モリちゃんの酒中日記 9月その1

9月某日
「日米地位協定―在日米軍と『同盟』の70年」(山本章子 中公新書 2019年5月)を読む。首都圏の我孫子という田舎に住み都心の千代田区、港区あたりをフラフラしているわが身にとっては日米安保条約などすでに遠い存在とはなっているし、ましてや日米地位協定となると、「そんな協定あったけ?」ということなのだが、本書が朝日新聞の書評で好意的に取り上げられているのを目にして我孫子市民図書館にリクエストした。本書を読んで一番感じたのは構成の巧みさ。副題に「在日米軍と『同盟』の70年」となっているように、終戦から戦後史をたどりながら安保条約と日米地位協定の在り様と問題点を提示している。
日本共産党が占領当初、占領軍を解放軍と規定したが、日本国民の多くは不安を抱きながらも米軍=占領軍に対して徐々に好意的な感情を抱くようになる。アメリカの物量に圧倒されて「ギブミーチョコレート」的な対米感情が支配的になってきたのではないか。日本国民の多くが日常的に米軍と顔を突き合わせていたわけではないしね。しかし本書によるとマッカーサーが上陸したその日に横須賀に上陸した米海兵隊員2人による36歳の母親と17歳の娘に対する強姦事件が起きている。占領軍による報道規制もあって占領下においてはこのような米兵の犯罪は隠蔽されたようだが、独立後は日本のマスコミも米軍による事件や事故を堂々と報道するようになる。
本書の「はじめに」では2004年の、訓練中の米軍ヘリが米海兵隊普天間基地に着陸しようとして隣接する沖縄国際大学に墜落した事故が紹介されている。米軍は直ちに道路も含めた事故現場一帯を封鎖、大学の教職員、事故を把握すべき自治体の責任者、現場検証や事故処理を担当する沖縄県警、外務省の担当者の誰もが1週間もの間、現場への立ち入りを禁止された。例外は米兵から注文を受けたピザ屋の配達員だけだった。訓練から事故対応までの米軍の行動はすべて日米地位協定にもとづいている。協定は、米軍が日本に駐留できるように①基地の使用②米軍の演習や行動範囲③経費負担④米軍関係者の身体の保護⑤税制・通関上の優遇措置⑥生活などの諸権利を保障するものとなっている。
本書は内容的にも面白く、新書としても水準を大きく超えたものになっていると思う。著者の山本章子は1979年、北海道生まれ。一橋大学に進学するが親の理解を得られず、学部から博士課程まで働きながら学生生活を送る。編集者として働いていたとき沖縄県公文書館に米政府資料が集積されていることを知り、そこに通い始める。年に2回は公文書館に通い続けたころ夫(野添文彬沖縄国際大学准教授)の沖縄赴任にともなって住まいも沖縄に移した。ふーん人間としても面白そうである。

9月某日
久しぶりに大谷源一さんと高齢者住宅財団の落合明美さんと食事することに。神田司町の上海台所をネットで予約する。ここは「2時間呑み放題食べ放題」コースのコストパフォーマンスが高いのが特徴。つい食べ過ぎ呑み過ぎになってしまうのが難点。それと大谷さんは香辛料アレルギーなので食べられないメニューが何点かあった。それでも割り勘!2時間を少しオーバーしたが満足のうちに終了。神田駅から帰る落合さん、大谷さんと別れ、私は千代田線の新御茶ノ水から我孫子へ帰る。

9月某日
佐藤雅美の「美女2万両強奪のからくり 縮尻鏡三郎」(文春文庫 2019年9月)の広告が新聞に出ていたので内幸町のプレスセンター1階にあるジュンク堂書店で早速購入する。読み始めた次の日の朝刊に佐藤雅美の訃報が掲載されていた。でも一段のベタ記事扱い。ファンの私としては少々不満である。それでウイキペディアを参考にしながら佐藤雅美の経歴をたどりたい。佐藤は1941(昭和16)年1月兵庫県生まれだから78歳で死んだことになる。早稲田大学法学部出身で企業に就職するも新人研修が馬鹿馬鹿しく3日で退職、1968(昭和43)年に「ヤングレディ」にフリーライターとして採用されるが、3カ月で退社。「週刊ポスト」「週刊サンケイ」の記者を経て小説家となる。処女作の「大君の通貨」は幕末の通貨戦争を描いた傑作。長い間鎖国を続けていた日本と欧米では金貨と銀貨の交換比率が異なっていた。日本は欧米よりも銀の価値が高かったことに着目した欧米の貿易商は、当時流通していたメキシコ銀貨で日本の小判を買い漁った。相当量の小判が国外に流出した筈である。歴史を丁寧に掘り返すという作法は、処女作以降の佐藤の作品にも受け継がれる。私は未読だが1984(昭和59)年に「恵比寿屋喜兵衛手控え」で直木賞を受賞している。シリーズものが得意で、物書同心居眠り紋蔵シリーズ、八州廻り桑山十兵衛シリーズ、医者崩れの啓順シリーズ、その続編ともいうべき町医北村宗哲シリーズ、半次捕り物控えシリーズそれに今読んでいる縮尻鏡三郎シリーズである。佐藤は静岡県伊東市に住んでいたとウイキペディアに載っていたが、私の想像では作家同士の付き合いも少なかったのではと思う。これだけ歴史考証がしっかりしたものを書くには資料調べに相当時間を掛けたはずだ。酒を呑む時間も惜しかったのでは。佐藤雅美先生の冥福を祈ります。

9月某日
「美女2万両強奪のからくり」は縮尻鏡三郎シリーズでシリーズ5作目。舞台は天保4年の江戸。この年は飢饉のため百文で1升1合買えた米が5、6合しか買えなくなった。こういうときに備えて幕府は寛政4年向柳原に町会所という民営の救恤機関を設けさせた。天保4年の米の価格や当時の救恤機関について調べ上げたうえで、佐藤は小説を執筆している。こういう時代小説作家を私は知らない。鏡三郎は捕縛したものを取り調べる仮牢兼調所「大番屋」の元締めを勤めている。ただ今回は鏡三郎の出番はそれほど多くはない。もっぱら足と頭を使って捜査と推理に活躍するのが江戸北町奉行所の同心、梶川三郎兵衛である。町会所には米だけでなく金も備蓄されている。町会所から2万両という大金が強奪されたのが事件の発端。今回も楽しませてもらいました。

9月某日
「ラーメンと愛国」(速水健朗 講談社現代新書 2011年11月)を読む。我孫子市民図書館の「衣食住」のコーナーにひっそりと埋もれていた。手にとってパラパラと内容を辿るとどうも歴史的に社会学的にラーメンを論じているらしい。早速借りて家に帰って読むとこれが実に面白い。まず「まえがき」から本書が書かれた目的を紹介しよう。著者の速水は「戦後の日本の社会の変化を捉えるに、ラーメンほどふさわしい材料はない」とし、さらに著者のラーメンへの興味はグローバリゼーションとナショナリズムの2つに集約されると述べる。たかがラーメンにグローバリゼーションとナショナリズムを持ってくる一種の強引さに魅かれるが、これは著者によると次のようなことである。幕末の開国後の日本に、つまりグローバリゼーションのとば口にあった明治時代に中国から伝わったラーメンは日本で独自の進化を遂げ国民食と呼ばれるようになった。これを著者は「かつての稲作技術、火縄銃、近代化以降は自動車や半導体、文化産業ではアニメやゲーム、和製ヒップホップやジャパレゲなんかもそうだ」とし「こうしたケースの中に、ラーメンも加えることができる」という。つまり外来の技術や文化を巧みに日本化してきた、この国の歴史の中にラーメンを位置づけているのである。速水健朗という著者の本を読むのは初めてだが、なかなかの力量である。