モリちゃんの酒中日記 1月その1

1月某日
正月だが初詣もせず初日の出を見に行くでもなく普段と同じ休日。テレビのザッピングと読書。テレビに関してはBSが地上波とは一味違う番組を放映していると感じた。大みそかに見たBSNHKの黒澤明特集の「七人の侍」はさすがであった。侍のリーダー、志村僑が「本当に勝ったのは百姓よ」と語っていたのが印象的だった。映画が製作された1950年代は民衆史観が素直に信じられていたのだろうか?
図書館で借りた「いまも、君を想う」(川本三郎 新潮社 2010年5月)を読む。川本は東大法学部卒業後、朝日新聞社に入社。朝日ジャーナルの記者のとき全共闘運動の取材の過程で致命的なミス犯し、朝日新聞社を解雇される。のちに妻となる恵子との婚約解消を申し出るが彼女は「私は朝日新聞社と結婚するのではありません」と揺るがなかった。7歳下の恵子が癌で逝ってしまう。30余年の結婚生活、足掛け3年となる闘病生活を切々と振り返る。「なぜもっと早く異常に気づかなかったのか」と何度も悔やむ。私も自分の奥さんより長生きしたいとは思わない。私の奥さんは酒もたしなまず、ほとんど病気らしい病気をしたことがないので多分、大丈夫とは思うのだが。
鷺沢萠の「大統領のクリスマスツリー」(講談社 1994年3月)を読む。ワシントン留学中に知り合った治貴と香子は、クリスマスのデートでホワイトハウス近くの大統領のクリスマスツリーを見に来る。やがて治貴と香子は結婚。治貴はアメリカで司法試験に合格し弁護士となる。ストーリーの大半はアメリカで成功し家も手に入れ、子供にも恵まれた夫婦の物語である。しかし夫婦の破綻を予感されるシーンで小説は終わる。鷺沢萠だからハッピーエンドで終わるはずはないと思っていたが、それにしても見事な展開と私には思える。鷺沢萠は1968年生まれ。2004年4月に自死。理由は明らかにされていない。

1月某日
思い立って初詣に行くことにする。まず家から歩いて10分ほどの香取神社へ。巫女(の扮装をした若い娘)が舞を奉納している。案内板に8代将軍の吉宗のころ創建されたとある。所有地の一部を市に売却、それが市立の緑保育園の敷地となり、売却益を活用して社殿を建て替えたとも書いてある。我孫子市に半世紀近く住んでいるが初めて知った。香取神社の次は公園坂通りの八坂神社に向かう。八坂神社も300年ほど前の創建。我孫子駅から各駅停車に乗って北柏へ。北柏駅から歩いて5分ほどの北星神社へ。北星神社は中世にこのあたり一帯を支配していた相馬氏ゆかりの神社らしい。八坂神社も北星神社もコンクリート造の立派な社殿だが、八坂神社の社殿は質素な佇まい。だが、八坂神社の夏祭りは何台も山車が出てとても盛んだ。北星神社から20分ほど歩いて我孫子ショッピングセンターへ。1階のベーカリーのコーヒーショップでカフェオレを頂く。4時になったので我孫子駅南口の「しちりん」へ。樽酒を振舞われる。

1月某日
図書館で借りた江國香織の「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」(集英社文庫 2005年2月)を読む。解説で山田詠美は「泳ぐのに、安全でも適切でもない所に、あえて飛び込んだらどうなるか。そのことについて考えてみる」と問題を提起する。山田は、もがき、苦しみ、溺れ、自分が生きているのか死んでいるのか解らなくなるが、解っているのは「いずれにせよ、自分が、ようやく水を獲得したということだ」とし、この短編集は「そのような水を獲得した人々の物語であると思う」と述べる。いくつかの愛の形を切り取った短編集。切り取った残りのストーリーを想像させる余韻に満ちた短編集である。

1月某日
机を置かせてもらっているHCM社の仕事始め。缶ビール、日本酒(越乃寒梅)、高そうなワインをいただく。ワイン通の三浦部長によると製造年からして旨いワインだそうだ。大橋社長に新橋駅烏森口のスナックに連れて行ってもらう。

1月某日
年友企画の仕事始めにお呼ばれ。ビール、日本酒、仕出しのオードブルを頂く。我孫子に帰って「愛花」に寄る。常連のソノちゃんが来ていた。ソノちゃんから新潟の日本酒、今代司とオカキを頂く。