モリちゃんの酒中日記 10月その3

10月某日
「いつか陽のあたる場所で-マエ持ち女二人組」(乃南アサ 新潮文庫 平成22年2月)を図書館で借りる。「マエ持ち」というのは「前科持ち」の隠語だ。小森谷芭子29歳はホスト貢ぐために伝言ダイヤルで適当な相手を見つけては、ホテルに連れ込んで金を奪うという手口を繰り返したうえで逮捕された。昏睡強盗罪で起訴され懲役7年の判決を受けて刑務所へ収監された。二人組のもう一人、江口綾香41歳は長年の夫の暴力に耐えかねて夫を殺害、殺人罪で懲役5年である。要するに二人は同じ刑務所仲間である。出所した芭子は死んだ祖母が住んでいた千駄木の一軒家に越してくる。綾香も近くのアパートに住んで見習のパン職人として働く。芭子はお嬢さん育ちだが、実家からは祖母の家と三千万円の通帳を渡されて縁切りされている。二人とも刑務所のことは周囲には絶対の秘密。芭子は7年間、海外に留学していたことになっている。生まれも育ちも違う二人が刑務所で出会い親友となる。こうした物語の背景づくりが巧みと思う。舞台となる谷中、根津、千駄木あたりは私が現在、たまにバイトで顔を出す青海社の近く。ヨミセ通りとか谷中の商店街などがこの小説の絶好の舞台となっている。

10月某日
社会保険出版社の高本哲史社長とフィスメックの小出建社長と3人でささやかに去年の10月に亡くなった竹下隆夫さんの「偲ぶ会」をやることに。会場は鎌倉橋1階の洋食店「石川亭」。ここは以前「ビアレストランかまくら橋」と言っていたのだが、10月から「石川亭」に名前が変わった。予約を受け付けてくれた女性が「あら森田さん!」と言ってくれたから従業員はそのままということか。「石川亭」はネットで調べると春日部が創業の地で都内や近郊に何店舗か展開している。「ビアレストランかまくら橋」が「石川亭」の傘下になったということかも知れない。ワインを相当飲んで「葡萄舎」へ行ったようだがあまり覚えていない。森田茂生、今年71歳。お酒はほどほどにしましょう。

10月某日
図書館でたまたま目にした「近代日本150年-科学技術総力戦体制の破綻」(山本義隆 岩波新書 2018年1月)を読む。山本は1960年代後半に闘われた東大闘争のリーダーで当時、理学部物理学科を卒業して大学院博士課程に在籍中であった。東大全共闘の代表を務め全国全共闘でも議長に押された。1941年生まれだから1969年当時は28歳である。封鎖中の安田講堂でも見かけたしアジ演説も何度か聞いたが、あごひげをはやした物静かな、当時20歳の私から見れば「オッサン」であった。安田講堂の防衛隊長を務め、のちに衆議院議員となったのが今井澄で、今井はML同盟だった。今井の秘書をやった後、社会保険研究所の関連会社のメディカル・データの経営を担ったのが何年か前に亡くなった豊浦清さんである。豊浦さんは日比谷高校から東大理学部に進学した秀才で、そう言えば豊浦さんを偲ぶ会にも山本義隆が来ていた。山本は闘争後、東大には戻らず駿台予備校の講師を勤めながら科学史を研究、何冊も著書を出している。
「近代日本150年」に話を戻すと、近代日本は科学技術とどう向き合ってきたかを厳しく検証したということができる。明治以降の日本は富国強兵、殖産興業の旗印のもとひたすら生産力の増強に努める一方、朝鮮半島や中国大陸、東南アジア各地に兵を進め植民地化を図る。高等教育を担った理学部、工学部の教授たちは率先してそれに協力してきた。国策に対して無批判に協力するという学者の姿勢は、戦後も引き継がれているというのが山本の考えで、副題の「科学技術総力戦体制の破綻」はそれを表している。朝鮮戦争やベトナム戦争の特需が日本経済の高度成長を準備し支えた。高度成長はまた水俣はじめ日本各地に公害をもたらす。そして安倍政権に至って「武器輸出が事実上全面解禁」される。山本がさらに問題視するのが原子力発電である。原発がその根本において安全性が確認されていないのは福島の原発事故を見ても明らかだし、すでに日本は6000発のプルトニウム爆弾を作り得る材料を保有しているという。関西電力の会長社長以下の幹部が、原発を立地する福井県高浜町の元助役(故人)から巨額の金品が渡っていたことが報道されている。原発の安全性が確認されていないにもかかわらず原発を建設するのはどう考えても無理筋である。無理を通せば道理が引っ込む。道理が引っ込むから巨額の金品が動いたのだ。

10月某日
日本オンコロジー学会のがん患者とその家族向けのパンフレットづくりを、出版社の青海社が手伝っている。大阪で編集会議があるというので青海社の工藤社長と参加する。工藤社長は今年3月、脳出血で倒れ現在リハビリ中ということで、私は付き添いを兼ねている。と言っても私も2010年に脳出血で倒れ障害者手帳を交付されている。障害者二人組である。4時間ほどの会議で方向性と原稿の締切が決まり工藤社長も一安心である。ちょうど観光シーズンで同じホテルを予約することが出来ず、工藤社長は新大阪駅近くのホテル、私は地下鉄で2駅目の江坂のホテルである。会議の会場からまず工藤社長のホテルを目指すが、なかなか見つからない。私の万歩計は18000歩を超えた。タクシーを呼んでホテルに向かうがどうやら私たちは駅の反対側を探していたようだ。ホテルの近くの「粋采たつみ屋」という店で夕食を兼ねた呑み会。佐渡の地酒があったのでそれを頂く。工藤社長にすっかりご馳走になる。ホテルに戻って私は江坂のホテルへタクシーで向かう。風呂に入って爆睡。爆睡はいいけれど4時頃目が覚めてしまった。日曜日の朝のNHKはインカの人と暮らしを描いた番組や札幌市円山のエゾシマリスの画像を流すなど、なかなか見ごたえがあった。

10月某日
今日は京大病院に入院中の友人を見舞うために京都へ。地下鉄で新大阪へ向かい在来線でゆっくりと京都へ。面会時間が14時からなのでそれくらいがいいのだ。京都駅から地下鉄で丸太町へ。京都御所の壁沿いに歩いて鴨川を渡ってしばらく行くと京大病院である。京大病院の近くの教育会館のレストランで食事。友人が入院している京大病院の積貞棟という病棟に向かう。変わった名前だが任天堂の山内相談役の寄付により建設されたということだ。友人は栄養剤を点滴していたが、思ったよりも元気だった。京都駅の書店で買った岩波新書の「独ソ戦」を渡す。「これ読みたかったんだ」と友人。久しぶりなので一時間近く話してしまい、指定券を買っていた帰りの新幹線を逃す。京阪本線の神宮丸太町から清水五条へ。清水五条からバスで京都駅。観光シーズンなので外国人で一杯だった。現役時代は京都市内の移動はタクシーが主だったが、今は徒歩と公共交通機関である。健康にいいことと市内の地理がよくわかる。ちょうど来た「のぞみ」の自由席へ。運良く座れて車内販売のビールと日本酒を頂く。つまみは昨日、工藤社長が買ってくれた「かまぼこ」2本である。