モリちゃんの酒中日記 2月その2

2月某日
「豊臣家の女たち」(福田千鶴 岩波新書 2025年10月)を読む。NHKの今年の大河ドラマは豊臣秀吉の弟、秀長を主人公にした「豊臣兄弟」。それを意識したのかどうかは別にして「豊臣家の女たち」というのは魅力的なテーマだ。秀吉には糟糠の妻というべき寧がいた。寧は秀吉が太政大臣に任官したのち、太政大臣の妻の呼称である北政所と呼ばれた。北政所も秀吉同様、下層武士階級の出身であった。秀吉には北政所以外にも多くの女性がいた。信長の妹、市の娘の茶々(淀君)もその一人である。秀吉にとって淀君は主筋の高貴の出であった。多くの女性に囲まれた秀吉の閨房生活であったが、成人した男子は秀頼一人であった。秀吉に臣従しながら秀吉死後、天下人となった徳川家康にも多くの妻がいたが、秀吉とは違って多くの子をなした。2代しか続かなかった豊臣政権と15代、250年にわたって続いた徳川政権の違いは、政権の創始者の生殖能力の違いでもあったのだ。

2月某日
「日本政治と宗教団体-その実践と歴史的変遷」(蔵前勝久 中北浩継 朝日新書 2025年11月)を読む。先の衆議院選挙で立憲民主党と公明党が統合した中道改革連合は自民党に惨敗した。しかし議席を大きく減らしたのは選挙区の立憲民主党出身者で比例区に絞った公明党出身者は前回衆議院選を上回る28議席を獲得した。今回の選挙では無党派層の動向がカギを握ったと思われるが、創価学会を支持基盤とする公明党は、固い支持基盤が功を奏したと思われる。本書の「あとがき」で「主に自民党を支持する業界団体、立憲民主党や国民民主党を支持する労働組合などはかねて集票力の低下が指摘されてきた。宗教団体は比較的、低下のスピードが遅く、まだまだ集票力があるとされてきた」としているとおりである。ところが「あとがき」では続いて「しかし、SNSの登場もあって、低下のスピードが速まっているのかもしれない」とも述べている。公明党はもとより、今回大勝した自民党も安心していられないのだ。

2月某日
「昭和天皇-「理性の君主」の孤独」増補版(古川隆久 中公新書 2011年4月初版 2025年12月増補版)を読む。昭和天皇(1901~89)の評伝である。昭和天皇は明治憲法においては「神聖にして侵すべからず」の存在だったが、第2次世界大戦の敗北により新憲法では「国の象徴」とされた。敗戦を経てもA級戦犯のように処刑されることもなかったし天皇の地位を追われることもなかった。しかし、天皇の権能の中身は最高権力者から象徴へと大きく変わった。天皇自身はどうか?本書を読む限り、昭和天皇は戦前から立憲主義者であり、それゆえ内閣の決定した中国や米英との戦争に対して最終的にノウとは言えなかったようだ。私がテレビの映像などでみる昭和天皇はやや猫背で国民に帽子を振る老人としての印象しかない。サブタイトルの「「理性の君主」の孤独」が彼の心境を表しているように思う。そして、その孤独は戦前も戦後も基本的に変わらなかった。王はいつの時代も孤独なのだ。

2月某日
「蔣介石-「中華の復興」を実現した男」(家近亮子 ちくま新書 2025年8月)を読む。面白かった。私は蒋介石という人物を、毛沢東をトップとする中国共産党に大陸を追われて台湾に逃れ、台湾では国民党の独裁体制を敷いた-というふうに理解していた。間違いではないのかもしれないが、きわめて不十分であったと本書を読んで思う。著者は「あとがき」で「本書は私が選択した事実に基づく蒋介石像である。歴史というものは多面体のプリズムのようなものだと私は常日頃から学生に話している」と書いている。まさに本書は「多面体のプリズム」を通した蒋介石像が描かれている。蔣介石は清朝末期の1887年に生まれる。清朝は人口比率1%程度の満州族が圧倒的多数の漢民族を支配していた。幼くして王陽明を学び長じて日本に留学、新潟県の高田の野砲第19連隊に入隊するも、革命の勃発に伴い帰国する。留学経験もあって蒋介石は生涯を通じて親日家であった。日本敗戦後「以徳報怨」(怨みに対して徳を以て報いる)と国民に演説、中国に多数残された日本人の早期帰国に尽力したのはよく知られている。蔣介石は複数の結婚歴がある。最初の結婚は14歳のとき、母親の決めた毛福梅と。彼女は蒋経国の母である。さらに内縁の妻となるのが姚冶誠、次に出会うのが陳潔如、彼女は蒋経国の育ての親となる。最後が宋美齢、宋財閥の娘でアメリカ留学の経験もあり英語も堪能だった。

2月某日
今日は金曜日。週1回のマッサージの日で11時にマッサージ店「絆」を予約してある。金曜日休みの長男の車に乗せて貰い絆へ。15分ほど電気をかけて貰い15分でマッサージ。再び車に乗せて貰い近くのスーパーでジン「ボンベイサファイア」を購入。我孫子駅まで送って貰う。我孫子駅北口の床屋「髪風船」で散髪。以前行っていた床屋が昨年末に3500円ら4000円に値上げされたので、60歳以上2000円の髪風船に変更した。床屋から南口の蕎麦屋「三谷屋」で生ビール小と親子丼。1100円。蕎麦屋を出て徒歩で我孫子市民図書館へ。

2月某日
「新版B面昭和史 1925-1945」(半藤一利 平凡社ライブラリー 2026年1月)を読む。半藤一利(1930~2021)は東大文学部卒業後、文芸春秋社に入社。確か専務を務めたように思う。その後、みずから「歴史探偵」を称しフリーに。「B面」というのは政治、経済、軍事にかかわる歴史をA面として、もっぱら庶民にかかわる風俗や流行の歴史をBメントしたものある。半藤さんは反骨、反戦平和かつユーモア理解する歴史家であった。治安維持法の最高刑を死刑にし各都道府県に特高警察を置いたことに触れて「この二つがのちのちの昭和史を激震させることになったのはもう周知のとおり、これ以上余計なことはかくこともない」とファシズムへの嫌悪と怒りが伝わってくる。著名人の日記も引用されている。野上弥栄子の日記から。「英米の代わりに独伊というダンナもちになって、十年後にはどんな目に逢うか。国民こそいい面の皮である」。庶民の抵抗にも触れて「米機を撃つなら英機も撃て」と大書されたポスターを見かけるようになったという。英機はもちろんときの首相、東条英機のことである。ところで総選挙で国民は衆議院の三分の二を自民党に与えた。戦前の大政翼賛会を見る思いがする。

モリちゃんの酒中日記 2月その1

2月某日
「人はなぜ他者を差別するのか―排除と差別、そしてヘイトの現在地」(森達也編著 論創社 2025年12月)を読む。森達也は「差別という「呪い」について」というタイトルの論稿で次のように述べている。「差別やヘイトは「集団の圧」から生まれる。普通の人々が恐怖や不安に駆られて「他者」を排除する。それはオウム信者に対する排斥運動であり、関東大震災時の朝鮮人虐殺であり、現代のSNS上の罵詈雑言だ。僕たちは常に「正義」の名の下に誰かを傷つけている」。日中戦争下の南京での虐殺や強姦を行ったのも普通の兵士だった。朴順梨という人は新井将敬について触れている。新井将敬と言っても今や知る人も少ないと思う。1948年1月に大阪で在日韓国人として生まれ、後に日本に帰化、東大卒業後、新日鉄、大蔵省を経て、自民党公認で衆議院選挙に出馬して1986年以来、12年間国会議員を務める。証券会社への利益強要罪に問われ、品川区内のホテルで縊死。自民党の国会議員でも差別に苦しむ。この国の差別意識の強さに改めて驚く。新井が自殺したのは1998年の2月、今から30年近く前だ。しかし外国人が増え続ける現在、外国人ヘイトは続く。外国人労働者がいなくなったら、困るのは日本人なのに。

2月某日
「シオニズム-イスラエルと現代世界」(鶴見太郎 岩波新書 2025年11月)を読む。シオニズムは「19世紀終盤のロシア帝国領で生まれ、「ユダヤ人の民族拠点をパレスチナに築くことを目指す思想・運動」と定義される。第2次世界大戦中のドイツで多くのユダヤ人が財産を没収され虐殺された。また旧ロシア帝国、旧ソ連でもユダヤ人は迫害された。東ヨーロッパ、ヨーロッパ全体にわたってユダヤ人は差別されてきた歴史がある。第2次世界大戦後、迫害を逃れたユダヤ人が自宅にたどり着くとそこには知らない人が住み、権利を主張されたという。迫害されたユダヤ人が目指したのがパレスチナだった。しかしそこはアラブ人が暮らしていた土地だった。本書ではイスラエルの建国は「入植者植民地主義」に分類されている。「アメリカやオーストラリアのように、先住民の土地を収奪しながら、彼らを取り込むよりも排除して自分たちだけの社会を構築していく」のが入植者植民地主義で北海道開拓や満蒙開拓もその例だ。シオニストのパレスチナ入植もこのタイプに分類される。著者はシオニストのパレスチナ入植に批判的だ。そしてそれを支援した米英などの先進資本主義国、さらにユダヤ人虐殺への負い目からイスラエルを積極的に支援するドイツに対しても批判的だ。

2月某日
新松戸駅改札で小中高と学校が一緒だった山本君と待ち合わせ。1時間ほど早く着いたので新松戸駅周辺を散歩。新松戸は常磐線と武蔵野線が乗り入れているため乗降客は我孫子駅よりかなり多いのではないか、飲食店の数も種類も多いようだ。新松戸駅付近で山本君と合流、駅近くの日高屋へ。私はビールとウイスキーの水割り、山本君はビールと日本酒。山本君は武蔵野線で、私は常磐線で帰る。

2月某日
「明治維新10講」(三谷博 岩波新書 2025年12月)を読む。近世の日本には2人の君主がいた。江戸の将軍(公儀)と京都の天皇(禁裏)である。これは世界史でも極めて珍しい現象で18世紀のベトナムで短期間あったという。江戸時代の日本は約270の藩で構成されていた。これにより著者は江戸時代の日本を「双頭・連邦国家」と呼ぶ。幕府と将軍には権力があり、天皇と公家には権威があった。幕末にはにわかに尊皇の気風が高まり、天皇から幕府に使わされた勅使の江戸城内の位置づけも変化したという。明治維新というとその性格を封建体制からの絶対主義体制への移行(講座派・日本共産党系)と見るかブルジョア立憲体制への移行(労農派・後の新左翼系)と見るかという論争があったが、三谷はまったく触れていない。もうそんな時代ではないということか。

2月某日
衆議院選挙、自民党が定数の三分の二を超える圧勝。立憲と公明が合同した新党は振るわず。投票率がいくらか上昇したことと、支持政党なしの浮動票の多くが高市自民党に流れたものと思われる。国民のバランス感覚が一時的に自民党に向かったのではないか。先進国に見られる右傾化とは少し違うように思えるが。しかし参政党の伸張は不気味ではある。

モリちゃんの酒中日記 1月その2

1月某日
「「租にして野だが卑ではない」石田禮助の生涯」(城山三郎 文春文庫 1992年6月)を読む。我孫子市民図書館で借りた本の奥付では2016年6月第37刷とあるから随分と読まれた本である。しかし現在、石田禮助の名を知る若い人は少ないだろう。裏表紙の惹句に曰く「三井物産に35年間在職し、華々しい業績をあげた後、78歳で財界人から初めて国鉄総裁になった“ヤング・ソルジャー„石田禮助-明治人の一徹さと30年に及ぶ海外生活で培われた合理主義から”卑ではない、ほんものの人間の堂々たる人生を著者は克明な取材と温かな視線で描いた。ベストセラー作品の文庫化」。読んで「なるほどね」と思った。昔の政治家でも経済人でもひとかどの人と呼ばれるような人には風格があった。それが「卑ではない」ということ。今、衆議院選挙の真最中であるが、候補者の中に「卑ではない」と言える人がどれほどいるのだろうか。

1月某日
「神さまショッピング」(角田光代 新潮社 2025年9月)を読む。神さまショッピングというのは「診断に満足がいかず、医者を次々とかえることをドクターショッピングというのだと聞いた」とき、自分のやっていることは「神さまショッピング」と主人公が思ったことから来ている。表題作を含めて9編の短編がおさめられている。困ったときの神頼みというが、神仏にすがる気持ちは多くの人が持つことだろう。それも特定の宗教を信仰するというのではなく、軽い気持ちで神頼みをするのだ。そうしたときに、意外に人間の本質があらわれてくる。そこらの心の有り様を角田は巧みに描いて行く。

1月某日
本日(1月25日)の朝日歌壇、永田和宏選から「逆回転始めた地球 気がつけば帝国主義の時代の真中」(村田知子)「最果てのグリーンランドを三度撫でやおら地球儀机にもどす」(河合正秀)「危ないと感じてるなら黙らずに声をあげねば戦前になる」(坂入やすのり)「おだやかに笑みつつ事は進捗し防衛予算も確保されたり」(藤原明)。それぞれの永田による【評】も。「世界は帝国主義の時代に逆戻りという感が強いが(村田)、特にトランプによる傍若無人の発言にはあきれる他はない(河合)。こんな事態に声をあげなければ戦前になるとも思うし(坂入)、既に防衛予算の拡大にも現れている(藤原)。

1月某日
上野動物園のパンダが中国へ返還されるということでテレビや新聞で盛んに取り上げられている。パンダは熊科に分類されているようだが、同じ熊科でも日本のツキノワグマやヒグマは駆除の対象である。朝日歌壇の高野公彦選に「耳のタグああいたわしや山奥に逃がした子熊里で射殺され」(添田敏夫)。「ああいたわしや」に同感。

1月某日
「清張が聞く-1968年の松本清張対談」(松本清張 文藝春秋 2025年12月)を読む。68年に行われた松本清張と著名人の対談を再版したもの。68年と言えば現在の2026年からすると58年前である。私は20歳、早稲田大学の2年生で当時、学内を制圧していた革マル派と厳しく対立していたころである。対談は月刊誌の文藝春秋に掲載されたが、当時の私の感覚からすると、月刊文春などはブルジョア雑誌であり読むに値しないものであった。しかし今、読んでみると58年前と現在と同じような問題が続いていることもあって驚かされる。例えば創価学会の会長だった。池田大作との対談で池田は次のように述べている。「時代は中道を欲していることは否定できない」「右とか左とかいうのではなくて、日本の最大多数の人がどうすればほんとうに幸せになるか」。私たちには自公連立時代の公明党の記憶が根強いけれど、公明党・創価学会はもともと反自民、非共産の平和主義の政党であった。公明党が連立から離脱したのはある意味で当然であったのだ。