さんが亡くなったという連絡を岡田さんから貰った。畠さんは長く積水ハウスの広報を務め、住宅業界全体にネットワークを築いた人だった。私より1歳上の78歳だったという。合掌。確か進学校の盛岡一高出身で、大学は東京外語大だったと思う。東京外語は早稲田に比べると小さな大学だが、私の知り合いは何人かいる。住宅セールスの評論家になった横尾さん、年友企画の初代社長の田中さん、社会保険研究所の社長だった船木さん、コピーライターの友野君などがそうだ。確かに個性的な人が多いかも知れない。
