モリちゃんの酒中日記 2月その2

2月某日
HCM社の大橋社長とHCM近くの小料理屋「金ふじ」へ。ビールで乾杯の後、カウンターの甕に入っている泡盛を呑む。古酒とのことでアルコール度数は42度。泡盛は一杯づつにして後は日本酒。ナマコとあん肝、刺身の盛り合わせを頼む。盛り合わせには高級魚クエが入っていたし、つまみはどれもおいしかった。呑み屋のレベルは神田より新橋が高い?ということではなくて新橋のほうが幅があるということなんだろうね。地域的にも山手線新橋駅の外側はすぐに銀座、山手線の内側を少し歩くと虎ノ門、溜池、赤坂と奥行きがある。

2月某日
「〈女流〉放談 昭和を生きた女性作家たち」(イルメラ・日地谷=キルシュネライト 岩波書店 2018年12月)を読む。我孫子市民図書館のホームページの新刊紹介で目に付いたのでリクエストしたのだが読むと大変に面白かった。掲載されたインタビューは、佐多稲子、円地文子、河野多恵子、石牟礼道子、田辺聖子、三枝和子、大庭みな子、戸川昌子、津島祐子、金井美恵子、中山千夏、瀬戸内寂聴の12人。瀬戸内以外の11人のインタビュー時期は1982年春。今から30余年も前である。瀬戸内は当時海外旅行中であったためインタビューを受けられず2018年3月に京都の寂庵で行われている。当時は携帯電話もインターネットもなく、日本に短期滞在中だったイルメラは公衆電話から女性作家とのアポイントを取ったことが記されている。インタビューの日から30数年の歳月が経過していることが、この本をより興味深くさせているように思う。私の個人的な嗜好は女性作家の作品に向かうことが少なくない。それも比較的若い作家が好みである。現在ならば川上弘美、井上荒野、小川洋子、江國香織、三浦しをん、そして桐野夏生などである。インタビューされた12人の女性作家の中では田辺聖子はだいぶ読んだ。
私は「〈女流〉放談」を読んでなぜ、私が女性作家に魅かれるのか考えてみた。この対談集で繰り返し発せられる問いは「女流作家と呼ばれることをどう思うか」「女流作家は差別されているか」というものである。答え方はさまざまであるが女性作家の多くが、作家として作品を書き世に問うているに過ぎないと答えている。女性作家の多くは「普遍的な作家」と少なくとも自己規定している。しかし実態はどうなのか? 戦前から終戦を経て女性の地位は憲法上は男女同権となったし、官庁や企業での女性登用も進んでいる。進んではいるが国会議員に占める女性議員の数はまだ少ないし「女性重視」の現安倍内閣で女性閣僚は片山さつき一人に過ぎない。文学の世界で言えば芥川賞直木賞作家はまだまだ男性が多いし、審査員も女性作家が増えたとは言えまだ少数。つまり日本の文学の世界において「普遍」を代表しているのはあくまで男性作家で、女性作家は「異端」の地位にあると言えないだろうか。この傾向は30数年前では、今よりももっと強かったはずである。私もどうも子供のころから「正系」ではなく「異端」を好んでいた。真ん中より端っこが好きなのである。それは今も変わらない。「〈女流〉放談」についてのこうした感想もかなり異端と思うけれど。

2月某日
野田市の児童虐待事件で父親に次いで母親が逮捕された。被害女児のあどけない写真がテレビ画面にアップされるたびに胸が痛むとともに、その役割を十分に果たさずに結果的に女児を死に至らしめた児童相談所や教育委員会には腹が立つ。とここまで書いて、「待てよ地域社会や広く社会にだって責任はあるのじゃないか? 俺だって社会の一員だよな」と思い至る。父親や母親、児相、教委を責めて済む問題ではないのだ。
ケアセンターやわらぎの石川はるえ代表理事が応援しているのが「いのちさわやかプロジェクト」。児童虐待防止のためのプロジェクトなのだが、もっと広く若いお母さんやお父さんの子育てを応援していこうというプロジェクトだ。南阿佐ヶ谷のケアセンターやわらぎのデイサービスで、「子どもたちを集めて『何かをやる』から来ない?」と石川さんに誘われたので行くことに。もちろん『何か』については石川さんは明示したのだけれど、私は例によって記憶していない。しかし石川さんの誘いに乗ってつまらなかったことは一度もないので参加する。
我孫子から地下鉄千代田線に乗り国会議事堂前で丸ノ内線に乗り換え、南阿佐ヶ谷の駅で降りると元厚労省で川村女子学園大学の吉武民樹さんが歩いている。吉武さんも石川さんに誘われた口なので一緒に行く。会場に着くと就学前の子供たちやお母さんお父さんが一緒になって何かやっている。子供たちをリードしているのは「あそぼ」という絵本の作者の生川さん。写真を撮影しているのは横溝君だ。マスクにお絵描きしているようだ。就学前の子供を間近に見るのはほぼ40年ぶり。掛け値なしで可愛いと思う。お昼になって生川さんと子供たちはサンドイッチをラップでくるんで「パンキャンディー」を作っている。大人はサンドイッチをご馳走になる。取材に来ていた読売新聞の小泉朋子記者を紹介される。生川さんも理事をやっている愛知県のNPO法人ひだまりの丘の堀井カズコ理事長が生川さんが描いた絵葉書を売っていたので数枚買い求める。帰りに南阿佐ヶ谷駅前のうどん屋で私と吉武さんは石川さんにご馳走になる。

2月某日
「啓順地獄旅」(佐藤雅美 講談社 2003年12月)を読む。啓順シリーズは「町医 北村宗哲シリーズ」の前身。医学館で医学を学んだ啓順はふとした行き違いから浅草の火消しの顔役、聖天松に追われることに。このシリーズの面白さは一つは医者が主人公、しかも江戸時代の医療の主流であった漢方を収めた医者が主人公であること。そして医師でありながら「追われる身」となって追ってから逃げ舞わざるを得ない。昔のTVドラマで言えば「逃亡者」、ヴィクトル・ユーゴの名作「レ・ミゼラブル」の主人公ジャンバルジャンの如くである。映画のジャンルで言えば「ロードムービー」である。作家は佐藤雅美であるから時代考証とくに日本の医療、医学の歴史考証は十二分になされている。いつも感心するのはお金、通貨に関する考証もしっかりしていること。さすが「大君の通貨-幕末『円ドル』戦争」(文春文庫)の著者である。

2月某日
「維新再考-『官軍』の虚と『賊軍』の義」(半藤一利、福島民友新聞社編集局他 福島民友新聞社 2018年9月)を読む。歴史は勝者の目から見た歴史になりやすい。特に革命によって社会体制そのものが大きく変更した場合はそうなる。ロシア革命にしろ中国革命にしろ革命に勝利した政権の正統性がことさら述べられる。ロシア革命で言えばボルシェビキ、ロシア共産党の正当性が前面に打ち出され、帝政側はもちろんのことメンシェヴィキやクローンシュタットの反乱、トロッキーなどもちろんは否定的に扱われる。明治維新、戊辰戦争においては官軍側の正当性が明治以降の学校教育で前面に押し出されたのはむしろ当然のことであった。しかしそうは言っても「賊軍」側の子孫にも想いがある。本書は戊辰戦争でも最大の戦いになった会津戦争はじめ二本松城の攻防などを「賊軍」の側から描いたものである。私としては歴史に余り取り上げられたことのない福島県の浜通り、太平洋側の「賊軍」側の戦いが興味深かった。磐城平や相馬藩は当初は奥羽越列藩同盟の一員として果敢に戦うのだが、最新兵器を揃えた官軍に個別に撃破されていく。慶応4年の1月が鳥羽伏見の戦い、5月が彰義隊の上野戦争と長岡藩の北越戦争、6月が磐城平の攻防戦、7月が二本松の戦い、8月に若松城の籠城戦が始まり、9月には会津藩が降伏している。翌年の5月に五稜郭が陥落し戊辰戦争は終わる。敗北がすでに決していても戦わざるを得ないことがあることを戊辰戦争は教えてくれる。それはそれでいいのだが、あくまでも当時の支配者=武士階級の論理ではという前提がある。庶民、百姓にとっては迷惑だったろう。