10月某日
大谷源一さんと上野の「養老乃瀧」で吞む。焼酎をボトルで頼む。その方が安上がりではある。しかし「養老乃瀧」はボトルキープができない、2人でボトル1本はかなりハードである。2人とも今年70歳だからね。隣のテーブルで吞んでいた中年女性2人組と話す。「清掃の仕事をやっている」という女性は確か72歳と言っていた。「生涯現役」ってわけだ。本当にエライと思う。
10月某日
「人口から読む日本の歴史」(鬼頭宏 講談社文庫 2000年5月)を読む。「新時代からの挑戦状」(厚生労働統計協会)の金子隆一論文を読んでから「歴史人口学」に興味を抱く。で、本書は1983年にPHP研究所から刊行された「日本2000年の人口史」が底本になっているというから、まぁ大筋は35年前の内容なんだけれど私には全然古さを感じなかった。むしろ新鮮でさえあった。「人口の推移を歴史的に読み解く」という「歴史人口学」の存在自体を知らなかったので無理はないけれど。人口は奈良時代以降はある程度、残された文献や江戸時代以降は寺の過去帳や宗門改帖で推し量ることができる。それ以前の縄文、弥生時代は遺跡から推計するしかない。集落の遺跡を調査し、住戸が何戸あり1住居には何人居住したかを推計するのである。その過程で当時の人々が何を食べていたかも分かってしまう。人骨や過去帳を調べることによって過去の寿命がどれくらいだったかもわかる。「人生僅か50年」というけれど出生時平均余命が50歳を超えたのは、第2次世界大戦後の1947年で男50.1歳、女54.0歳だった。男も女も平均余命では還暦を超えることがなかったのだ。
著者は「人口は自然環境の変動によって影響を受けるとともに、文明システムの転換や国際関係の変化とも密接に関連していた」(P253)という。自然環境の変動というのは、たとえば気候の変動によって採取する植物や魚、動物が激減したり、冷夏によってコメの収穫がほとんど期待できなかったりすることである。文明システムの転換とは、日本の場合は採取、漁撈、狩猟から水稲農耕を基盤とする農業生産への転換、さらに産業革命を経て工業化社会に至ったことを示す。国際関係の変化とは江戸時代の鎖国や、明治以降の近隣諸国への進攻、侵略を指す。さて、これからである。現代文明を特徴づけるのは生物的資源から非生物資源への、エネルギー利用の転換だ。農業社会は牛馬や人間自体の労働に依存し、水力、風力などの自然力が補っていたが、工業社会では石炭、石油、天然ガス、ウランなどの非生物エネルギー資源の利用が進んだ。だがこれらの非生物エネルギーはいずれは枯渇する運命にある。著者は「簡素な豊かさ」という表現で、エネルギーと資源を、再生可能な自然力と生物へ転換することを主張する。さらに「必要以上の消費をせずに、効率的な資源利用を実現することによって、環境汚染を防ぐとともに、南北間の資源の公平な分配に寄与しうる」(P273)とする。そして人口減少社会、超高齢化社会に適合したシステム、ライフ・スタイルの確立を訴える。正しいと思います。
10月某日
「思い出トランプ」(向田邦子 新潮文庫 昭和58年5月 単行本は55年12月)を読む。山本夏彦が「向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である」と評したのは有名だが、向田は本作に収められている「花の名前」他2作で昭和55(1980)年の直木賞を受賞、翌年の8月、台湾旅行中に飛行機事故で亡くなる。ということは亡くなってもう40年近く経過していることになる。そんなに時間が経っているなんて信じられないが、当時の直木賞の選考委員で向田を推した山口瞳、水上勉、阿川弘之の3人もすでに故人だから、そういうことなのだろう。直木賞受賞作の「花の名前」は結婚25年の夫婦の話。妻の常子に「ご主人にお世話になっているものですが」と女から電話があり、ホテルのロビーで会うことになる。つわ子と名乗った女は、二流どころのバーのママらしかった。帰宅した夫と妻の会話。「電話があったわよ。あのひと、一体・…」/追い討ちをかけると、夫の足が止まった。/「終わった話だよ」/そのまま入っていった。/またひと廻り、躯が大きく分厚く見えた。その背中は、/「それがどうした」/と言っていた。
結婚する前、夫は花の名前を桜と菊と百合しか知らなかった。夫は子供の頃から勉強一筋、「数学と経済学原論だけが頭にあった。真直ぐ前だけ見て走ってきた」のだ。「花の名前。それがどうした。/女の名前。それがどうした。/夫の背中は、そう言っていた。/女の物差しは25年たっても変わらないが、男の目盛りは大きくなる」。向田は平成の代を見ることなく亡くなったのだが、ここに描かれた夫婦の姿は明らかに昭和のものだ。向田は1929年生まれで私の父母が1923年生まれだからほぼ同世代。「花の名前」の夫婦も同じようなものだろう。戦後生まれは、いや少なくとも私は妻に「それがどうした」とは、口が裂けても言えません。
10月某日
桐野夏生の「リアルワールド」(集英社文庫 2006年2月 単行本は2003年3月)を図書館で借りて読む。図書館で借りた本の奥付は(2018年6月第5刷)とある。実は家に帰って本棚を見たら「リアルワールド」の文庫本があった。こちらの奥付は(2006年2月)。文庫本になった直後に買ったらしい。でも読んだこと自体覚えていないし、読み進んでも内容も全く覚えていない。認知機能の衰えか?同じ本を時間をおいて2冊買うというのは以前にもあったことだが。それはともかく「リアルワールド」は同じ高校に通う4人の女子高生と、母親を殺害して逃亡中の少年の物語である。桐野夏生の小説を「プロレタリア文学」と評したのは白井聡である(「奴隷小説」の文春文庫解説)。白井は「桐野氏こそ『階級』に、『搾取』に、より一般的な言い方をすれば『構造的な支配』に、最も強くこだわっている書き手ではないだろうか」と主張する。「リアルワールド」も「構造的な支配」に強くこだわった作品と言える。支配される側は4人の女子高生と逃亡中の少年である。支配する側は親、学校、大人を含めて社会である。少年の親殺しも女子高生の1人が逃亡に同行してタクシー運転手を脅し事故死するのも、1人の女子高生の自死も、社会に対する単独の「蜂起」と言えなくもない。単独の「蜂起」は当然、失敗し支配される側には絶望が残る。ただ、最近の桐野の作品には「バラカ」「夜の谷を行く」など結末に「未来」へのほのかな希望を示すものもある。
10月某日
「思い出トランプ」に続いて向田邦子の「男どき女どき」(新潮文庫 昭和60年5月 単行本は昭和57年8月)を読む。向田が台湾を旅行中に航空機事故で亡くなったのが昭和56年の8月だから、単行本は死後の刊行である。遺作となった短編小説が4編、あとは雑誌などに掲載されたエッセーである。短編小説を読んで改めて「うまいなぁー」と思う。「鮒」は中年サラリーマンの塩村が主人公。小料理屋の手伝いをしているツユ子のアパートに週に一度通うような関係になり、ツユ子は鮒を鮒吉と名付けて飼い始める。塩村の出張や病気で寝込んだのをしおに、塩村はアパートから足がごく自然に遠のいて一年がたつ。日曜日、家族4人で笑いあっていると台所で音がする。行くとポリバケツに入れられた鮒がいた。塩村はツユ子とのことが家族に露見しないか気を揉むが、息子の守が鮒を飼いたいと言いはじめ水槽も買ってくる。鮒が来た次の日曜日、塩村は息子を誘ってツユ子のアパートのあったあたりを訪ねる。ツユ子は引っ越したらしい。「塩村はもっと自分をいじめたかった。鮒吉の世話をしてくれている守を連れて、一年前の古戦場を葬って歩きたかった。そうするのが守に対しての仁義だと思った。ツユ子に対する罪ほろぼしというところもあった」。うちへ帰ると鮒吉は浮いていた。終り方がいい。「『ねえ、パパとどこへ行ったの』/守は、もう一度そっと鮒を突いて水の中へ沈めてやると、/「ワン!」/犬の吠えるまねをした」。息子もなんか気が付いているわけね。向田邦子は一度も結婚していないし子供も持たなかったわけだけど「家族」を描くと実にリアリティがある。「鮒」では幸福な家族とその異物としての夫の「浮気」、そして息子の成長といったものが「鮒吉」の一家への闖入と退出を通して語られる。
エッセーでは向田邦子の実像がより迫ってくる。「ゆでたまご」というエッセーでは小学校の足の悪いクラスメイトのことを綴る。足だけでなく片目も不自由だった彼女は家も貧しく性格もひねくれていた。運動会の徒競走で彼女は当然、とびきりのビリ、走るのをやめようとした瞬間、女の先生が一緒に走り出し、彼女を抱え込むようにしてゴールする。この先生はかなりの年配で叱言の多い学校で一番嫌われていた先生だった。向田は「私にとって愛は、ぬくもりです。小さな勇気であり、やむにやまれぬ自然の衝動です」と書く。エチオピアとカンボジアで出会った少年たち、内戦をどうくぐり抜けたのかと気遣うエッセー(えんぴつ)、伝統的な日本人の価値観について「人さまの前で『みっともない』というのは、たしかに見栄でもあるが含羞でもある。恥じらい、つつしみ、他人への思いやり。いやそれだけではないもっとなにかが、こういう行動のかげにかくれているような気がしてならない」と綴り、「私は日本の女のこういうところが嫌いではない。生きる権利や主張は、こういう上に花が咲くといいなあと、私は考えることがある」(日本の女)と結ぶ。こういうことを嫌味なくあっさりと書ける人はなかなかいません。
10月某日
「山本周五郎名品館Ⅳ 将監さまの細道」(沢木耕太郎編 文春文庫 2018年7月)を読む。山本周五郎の長編は結構読んできた。「樅ノ木は残った」「さぶ」「虚空遍歴」「青べか物語」など。短編はあまり読んだことがなかったし、沢木耕太郎編というのが気になって読むことにする。9編の短編が収められておりそれぞれが面白かったが、私が勝手に分類すると居酒屋と娼家を舞台にしたのが2編ずつ、市井ものが3編、武家ものが2編。沢木耕太郎の「悲と哀のあいだ」と題された「解説エッセイ」で、山本周五郎と山手樹一郎を対比している。このエッセーで初めて知ったのだが、山手樹一郎は作家になる前は編集者で、売れない前の周五郎は金銭的にも編集者時代の樹一郎に世話になったらしい。戦後、樹一郎が時代小説作家としてデビューし流行作家になる。樹一郎の小説は戦後の大衆に支持されたのだが、彼自身は「大衆作家」としての自分に不満だったらしい。周五郎は今の路線でいいのではないかと樹一郎に言うのだが、沢木はそこに周五郎の「勝者」としての「傲り」のようなものが滲んでいないかと書く。このエッセーは周五郎の短編みたいな味がある。
10月某日
「のろのろ歩け」(中島京子 文春文庫 2015年3月 単行本は2012年1月)を読む。映画で言うと海外ロケ物の中編小説が3編。舞台は台湾、北京、上海。「天燈幸福」は生前、母から台湾旅行を誘われていた美雨が一人で台湾を訪ね、母の知人に会う話。旅の途中で知り合った台湾人青年の「トニー」がエスコートしてくれる。台湾は1985年日清戦争の結果、日本に割譲され1945年の日本の敗戦まで日本の統治下にあった。朝鮮半島では日本の植民地支配に対して、例えば従軍慰安婦問題のように鋭い告発が今でもされるのだが、同じ旧植民地でも台湾とは温度差があるように思う。台湾は日本の植民地支配が終わった後、蒋介石の国民党が軍隊と共に台湾に逃れ、これがかなりの圧政、暴政を敷いたらしい。私の想像だが、これが日本の植民地支配の印象を薄めているのではないか。「北京の春の白い服」は、中国の女性向けファッション誌の創刊に日本人スタッフとして招かれた夏美が雑誌の中国人スタッフやビジネスセンターの常盤貴子似のスタッフとの交流、日本人留学生のコージとの出会いを通して、彼女の中国への想いが変化していく様子が描かれる。夏美のアメリカ人のボーイフレンドは天安門事件のときに中国に滞在し、中国政府の民衆弾圧を目撃している。彼と夏美の意識のズレも読みどころの一つ。「時間の向こうの一週間」は夫が赴任する北京で二人で住むためのアパートを探しに来た亜矢子は、夫が仕事の都合で北京を離れざるを得ず、中国人ガイドのイーミンと二人で物件をまわらざるを得なくなる。亜矢子とイーミンの束の間の交情。海外を舞台にした小説って「束の間の交情」がいいんだよね。