モリちゃんの酒中日記 12月その5

12月某日
図書館で借りた「わたしの家族の明治日本」(ジョアンナ・シェルトン 文藝春秋 2018年10月)を読む。原題はA Christian in the Land of the God-journey of faith in japanである。
「神の国のクリスチャン-日本での信仰の旅」だろうか。西南戦争が終わって数か月後の日本に赴任した宣教師、トーマス・アレクサンダーとその家族の物語である。1878年に来日したトーマスは1902年に病を得てアメリカに帰るまで24年間、日本で暮らした。もちろん何度かの里帰りはあったが。殖産興業、富国強兵というスローガン通り、日本と日本国民が「坂の上の雲」を見つめながら近代化にまい進した時期である。トーマスがアメリカに帰る前、1894年に日本は中国相手の戦争(日清戦争)に勝利、アメリカに帰った後、1904年にロシア相手の戦争(日露戦争)に辛勝する。今から思えば日本が精神的に健康だった時代と言ってもいいかもしれない。日清日露の戦役に勝ってから日本は中国をはじめとするアジア諸国を蔑視するようになり、軍事大国化の道をひた走ったように思う。それはともかくトーマスは敬虔で真面目、日本語も堪能な良き宣教師だったようだ。日本で居住した家屋の写真も掲載されているが、なかなか立派。日本における明治以降のキリスト教の受容が、主として中流階級以上もしくは知識階級が主だったことも何となくうなづける。

12月某日
天皇誕生日。天皇がステートメントを読み上げている映像が何度もテレビで流れる。天皇はときどき感極まってだろうか、涙声になる。天皇は小学生の時に終戦を迎え、米国人女性の家庭教師から英語と欧米文化、民主主義を学んだ。おそらく皇太子時代から平和憲法のもとでの天皇の役割とは何かを考え続けて来たと思われる。天皇の思想と行動で特徴的なのは「祈りと旅」だ。災害の被災地と太平洋戦争の戦跡をたどる「祈りと旅」である。自らの思索と行動で象徴天皇像を作り上げてきたと言ってもいいのではないか。天皇誕生日の一般参賀に平成になってから最高の8万人余が訪れたという。天皇の想いが国民に通じたのだろう。現存している日本人のなかでは、現天皇は最も尊敬すべき人の一人である。

12月某日
「どんまい」(重松清 講談社 2018年10月)を読む。重松清の小説はあまり読んだことはないけれど、朝日新聞朝刊の連載小説「ひこばえ」は途中からだが読んでいる。なんてことはないストーリーなのだけれど、心がじんわりと温まってくるような話なんだ。「どんまい」もそんなストーリー。夫に若い女出来て離婚することにした洋子は中学生の娘、香織とともに人生を再スタートさせる。そんなときに出会ったのが団地の野球チーム「ちぐさ台カープ」の選手募集のポスター。洋子は小学生のとき野球チームに所属、投打に活躍したことを思い出す。「カープ」が付いているのは監督が広島出身だから。ポスターに見入っているのには先客がいた。地元の高校で甲子園球児、ポジションは捕手だった将大、大学で野球部に所属するもついにレギュラーにはなれなかった。高校の教員試験に落ちて浪人中だ。高校時代にバッテリーを組んだのが現在プロ野球で活躍する吉岡亮介。洋子と香織、将大はちぐさ台カープに入団、元ヤンキーや妻子を札幌に置いて単身赴任中の男、中学受験の子どもを持つ中年サラリーマン、洋子の前夫、将大の野球部の監督などが織りなす群像劇が描かれる。
要するに庶民の日常って奴。でも庶民の日常、それも平和な日常こそが大切なんだよね。

12月某日
デザイナーで「胃ろう・吸引シミュレーター」の開発者の土方さんがHCM社の大橋社長、ITエンジニアの三浦さんと卓球用品の通販サイトの打ち合わせのため来社。打ち合わせが終わったので烏森口の焼き鳥屋「まこちゃん」へ。「まこちゃん」のあと烏森口の大橋社長の行きつけのスナック「陽」へ。ここのママは明治生命の元外務員。大橋社長も明治生命だったからその縁。年末だけど客は私たちだけだったのですっかりくつろいでしまった。家に帰ったら久しぶりに12時を過ぎていた。

12月某日
仕事納め。午前中に川崎市のNPO法人楽が経営する小規模多機能「ひつじ雲」を訪問、理事長の柴田範子先生を訪問して年末の挨拶。HCM社の仕事納めは16時からなので、それまで本を読んだり手紙を書いたりする。HCM社の大橋社長が15時過ぎに帰社、社会保険研究所の松澤総務部長が年末の挨拶に見える。ビデオ映像のクリエイター横溝君、土方さんも仕事納めに参加、女子社員3人と嘱託の向坂さんも交えて総勢9名の仕事納めとなったが、横溝君は仕事が残っていると早めに帰る。ビールを少々と日本酒をかなりいただく。土方さんが買ってきたつまみが美味しかった。霞が関から千代田線で根津へ。「ふらここ」へ寄ってママにコーヒーを渡す。

12月某日
「日本型組織の病を考える」(村木厚子 角川新書 2018年8月)を読む。村木厚子さんは厚労省の社会援護局長に在任中、郵便不正事件で大阪地検に逮捕起訴されるが無罪が確定し復職、のちに厚生労働事務次官になる。村木さんは高知大という地方大学出身で公務員上級職に合格、旧労働省に入省した。私は個人的な接触は無かったのだが、この本は大変面白く読んだ。逮捕起訴される前の村木さんは同期入省の夫と、二人の娘に恵まれた、丁寧に人の話を聞き仕事を進める「できる官僚」の一人だった。起訴されたからは「やっていないことはやっていない」と頑として否認を貫く。今までの自分の仕事に対するプライド、そして家族に対する愛があったから貫けたのだと思う。村木さんは拘置所で見かけた、あどけなさが抜けない少女たちのことが気にかかる。どんな罪を犯したのか検事に尋ねると「売春や薬物が多い」という答え。こうした少女と支援がうまくつながっていないと考えた村木さんは事務次官を退職後、一般社団法人を設立。「若草プロジェクト」と名付けた活動を始めた。活動の柱は「つなぐ」「ひろめる」「まなぶ」。「つなぐ」は少女たちと支援者、支援者同士をつなぐ、「ひろめる」は、少女たちの実情を社会に広める、「まなぶ」は彼女たちの実態を学び、信頼される大人になるための活動という。村木さんの逮捕起訴がなければ、こうした活動は生まれなかったと思う。検察による間違った逮捕起訴はあってはならないことだが、村木さんはこの経験を見事に生かしているようだ。

12月某日
図書館で「曾根崎心中」を検索したら「純愛心中-『情死はなぜ人を魅了するのか』」(堀江珠喜 講談社現代新書 2006年1月)がヒットしたので借りることにする。著者の堀江珠喜は1954年兵庫県生まれ、神戸女学院大学を経て神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了、学術博士で大阪府立大学教授だ。「団鬼六論」(平凡社新書)、「『人妻』の研究」(ちくま新書)も書いていることから「なかなか面白そう」ではある。「第1章 現代の近松」で曽根崎心中は同じ近松の「天の網島」などと一緒に論じられている。堀江は1978年に初演された宇崎竜童と人形遣いの桐竹紋寿、吉田文吾とが組んだ現代風文楽の「曾根崎心中」、さらに2001年の宇崎によるフラメンコ曽根崎心中についても論じている。もしかしたら新国立劇場の「Ay曾根崎心中」にも来ていたかもしれない。堀江はこの章で日本を舞台にした米国の小説「サヨナラ」に論を進める。米軍占領下の日本を舞台にしたこの小説では、米兵のジョーと彼と交際していた日本女性カツミとが心中する。ジョーに帰国命令が出され2人の前途を悲観したためであった。この小説は映画化されカツミを演じたナンシー・梅木はアカデミー賞の助演女優賞を受賞している。堀江はさらに三島由紀夫の情死小説「憂国」に筆を進める。新婚ゆえに2.26事件の参加を慮られた陸軍将校の武山は反乱軍の討伐を命じられ死を決意する。新婚の妻も共に死ぬ。これも義理と人情の板挟みと言えなくもない。軍の命令(義理)からすれば反乱軍を討伐しなければならない。だが同志を討伐することは人情としてできない。ならば死ぬしかないと武山は思い、妻は従う。実際の心中の例や文学作品、たとえば「ロミオとジュリエット」や渡辺純一の「失楽園」などで描かれた心中事件を通して堀江は論を深め広げてゆく。堀江はなかなかの才女ではなかろうか。

12月某日
図書館でたまたま手にした三浦しをんの文庫本「天国旅行」(新潮文庫 平成25年1月 単行本は2010年3月)を借りることにする。作者自身が巻末に「本書は、『心中』を共通のテーマにした短編集である」と記されているが、「純愛心中」に取り上げられている「曽根崎心中」や「失楽園」のように成功した(つまり2人とも死んでしまう)心中を取り上げているわけではない。冒頭の「森の奥」。富士山の樹海で首吊り自殺を試みた明男は、若い男に助けられる。青木と名乗る若い男は元自衛官。自衛官のときに「ちょっと面倒な筋と知りあいになって」「除隊してからもそいつらと仕事してたんだけど」「ちょうど母親も死んだし、もういいかなあと」思って死にに来たことが明かされる。明男は青木と樹海をさまよい歩くうちに死ぬのが馬鹿らしくなる。明男は助けられるが青木はいない。青木はテントの存在を示すようにロープを二本の木の間にピンと張っていたのだ。青木はどうなったか、明らかにはされてはいないが、私は明男と青木の未来に「希望」がわずかに見えるような気がする。2作目の「遺言」は駆落ち同様に結ばれた老夫婦の物語。ラストの「きみと出会い、きみと生きたからこそ、私はこの世に生を受ける意味と感情のすべてを味わい、知ることができたのだ」「私のすべてはきみのものだ。君と過ごした長い年月も、私の生も死も、すべて」という文章は、恥ずかしながらも美しい。