モリちゃんの酒中日記 8月その2

8月某日
大谷源一さんに連絡して御徒町の中華料理屋「大興」で会うことに。ここは安くて美味しい人気店で大谷さんが電話予約してくれたのでやっと入れた。「シューマイ」や「ホタテとアスパラ炒め」などを肴にビール、焼酎を呑む。隣に座った若い女性の2人組に「ここは何が美味しいのでしょうか?」と聞かれ、大谷さんが丁寧に答えていた。8時半頃お開き。真直ぐ自宅へ帰る。

8月某日
図書館で借りた「権力の『背信』-『森友・加計学園』スクープの現場」(朝日新聞取材班 朝日新聞出版 2018年6月)を読む。2017年2月の朝日新聞の報道から始まった森友学園への国有地売却問題、同じく5月に朝日新聞に掲載された愛媛県今治市に新設される加計学園の獣医学部の問題は、森友学園は首相夫人の関わり、加計学園は学園の理事長と安倍首相の親密な関係が取り上げられた。新聞やテレビで報道された以上の新事実が明らかにされたわけではないが、朝日新聞の記者がこれらの問題を真摯に追いかける姿勢と報道陣や野党の追及をはぐらかす政権側の姿勢が浮き彫りにされている。私自身もそうなのだが国民の多くがこうした事件の情報の多くをテレビをはじめとした映像で入手し、それに影響を受けてしまう。事件の劇場化ということだが、映像を見てコメンテーターの感想を聞き、それで事件を理解したかのように思ってしまう。どうも事件に対する検証がおざなりになってしまっているのではないか、そう感じる。その意味でも本書は事件の幕引きを図ろうとする政権側に対して、事件の検証を通して「事件は終わってはいない」と主張する。朝日新聞の記者魂を見る思いがする。
もう一つ本書を読んで強く感じたのは「官僚は全体の奉仕者」という民主主義国家の官僚制の原則があまりに軽視されていないか、ということ。首相や首相周辺に気を使いその意思を忖度し、国会に参考人招致されても「訴追の恐れがある」と証言を拒む。私が知っている官僚は国民のため国のためを考えていたと思うのだが。省庁の幹部人事を一元的に取り仕切る内閣人事局の存在も影を落としているのだろうか。もう一つ指摘しておきたいのは政治家とくに与党国会議員の質の低下。本書でも明らかにされているが参院予算委員会で与党議員が財務省の太田理財局長に「局長は安倍政権をおとしめるために変な答弁をしているのじゃないか」と質問、さすがに議事録から削除されたということだが、議席を与えすぎると程度の低い議員も当選してくるということなのだろうか。この秋、安倍自民党総裁の3選は動かないようだが、総裁選は自民党全体の見識も問われていることも忘れないでほしい。

8月某日
「金融政策に未来はあるか」(岩村充 岩波新書 2018年 6月)を読む。この本の内容は正直、私の貧しい経済学の知識を以てしては十分に理解したとは言い難い。しかし随所に著者の柔軟な感性と深い専門知識、そして本当の意味での教養を感じることはできた。岩村は1950年東京生まれ東大経済学部卒、日本銀行を経て、1998年より早稲田大学教授。最終章で著者は、円やドルなどの法定通貨も、その価値の由来という観点から見れば、実は最初から仮想通貨だったと言える、と書いている。これは多分、仮想通貨に対する円やドルなどの法定通貨も国家の信用力という一種の幻想に支えられているということではないだろうか。生物学者の吉村仁の著書「強いものは生き残れない」(新潮社 2009年)から「利己ではなく利他的戦略をとった生物種の方が長期的に見れば生き残ることが多い」という説を紹介し、通貨においても「強過ぎるものは生き残れない」という論理が通用するかもしれないとしている。とても示唆的である。

8月某日
図書館でたまたま手にした「下山事件 暗殺者たちの夏」(柴田哲孝 平成27年6月 祥伝社)を読む。最初のページに「この物語はフィクションである。だが登場する人物、団体、地名はできる限り実名を用い、物語に関連する挿話もすべて事実に基づいている。その他、匿名の人物、団体、創作の部分に関しても実在のモデルや事例が存在する。それでもあえて、この物語はフィクションである-著者」とある。思わせぶりなのである。しかし読み始めると物語の圧倒的なリアリティに惹き込まれていく。このリアリティは「あとがき」を読むと納得させられる。下山事件というのは昭和24年7月5日、国鉄の初代総裁下山定則が日本橋三越本店での足取りを最後に失踪、翌6日未明常磐線綾瀬駅近くの線路上で轢死体で発見され、自殺他殺が交錯するまま捜査は終了した「戦後最大の謎」とされる事件だ。「あとがき」によると、著者の祖父の23回忌の法要のとき大叔母から「下山事件をやったのは、もしかしたら兄さん(祖父)かもしれない」と明かされたという。著者が事件に関わることになったきかっけという。祖父の名前は柴田宏(ひろし 小説中は柴田豊)、復員後、日本橋の亜細亜産業に復職、会社ぐるみで進駐軍の影となって数々の謀略に手を貸す。下山総裁が謀殺された理由として、下山が大規模な人員整理を含む合理化と共に賄賂が横行していた国鉄とその周辺にメスを入れようとしたためと本書では推測されている。同年に国鉄を舞台に三鷹事件、松川事件も発生している。戦後史の闇は深いというべきか。

8月某日
図書館で借りた「『日米基軸』幻想 凋落する米国、追従する日本の未来」(進藤榮一 白井聡 詩想社 2018年6月)を読む。このところ白井がずっと主張している「日本は米国追随一辺倒で大丈夫か?」をさらに補強する。白井は安倍政権が倒れたからと言って日本がすぐまともな道を歩むことにはならないだろうとする。なぜなら「安倍政権が去っても、そこにはそれらを長らく支持してきた、安倍政権と同様に、無能かつ不正で腐敗した国民が残る」からだという。「無能かつ不正で腐敗した国民」というのは少し違うと思う。そうした国民は同時に有能かつ勤勉な正義感あふれる国民」でもあるのだ。人間はそうした両義性を持つ存在だと思う。

8月某日
この1週間ほど少しばかり難しい本を読んでしまった。小説を読みたくなる。こういうときは以前だったら田辺聖子の本に手が出たのだが、田辺の短編はほとんど読んでしまった(長編は読み残しがあるが)ので、最近は林真理子と浅田次郎をもっぱら読んでいる。ということで今回は林真理子の「嫉妬」(ポプラ文庫 2009年8月)を読むことにする。ポプラ文庫には林真理子コレクションと銘打ったシリーズがあり、既存の単行本からテーマに沿って何篇かをピックアップしている。林自身が「あとがき」で「女のいやらしさというのも、小説の題材としてはうってつけなのだ」と書いているが、「女」はすなわち「人間」であろう。作家の人間観察眼の確かさが小説に奥行きを与えているように思う。