モリちゃんの酒中日記 12月その2

12月某日
先週に続いて佐倉の歴史民俗博物館へ。先週は京成佐倉駅に「ふらここ」のママと「ふらここ」の常連の「ミヤ」ちゃんと14時半に待ち合わせた。企画展示の「1968年」(無数の問いの噴出の時代)を観るためだが、見落としたものが多くあるように感じたのと、今回は前回、買い求め損なった「資料集」を購入するため。前回はJRの金町から京成金町→京成高砂→京成佐倉というルートだったが今回は成田線で我孫子から成田、京成成田→京成佐倉というルートをとる。成田線の時間さえ合えばこちらのほうが早い。企画展示は明日で終了なので、平日なのにそこそこ混んでいた。学生らしい若い女性が数人、引率の教官らしき人に連れられてきていた。日大全共闘の映像をじっくり見る。やはり新宿の「ジャックと豆の木」の常連だったルポライターの橋本さんがアジ演説をやっているのが映っている。来週にでも元マスターの三輪さんに会うので報告しよう。資料集を購入して帰る。我孫子駅前の「七輪」で一杯。

12月某日
東大全共闘の代表だった山本義隆の「私の1960年代」(金曜日 2015年10月)を図書館で借りて読む。山本の1960年代は60年安保の年に東大に入学し、物理学の大学院に進学し学究の道を歩みながら大管法反対闘争やベトナム反戦闘争にかかわり、学園闘争の頂点だった東大闘争の代表を引き受けた10年間だった。大管法つまり大学管理法反対闘争の章に豊浦清さんのことが紹介されていた。豊浦さんは確か日比谷高校から東大に進学、第2次共産主義者同盟の結成に参加、政治局員となり後にマルクス・レーニン主義者同盟の幹部となった。東大闘争の安田講堂防衛隊長だった今井潔が国会議員になったとき秘書を務めた。私が知り合ったのは豊浦さんが秘書を辞めた後、社会保険研究所の関連会社の社長に就任したころだ。経歴とは関係なくちっとも偉ぶらない立派な人だった。数年前、がんで亡くなったが、そういえば「偲ぶ会」には山本義隆も来ていたっけ。「東大闘争のころの話、聞かせてよ」と私がせがんだら「俺、そのころ川崎に労働者として入ってたからよく知らないんだ」と答えられたことを覚えている。
「私の1960年代」は、東大闘争の話がメインであるのだが、山本は「なぜ、東大闘争に至ったか」を幕末、明治維新にさかのぼり論じている。日本の科学はそのころから軍事や産業の振興のためという性格が強かったということだろう。もうひとつ東大闘争が特異だったのは闘争の主体が院生や助手だったことだ。「学問とは何か?」を真剣に問いかけざるを得なかったのだ。翻って私の場合は浪人時代の1967年の10.8羽田闘争にショックを受け、1968年4月に早大に入学、4月にはべ平連のデモに参加、王子野戦病院反対闘争にも野次馬として参加した。5月のゴールデンウイーク前まではそれでも真面目に授業に出ていた覚えはあるけれど、6.15で日比谷野音で中核派と反帝学評が小競り合いを起こしたあたりから学生運動にのめり込んでいった。私が入学した政経学部の自治会執行部は反帝学評が握っており、行きがかり上私も反帝学評の青いヘルメットをかぶっていたのだ。7月の都学連大会の後、夏休みで帰省し、東京に戻ってきたら三里塚闘争が待っていた。「学問とは何か?」なんて真剣に問いかけることもしなかったし、だいたい授業もろくに受けていないのだから学問を論じる資格もなかったわけだ。

12月某日
桐野夏生の文庫本の最新刊、「奴隷小説」(文春文庫 2017年12月)を読む。単行本になったとき図書館で借りた記憶はあるのだが内容は覚えていないのがほとんど。私の記憶力に問題があるにせよ、読むたびに新鮮な気持ちで読めるというメリットもある。文庫本には解説が付いているが、奴隷小説は政治学者の白井聡が書いている。白井は1977年生まれの40歳。早大政治経済学部卒業、一橋大の大学院を満期終了、「永続敗戦論」「未完のレーニン」などの著書がある。白井は桐野の小説は平成のプロレタリア文学ではないかと論じる。「現代作家のうち、桐野氏こそ『階級』に『搾取』に、より一般的な言い方をすれば『構造的な支配』に、最も強くこだわっている書き手ではないだろうか」というのである。私はこの数年、桐野の小説に強く惹かれるものを感じてきたのだが、白井の解説を読んで「そういうことかも」と腑に落ちた。

12月某日
大谷源一さんと日暮里駅前の「いづみや」へ。10数席のカウンター席と小上がりにテーブル3つほどの店。大谷さんが来るまでに日本酒を常温で呑む。つまみはマグロのぶつとポテトサラダ。大谷さんが来る。大谷さんは長岡出張の帰りで日本酒をお土産にもらう。大谷さんは生ビールに肉豆腐を頼む。2時間ほど呑んで日暮里から常磐線で我孫子へ。駅前の「愛花」による。お土産にもらった日本酒をママに渡す。日本酒好きの常連「ソノちゃん」が来た時にでも呑みましょうということ。