モリちゃんの酒中日記 5月その4

5月某日
日曜日だが渋谷の「音楽運動療法研究会」に参加。18時スタートなので10分前に行くと、事務局を引き受けてくれている宇野裕さんがすでに来ている。座長の川内小金井リハビリテーション病院副院長は海外出張で欠席だが、いつもの黒澤加代子さん(日本ホームヘルパー協会東京都支部副会長)、丸山ひろ子さん(音楽療法士)、依田明子さん(特養施設長)が参加。今回は年度初めての開催ということで今年度の研究の目的と研究方法について議論。私と宇野さん以外は現場の人なので、ここでの議論は私にとってとても参考になる。現場を持っているだけに研究方法についても実践的な議論ができた。私としては「音楽運動療法」を介護保険の機能訓練加算や口腔ケア加算の対象に加える方向を提言できればと思っている。終了後、渋谷のヒカリエの居酒屋で宇野さんにご馳走になる。

5月某日
図書館で借りた「それまでの明日」(原尞 早川書房 2018年3月)を読む。人気ミステリのため「この本は、次の人が予約してまっています。読み終わったらなるべく早くお返しください」というラベルが背表紙に貼ってあった。著者紹介によると原尞は1946年佐賀県鳥栖市生まれ。九大の美学美術史科を卒業。70年代にはフリージャズピアニストとして活躍、30歳ころから翻訳ミステリを乱読し、とくにレイモンド・チャンドラーに心酔。88年に本書の主人公でもある私立探偵の沢崎が初登場する「そして夜は甦る」でデビュー、89年の第2作「私が殺した少女」で直木賞を受賞とある。本書の「それまでの明日」とデビュー作の「そして夜は甦る」はタイトルとしては「明日」と「夜」がキーワード。小説のなかの時間の短さと、人生の儚さを象徴している(と私には思える)。確かに面白かったし、文章も洒落ている。「水道の元栓を誰かが勝手に締めてしまった蛇口の水のように、私のまわりの動きがピタリと止まって、二日と半日が過ぎた」というような文章にはなかなかお目にかかれない。文章に独特のリズム感があるのはジャズピアニストという前身のためだろうか。ミステリのためストーリーのあらすじは載せない、としておくが私が要約するには荷が重いというのが本当のところ。それだけストーリーの展開が華麗にして複雑ということだ。

5月某日
大学時代の友人で弁護士の雨宮君と呑むことにする。虎ノ門での会議が長引いて終わったのが7時近く。雨宮君の事務所がある弁護士ビルの1階で待ち合わせ。近くの山本魚吉商店という居酒屋に入る。ここは前にも雨宮君と行った店で日本酒と魚の美味しい店だ。佐賀や山形の日本酒とお刺身の盛り合わせなどを頂く。雨宮君の一番下の息子が今年早稲田の政経学部と法学部の両方に合格し、法学部を選んだ。法学部は法律を学ぶという中身が明確だが、政治や経済は「何を学ぶの?」ということで法学部を選んだらしい。なるほどね。私はジャーナリストを目指して早稲田の政経学部入学、授業にほとんど出席することなく4年で卒業。結果的にジャーナリストにはなったけど、大学での学問が役立ったことは一度もない。授業にほとんど出席していないのだから当たり前である。雨宮君にすっかりご馳走になり、地下鉄の霞が関近くまで送られる。

5月某日
麹町の都市センターホテルの「シニア・介護ビジネス研究講座」に出席。HCMの三浦部長も出席。HCMが新規事業として参入したリハビリ型デイサービスのビジネスモデルを開発したQLCプロデュ―スの村田和男社長の講演を聞く。介護事業の課題として規模の大型化を上げるなど私の日頃考えていることと一致するところが多かった。講演終了後、三浦部長が村田社長を紹介してくれる。次の講演はパスして三浦部長と麹町の焼き鳥屋へ。「フエ」という名札を付けた東南アジア系の女性が注文を取りに来る。「どこから来たの?」と聞くと「ベトナムです」。「フエという地名もベトナムにあるね」と言うとうれしそうに「そうです」と答えてくれた。ベトナム戦争当時、よく聞いた地名だ。三浦部長とHCMの新規事業について意見交換。店を出たらまだ明るかった。

5月某日
浅田次郎の短編小説集「夕映え天使」(新潮文庫 H23年7月 単行本はH20年12月)を図書館で借りて読む。浅田次郎の短編は市井の庶民の哀歓を描かせると抜群に巧い。表題作「夕映え天使」の主人公は庶民と言ってもかなりくたびれた庶民。隅田川沿いの寂れたラーメン店「昭和軒」が舞台で、主人の一郎は独身でやもめのおやじとの2人暮らし。おととしの夏、ラーメンを食べ終わった40前後の女客が「住み込みで雇ってもらえませんか」。その日から純子は昭和軒の少し薹のたった看板娘となった。一郎は純子と所帯を持ってもいいと考え、白いダウンコートや靴をプレゼントする。だがある日、純子は忽然と一郎とおやじの前から姿を消す。2年たった正月、軽井沢警察から身元不明の遺体の照会が一郎にあった。純子は軽井沢の山中で縊死し、死後2カ月たって発見された。年老いたおやじにも優しかった純子。一郎は警察署からの帰り道、純子のことを想いぐずぐずと泣いた。この短編の優れた点は、ストーリーの中に現実の純子は登場しないことだと思う。一郎の回想の中にしか純子は出てこない。だからこそ一郎の純子への想いが強調されるのだ。