モリちゃんの酒中日記 9月その2

9月某日
図書館で借りた「いやな感じ」(高見順 共和国 2019年6月)を読む。高見順は1907年生まれ1965年に58歳で没している。「いやな感じ」は雑誌「文学界」の1960年1月号から63年5月号まで連載された。今からおよそ60年前の作品ということになるが、全く古さを感じさせない。舞台は関東大震災後の東京、主人公はアナキストの青年、加柴四郎。四郎の様々な階層の人々との交流を通して軍国主義に傾斜していく戦前の日本の社会を描く、と通り一遍な紹介では、この魅力的な小説は語れない。様々な階層とはアナキスト仲間もいれば、仲間と通った淫売窟の女たち、下層社会にうごめくアウトローもいる。その人物造形がいずれも個性的なのだ。アナキズムとテロリズム、ニヒリズム、デカダン。さらに国家主義や大陸侵略、2.26事件までが小説の舞台となる。今年読んだ小説の中でも面白さでは抜群であった。

9月某日
図書館で借りた「まなざしの地獄-尽きなく生きることの社会学」(見田宗介 河出書房新社 2008年11月)を読む。図書館で永山則夫を検索したら、彼の著作以外にも彼を題材にした評論がいくつかヒットした。そのうちの一つである。2008年というと今から11年前の刊行だが初出はもっと前で雑誌「展望」の1973年5月号である。永山則夫と言っても今の人は知ることもないだろうが、今からほぼ50年前の1968年から翌年にかけて米軍宿舎から盗んだ拳銃でタクシー運転手など4人を殺害、1969年4月に逮捕された。私は同年9月に早大第2学生会館屋上で現住建造物放火、公務執行妨害、凶器準備集合、傷害その他の容疑で現行犯逮捕、10月には起訴のうえ池袋の東京拘置所に移送された。東京拘置所は現在、足立区の小菅に移され池袋の跡地には高層ビルのサンシャインシティが建っている。私は何か月か東京拘置所で永山と一緒だったことになる。と言っても池袋の東京拘置所でも確か1舎から5舎まで3階建ての建物が5つほどあり、永山則夫とは顔を合わせたことはない。拘置所は裁判が確定するまでの未決囚を収容する施設で、原則として未決囚同士の会話は禁じられていた。永山などの殺人犯やわれわれ学生は独居房に入れられ、私の隣の房には安田講堂で逮捕された学生がいて壁越しに話した記憶がある。
永山は1949年6月、北海道網走で生まれ、私は前年に同じ北海道の苫小牧に生を受けた。永山は小学生の時に青森市に転居、中学校卒業と同時に渋谷の西村フルーツパーラーに就職している。1965年である。私は64年4月に北海道室蘭市の高校に入学、67年3月に卒業、1年間の浪人を経て68年4月に早大に入学した。高校の同級生だった川崎君は現役で明治に入っていて京王線の明大前に下宿していた。川崎君と川崎君の友人と新宿で終電過ぎまで吞んで、タクシーを捕まえたら運転手から「タクシー運転手の強盗殺人事件が続いているので、若い人一人だったら絶対に乗せないね」と言われたことを記憶している。おそらく68年の暮れのことだろうと思う。私と永山の生は東京拘置所で、あるいは新宿で、もしかたしたら北海道で交錯しているのだ。
「まなざしの地獄」において永山則夫はN・Nと記述される。記号化することによって永山則夫の抱えた問題、永山が起こした事件、永山の環境、風景総体が永山個人に還元されてしまうことを避けたためと私は理解する。「〈上京〉はN・Nにとって、その存在を賭けた解放の投企であった」。何からの「解放」か? 見田によるとそれは「家郷」ということになる。しかもその家郷とは「共同体としての家郷の原像ではなく」「近代資本制の原理によって風化され解体させられた家郷」なのだ。家郷からの解放はまた家郷の「斥力」とも表現される。斥力とは私にとって初めてお目にかかる言葉だが、引力に対して「互いに遠ざけようとする力」のことらしい。なるほどN・Nと家郷の関係をあらわすのにふさわしい言葉ではある。N・Nら「家郷を後にする青少年」に対して旺盛な「引力」を働かせるのは都市、具体的には東京である。しかも都市の事業主が要求するのは抽象的な「青少年」ではなく具体的な「新鮮な労働力」である。「家郷からの解放」を望むN・Nら青少年と「新鮮な労働力」を期待する都市の事業主の間には明らかな落差が存在する。私はここで唐突にNHKの朝の連続ドラマを連想する。たとえば有村架純が主演した「ひよっこ」は茨城県の農村で生まれ育ったヒロイン、谷田部みね子が東京に出稼ぎに出ていた父の失踪をきっかけに集団就職で上京、仲間や雇い主に恵まれて東京にしっかりと根を下ろしていく話だ。みね子は茨城県の自作農の娘で、父が失踪してもなんとかやってこれた。しかしこれが貧農の娘だったらどうか?実家は借金を重ね、挙句の果てに娘は借金のかたにソープランドに売られたかもしれないのだ。まぁNHKだからそうなるわけはないのだが。東京にしっかりと根を下ろした無数のみね子の背後にはN・Nがいたことを忘れてはならない。
N・Nが罪を犯した50年前と現在はどう変わり、どう変わっていないのか?農村の解体は進み平均的な所得は上昇した。高校への進学率はほぼ100%となり、大学、専門学校への進学率も向上した。N・Nのように中卒で集団就職などということもなくなった。だが貧困層は確実に存在するし、経済的な格差は拡大しているという指摘もある。本書のいう「履歴書のいる職業」と「履歴書のいらない職業」の差別も存在する。「履歴書のいる職業」とは普通の仕事で「履歴書のいらない職業」とは売春、ヤクザなどの闇のお仕事である。何より京都アニメーションの事件や川崎市登戸駅での無差別殺人事件は記憶に新しい。そして児童虐待事件は確実に増加している。50年前より確実に状況は悪化していると言えるのではないか? 「家郷からの解放」は半面で「家郷の喪失」も意味している。ここで「新しい家郷の創造」を言うことは易しいのだが、それを可能にする条件とは何なんだろう。

9月某日
霞が関ビル35階の東海大学校友会館で「月見の会」。前日、安倍内閣の改造があり厚生労働大臣が交代したため、厚労省からの出席予定者が何人か来られなくなったが、それでも鳥居陽一さんが参加してくれた。今回から会費を1000円上げて9000円としたので何とか赤字は免れることができた。グッドバンカーの筑紫みずえ社長の紹介でSBI証券の加藤由紀子部長とキャピタル アセットマネジメントのフランクリン・クスマン部長が新しく参加、クスマンさんはジャカルタの高校を卒業後、1年間東京外大で日本語を学び、その後筑波大学で金融工学その他を学んだという。平成と同時に来日したというから滞日歴30年、ほぼ完璧な日本語を話し、メールでもやり取りしたが、文章もしっかりしていた。20時30分に会は予定通り終了、吉武民樹上智大学客員教授が「オレ何にも食べてない!」というので虎ノ門の「ハングリータイガー」へ。途中、ビルの谷間に満月を観ることができた。