モリちゃんの酒中日記 8月その3

8月某日
図書館で借りた絲山秋子の「絲的ココロエ―『気の持ちよう』では治せない」(日本評論社 2019年3月)を読む。知らなかったけれど、絲山秋子って双極性障害(躁うつ病のことを最近はこう呼ぶらしい)だったんだ。自殺未遂の経験も5カ月間の入院生活を送ったことも初めて知った。30代前半にはじめの発病をしたというから双極性障害は20年に及ぶわけだ。私も30代後半から50代前半にかけて何度かうつ病に苦しめられた。「苦しめられた」と書くと一方的に被害者のようだが、この本を読んで「あぁ、家族や同僚、友人に迷惑をかけていたんだ」と思った。文中にリーマスや炭酸リチウムといった薬の名前が出てくるが、私も同じような名前のくすりを服薬した記憶がある。私が最後に発病したのが40代半ばだと思うが、確か湯島の心療内科の女医さんに診てもらった。処方された薬も全く効かず、私の奥さんがネットで赤坂クリニックを見つけ、そこを受診することにした。そこで処方された薬を2~3週間飲んだら「霧が晴れるように」気分が良くなったことを記憶している。それでも5年くらい赤坂クリニックに通ったのかもしれない。佐々木先生という東大の精神科の医者が主治医だったが、毎回、「お酒の飲み過ぎはダメですよ」と注意されたことを思い出す。後半は仕事の息抜きに受診していたかも。赤坂クリニックには自然と足が遠のいてしまったが、その後全く「うつ」の症状は現れない。ということを懐かしく思い出させてくれた「絲的ココロエ」であった。

8月某日
我孫子市民図書館にはお世話になりっ放し。何しろわが家から徒歩5分という立地条件!さらに冷暖房完備!涼みに図書館を利用するという手もありなのだ。さらに「リサイクル本」といって図書館は「不要」と判断した本は図書館の入り口付近の棚に置かれ、必要な人が持って行っていいことになっているのだ。先日、涼みがてら市民図書館に行ったら井上荒野の「切羽へ」(新潮社 2008年5月)がリサイクル本になっていたのでありがたく頂戴することに。帯に「直木賞受賞」と大きな活字で印刷され、さらに「「切羽」とはそれ以上先へは進めない場所。宿命の出会いに揺れる女と男を、緻密な筆に描ききった哀感あふれる恋愛小説」というコピーが。「切羽」は「きりは」と読むがネットで調べると「坑道の先端」の意味という。井上荒野の父親は小説家の井上光晴で彼は確か炭鉱夫の経験があるから、こんなところに父親の影響が出ているのかもしれない。「切羽」また「せっぱ」という読み方もできる。こちらもネットで調べると「日本刀の鍔(つば)の両面に添える薄い楕円形の金物のことで、これが詰まると刀が抜けなくなる」と解説、さらに「これが詰まると刀が抜けなくなる。窮地に追い詰められた時に切羽が詰まると、逃げることも刀を抜くことも出来なる」として「切羽詰まる」の意味を「為す術が無くなる意味となった」と説明している。ところで小説の「切羽」は南の離島の児童数9人の小学校の養護教員の「私」が主人公。長崎弁に似た方言を使っているので五島列島当たりが舞台か。画家の夫、小学校の同僚の「月江」、「月江」の不倫相手の「本土さん」(本土に住んでいるから島の人から本土さんと呼ばれている)、さらに新任の音楽教師などが織りなす濃厚で、それでいてどこか牧歌的(南方的?)な人間関係が読みどころである。

8月某日 
毎年、終戦記念日前後には70数年前の太平洋戦争を巡るドキュメントがテレビで放映される。今年はインパール作戦を描いたNHKBSテレビのドキュメントが良かった。90歳を超える当時の兵隊さんが口ごもりながら戦争の悲惨さを訴えていたのが印象的であった。現場で指揮した第31師団長の佐藤幸徳中将は、現状を正確に認識して、「作戦継続は困難」と判断してたびたび進言するが、第15軍の牟田口廉也中将に拒絶される。佐藤中将は日記に大本営、参謀本部、南方方面軍、第15軍を一括して「馬鹿の四乗」と記している。私はここに戦場のなかにあっても冷静さを失わない佐藤中将のユーモアを感じるのだけれど。それとBS日本テレビでは「ラストエンペラー」を放映していた。1987年公開だから今から30年以上前である。どうりで満映理事長の甘粕を演じた坂本龍一の若いこと。この映画は清朝最後の皇帝にして満州国の最初で最後の皇帝となった愛新覚羅溥儀の誕生から文化大革命さなかの死までが描かれる。溥儀は日本の敗戦とともに中国共産党軍に身柄を拘束され思想改造を命じられる。溥儀と刑務所長の友情も後半の主要なテーマになっていて、文革のデモの渦中に糾弾される刑務所長に駆け寄り「この人はいい人なんです!」と叫ぶ溥儀が描かれる。「お前は誰だ!」とデモ隊のリーダーに問われ、「ガードナー(庭師)」と答える溥儀がいい。

8月某日
半藤一利の「『昭和天皇実録』にみる開戦と終戦」(岩波ブックレット 2015年8月)を読む。半藤は文藝春秋や週刊文春の編集長を務め、文芸春秋社の専務で退社、「歴史探偵」を名乗り日本の近現代史に関する著作が多い。歴史的事実に立脚しつつ文献のみでは分からない登場人物の心理を読み取るのが巧みである、と私は思っている。純粋な歴史学とは距離をおきつつ歴史ドキュメントを志向していると言ってよいのではないか。ただ東大の加藤陽子との共著もあり、半藤の学識や直感には加藤教授も一目置いているのである。本書は「昭和天皇実録」から開戦時と終戦時の昭和天皇とその周辺の言動を明らかにしつつ、開戦と終戦はどのような過程を経て決断されたかをたどったものである。戦前の天皇は絶対的な権力を握っていたように思われるが実態は違っていた。昭和天皇は戦後になって「国務各大臣の責任の範囲内には、天皇はその意思によって勝手に容喙し干渉し、これを掣肘することは許されない」と語っている。だから御前会議においても天皇は原則として発言しない。ポツダム宣言の受諾を決めた御前会議は例外であった。「実録」では天皇は「防備並びに兵器の不足の現状に鑑みれば、機械力を誇る米英軍に対する勝利の見込みはないことを挙げられる。ついで、股肱の軍人から武器を取り上げ、臣下を戦争責任者として引き渡すことは忍びなきも、大局上三国干渉時の明治天皇の御決断の例に倣い、人民を破局より救い、世界人類の幸福のために外務大臣案にてポツダム宣言を受諾することを決心した旨を仰せになる」と記されている。天皇以外の御前会議のメンバーには終戦の決断は出来なかったのである。

8月某日
夏休みを1週間取ったので久しぶりに西新橋のHCM社に出社。午後、大谷源一さんが来社。今日10時に全国社会福祉協議会の古都賢一副会長を一緒に訪問することになっていたのをすっかり忘れていました。「月見の会」の案内を全然、出していないので近所を一緒に回ることにする。先ずHCM社から徒歩数分の長寿社会開発センターへ。理事長の高井康行さんが打合せ中だったので大谷さんと旧知の薬師寺部長に案内の紙を渡す。次いで御成門のシルバーサービス振興会に久留善武さん、住宅保証機構に小川冨由さんを訪ねるが、いずれも外出中。芝公園の基金連合会の足利聖治さんにメールすると「どうぞお出で下さい」と返信があったので大谷さんと伺う。30分ほど話しをしていたら5時近くなったので帰ることにする。浜松町からJRで神田へ。「鳥千」に寄る。